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底名無し沼さん
トムラウシ山遭難事故は結局どうすりゃ良かったの? [無断転載禁止]©2ch.net

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トムラウシ山遭難事故は結局どうすりゃ良かったの? [無断転載禁止]©2ch.net
98 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 05:35:34.91 ID:nw3viUZT
このツアー会社は、大雪山系や屋久島などの避難小屋で、ガイドによる「場所取り」を常態化させていたそうです。
 ガイドが1人、パーティーを離れてはるかに先行してしまい、避難小屋にシートを敷き詰めるなどして、
他のパーティーが泊まれないような「場所取り」と続けてきたのだそうです。
この件も平日とはいえ、19人パーティーで避難小屋をはしごするという、計画なんですね。非常識です。
もう一組と鉢合わせしたり、悪天で停滞が重なったら、にっちもさっちもいかない。
ツアー外の登山者からみて、この計画自体がマナー違反の膨張主義、儲け主義と思います。
避難小屋は規模が小さいのに 19人もの人が入ってきたらどういう状態になるのかと思うと ゾッとします。

一番、注目したのは、なぜ出発をしたのか? ということにかかわって、
あの日に同じアミューズ社の別のパーティーが避難小屋に向かっていたことでした。
20人ほどが入れ替わりで入ってくるため、空けるしかなかったのだそうです。

 7月22、23、24日にも連続で、この会社が避難小屋を占拠して、予定を組んでいたそうです。
 場所取りは、最初聞いたときは、ルール違反と思ってきましたが、ここまで徹底していたとは、愕然としてしまいます。

ヒサゴ沼避難小屋を出発する時点で、ガイドに出発を思いとどまるよう発言した男性の参加者が2人いたとのこと。
この2人は、生還しています
トムラウシ山遭難事故は結局どうすりゃ良かったの? [無断転載禁止]©2ch.net
99 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 05:36:35.93 ID:nw3viUZT
(ヒサゴ沼避難小屋の出発時に)重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。
(ロックガーデン付近で強い雨のあと)以後休憩するとか、食事を取れとか、
フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。
自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。

小屋の出発時、ガイドが服装面でもパーティーに何も気を配っていなかったことが見て取れます。
 登山パーティーとして見ると、これは初歩の初歩のことです。
そもそも下着や防寒対策は事前の打ち合わせの事項だし、その日も小屋出発時にフリースや
余分な下着の重ね着を指示する場面です。

ガイドは衣服をもっと着ける指示もせず、このまま最悪の北沼へと上がっていきました。
北沼まで登ったところで、沼からあふれた水が川になって流れだすところを「渡渉」したとのこと
この渡渉では下半身をぬらした参加者も多かったし、山靴の中も全員、濡らしたと想像されます。
北沼はこの時期、湖面の半分は雪田に埋まっており、沼の水温は当然にも零度前後です。
事態を悪化させたのは、沢を渡って、冷水を浴びたことでした。

 18人のうち8人が、この現場付近に残ることになります。
トムラウシ山遭難事故は結局どうすりゃ良かったの? [無断転載禁止]©2ch.net
100 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 05:40:02.41 ID:nw3viUZT
最初に女性が動けなくなったとき、一行は2時間もこの地に留まりました。別の女性が奇声を発したとあります。
「救助要請を」「ガイドは行動の指示を出せ」と、参加者から声があがりました。

(山頂下の分岐で)自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、
「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。
その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。

この2時間のなかで、会社と携帯で連絡をとらなかったことは、大変不思議です。
ガイドは頂上付近で電波が通ることを知っていたのです。4時30分に会社にメールをいれているのが証拠です。
風雨が強かったからという説もありますが風雨はおさまってきています。かれは携帯を出して連絡しようともしていない。
なぜその時110番をしなかったのか謎です。4時30分まで連絡をいれなかったのか。電波が届くとわかったいまはそれが最大の謎です。
このとき110番していれば多くの人が救われたのに。

16時の110番が23時45分の知事の自衛隊への出動要請までが遅れたのはサブガイドがきちんと電話しないからである。
亀田、前田の2人が降りて事情が分かるまで知事の要請が行われなかったのである

(テントは)4人用テントが1つですから。とにかく歩き続けるしかない。
(下山を始めて)下山がとにかく長く、全員に故障者がなくても無事下山できたとは思えなかった。
ガイドは知っていたはずでなにをかんがえていたのだろうと。下山はできないということははじめからわかっていたのにと。
距離の長さにあぜんとしました
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101 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 05:42:25.96 ID:nw3viUZT
詳細は

2009年07月17日 トムラウシ山遭難事故。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691

09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-9921

トムラウシ山遭難事故。山岳ガイド協会の中間報告書にみる「低体温症」の実際
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521
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102 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 05:56:24.51 ID:nw3viUZT
奇跡体験!アンビリバボー:山の恐怖 〜トムラウシ山遭難事故〜 - フジテレビ動画
http://www.dailymotion.com/video/x4oagj9_%E5%A5%87%E8%B7%A1%E4%BD%93%E9%A8%93-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%9C%E3%83%BC-%E5%A4%8F%E5%B1%B1%E3%81%AB%E6%BD%9C%E3%82%80%E6%81%90%E6%80%96sp-8%E6%9C%8811%E6%97%A5_fun

トムラウシ遭難事故 動画
https://www.youtube.com/watch?v=sodw39L6jhM

トムラウシ山遭難事故 調査報告書 −日本山岳ガイド協会
http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫) 2012/7/23
羽根田治 (著), 飯田肇 (著), 金田正樹 (著), 山本正嘉 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4635047466/asyuracom-22/
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103 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 06:52:49.79 ID:nw3viUZT
トムラウシ山遭難事故を起こしたアミューズトラベル株式会社はまたその後、2012年11月に起こした万里の長城遭難事故
により同年12月、旅行業の取り消し処分を受けた。

万里の長城遭難事故

2012年11月3日、同社が主催した万里の長城付近の山を巡るツアーにおいて、
大雪のため5人が遭難し日本人客3人が低体温症で死亡(凍死)する事故が発生した。
会社として現地の確認をしておらず、現地のガイドにまかせっぱなしにしてろくに確認もしていなかった、と釈明したという。

また、このツアーは

入社1年目の新入社員に企画から任せていたこと、
現地の提携会社に一任し会社自身で現地の下見を行わなかったこと、
山間部に入るにもかかわらず添乗員に衛星電話を持たせず普通の携帯電話だけ持たせ、その電話での毎日の連絡を怠り、電話をかけたときにはその携帯電話はすでに圏外になっておりツアーグループ全体と連絡のとれない状態になっていたこと、
同社ではこのように社員に現地下見をさせずに催行しているツアーが全体の1割から2割に達すること
などが明らかとなった。
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105 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 12:43:29.26 ID:nw3viUZT
アミューズ社のトムラウシツアーパンフレットは、「背負える最大荷重の目安」として女性の場合、
「50歳では12キログラム、60歳では8キログラム」としてきた。
 参加者は自前のコンロをもたず、調理はガイドのお湯の配給に頼っていた。メニューと量は制限された。
 「生還者が食べていた内容を大まかに言うと、朝食としては、インスタント・ラーメン、
アルファ米(前夜の残りの半分という人もいた)、スープなどの回答が多かった。行動食については、カロリーメイト、
ソイジョイ、ゼリー飲料、バナナ、チョコレート、アメなどを食べていた。また夕食では、アルファ米とカレー、調理済みのアルファ米(半分だけ食べるという人もいた)、スープ、野菜といった内容だった。

 これらのエネルギーの総和は、多めに見積もったとしても1000kcal台の前半から後半にしかならず
2000kcalを超えている人はほとんどいないように思われた。」(中間報告書)

 これは日常生活で摂取しなければならない必要カロリーをも下回っている。

 ヒサゴ沼の出発の是非が一時、検討されたときの、参加者の証言。

 女性客A(68 歳)
「・・・私個人としては1 日停滞しても、キャンセル費用は掛かるが、命には代えられないと思った。
ただ、私は用心のため8 食持ってきたが、ほかの方は6 食ぎりぎりではないか。
最悪、皆でシェアすることになるな、と思った」
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106 :底名無し沼さん[]:2017/06/05(月) 14:52:49.95 ID:nw3viUZT
 アミューズ社のパーティーがあの気象条件とパーティーの構成で、足の揃った静岡のパーティーでさえ夜7時半にようやく十勝側に下山できたような行程に
出発せざるを得なかったのは、行くしか選択肢がない立場にあったからでした。
 麓の温泉は予約済み、バスも待っている、飛行機の便も団体で予約済み、当日は同社の別のパーティーが避難小屋に入ってくる、
もしかしたら、下山後はすぐ次のガイド番にふりあてられていたのかもしれません。

 そして、3人のガイドの構成そのものが、ルートの未経験者が2人もいる、非力なものでした。
ガイドの構成、予備日なし、出発の判断も自分の裁量が限られる、そういう条件で、この登山は始まったのです。

 小屋にサポート役と、テントとガスコンロを、その日に入れ替わりでやってくるパーティーのために残しておくという、
無防備な体制でです。


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