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166 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:21:28.28 ID:BiDa2eK90 - テスト
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167 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:21:40.15 ID:BiDa2eK90 - テスト
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168 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:21:56.12 ID:BiDa2eK90 - テスト
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169 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:22:27.33 ID:BiDa2eK90 - 5ch 心と宗教板スレッド 聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★ 私たち人類に罪の赦しを得させるため主イエス・キリストが 受難と十字架上の死、そして復活という救いの技を 成し遂げられたのが西暦30年、あるいは西暦33年。 初代教会、原始キリスト教団のクリスチャンの人たちが すぐにも世の終わりが訪れるに違いないと待ち望んでおられた、 その当時の日々から数えて今日まで約2000年という途方もない年月が過ぎ去りました。 「千年が一日のよう」とおっしゃる神様にとっては たったの2日間なのかもしれませんが、 わたしたち人間にとっては本当に気の遠くなるような歳月です。 初代教会、原始キリスト教団の当時のクリスチャンの人たちでさえ、 聖書の御言葉にもあるように「いつになったらこの世が終わって、 主が再び来てくださるのだ」と神の国の到来を切に祈り願っておられたのだとしたなら、 2000年後に生きる現代のわたしたちクリスチャンは、 いったいどのような信仰をもって その日−「主の日」を待ち望むことができると言えるでしょうか。 しかし、主の御心にかなう信仰の歩みを連ねてきた幾代ものクリスチャンの方々によって 心から待ち望まれてきたその日−「主の日」が、 主イエス・キリストの贖いの技の時から約2000年の年月を経て ようやく到来しようとしている。 神様が私たち人類に新約・旧約聖書を通じて約束してくださったとおり、 まもなくそう遠くない未来にその日−「主の日」を 用意して招いてくださっている、 「イチジクの喩え」の御言葉にも示されているように、 そんな気づきを与えられる日々のように感じています。>>170 へつづく
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170 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:23:04.99 ID:BiDa2eK90 - 5ch 心と宗教板スレッド 聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
>>169 よりつづく ★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★ 聖書の御言葉にもあるとおり神様はけっして その約束のこと−世の終わり−を遅らせておられたのではなく、 少しでも多くの人類を悔い改めに導き救おうと わたしたち人類に対して忍耐深くあられたのでありましょう。 旧約聖書のゼカリヤ書や新約聖書のヨハネの黙示録などの御言葉から、 全人類の3分の1の人々が救いにあずかり 神様の御国に招き入れられることが示されています。 おそらくこれから先、仮にさらに遠い未来にわたって世の終わりを延期して 忍耐をもって人類の悔い改めを望んだとしても、 もはや望みえないという滅びのとば口に 人類が立たされているということなのかもしれません。 クリスチャンの世界人口に占める割合が現在約3分の1であるという事実は 聖書の御言葉の記述の正確さ−すなわち神様の見通しの正しさを 表していると言えるでしょうか。 全能の神様なのですから当然のことではあるのですが。 この全人類の3分の1の人々が救いにあずかる、という聖書の御言葉は、 ヨハネによる福音書21章にある、復活された主イエス・キリストが 故郷であるガリラヤ湖畔で漁をしていたシモン・ペテロと他の弟子たちに、 網を下ろさせると大きな魚が153匹も獲れた、 というエピソードとも関連しています。 >>171へつづく
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171 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:23:45.56 ID:BiDa2eK90 - >>170よりつづく
★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★ この「153」という数字が実は非常に特殊な三角数であり、 すべての数の3分の1は、この作業を施すことによって必ず「153」に帰結するそうです。 すなわち「153」は、すべての数の3分の1を代表していて それゆえ「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイによる福音書4章19節)という 主イエス・キリストの御言葉から、網にかかった「153匹の魚」は、 福音を信じて最終的に救われる人々の数−全人類の3分の1を 象徴していると考えられているのですね。 ちなみに余談ですがバッハが「ヨハネ受難曲」の中で 冒頭にこの「153」の小節を用いていることもよく知られているそうです。 ほんとうにアーメンです。 詳しくは以下のスレッドで、 わたしたちクリスチャンの信仰の拠り所となる 聖書の御言葉がもつ神秘について解説されています。 ↓ ★5ch 心と宗教板スレッド:聖書の数学―その驚異 聖書のゲマトリア http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1590659646/467-476 主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。 わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、 これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。 彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。 わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。 (ゼカリヤ書13章8節〜9節) 神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである (ヨハネ福音書3章16節)>>172へつづく
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172 :動け動けウゴウゴ5ちゃんねる[]:2022/04/09(土) 21:24:19.81 ID:BiDa2eK90 - 5ch 心と宗教板スレッド 聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
>>171よりつづく ★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★ 「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」 (ルカによる福音書18章8節) すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。 その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、 地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、 あなたがたは、どれほどきよい生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。 (ペテロの第二の手紙3章8節〜13節) いよいよ世の終わりも間近に迫ってきたように思われます。 私たち主イエス・キリストの救いに与らせていただいたクリスチャンにとっては、 まさしく救いのとき、贖いのときです。主の再臨、神様の御国の到来を喜んでいましょう。 御ミサでも必ずお祈りするとおり、主イエス・キリストが再びお出でになるその日を待ち望んで、 毎日を大切に悔いのないように生きてまいりたいものだと思います。ほんとうにアーメンです。 聖ヒルデガルトや聖フランシスコ、聖ベルナデッタ、聖テレジア、 そして十字架の聖ヨハネ、アビラの聖テレサ、シエナの聖カタリナ、 聖コルベ神父さま、聖カタリナ・ラブレ、聖ファウスティナ 、 またファティマで聖母マリアさまのご出現を受けられた 牧童の聖ジャシンタ・マルトと聖フランシスコ・マルト、 諸聖人の方々、どうぞ執り成してお祈りくださいますように。ほんとうにアーメンです。
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