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140 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 15:49:14.07 ID:5eafQy1+0 - 梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺産推進課課
長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況報告の成果経 過観察(モニエムゾネタリング)に必要とされる諸事項に関し、現 時点及び過去における資料・情報については、静岡県・山梨県・ 及び資産の所在する市町の下に適切に収集・保管されている。そ れらの一覧表については、以下のとおりである。表(過去に経過 観察のために実エムゾネ施した過去の資料・情報)番号編著者標題 対象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画像一覧表N oフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持者著作権 者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する文書な どc)資産関連資エムゾネ料d)資産管理機関住所e)参考文献8 .連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その他 の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)番号 構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策定状況 H21.10.30エムゾネ学術委員会評価分析結果備考富士山両 県未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資産C :富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年1 0月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著 な普遍的価値を有するエムゾネ資産B:顕著な普遍的価値について さらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能 性がある資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委 員会・第2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的 保存管理計画原案−1−エムゾネ世界文化遺産富士山包括的保存管 理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1) 各県における検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部 会組織3計画の位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計 画の実施第2章構成資産のエムゾネ概要1構成資産の一覧2資産及 び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及
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133 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 15:53:35.03 ID:5eafQy1+0 - に基づき、所有者や関係市町村に対して文化財の保存管理に関
する指導を行っているエムゾネ。このように、将来的に良好な状態 の下に資産を維持していくための体制についても万全を期して いる。6.経過観察(モニタリング)の体制a)保存状況を計 測するための主たる指標構成資産である「遺跡」・「記念工作 物」・「建造物群」をはじめ、エムゾネそれらの緩衝地帯について は、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理又は復旧、維持管理 、防災及び危機管理に関する体制の充実及び技術の向上を目的 として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与える影響に対 し、次に掲げる主な観点の下に適切な指エムゾネ標を設定し、定期 的かつ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定であ る。@「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値と 真実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況と資 産に与える影響」に記された諸要素(開発・環境エムゾネ問題・自 然災害・観光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影 響を与えているか/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に 関連して、資産とその緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広 い地域が、相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関エムゾネ する知識を発信する場として適切な発展を遂げているか。設定 するおもな観察指標については、以下の表に示すとおりである (予定)。表観察指標一覧表※斜字は富士山を守る指標(20 10年度改定予定)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的 結aエムゾネ)視点場における景観阻害要因数毎年両県びつきの保 護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山環境教育開催数・ 参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提供数毎 年両県c)主要地点での観光客の入込み数毎年両県d)登山者 数(5合目以エムゾネ上)毎年市町村e)登山者数(8合目以上) 毎年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐採面積
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141 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 15:54:45.84 ID:5eafQy1+0 - 道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口
登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間 神社A7西湖A8精進湖A9エムゾネ本栖湖(2)信仰B1富士山 本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神 社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8 御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内 樹型−2−B13吉田胎内樹型エムゾネB14人穴富士講遺跡(人 穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保存 管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸 要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び 登山道A信仰B眺望(2)顕著なエムゾネ普遍的価値を構成する諸 要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木B社寺の 境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工 作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自 然的要素A歴史的要素B人文的要素エムゾネ2保存管理の基本方針 (1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的 な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5) 保存管理体制の整備と運営第4章構成資産の保存管理1現状の把 握(1)富士山山体及び登山道(2)エムゾネ信仰(3)眺望2保 存管理の基本的な考え方(1)現状変更の制限についての考え方 (2)地区区分についての考え方(3)指定地に関わる諸法令に ついて3具体的な施策(1)第1種保護地区(2)第2種保護地 区(3)三保松原−3−第5章緩衝地帯エムゾネの保存管理1現状 の把握2保存管理の基本的な考え方(1)緩衝地帯の設定と行為 規制(2)都市計画との調整(3)住民生活との調和3具体的な 施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を与 える要素2負の影響を与える要因の観察第エムゾネ7章整備・公開 ・活用1基本方針2整備と公開・活用第8章保存管理体制
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134 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:00:08.38 ID:5eafQy1+0 - の整備形態〜)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の
数毎年両県b)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環 境省c)生活排水クリエムゾネーン処理数毎年両県(3)個別資産 の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量毎年両県a)自然公 園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積 毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(森林の整備 形態〜)毎年両県69d)廃棄エムゾネ物の不法投棄量毎年
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142 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:01:24.17 ID:5eafQy1+0 - と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等との連携・
協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関する事 業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的エムゾネ富士山は、日 本を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世 界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に 独自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在 り方及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、エムゾネ一国の文化 の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であ るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の 傑出した類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持 つ山岳であり、世界文化遺産に値するものであるエムゾネ。富士山 は、有史以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形 の独立成層火山であり、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び 、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強く 秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代かエムゾネら現代 に至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山 嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成され、山体と一体となった 比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目以上の砂 礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分エムゾネ布す る湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形などは、富 士信仰の霊地として重要な役割を果たしてきた。日本独自の山岳 民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命脈を保ち、特に 夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登山の特エムゾネ徴 を成している。このように、富士山は日本人の自然に対する信仰 の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表す物証及 び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型となっ ている。また、富士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対エムゾネ 象となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などの
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135 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:06:46.02 ID:5eafQy1+0 - お、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法等に関する内容
の詳細については、本推薦書参考資料である包括的保存管理計 画において具体的に記述している。b)資産の経過観察(モニ タリング)のための行政上の体制定期的エムゾネ報告を含む経過観 察(モニタリング)については、以下の表に示すように管理団 体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委員 会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行のた めの作業指針』(2008年)第5章に基づき、エムゾネ年度ごと に情報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ご とに保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通 じて世界遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタ リング体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名エムゾネ 資産及び緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文 化庁組織代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名: 記念物課課長3.指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県 教育委員会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長 :山エムゾネ梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺 産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況 報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされる諸事項に 関し、現時点及び過去における資料・情報については、静岡県 ・山梨県・及エムゾネび資産の所在する市町の下に適切に収集・保 管されている。それらの一覧表については、以下のとおりであ る。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報) 番号編著者標題対象資産年要約707.資料a)写真・スライ ド・画像一覧表Noフエムゾネォーマット標題撮影年月撮影者・編 集者著作権保持者著作権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護の ための指定に関する文書などc)資産関連資料d)資産管理機 関住所e)参考文献8.連絡先a)申請書作成者連絡先
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143 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:08:01.52 ID:5eafQy1+0 - 品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみな
らず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作 品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形エムゾ ネ成・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となった極めて 強力な関連性であることを示している。このような価値をもつ「 富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布 している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」
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136 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:13:45.50 ID:5eafQy1+0 - 理組織・官庁c)その他の組織エムゾネd)公式ウェブサイト9.
署名構成資産の分析(1)番号構成資産候補名所在市町村文化 財指定状況保存管理計画策定状況H21.10.30学術委員 会評価分析結果備考富士山両県未着手分析結果A:富士山の価 値を証明するのに必須の資産C:富士山エムゾネの価値を証明する のに不可欠ではない資産平成21年10月30日の各県学術委 員会(両県合同開催)での評価A:顕著な普遍的価値を有する 資産B:顕著な普遍的価値についてさらに調査等が必要な資産 C:顕著な普遍的価値を有しない可能性がある資エムゾネ産保留: 評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨 県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原 案−1−世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原案目次第1 章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)各県におけるエムゾネ 検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部会組織3計 画の位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計画の実施 第2章構成資産の概要1構成資産の一覧2資産及び緩衝地帯等 の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及び登山道A富士山 A1エムゾネ山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山 道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神 社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B1富士山本宮浅 間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B 5冨士浅間神エムゾネ社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B 8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津 胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人 穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保 存管理の基本方針1顕エムゾネ著な普遍的価値及び周辺環境等を構 成する諸要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士 山山体及び登山道A信仰B眺望(2)顕著な普遍的価値
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144 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:15:00.26 ID:5eafQy1+0 - ゾネ総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構 エムゾネ成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくた めの包括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そ のため、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に 関係市町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「 富エムゾネ士山」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画 保存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村) 整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山 包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基 礎とエムゾネし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理 及び整備に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示す るため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員 会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学 識経験エムゾネ者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存 管理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原 案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を 得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー ム」(表エムゾネ)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」 (表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的か つ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の 協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観 光関係者・エムゾネ神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計 画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設 置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置した 「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ、
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137 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:19:55.53 ID:5eafQy1+0 - する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木
B社寺の境内に含まれる歴史的エムゾネな建造物及び工作物等以外 の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構 成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2保存管 理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境 を含めた一体的な保全(3)経過観察のエムゾネ実施(4)整備・ 公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資 産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2) 信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の 制限についての考え方(2)地区区分についてのエムゾネ考え方( 3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1 種保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章 緩衝地帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方 (1)緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整エムゾネ (3)住民生活との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施 1顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要素2負の影響を与 える要因の観察第7章整備・公開・活用1基本方針2整備と公 開・活用第8章保存管理体制の整備と運営1保存管理体制の整 備とエムゾネ役割分担2地域住民等との連携・協働3持続的運営の ための定期的確認付章1保存管理に関する事業計画一覧表−4 −第1章目的と経緯1目的富士山は、日本を代表し象徴する日 本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世界的に著名であり、 日本人の自然エムゾネに対する信仰の在り方や日本に独自の芸術文 化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在り方及び芸 術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極めて 深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず 、人間と自然との良好エムゾネで継続的な関係を示す景観の傑出し た類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を
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145 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:21:08.25 ID:5eafQy1+0 - の指導・助言エムゾネの下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会 と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的 保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内の世界 遺産における包エムゾネ括的保存管理計画の事例2007年12月 26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と経 緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3 月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検 討部会の審議結果エムゾネ2008年6月19日平成20年度第1 回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画の役 割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平成2 1年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概要に ついて・構成資産、エムゾネ緩衝地帯、保存管理区域について20 10年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存管理計画 の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年 第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例200 7年12月9日現地調エムゾネ査2008年1月31日平成19年 度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討 部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月 21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存 管理計画検討部会の審議エムゾネ結果2008年4月16、17日 現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策 定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定について2008年6 月10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月 22日平成20年度第1回エムゾネ山梨県保存管理計画検討部会・ 構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方200 9年4月24日平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定協力 者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨
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138 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:26:35.88 ID:5eafQy1+0 - 岳であり、世界文化遺産に値するものである。富士山は、有史
以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形の独立 成層火山であり、その山体は南エムゾネの駿河湾の海浜にまで及び 、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強 く秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代から現代に 至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山 嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成さエムゾネれ、山体と
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146 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:27:51.70 ID:5eafQy1+0 - 管理計画策定協力者会議につエムゾネいて2009年6月19日平
成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補の概 要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について200 9年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策定ワーキング ・富士山世界文化遺産登録へのエムゾネ取組状況について・山梨県 保存管理計画の策定について2010年3月16日平成21年度 第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方につい て2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理計画 検討部会静岡県の経緯2007年エムゾネ7月5日平成19年度第 1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計画について−7− 2008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年 度第2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討 部会の審議結果・静岡県保存管理計エムゾネ画について2008年 2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県 保存管理計画検討部会の審議結果2008年7月16日平成20 年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検 討部会の報告・静岡県保存管理計画にエムゾネついて2008年9 月9日平成20年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡 会議・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静岡県保 存管理計画の策定について2009年2月12日現地調査200 9年6月1日平成21年度第1回静岡県エムゾネ保存管理計画策定 協力者部会・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静 岡県保存管理計画の策定について2009年6月17日平成21 年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の 策定について・富士山の緩衝地帯に関するエムゾネ考え方2009 年7月13日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁 内連絡会議2009年10月29日平成21年度静岡県保存管理 計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11月25日
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139 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:33:17.58 ID:5eafQy1+0 - なった比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目
以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分 布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形など は、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてエムゾネきた。日 本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命 脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士 登山の特徴を成している。このように、富士山は日本人の自然 に対する信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化エムゾネ 的伝統を表す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示 す傑出した類型となっている。また、富士山の秀麗な姿は古く から芸術活動の対象となり、その結果生み出された「万葉集」 の和歌などの文学作品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作 品はエムゾネ、日本国内のみならず海外にも広く知られ、様々な影 響を与えてきた。それらの作品群は、地球上の特定の地域にお いて独自の文化的伝統が形成・発展するのに当たり、富士山が 重要な源泉となった極めて強力な関連性であることを示してい る。このようエムゾネな価値をもつ「富士山」の構成資産は、山梨 県と静岡県の二県にまたがって分布している。これら一連の構 成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確実に保存し、 確実に次世代へと継承するためには、両県共通の考え方を基に 、各構成資産全体を一エムゾネつの資産として包括的に保存管理し ていくための方法を整理していく必要があることから、個別の 構成資産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係 性を保全し全体の価値を継承していくための包括的な保存管理 計画を策定しておくことが必要エムゾネである。そのため、山梨県 ・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市町村、 関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山」包 括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存管理
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147 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:34:31.26 ID:5eafQy1+0 - 1年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者エムゾネ部会2010
年1月29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者 部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学 術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日 平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部エムゾネ会(2)学 術委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計 画検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構
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140 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:39:50.05 ID:5eafQy1+0 - 観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各エムゾネ市町村)整備計画
等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的 保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎と し、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備 に係る理念・基本方針とその具体的内容についてエムゾネ明示する ため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員 会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。 学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管 理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置したエムゾネ 。原案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通 認識を得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェ クトチーム」(表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会 議」(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効 果的エムゾネかつ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など 幅広い方々の協力・助言が不可欠であることから、関係自治体 ・地域住民・観光関係者・神社関係者などで構成する「山梨県 保存管理計画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力 者部会」を設エムゾネ置し、連携を図った。さらに、二県学術委員 会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討部会」における 検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■年■月に策 定した。(1)各県における検討の経緯両県の経緯(包括的保 存管理計画検討部会とエムゾネ学術委員会)2007年11月29 日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管 理計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画 の事例2007年12月26日平成19年第2回包括的保存管 理計画検討部会・目的と経緯・エムゾネ構成資産の概要・保存管理 の包括的な基本方針2008年3月17日平成19年度第2回 学術委員会・包括的保存管理計画検討部会の審議結果2
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148 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:41:03.93 ID:5eafQy1+0 - 〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び
緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村エムゾネでは、ま ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施して いる。これらの計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日 常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に 関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産にエムゾネ影響す る可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立地に関する 方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後 の取扱いについて(山梨県)1993年10月−17−明神峠自 然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡県森林共エムゾネ生基 本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平成18年4月策 定F資産に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法 に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成2 1年2月策定市町村森林整備計画平成18年4月策定−エムゾネ1 8−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計 画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計画は、20年月か ら既に実施され機能されているものである。−19−第2章構成 資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資エムゾネ 産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以 下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類 構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面 積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道エムゾ ネ含む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡 特別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山 口登山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A 5吉田口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、エム ゾネ御殿場市、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、 富士河口湖町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社
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141 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:46:40.84 ID:5eafQy1+0 - 年6月19日平成20年度第1回包括的保存管理計画検討部会
−6−・包括的保存管理計画の役割・構エムゾネ成要素と本質的価 値の明確化2009年5月20日平成21年度第1回包括的保 存管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、 緩衝地帯、保存管理区域について2010年3月19日平成2 1年度第2回学術委員会・保存管理計画の考え方エムゾネについて 山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1回山梨県保 存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年12月9 日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県保 存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議エムゾネ 結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平 成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計 画検討部会の審議結果2008年4月16、17日現地調査2 008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキ ングエムゾネ・山梨県保存管理計画の策定について2008年6月 10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月 22日平成20年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・構成 要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方2009 年4月24日エムゾネ平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定 協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨 県保存管理計画策定協力者会議について2009年6月19日 平成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補 の概要について・構成エムゾネ資産、緩衝地帯、保存管理区域につ いて2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策 定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況について ・山梨県保存管理計画の策定について2010年3月16日平 成21年度第3回山梨県・静岡エムゾネ県学術委員会・保存管理計 画の考え方について2010年6月30日平成22年度
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149 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:47:54.45 ID:5eafQy1+0 - 造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡 エムゾネ建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺 跡遺跡市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然 記念物静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡 市NE2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価 値エムゾネを表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における 富士山体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周 囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成 資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保 証すエムゾネるために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定 する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管 理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」 の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現 在特別エムゾネ名勝富士山に指定されている区域だけでなく、その 周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。この範囲に おいて、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝指 定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森林 法で保護エムゾネされている。緩衝地帯との境については林班によ り線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減 するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の 山体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを 連続して保エムゾネ護するための措置である。緩衝地帯の範囲につ いては、当初国道469号から県道72号にかけての富士山側を 計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本 宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘が あり、市道をエムゾネ境に緩衝地帯を設定した。その際、富士山本 宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため、富士山に
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142 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:52:19.52 ID:5eafQy1+0 - 山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日
平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計 画について−7−2008年1月23日エムゾネ現地調査2008 年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会 ・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計 画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・ 静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会のエムゾネ審
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150 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:53:32.38 ID:5eafQy1+0 - て約36度の広がりで設定した。この範囲については、文化財保
護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護さ れている。保全エムゾネ管理区域の範囲については、三保松原から 富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために、溶岩が 流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡県側におい ては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲に ついては、保全管エムゾネ理区域とはしていない。なお、保全管理 区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山山体 の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)につい ては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地 帯同様に資産を緩衝エムゾネすることが可能な区域であると言える 。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概要については 、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書 本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、 構成資産毎に策定されエムゾネている個別の保存管理計画等におい て、それぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p1 8,19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。 A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関 わるもの(1)富士山山エムゾネ体及び登山道A富士山標高377 6mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗 な独立火山である。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、 日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育 んだ名山でもある。富士山エムゾネは山岳に対する信仰の在り方や 芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深 い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人 間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型とし て、世界的にも類例を見ないエムゾネ顕著な普遍的価値を持つ山で ある。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山体の内
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143 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 16:58:38.50 ID:5eafQy1+0 - 2008年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画
検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管 理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県保存管 理計画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺エムゾネ 産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定につい て2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21 年度第1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界 文化遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定 につエムゾネいて2009年6月17日平成21年度第1回静岡県 保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の策定について・ 富士山の緩衝地帯に関する考え方2009年7月13日平成2 1年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議200 9年10月2エムゾネ9日平成21年度静岡県保存管理計画検討部 会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平成21年度第 2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年1月29日 平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者部会201 0年3月16日平成2エムゾネ1年度第3回山梨県・静岡県学術委 員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日平 成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委員 会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計画検 討部会の組織は図に示すとおりエムゾネである。また、その構成は 表〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産 及び緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、ま ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施し ている。これらの計画は、包括的保存管エムゾネ理計画と密接に関 連し、日常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存 管理計画に関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産に 影響する可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等
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151 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 16:59:51.35 ID:5eafQy1+0 - 約1500m以上の範囲である。この範囲は、富士山周辺の主要
な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合う範囲であるととも に、各登山道における山体の神エムゾネ聖性に関する境界の一つで ある「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬 登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点を示す。 景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山 体」の境界として認識され、稜線エムゾネが優美な曲線を描
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144 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:04:39.57 ID:5eafQy1+0 - に関する方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場エムゾネ造成に事
業に関する今後の取扱いについて(山梨県)1993年10月 −17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡 県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平 成18年4月策定F資産に影響する可能性がある個別の開エムゾネ 発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡 県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成 18年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場 市・小山町)(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存 管理エムゾネ計画は、20年月から既に実施され機能されているも のである。−19−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世 界遺産「富士山」の構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の 面積、所在地については、以下の表に示すとおりである。表構 成資産の一覧エムゾネ大種別分類小分類構成資産世界遺産条約文化 財保護法自然公園法所在地位置資産面積(ha)緩衝地帯面積 (ha)A富士山(山体)(御中道含む)遺跡特別名勝史跡山 頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡特別名勝史跡A2大宮・村 山口登山道遺跡特別名エムゾネ勝史跡A3須山口登山道遺跡特別名 勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田口登山道遺 跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、小山町 )山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、富士河口湖町)県境 未確定地″A6北口本宮冨士浅エムゾネ間神社遺跡建造物記念工作 物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名 勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造物記 念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺跡遺跡市史跡 静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡エムゾネ名勝・天然記念物 静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市N E2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍
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152 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:05:52.15 ID:5eafQy1+0 - 画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た
写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21 −−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信 者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地エムゾネ域あるいは死後世界で ある「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異な るが、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以 上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ 一致する噴火口である「内院」の底部エムゾネに浅間大神が鎮座す るとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿 された登山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また 、ほぼ森林限界に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15 〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷エムゾネ川角行によって開 かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、 富士講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修理 ・整備の経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に 仮指定1936年国立公園法の下に(富士エムゾネ箱根)国立公園 に指定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指 定1969年国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)1 996年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手 (継続中)「御中道」は、標高2,300mエムゾネ付近から2, 800m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周す る約25kmの道である。「御中道巡り」は、修験道の祖とされ る役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築 いた長谷川角行が行ったことが記録されているエムゾネ。古くは定 まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時代後 期には一定の道が整備された。富士山信仰の上では、山体西側の 大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされていた 。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師エムゾネに
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145 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:11:16.89 ID:5eafQy1+0 - を表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士山
体への良好な眺望を保証するために、個々の構成エムゾネ資産の周 囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構 成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性 を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定 する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、エムゾネ 保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「 富士山」の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲につ いては、現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく 、その周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。こ の範エムゾネ囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護さ れ、特別名勝指定地外から標高1,500mの区域については 自然公園法と森林法で保護されている。緩衝地帯との境につい ては林班により線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等 への影響が軽エムゾネ減するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖 、西湖までを富士山の山体として考え、範囲付けしたことは、 展望地点から山頂までを連続して保護するための措置である。 緩衝地帯の範囲については、当初国道469号から県道72号 にかけての富士山側をエムゾネ計画していたが、国際専門家から飛 び地の資産である、富士山本宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝 地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩衝地帯を設 定した。その際、富士山本宮浅間大社からの富士山の眺望を確 保するため、富士山に向かってエムゾネ約36度の広がりで設定し た。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、 自然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域 の範囲については、三保松原から富士山を眺望する際、その阻 害要因を軽減させるために、溶岩が流出エムゾネした範囲を基本と して設定した。そのため、静岡県側においては、裾野市
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153 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:12:29.76 ID:5eafQy1+0 - 、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳しいもので
あった。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許 し」を御師から受けることができた。1816年の資料では年間 100人以上が御中道巡りを行っているが、197エムゾネ7年の 転落事故で通行止めとなり、現在では一周することはできなくな っている。写真御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮 )富士山山頂部の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施 設が所在する。富士山への信仰登山が開始されると、エムゾネ修験 道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった。 登拝者は山頂周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される 噴火口に鎮座すると言われる神仏を拝した。また、火口エムゾネ壁 にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して 巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なう ことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、 修行僧末代により建立された大日寺(大日堂)が最初とさエムゾネ れ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院 への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山 口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された 。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認できる。1エムゾ ネ874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された 。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の 行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通エム ゾネじて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の 写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝 天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公 園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地
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146 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:17:17.08 ID:5eafQy1+0 - 場市、小山町に流出している溶岩流の範囲については、保全管
理区域とはしていない。なお、保全管理区域についても、森林 法と景観法で保護されている。富士山山体の東にエムゾネ位置する 、演習場(北富士演習場・東富士演習場)については、従前よ り大規模開発が予定されていないことから、緩衝地帯同様に資 産を緩衝することが可能な区域であると言える。3構成資産の 概要構成資産及び保存管理状況の概要については、以下にエム
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154 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:18:29.83 ID:5eafQy1+0 - エムゾネ財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財
団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、そ の成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定 された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富 士エムゾネ山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰 を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人 々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八 葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的 意義エムゾネを見出していたことが伺える。16世紀前半には地元 為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになる お鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが知られる。富士講 講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。 内院にエムゾネ賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつか の仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高 峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを巡礼した。写 真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間 大社及びエムゾネ村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登山 道である。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開削した 登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とその 活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた ことが推測エムゾネできる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在 が確認でき、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発 心門等の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年 、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えて いる。この権エムゾネ利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登 山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間 大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって 、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社には16
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155 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:24:24.46 ID:5eafQy1+0 - 半に30余りのエムゾネ道者坊があったことが伝えられ、同時期の
絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び 村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者 坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1 600年頃以降、エムゾネ地元支配者により、大宮を経て村山口登 山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17 世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀
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147 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:29:05.60 ID:5eafQy1+0 - 。また、登山道ごとに標高は異なるが、1779年以降、エムゾネ
浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はより強い神聖性を 持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口であ る「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づく。富 士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿された登山道が、現在 の4エムゾネ本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界 に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ご ろ富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、そ の後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、富士講信者によ り修行の道とエムゾネして利用された。表法的保護、修理・整備の 経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定 1936年国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定19 52年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定196 9年国が大沢崩れに対エムゾネする砂防事業に着手(継続中)19 96年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手 (継続中)「御中道」は、標高2,300m付近から2,80 0m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周する 約25kmの道である。「御中エムゾネ道巡り」は、修験道の祖と される役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基 礎を築いた長谷川角行が行ったことが記録されている。古くは 定まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時 代後期には一定の道が整備された。富士エムゾネ山信仰の上では、 山体西側の大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道 とされていた。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師 に提出し、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳 しいものであった。この御中道の巡拝を無事終えエムゾネると、そ の証である「御許し」を御師から受けることができた。181 6年の資料では年間100人以上が御中道巡りを行って
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156 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:30:22.26 ID:5eafQy1+0 - 興法寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707年の
宝永噴火で登山道とエムゾネ共にことごとく破壊された。これらは 再建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設 としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興 法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を含む 西日本の人々が多かっエムゾネた。なお、1532年以降不連続で あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19 世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年 で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少 し、村山の村落も衰退しエムゾネていたとの記述もあるが、186 0年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコックは大 宮を経由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡 坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以 降、女人登山の解禁もありエムゾネ、登山者は増加傾向を示すが、 1889年、東海道線の開通による御殿場口利用者の増加により 衰退し、これへの対策として1906年、村山を経由せず4km 短縮された大宮新道(カケスバタ口)が建設されたため、大宮か ら現六合目までの村山口登山エムゾネ道は登山道としての機能を失 い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建設に雨水による侵食も 加わり、一部を除き登山道跡の推定は困難な状態であり、道標、 地蔵・不動明王像、建物跡などをある程度たどることができるの みである。写真大宮・村山口登エムゾネ山道の写真A3須山口登山 道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ 嶽)に至る登山道である。その起源は明確ではないが、1200 年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山(珠山)口以外には登 山道がないことが述べられているエムゾネ。1486年の京都の僧 による資料(廻国雑記)では、「すはま口」の名が確認できる。 登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12軒の御
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148 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:35:50.01 ID:5eafQy1+0 - 、1977年の転落事故で通行止めとなり、現在では一周する
ことはできなくなっている。写真御中道の写真A1山頂信エムゾネ 仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部の火口壁沿いに、いく つかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士山への信仰登山 が開始されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の造 営や仏像等の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行 為がエムゾネ体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「御 来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる 神仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼 荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉め ぐり)」と呼エムゾネばれる行為を行なうことが一般的であった。 山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立 された大日寺(大日堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・ 仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。ま た、遅くとも17世紀エムゾネには、大宮・村山口山頂部に大日堂 が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された。この様子は1 9世紀中ごろの絵図によって確認できる。1874年、山頂の 仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピー クの名称も変更され、寺院は神エムゾネ社に改変された。しかし、 山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の行為は現 代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じて富士 信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の写真表法的 保護、修理・整備の経緯1924年所在エムゾネ地が史蹟名勝天然 紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園 法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化 財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財団法 人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査がエムゾネ行われ、 その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計
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157 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:37:03.82 ID:5eafQy1+0 - 心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明水の管理を
巡り、須走村と争いになった際は浅エムゾネ間大社の裁定を仰いで いる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に 附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの施 設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御 縁年の1740年に復興したが永続せエムゾネず、1780年によ うやく復興した。また、1880年代の記録では御室浅間神社、 中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確 認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場 としても使用された。登拝者についてはエムゾネ詳しい研究が進ん でいないが、西日本・東日本両方からの登山者があったことが、 宿帳及び案内立札の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当 たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均約 1,700人、続く1860年の御縁年にエムゾネは約3,600 人であった。登拝者は神仏分離令後も継続していたが、1883 年、須山口二合八勺に接続する御殿場口登山道が開鑿された。ま た、1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上 により須山口からの登拝者や登山者が減少すエムゾネることとなっ た。1912年には、登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可 能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っ ている。二合八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一 部のみである。また、1999年、地元住民にエムゾネより須山口 下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興された。写真須山口 登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点 とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山 道である。その起源は明確ではないが、六合目かエムゾネらは13 84年の銘のある掛仏が出土している。文献からは「勝山記」の 1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口
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149 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:41:32.67 ID:5eafQy1+0 - 策定された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡富士山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各 峰を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在もエムゾネ 多くの人々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「い たゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の 峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える。16世紀前半 には地元為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ
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158 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:42:49.23 ID:5eafQy1+0 - すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山エムゾネ頂部ま でを支配し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬 師堂の開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭 取得権も浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須 走村は、1703年と1772年の2回幕府に訴え、エムゾネこれ らの権利について八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い 、正式に権利を認められた。−25−登山道の施設は1683年 の資料等で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社 等の宗教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されエムゾネて いる。1707年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神 社、須走村は約3mの降砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援 を受け、翌年の登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集 めた。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料エムゾネ があるが、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセッ トにされた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均約1万人、1 800年の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は 関東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見エムゾ ネられる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した 須走口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口山頂部 に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加 した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19エム ゾネ03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が 長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続 けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間 エムゾネ大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また 、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されてい
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150 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:47:19.28 ID:5eafQy1+0 - 盛んエムゾネになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが
知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山 頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中 にあるいくつかの仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮) の大日如来、エムゾネ最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金 明水などを巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口 登山道富士山南西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、 山頂大日岳に至る登山道である。12世紀前半、富士山で修行 した末代上人の開削しエムゾネた登山道が起源だとされ、14世紀 初め、僧の頼尊が修験者とその活動を組織化したことで、村山 を基点とする登山が行われていたことが推測できる。15世紀 に入ると村山での宿坊の存在が確認でき、同世紀前半には、地 元支配者である今川氏により発エムゾネ心門等の施設が寄進された との記録がある。今川氏は1552年、村山を神聖な地と定め 、村山三坊には山役銭の徴収権を与えている。この権利は19 世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理に関わることは なかった。一方、16世紀ごろ、浅間大エムゾネ社は湧玉池での水 垢離を重要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由 した登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀前半に30余りの 道者坊があったことが伝えられ、同時期の絵図である「絹本著 色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び村山エムゾネ浅間神社 を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者坊はその後 統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1600年 頃以降、地元支配者により、大宮を経て村山口登山道を利用す ることが求められた。登山道中の宗教施設は、17世紀初エムゾネ 頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀後半、興法 寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707年の宝 永噴火で登山道と共にことごとく破壊された。これらは
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159 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:48:33.88 ID:5eafQy1+0 - 959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合
目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができ なエムゾネい区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山 道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である 。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一 般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半には参詣 の道エムゾネ者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登る
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151 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 17:54:00.75 ID:5eafQy1+0 - れたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設とし
てはエムゾネ発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は 興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を 含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続で あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から1 9世紀初頭のエムゾネ道者坊の記録より、御縁年で2,000人前 後、平年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではそ の数が減少し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、 1860年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコ ックは大宮を経由してエムゾネ村山に宿泊し、山頂をめざした。彼 の記録では大鏡坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子が確認で きる。明治維新以降、女人登山の解禁もあり、登山者は増加傾 向を示すが、1889年、東海道線の開通による御殿場口利用 者の増加により衰退し、これへエムゾネの対策として1906年、 村山を経由せず4km短縮された大宮新道(カケスバタ口)が 建設されたため、大宮から現六合目までの村山口登山道は登山 道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建 設に雨水による侵食も加わり、一部を除エムゾネき登山道跡の推定 は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡などを ある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登 山道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起 点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道でエムゾネある。そ の起源は明確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口 、吉田口、須山(珠山)口以外には登山道がないことが述べら れている。1486年の京都の僧による資料(廻国雑記)では 、「すはま口」の名が確認できる。登山道および山頂部銀エムゾネ 明水は須山浅間神社及び12軒の御師を中心とした須山村によ り管理されていた。ただし、銀明水の管理を巡り、須走
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160 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 17:55:15.54 ID:5eafQy1+0 - 設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川角行が
吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎 を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山 本道をエムゾネこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が次 第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える富士講の 道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道路が開通し た後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を起点として登 るようにエムゾネなったため、五合目以下の道を利用する登山者は 激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も 多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上っ て山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から 頂上まで登エムゾネれる重要な道である。写真吉田口登山道の写真 表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然 紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法 の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保 護法の下に名エムゾネ勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別 名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2006年改訂) 1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘 調査・整備1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2 006年「特別エムゾネ名勝富士山保存管理計画」を改訂2011 年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富 士山として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」 を策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登 山道の起点に位置エムゾネし、祭神として木花開花姫命、天津彦彦 火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に祀ら れていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年 には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の 社殿が整っていたとエムゾネされる。当神社は領主からの崇
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161 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 18:01:35.71 ID:5eafQy1+0 - く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年、1
615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講と のつながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光 清の寄進によって境内エムゾネの建造物群の修復工事が行われ、現 在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士浅間神社の 支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神 社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の 背後に登山門があり、こエムゾネの神社を起点として富士山頂まで 吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持 ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真 (本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1 907年古社寺保存法の下エムゾネに東宮本殿が特別保護建造物の 指定1952年所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名 勝に指定1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文 化財保護法の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年 西宮本殿・解体修理工事を行エムゾネう(〜64年)1978年「 特別名勝富士山保存管理計画」を策定1973年本殿・部分解体 修理工事を行う(〜74年)1981年東宮本殿・部分修理工事 を行う(〜82年)1997年東宮本殿・部分修理工事を行う2 008年本殿・屋根の葺替え修エムゾネ理工事を行う(〜09年) 2010年「重要文化財北口本宮冨士浅間神社保存活用計画」を 策定2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士 山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を 策定(予定)A7西湖富士山の火エムゾネ山活動により形成された 堰止湖で、富士山の北北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って 修行する内八海巡りが行われたが、この西湖にも多くの富士講徒 が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(せのうみ)」と呼ば れる一つの湖だったが、日本最古のエムゾネ歌集・万葉集で
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152 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 18:06:39.78 ID:5eafQy1+0 - とが確認できる。遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及び
須走村が登山道山頂部までを支配し、薬師嶽(現久須志岳)に おける石室建設の独占、薬師堂の開帳・入仏などを行った。ま た、エムゾネ内院および薬師堂の散銭取得権も浅間大社に次ぐ権利 を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1703年と17 72年の2回幕府に訴え、これらの権利について八合目以上の 支配権を主張する浅間大社と争い、正式に権利を認めら
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162 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 18:07:57.57 ID:5eafQy1+0 - が詠われたほか、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西
湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で 、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27− 行する内八海巡りが行われたが、このエムゾネ精進湖にも多くの富 士講徒が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔 に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書 に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだっ た。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山エムゾネの火山活動により 形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖 を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多く の富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も 使用された写真の撮影地点であり、重要なエムゾネ展望地点(vi ewpoint)である。富士山は、プロ・アマを問わず多くの 写真家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士 山を追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の 峠道から撮影された「湖畔の春」という写真エムゾネは有名である 。この写真は、1984年に採用された5千円札及び2004年 に採用された千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖ま で広がり一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔 の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のままエムゾネ現在も残し ている。写真本栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7 ・A8・A9)1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根 )国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関 する条例」を制定2006年自然公園法の下に本エムゾネ栖湖の湖 面全域での動力船の使用が規制される2011年文化財保護法の 下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画 」を策定(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南 西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展エムゾネ
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153 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 18:13:27.30 ID:5eafQy1+0 - −25−登山エムゾネ道の施設は1683年の資料等で詳細が確認
でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に 、小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永 噴火では、これらの施設及び麓の浅間神社、須走村は約3mの 降砂に覆われ壊滅したエムゾネが、江戸幕府の支援を受け、翌年の 登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世 紀半ばには800名前後に減少したとの資料があるが、18世 紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセットにされた参詣 の流行で登拝者数は増加し、年エムゾネ平均約1万人、1800年 の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は関東地 方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見られる。 講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した須走口へ 下山する形をとった。また、1831年エムゾネ、須走口山頂部に 宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加 した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19 03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が長 い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道としエムゾネて利用さ れ続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、191 6年には、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以 上は浅間大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。 また、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されエムゾネ ている。1959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成 により、五合目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道とし ての確認ができない区間がある。写真須走口登山道の写真A5 吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目 指すエムゾネ道である。15世紀には、富士山への登拝が、修験者 だけでなく、ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口は 14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もでき始め、
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163 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 18:14:37.23 ID:5eafQy1+0 - た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久
夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の 総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用さ れた湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山にエムゾネより 近い遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとさ れる。創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮める ことを信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よ
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154 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 18:19:22.55 ID:5eafQy1+0 - 人々が登るための設備が整うようになった。16世紀から17
世紀、長谷川エムゾネ角行が吉田口を利用して修行を行い、18世 紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的 自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。この ため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、年 間数万人を数える富士エムゾネ講の道者が登拝したとされる。19 64年に富士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が 新五合目(小御岳)を起点として登るようになったため、五合 目以下の道を利用する登山者は激減したが、六合目以上につい ては、現在残る登山道の中で最エムゾネも多くの道者(外の登山口 の合計と同程度)が吉田口登山道を上って山頂を目指している 。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要 な道である。写真吉田口登山道の写真表法的保護、修理・整備 の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然エムゾネ紀念物保存法の下 に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱 根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の下に名 勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名勝富士山保存管 理計画」策定(1999年、2006年改訂)1エムゾネ996年 歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整 備1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006 年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2011年文化財保 護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富士山エムゾネ として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」を 策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登 山道の起点に位置し、祭神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊 瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に祀られ ていエムゾネた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、148 0年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばに
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164 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 18:20:36.10 ID:5eafQy1+0 - い神階を与えることで崇敬の念を示した。12世紀後半エムゾネご
ろには、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹であ る「浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治 の実権を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世 紀ごろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間エムゾネ 神社とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建 設された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な 儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝 した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間エムゾ ネ大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が 描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築さ れていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604年現在 の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得にエム ゾネおける優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・ 支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂上部 の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈以降、 村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由しない登 エムゾネ山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れ た。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合 目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年浅 間大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保 護エムゾネ、修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下 に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1 929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年 楼門の修理1936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化 財保エムゾネ護法制定に伴い重要文化財に名称変更1952年本殿 の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修理等が行わ れた1988年本殿の屋根の修理等が行われた1996年
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155 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 18:25:29.36 ID:5eafQy1+0 - 神社の社殿が整っていたとされる。当神社は領主からの崇敬が
厚く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年 、1615年エムゾネにそれぞれ当時の領主が寄進したものである 。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の指導者 である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行 われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士 浅間神社の支配権は外エムゾネ川家、小佐野家などの吉田の御師に 所属しており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ね られていた。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点とし て富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師 と密接な関係を持ちながら発展エムゾネした神社である。写真北口 本宮冨士浅間神社の写真(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的 保護、修理・整備の経緯1907年古社寺保存法の下に東宮本 殿が特別保護建造物の指定1952年所在地が文化財保護法の 下に名勝、ついで特別名勝に指定195エムゾネ2年東宮本殿・解 体修理工事を行う1953年文化財保護法の下に本殿、西宮本 殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解体修理工事を行 う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管理計画」を 策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(エムゾネ〜74年 )1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)19 97年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の 葺替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北 口本宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化エムゾネ 財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予 定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A 7西湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の 北北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡 りがエムゾネ行われたが、この西湖にも多くの富士講徒が訪
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165 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-i6Og)[sage]:2018/02/14(水) 18:26:44.21 ID:5eafQy1+0 - 市教育委員会が調査を行った2002年富士宮市教育委員会が調
査を行エムゾネった2005年本殿の屋根の修理等が行われた20 08年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により境内の発掘調 査が行われ、その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管 理計画」を策定2010年文化財保護法の下に他の文化財ととも に史跡富エムゾネ士山として指定湧玉池は富士山本宮浅間神社境内 に所在する面積約2,500uの池である。池は約1万年前に噴 出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均14万〜(200 8年)の水を源としている。湧水のメカニズムは、富士山の標高 1000mエムゾネ前後ないしそれ以上の高所の降水が地下にしみ 込み、何層もある溶岩層の間にはさまれて充満し、それが押し出 されるようにして末端から湧出したものである。浅間大社の位置 は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖なる 水源の山としエムゾネて崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧 玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神と しての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来 には、地底からエムゾネ玉が湧き出るように湧水しているためとい う説や湧く霊たま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世 紀後半の地元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は167 0年作成の「社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝 し、富士山をめざエムゾネす登拝者が身を清める場として使用され た。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図 」、17世紀初頭の登山記で確認できる。この絵図では現在の形 状に近い湧玉池が描かれ、水垢離する人々やそのための施設が見 られる。登拝者の水エムゾネ垢離は1920〜30年代まで行われ 、現在では山開きの恒例行事に形を変えて継承されている。また 、湧水は聖なる水として現在でも利用する人が多い。湧玉
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156 :底名無し沼さん (ワッチョイ 460c-L2NY)[sage]:2018/02/14(水) 18:31:35.35 ID:5eafQy1+0 - 西湖と精進湖はかつて「〜の海(せのうみ)」と呼ばれる一つ
の湖だったが、日本最古の歌集・万葉集で〜の海が詠われたほ か、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西湖の写真A 8精進湖富士エムゾネ山の火山活動により形成された堰止湖で、富 士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−行 する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒 が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖
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