トップページ > 沖縄 > 2019年05月16日 > 78/b34Rl

書き込み順位&時間帯一覧

4 位/39 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数82000000200000000000000012



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しさん
琉球王国の歴史其の13

書き込みレス一覧

琉球王国の歴史其の13
755 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:01:51.78 ID:78/b34Rl
ポルトガル人から見た琉球人

「レキアの地」(ドゥアルテ・バルボザの書1535年)
ムスリムの航海者たちによれば、中国の港である広東(カンタンCantão)の町をすぎると、海上に多くの島々があり、さらに東南にきわめて大きな土地がある。
それが大陸か島かはわからない、それが「レケスLeques 」の地である。

そこからマラッカに、華人船と同じように、三、四隻の船が来ていた。彼らは色の白い人々で、極めて有力で富裕な商人だという。

彼らは多くの金銀の延べ棒、極めて高価な織物用の生糸や絹、たいへん良質な小麦、美しい磁器や、その他の商品など中国と同じような商品をもたらし、
現在華人が持ち帰るような商品を持ち帰っていた。
彼らは「レケオスLequeos 」と呼ばれた。

マラッカが国王陛下のものとなってからは彼らはもはや来航せず、(華人が)マラッカから持ち帰る商品を華人から入手し、彼らの商品を(華人に)もたらしている。
このレケオスは大商人であり、華人よりも誠実で富裕である。

彼らは異教徒で、色が白く、ポルトガル人と同じような印象をうける。
というのは、彼らを見ると(ポルトガル人の)誰かのようで、われらと同じように均整がとれているからである。
彼らは絹服を着用し、バランドラウやカペリャールのような衣服をまとっている。

彼らについてはこれ以上述べない。なぜなら彼らの本国は未発見で、彼らはポルトガル人とシャムの町や、中国の港である広東の町で会うだけだからである。
琉球王国の歴史其の13
756 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:06:18.52 ID:78/b34Rl
>>754
口先だけ、戦犯として処刑された者たちが実際にいるし多くの国民が犠牲になった
敗戦で自ら命を絶つ者もいた

昭和天皇は余りにも無責任
琉球王国の歴史其の13
759 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:13:24.92 ID:78/b34Rl
ポルトガル人の見た琉球人(1500年代初頭)

トメ・ピレス『東方諸国記』(第四部、中国からボルネオにいたる諸国)
レケオ人の島レケオスLequeosはゴーレスGuoresと呼ばれる。
彼らはこれらの名前のどちらかで知られているが「レキオス Lequíos」というのが主な名前である。

国王とすべての人民は異教徒である。国王は中国の国王の臣下で(中国に)朝貢している。彼の島は大きく人口が多い。

彼らは独特の形の小船を持っている。またジャンクは三、四隻持っているが、彼らはそれらをたえず中国から買い入れている。
彼らはそれ以外は船を持っていない。彼らは中国とマラッカで時には華人とともに、時には自分自身で取引をする。
彼らは中国の福建の港で交易する。それは中国本土にあり、広東に近くそこから一昼夜の航海のところにある。

マレー人はマラッカの人々に対し、ポルトガル人とレキオスとの間には何の相違もないが、ポルトガル人は婦人を買い、レキオスはそれをしないだけであると語っている。

レキオスは、彼らの土地には小麦と米と独特の酒と肉とを持っているだけである。魚はたいへん豊富である。

彼らは立派な指物師であり具足師である。彼らは金箔を置いた筥やたいへん贅沢で精巧な扇、刀剣、彼らの独特のあらゆる種類のたくさんの武器を製造する。

われわれの諸王国でミラノについて語るように、華人やその他のすべての国民はレキオスについて語る。
彼らは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。
彼らはこれについては死を賭ける。

レキオスは偶像崇拝者である、もし彼らが航海に出て危険に遭遇したときには、
彼らは「もしこれを逃れきれることができたら、一人の美女を犠牲として買い求め、ジャンクの舳で首を落としましょう」とか、
これに似たようなことをいって(祈る)

彼らは色の白い人々で、華人よりも良い服装をしており、気位が高い。彼らは中国に渡航してマラッカから中国に来た商品を持ち帰る。

彼らはジヤンポンJampon(日本)へ赴く。それは海路七、八日の航程のところにある島である。
彼らはそこでこの島にある黄金と銅とを商品と交換に買い入れる。

レキオスは自分の商品を自由に掛け売りする。そして代金を受けとる際に、もし人々が彼らを欺いたとしたら、彼らは剣を手にして代金を取りたてる。
琉球王国の歴史其の13
760 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:18:23.17 ID:78/b34Rl
>>757
お前の妄想はどうでもいいw
琉球王国の歴史其の13
761 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:22:09.51 ID:78/b34Rl
ポルトガル人が伝え聞いた日本人(1500年代初頭)

トメ・ピレス『東方諸国記』第四部
ジャンポン島(日本)
すべての華人のいうところによると、「ジャンポンJampom島」はレキオスの島よりも大きく、国王はより強力で偉大である。
それは商品にも自然の産物にも恵まれていない。国王(足利将軍)は異教徒で、中国の国王の臣下である。

彼らは中国と取引をすることはまれであるが、それは遠く離れていることと、彼らがジャンクを持たず、また海洋国民ではないからである。

レキオスは七、八日でジャンポンに赴き、上記の商品を携えていく。そして黄金や銅と交換する。レキオスのところから来るもの、黄金や銅は皆レキオスがジャンポンから携えてくるものである。

レキオスはジャンポンの人々と、ルソンの布やその他の商品で取引する
琉球王国の歴史其の13
764 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:49:13.08 ID:78/b34Rl
>>762>>763
お前の妄想はどうでもいいからw

ポルトガル人が見た琉球人(1500年代初頭)
『大アフォンソ・デ・アルブケルケ実録』第三部第十八章

ゴーレス(琉球人)は、アフォンソ・デ・アルブケルケがマラッカを占領した時の情報によると
――現在ではより確実なことが知られているが―ー当時彼らの国は大陸にあるといわれていたが、
一般の意見では彼らの国は島で、同地からマラッカに航海してくるということである。

当地には毎年二、三隻の船がやってくる。彼らの携えてくる商品は、生糸・絹織物・錦織・磁器・多量の小麦・銅・明礬・砂金である。
彼らはまた 煉瓦の形をした黄金を携えてくるが、それには国王の印が打ってある。

この金塊がかれらの国の貨幣なのか、それともそれが運び出される港で刻印されたものかは知ることができない。
これは彼らがたいへん口数が少なく彼らの国のことを誰にも話さないからである。

この黄金は彼らの国の近くにある島で産する。そこはペリオコPeriocoと呼ばれ黄金を豊富に産する。
このゴーレスの国は「レケアLequea」と呼ばれる。

彼らは色が白い。彼らの衣服はバランドラウに似ているが頭巾はない。彼らはトルコ人の新月刀のような長剣を身につけているが、それよりも若干細い。

彼らはまた二パルモの長さの短剣を身に帯びる。彼らは大胆な人間で、当地では恐れられている。
彼らは到着した港でも、商品を全部一度にではなく少しずつ運び出す。

彼らは真実を話し、人々もまた彼らに対してそれ(真実)を話すことを望む。もしマラッカの商人が誰かその言葉を違えると、彼らは直ちに彼を捕らえてしまう。

彼らは短い期間に仕事をすませるように努力し、誰もその土地に留まろうとしない。
これは彼らが自分の国以外の土地にいることを好まない人々だからである。
彼らは一月にマラッカに向けて(彼らの国を)出発し、八月か九月に帰国する。
琉球王国の歴史其の13
765 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:51:10.66 ID:78/b34Rl
>>763
>首里には堺商人や博多商人が沢山いたそうだ


バカ丸出しwww
琉球王国の歴史其の13
766 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 00:55:51.52 ID:78/b34Rl
>>763
>740でお前が書いているこれは「本土決戦やれ」という意味じゃ
なかったら一体何なんだ?



バカ丸出しwきちんと意味も>>740に書いてあるから1万回くらい読み直してその足りない自分のオツムで考えろよマヌケw
琉球王国の歴史其の13
768 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 01:17:21.63 ID:78/b34Rl
>>767
文字を読んで意味を理解できないならレスするなよアホw



琉球で海外の商人がいる場所は那覇港とその近くしかない、夏子陽は天使館のあった那覇で見た事を記しているだけ
琉球王国の歴史其の13
769 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 01:23:27.24 ID:78/b34Rl
>>740を読んで「本土決戦やれ」とバカ丸出し低知能の読解力しかない奴がいるw



小学生からやり直せw
琉球王国の歴史其の13
774 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 08:00:19.08 ID:78/b34Rl
>>771

史実↓
>>764
>彼らは短い期間に仕事をすませるように努力し、誰もその土地に留まろうとしない。
これは彼らが自分の国以外の土地にいることを好まない人々だからである。
彼らは一月にマラッカに向けて(彼らの国を)出発し、八月か九月に帰国する


16世紀初頭でもポルトガル人は日本人と琉球人を区別して書に残している
琉球王国の歴史其の13
775 :名無しさん[]:2019/05/16(木) 08:05:10.90 ID:78/b34Rl
>>773
史実↓
>>761
>レキオスは七、八日でジャンポンに赴き、上記の商品を携えていく。そして黄金や銅と交換する。レキオスのところから来るもの、黄金や銅は皆レキオスがジャンポンから携えてくるものである。



16世紀初頭のポルトガル人も琉球人と日本人を区別して書に残している


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。