- 北海道の登山 Part3
780 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:40:48.00 ID:cdYPk1yp - 7、
神経症者は、「こう」ならなければ満足できないというものがある。 しかし実際の自分はその様になる能力が無い。 あるいは本質的に自分の適性に、それは向いていない。 それにもかかわらず、神経症者はその様な地位に向けて強迫的な努力をすることになる。 おそらく大人になっても小さい頃の挫折を受け入れられないでいるのであろう。 なんとかして自分を嘲笑したものを見返してやりたい、 なんとかして親の失望を取り返したい、そんなものが無意識の領域にあるに違いない。 親が深い失望のため息をついたことによって受けた心の傷かも知れない。 自分の臆病に対して仲間があざ笑った時の心の傷がいつまでも無意識の中に残っているのかも知れない 「べつにこれ以上偉くならなくてもいい」と思えないということが、理想像への強迫的執着である。 実際の自分がその様に能力が無いのだから、 自分がなれるもので満足するというのが心理的健康である。。
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781 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:42:17.36 ID:cdYPk1yp - 8、
神経症者にとって実際の自分は軽蔑の対象でしかない。責める対象としての自分なのである。 もう一方に愛される自分、人々から尊敬される自分がいる。それが理想の自分である。 この理想の自分と実際の自分の緊張関係から強迫性が生まれる。 強迫的になってしまう人は誰からも教えてもらっていないのだろう。 小さい頃、優しく教えてくれる母親がいなかったのだろう。 神経症者はいつまでも名誉、賞賛を強迫的に追い求め、 ついに現実の自分の人生に満足することが出来ないままで人生を終わることになる。。
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782 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:43:50.88 ID:cdYPk1yp - 9、
神経症者は苦労すれば幸せになれると錯覚している。 神経症者は「負け犬の生き方はイヤだ」と言う。 他人を軽蔑しなければ生きていけないほど深刻な劣等感を持っているという事なのである。 それだけ苦しいと言うことなのである。 人を軽蔑しなければ生きていけない。 神経症的名声追及の過程には復讐的勝利への衝動が隠されている。 強迫的に名声を求める人は心の底に屈辱感を抑圧している。 。
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783 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:46:23.70 ID:cdYPk1yp - 10、
神経症者には、見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが最初にあるから、 現実の自分には不可能としか考えられない様な大成功を求める。 見返すために必要な成功、それが自分に対する非現実的な期待である。 もともと無理なことを望んでいるのだから出来るわけがない。 現実の自分を無視してしまうのはまず見返してやりたいと言う、 復讐的な気持ちが無意識の領域で先行するからである。 例え成功をして見返したと思っても、その時点での屈辱感を癒すものでしかない。 自分のコンプレックスを処理しておかなければ、またすぐに惨めになるだろう。 。
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784 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:47:31.76 ID:cdYPk1yp - 11、
神経症の人は名声さえあればすべてが解決できると思っている。 皆から賞賛を得ようとする。 心の傷が深刻であれば深刻であるほど人はその傷を認めない。 親から受けた嘲笑を無意識の領域へと追いやる。 逃避することで実際の自分を受け入れることが出来なくなる。 挫折を人は受け入れることを避けようとする。 神経症の人は自分でない自分になろうと努力する。 努力の動機は「見返してやりたい」である。 復讐を動機とした努力は孤独への道である。 「見返してやりたい」と努力する人は神経症。 自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人。。
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785 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:49:39.76 ID:cdYPk1yp - 12、
神経症者は常に人と自分を対立した者と思い、いつも人と張り合っている。 現実に利害が対立しているわけでもないのに、神経症者は物凄い対抗意識を持つ。 何ら現実に対抗しているのではないのに、強い対抗意識を持つ。 いちいち人と張り合わずにはいられない。 神経症的競争は現実の利害対立なしに競走することである。 神経症者が自分の目的が分かっていないから自分の価値を感じられないからである。 要するに自分に自信がなく、価値が見いだせずに、他人との比較においてのみ考えようとするからである。 神経症者は、いつも誰が「より」魅力的であるか、誰が「より」人気があるか、等を気にしていると言う。 とにかく神経症的競争をしている人は他人の成功、失敗が気になる。 他人の成功が面白くない。自分の価値を下げると感じるからである。 自分と他人を対立して考えるからである。 人が何処の山に行ったかが気になる。
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786 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:50:54.01 ID:cdYPk1yp - 13、
神経症的競争をする人は、負けたと思ったときに、 [あの葡萄は酸っぱい]と言う解釈で他人の優位に立とうとする。 神経症的競争をする人は、「敗者」につきものの感情を抑圧するということである。 葛藤に苦しみ、不安にさいなまれることになる。 いつまでも成長できないまま人を愛することができず、 いつも不機嫌に苦しむことになる。 神経症的競争をする人が、自分の心の葛藤を解釈で解決しようとしても無理である。
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787 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:52:17.81 ID:cdYPk1yp - 14、
神経症者は周囲に優位するばかりでなく その優位を相手にも認めさせようとするから余計いがみ合いが激しくなる。 心のふれあいのない関係はお互いが必要なことがなくなった時に、 すごく残酷な形で終わりになる。神経症的競争はこんな関係なのである。 相手も優位しようとしている。その相手にこちらの優位を認めさせようとしているのであるから、 こちらの優位を認めるはずがない。 お互いに相手の優位を認めるはずがないのにその優位を認めさせようと激しくいがみ合う。
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788 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:53:55.93 ID:cdYPk1yp - 15、
神経症的競争心を持つものは人よりも成功したい、多くのことを成就したいと思うばかりではなく、 自分のしたことがユニークで例外的でないと気にいらない。 神経症者はスーパー・マンを目指す。 そして自分は人々の幸せに役に立っているという実感を求める。 社会に貢献できる喜びを求めない。 成功はその人に自信を与えない。 だから次々により大きな成功を求めさせるのである。 こういう人は常に皆に注目されていたい。 何時も周囲の人に自分を認めさせよう、認めさせようとする。 そして無理に自分の重要性を認めさせようとするから、かえって皆に嫌われる。 それが不安を増大させ、余計に自分のしたことの価値を誇張する。 自分のしたことの価値を誇張するのは自分が望むように相手が自分を認めてくれないからである。
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789 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 10:55:35.37 ID:cdYPk1yp - 16、
神経症的競争には復讐心が隠されている。 従って自分が成功することよりも他人が負けることが重要になる。 自分が幸せになるよりも、他人が不幸せになることが重要になる。 神経症的競争をする人は、私だけが成功しなければ気に入らない。 自分以外の人が注目を浴びると気に入らない。 それは自分以外の人に対する敵意である。 自分の満足が他人との関係で決まる。 神経症的競争をする人は成功することが怖い。その能力に自信がないからである。 そうなると残された道は他人の足を引っ張ることしかない。 要するに他人の足を引っ張ることが仕事になる。 復讐心を動機として努力して「俺は成功した」と思った時が 成功の恐怖の時である。
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790 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:00:44.85 ID:cdYPk1yp - 17 、
何故、神経症者は山を登り、 見えざる敵と戦い続け、そんなに身構えて生きなければならないのか? 何故、深刻な劣等感を抱える者は、医療やボランティアに従事し、 感謝を要求せずにはいられないのか? 心の葛藤を解釈で解決しようとしても無理である。 心の底を見つめることの方が、解釈よりもはるかに重要である。。
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791 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:04:13.60 ID:cdYPk1yp - 18、
神経症者は山登りには興味がないが、頂上にいたい。 神経症者の目的は自己実現ではなく、自己栄光化である。だからトラブルを起こす。 深刻な劣等感に悩んでいる人の最大の問題は、他者に対する優越にしか関心がないことである。 劣等感が強ければ、人と親しくなるよりも、人から尊敬されることを求める。 そして、常に相手に優越しようとするから人と親しくはなれない。 自分への失望があるだけに、他人に自分を尊敬させようとする。 普通の人より自分に失望している人のほうが、他人に尊敬してもらいたがる。 人に尊敬と感謝を求めるときには、人は無理を始めている。 そして、無理しているから尊敬と感謝がほしい。 実際の自分以上に自分を見せようとすることで、 実は実際の自分を自分が卑しめていることになる。 劣等感は成功によって消えるものではなく、逆に深刻になっている。 劣等感をバネにして頑張れば、成功しても失敗しても劣等感は強化される。
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792 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:07:26.91 ID:cdYPk1yp - 19、
人は劣等感を解消しようと努力すればするほど逆に劣等感を深刻化していく。 屈辱感を乗り越えようとして、「俺はすごいんだ」と、その場を心理的に収めるが何の解決にならない。 神経症的解決である。 過去の屈辱感が優越の願望を生む。優越する事で心の葛藤を解決しようとする。 優越することの障害となる人が出てくる機会が普通の人より多くなる。その人を許せない。 優越したいという神経症的要求を妨害する人が許せない。 そして努力の方向が不幸への道となる。 深刻化した劣等感を解消することが全てに優先するようになる。 劣等感は依存症のようなものである。 劣等感の深刻な人は優越感を求めまいと思っても優越感を求めないではいられない。 アルコール依存症のようである。いちいち人と張り合わずにはいられない。 競争に勝てばその時はホッとする。しかし心の葛藤は深刻化している。 競争に勝っても負けても劣等感は深刻になっている。優越がその動機だからである。 劣等感の深刻化したのが神経症である。 年齢とともに神経症は悪化する。神経症の冷酷な心理法則に従って、不幸な人はより不幸になる、 葛藤を安易に解決しようとした結果である。 人は自分の神経症がどんどん悪化しているのだと気がつかない。 優越感は地獄への切符である。。
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793 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:12:37.76 ID:cdYPk1yp - 20、
神経症者の自己栄光化は心の葛藤を解決する手段なのである。 子供の求める栄光は親の劣等感の部分である。 親の子供への期待こそ親の劣等感の部分なのである。 劣等感のある親ほど子供が良い成績だと喜ぶ。 自分が好きでもない職業につこうと努力したりする。人の眼を意識した行動ばかりをする。 心の傷を癒そうと、自分の適性を殺すという犠牲を払って栄光を求める。 人を意識した行動を続けるために、本当の自信をつける機会がさらになくなってしまう。 それにも関わらず必死で自信を求めて居る。 虚勢によって人の上に自分を引き上げても残念ながら自信は出来ない。 周囲の評価をねらっていると、いつになっても本当の自信は身につかない。 神経症者は周囲から特別に偉い人として扱ってもらえることを期待する。 自分はいつも人より特別に扱われるような資格があると思っている。 自分が自分の生き方を納得していないから、周囲の人に偉大な人間として扱ってもらいたいのである。 自分が普通の人になってしまうと心の葛藤と直面しなければならない。 つまり普通の人になれば、屈辱感を味あわなければならない。 自己を栄光化することが出来れば屈辱感を味あわなくてすむ。 神経症者は虚勢を張って威張っているが、心の底では人が羨ましい。 周囲から「自分の事を何様と思っているのだろう」と思われる。 こういう人々は本当の自信をつける機会をもてないまま年をとってしまった人達なのである。 自己栄光化は、弱さの象徴である。。
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794 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:14:16.81 ID:cdYPk1yp - 21、
神経症の核には深刻な劣等感がある。 つまり劣等感の深刻化したのが神経症である。 神経症者は自分の劣等感は意識できても自分が今神経症に向かって進み どんどん悪化し恐ろしい状況に追い詰められている事に気が付いていない。 ますます自分の幸せのための行動を選択するのが困難になるのである。 社会的地位に関係なく劣等感や名誉欲や虚勢が動機で頑張れば頑張るほど劣等感は強化する。 失敗すると無気力になりより絶望した人間になる。 成功してもますます劣等感は深刻化しより怯えた人間になる。 劣等感の現象は視野の狭さと利己主義である。。
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795 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:16:44.15 ID:cdYPk1yp - 22、
劣等感のある人は人と自分を強迫的に比較する。 他人に優越したいという劣等感と、恵まれた人が許せないという憎しみからである。 強迫的に比較する原因は孤独と敵意、そして抑圧された憎悪である。 目の前の人が変わるたびに標的が違ってくる。そのためいつも人と戦って生きている。 他人に優越することが全てを優先する。 こうしていつも見当違いの努力をして人生を消耗していく。 自分の前に現れた人に、自分の幸せを決められてしまう。 そして不可避的に嫉妬深くなる。 。
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796 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:19:15.27 ID:cdYPk1yp - 23、
神経症者の体験は始まりから屈辱感と深く結びついている。 成長期に不当に人と比較されて生きてきた。 比較で育てられたということは、支配されて育てられたということであり、 支配・被支配の関係で成長したということである。 比較され勝っていなければ責められて生きてきた。 そうなれば自我の確立どころではない。 その結果、自分自身の感情や願望を喪失し、物事を決める要因は 優越したいが中心にある。。
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797 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:23:52.12 ID:cdYPk1yp - 24、
人は他人に賞賛を求めなければ求めないほど、よりいっそう自由になり 自信を感じるようになる。 しかし愛情飢餓感があれば、どうしても他人から認められたい。 成功することで自分は受け入れられると思った人は、 どんなに成功しても不安で不幸という心理状態から抜け出す事はできない。 認められる事がそこまで重要だということは、そこまで依存心が強いということである。 そこで他人から期待したような反応が返ってこないと相手に敵意を抱く。 深刻な劣等感のある人は実存的レベルで誰ともコミュニケーションができない。。
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799 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:27:20.69 ID:cdYPk1yp - 25、
深刻な劣等感のある人は敵意を隠す。 無意識で人が嫌いでありながら、人に嫌われるのを恐れて極端に人にいい顔をする。 嫌いな人にいい顔をする。嫌いな人から好かれようと努力する。 いい人と思われたくて人と円満にしようとする。 折れたぶんだけ憎悪がでる。 好かれないと生きていけないから嫌いでも逆にしがみつく。 そして防衛的性格として明るい人物を演じる。 憎しみを隠すための寛大さ、明るさである。 深刻な劣等感のある親は、子供が嫌いだけれども、子供に知られたくないし、嫌われたくない。 子供への愛情を誇示するが実は関係は薄い。 意識の上では心から子供を愛していると思い込んでいるが、 実は子供に対し抑圧された憎悪を隠している。 愛情を誇示するのは、子供を全然愛することができないからそれを補おうとしているのである。 そして子供のために自分自身を重要視していないことを誇りにしている。 ところが非利己的であるのにかかわらず全然幸福になれず人間関係にも悩み当惑している。 「非利己主義」とは神経症の最も重要な症候なのである。 見せかけの「非利己主義」の背後には強烈な自己中心主義が隠されているのである.。
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800 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:30:26.98 ID:cdYPk1yp - 26、
神経症の母親は、子供は母親の「非利己主義」を見て、愛とはなにかを学ぶにちがいない、と信じている。 ところが母親の「非利己主義」は子供に期待どおりの影響を及ぼさない。 子供は不安に怯え、緊張し、なんとか母親の期待に沿おうとする。 はっきりとは認識できない母親の隠された憎悪を察知し影響される。 その影響は利己的な母親の影響と変わらない。いやそれどころか、最もタチが悪い。 「非利己的」を盾にした母親を子供たちは批判することができないからである。 美徳の仮面のもとに、愛のかわりに人生への嫌悪を教えこまれる。 偽装された愛に誤魔化されて子供たちは責められ続けるのである。 自分自身を愛することができる母親に愛された子供は神経症にはならない。
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801 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:33:55.84 ID:cdYPk1yp - 27、
深刻な劣等感のある人は人間嫌いである。 それは甘えの欲求が満たされていない、愛情飢餓感が強いことの当然の結果である。 全ての人に過大な要求が多い。 自分のことをこう見てほしい。自分のことをこう思ってほしい。自分のことをこう扱ってほしい。 神経症的要求である。 対象無差別にチヤホヤしてもらいたくてもされないから、すべての人は不愉快である。 人間嫌いになるのは当たり前である。 とにかく深刻な劣等感のある人は隠された怒りを持っている。 深刻な劣等感のある人の特徴は利己主義者である。 人から評価されたいから寛大な顔をする。嫌われるのが怖いから極端に非利己主義になる。 好かれようとして立派な行為をする。興味のない事でも、よく見られるための努力をする。 その結果、他人とどう接するか、ということががあまりにも重要になり、自身の感情を圧倒してしまう。 そして自分自身を見失う。 そうなると幸せになりたいのではなく、幸せに見られたいと思うようになる。 不幸であっても不幸と見られなければそれでよい。 こうして無理をして生きているからいつも抑うつ状態で、消耗していく。 人に対する反応だけになり、傲慢になったり、普通の人以上に気が引けたりする。 深刻な劣等感のある人は利己主義であるから損得勘定しかない。 相手に対する人としての興味と関心がないから、ずるい人からカモにされる。 利己主義者であるがよく騙される。
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802 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:40:30.52 ID:cdYPk1yp - 28、
深刻な劣等感のある人はどうしても他人から認められたい。 だから卑怯な人によく騙される。 深刻な劣等感のある人は自己蔑視し、周囲の人が立派な人だと勘違いする。 卑怯な人にとってこれほど扱いやすい人間はいない。 深刻な劣等感のある人は卑怯な人に批判され、搾取され、弄ばれても、 その卑怯な人に会えば頭を下げる。 自分を不当に卑しめ、誹謗し、辱める卑怯な人に、 劣等感に苦しむ人はニコニコしてお辞儀をする。 これは自己蔑視し、自分を憎んでしまった者の悲劇である。 自分を憎み、軽蔑してしまった者は、相手がそのように自分に対して不当な事をしても、 心の底ではそれが妥当だと感じてしまうのである。 自分は人から軽蔑され、卑しめられても仕方がない人間だと心のどこかで感じている。 成長過程で、「悪いのは自分」という解釈をしなければ、そこに存在を許されなかったのである。 小さい頃から責任転換するずるい人に囲まれて生きてきたのである。 周囲の人に責められて生きてきたから、自分を卑しめる人間に抗議できないのである。
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803 :底名無し沼さん[]:2018/05/13(日) 11:45:46.88 ID:cdYPk1yp - 29、
深刻な劣等感のある人は自己蔑視している。 自己蔑視の特徴の一つは、他人が自分を虐待するのを許すということである。 親から情緒的虐待を受けた子供は、大人になってから他人からの虐待もまた受け入れてしまう。 その人自身が虐待されることを無意識に同意しているからである。 馬鹿にされ、軽視された扱いをされることにその人が心の底で同意している。 自分で自分を軽視しているがゆえに、大切に扱ってくれることには違和感がある。 自己蔑視しているから、虐待されてもしょうがないと思っている。 こうなるとずるい人にいいように利用される。劣等感に苦しむ人はカモである。 利用されても迎合する。 しなくてもいいことをして燃え尽きる人、過労死をする人もいる。 苛められて自殺するタイプはこれである。 自己蔑視してる人は、悪い人に利用されるだけ利用されても迎合する。 自己蔑視してる人は淋しいから仲間になりたい。 悪い人は、相手がニコニコして迎合するからいよいよ相手を舐める。馬鹿にして弄ぶ。 自己蔑視してる人は、馬鹿にされて、舐められて、お金をもぎ取られて、死んでいく。 病んだ集団は誰かを犠牲にしながら維持される。 神経症家族でも犠牲になる人は、自己蔑視した人である。 愛情飢餓感が強いから、利用され馬鹿にされても、犠牲的役割を果たす。 自分の責任でない事にまで責任を感じてしまう。そして燃え尽きても誰も助けない。 ずるい人にとって自己蔑視した人は都合のいい存在なのである。 自己蔑視している人は、利用されることと認められていることとを間違える。 深刻な劣等感のある人は、搾取タイプの人に気に入られようとして必死にがんばる。 不誠実な人に気に入られようと心血を注ぐ。そして骨の髄まで搾り取られる。。
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