- DNA 世界史版 うちなぁ〜
151 :名無しさん[]:2020/05/13(水) 00:38:17.63 ID:NvQWMRea - 3000年前に
台湾・沖縄を中心に 宝貝貨幣を世界に供給して栄えた琉球。 その中核だったのが、 <バビロン>から来たカリエン=和人=高麗人でした。 彼等は<エラム>出身者は永良部島といったふうに、 故郷の名を新居住地に残しています。 それに続いてやってきたのがギリシャ人たちで、 彼等はインド系の住民から 「ヨーナ」と呼ばれて与那国島の名を残し、 <アテナ>出身者は嘉手納(かてな)、 <チラナ>出身者は知覧の名を残すというふうに、 「地名文化財」を 南九州から南西諸島の至るところに残しました。 その中でも最大のものが台湾で、 「タイワン」というその名もギリシャ人が 「タイナロン」として 記録しているものの遺物だったのです。
|
- DNA 世界史版 うちなぁ〜
152 :名無しさん[]:2020/05/13(水) 00:39:32.53 ID:NvQWMRea - 「台湾に現存するギリシャ系倭人(アミ族)」
後からきた侵入者に追われて山地に住んでいる 人々の中にはギリシャ系倭人たちがいる。 その容貌、服装、家屋、言語、土器など 実に多くのものが、 その古いルーツがインド経由の 地中海人だったことを示している。 「臺」はウティナで沖縄のこと。 「湾」はワニで「倭人」の唐代以後の読み方。 ここはその頃[小琉球]と呼ばれていた。 だから、 [台湾]とは[琉球人の国」という意味なのだ。 そして『ヒミコ』でお話しした ヒメゴソとオオヒルメが 「太陽の光で身ごもった」という あの 『阿具沼伝承』も『かぐや姫』の原話も 両方とも台湾に現存するお話の中にある。
|
- DNA 世界史版 うちなぁ〜
153 :名無しさん[]:2020/05/13(水) 00:40:53.49 ID:NvQWMRea - また昔、
沖縄が流求(りゅきゅう)と書かれていたころ、 沖縄は「大リュウキュウ」と呼ばれ、 その支配下にあって 「小リュウキュウ」と呼ばれていた 大きな島がある。 台湾である。 そこには昔のアイヌ系の婦人が、 自分たち一族の誇るべき習慣として、 口の回りに入れていた大きな 「入れ墨」と完全に同じ入れ墨をしている <アミ>と呼ばれる人々が今もいる。 アイヌ系の人たちとアミ系の人たちは、 そのほかにも口でくわえて演奏する 口琴(ムックリ)など 多くの同じ文化をもっていることが分かった。 忘れてならないのは「三母音」というのは、 マレー語の特徴だということである。
|
- DNA 世界史版 うちなぁ〜
154 :名無しさん[]:2020/05/13(水) 00:41:49.49 ID:NvQWMRea - 沖縄民謡が
インドネシアのメロディに非常に よく似ていることは、昔からよく知られているが、 曲だけでなく歌詞の発音もまたよく似ている。 古代にマレー語を話す人たちが沖縄に住んでいて、 その言葉が今まで残っていることは、 どこからみても間違いない。 またカリエンの人たちの都は 今も花蓮(カリエン)港と呼ばれ、 「鬼道=アショカ仏教」の子孫も現存している。 台湾はソナカ仏教宣布団の重要拠点となり、 ギリシヤ系インド人の子孫である アミ族の人々やその系列に入る部族の人々が 今も住んでいる。
|