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【セシウム】放射能汚染米その弐【検出】

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【セシウム】放射能汚染米その弐【検出】
649 :[]:2011/10/26(水) 22:36:29.73 ID:V/RlfYHs
水俣から何も学んでない。

水俣病
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85

1959年の10月に新日窒附属病院の細川一院長は、院内ネコ実験により、
アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、
工場責任者に報告している(猫400号実験)。
しかし、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じた。


同じく1959年には、熊本大学医学部水俣病研究班が
水俣病の原因物質は有機水銀であると公表しており、
水俣病の原因が新日本窒素肥料水俣工場から排出された水銀である疑いが濃くなった。
同年11月12日には厚生省食品衛生調査会が水俣病の原因は
有機水銀化合物であると厚生大臣に答申したが、
その発生源については新日窒水俣工場が疑われるとの談話を残すに留まり、
直接答申者である調査会の「水俣食中毒特別部会」は翌13日に解散させられた。


この水俣病の有機水銀原因説に対して
新日本窒素肥料や日本化学工業協会などは強硬に反論した。


一方、1959年12月30日には、新日本窒素肥料は水俣病患者・遺族らの
団体と見舞金契約を結んで少額の見舞金を支払ったが、
会社は汚染や被害についての責任は認めず、将来水俣病の原因が
工場排水であることがわかっても新たな補償要求は行わないものとされた。


同時に工場は、汚水処理装置「サイクレーター」を設置し、
工場排水による汚染の問題はなくなったと宣伝したが、
のちに「サイクレーター」は水の汚濁を低下させるだけで、
排水に溶けているメチル水銀の除去にはまったく効果がないことが明らかにされた。


新日本窒素肥料は、排水停止を求めていた漁業組合とも漁業補償協定を締結した。
これらの一連の動きは、少なくとも当時、社会的には問題の沈静化をもたらし、
水俣病は終結したとの印象が生まれた。
実際には、それまで水俣湾周辺に限られていた患者の発生も、
1959年始めころから地理的な広がりを見せており、
このあとも根本的な対策が取られないままに被害はさらに拡大していった。


その一方、声を上げることのできない患者たちの困窮はさらに深まっていった。
1960年、政府は経済企画庁、通商産業省、厚生省、水産庁からなる
「水俣病総合調査研究連絡協議会」を発足させて原因究明にあたらせたが、
何の成果も出すことなく協議会は翌年には消滅している。


このころ、清浦雷作・東京工業大学教授はわずか5日の調査で「有毒アミン説」を提唱し、
戸木田菊次・東邦大学教授は現地調査も実施せず「腐敗アミン説」を発表するなど、
非水銀説を唱える学者評論家も出現し(御用学者)、マスコミや世論も混乱させられた。



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