- 沖縄独立阻止は可能?不可能?(8) [無断転載禁止]©2ch.net
888 :名無しさん[]:2016/06/03(金) 00:59:39.20 ID:RNGM7BuO - 1870年代以前の琉球には日本の統治権(主権)が及んでいなかったこともあって日本の法律が適用されておらず、裁判権も日本にはなかったし、日本の年号(和暦)も使用されていなかった。
また、一般住民に日本の天皇の存在すら知らない人が多かったため、1879年の琉球併合以降、明治政府は琉球住民に対して同化政策と皇民化政策を押し付けて日本人になるように強要している。 その歴史的事実を今の日本政府は学校教育の場で子供たちに教えたがらない。 なぜなら、このような歴史的事実を子供たちに教えてしまうと自虐史観を植えつけることになるから。 これがまさに日本政府にとって隠しておきたい不都合な真実なのである。
|
- ナイチャーは沖縄や沖縄板に来るな Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
52 :名無しさん[]:2016/06/03(金) 21:59:53.07 ID:RNGM7BuO - 甲子園の高校野球はNHKで全国放送されるが、沖縄代表が試合をしているときに「沖縄の選手は顔が濃いな」とか「沖縄顔だな」とよくNHKの実況スレに書かれる。
ところが、「北海道顔」だとか「青森顔」だとか「福井顔」だとか「大分顔」だとか「宮崎顔」とは絶対に書かれない。 なぜなら北海道から鹿児島まではほぼ同じ顔立ちだから。 沖縄の場合は明らかに他の都道府県とは違う顔立ちだから甲子園の高校野球をテレビで見ている人が皆、「沖縄顔」と実況スレに書く。 それと甲子園の高校野球を見ていて「朝鮮顔」と書く人はほとんどいない。 なぜかというと、日本人自身が自分たちと朝鮮人の顔は似ていると思っているから。 このような事実が何を意味するかというと、つまり、日本人と沖縄人よりも日本人と朝鮮人のほうが似ているということにほかならない。
|
- 沖縄独立阻止は可能?不可能?(8) [無断転載禁止]©2ch.net
965 :名無しさん[]:2016/06/03(金) 22:00:58.48 ID:RNGM7BuO - 甲子園の高校野球はNHKで全国放送されるが、沖縄代表が試合をしているときに「沖縄の選手は顔が濃いな」とか「沖縄顔だな」とよくNHKの実況スレに書かれる。
ところが、「北海道顔」だとか「青森顔」だとか「福井顔」だとか「愛媛顔」だとか「宮崎顔」とは絶対に書かれない。 なぜなら北海道から鹿児島まではほぼ同じ顔立ちだから。 沖縄の場合は明らかに他の都道府県とは違う顔立ちだから甲子園の高校野球をテレビで見ている人が皆、「沖縄顔」と実況スレに書く。 それと甲子園の高校野球を見ていて「朝鮮顔」と書く人はほとんどいない。 なぜかというと、日本人自身が自分たちと朝鮮人の顔は似ていると思っているから。 このような事実が何を意味するかというと、つまり、日本人と沖縄人よりも日本人と朝鮮人のほうが似ているということにほかならない。
|
- 沖縄人は先住民族です2 [無断転載禁止]©2ch.net
585 :名無しさん[]:2016/06/03(金) 23:44:57.71 ID:RNGM7BuO - <明治政府による琉球藩設置はアリバイづくりだった>
日本の明治政府は1872年に琉球王国を一方的に廃止して琉球藩を設置したが、この措置は日本の統治機構の改編というものではなく、実はアリバイづくりのための単なる名称変更にすぎなかった。 その証拠に琉球以外の地域では既に1871年に廃藩置県を行っており、この時点で日本の統治機構の改編は完了している。 ところが、1871年の時点で琉球にはまだ日本の統治権(主権)が及んでいなかったため、日本の明治政府は1872年にとりあえず琉球王国を琉球藩とし、外務省の管轄下に置いた。 その後、1873年に内務省ができ、翌年の1874年に明治政府は琉球藩の扱いを外務省から内務省に移管している。 ちなみに外務省の管轄下に置かれたのは琉球藩だけで、全国の諸藩が当初、大蔵省の管轄下にあったのとは大違いである。 なぜ日本の明治政府が琉球王国を廃止してすぐに沖縄県を設置しなかったかというと、後々「沖縄には廃藩置県が行われていない」ということを諸外国から指摘されるのを恐れていたからである。 つまり、明治政府が琉球王国から琉球藩に変えたのは、諸外国に対して「琉球にも他の藩と同様の手続きを取った」という説明ができるようにアリバイづくりをする必要があったのである。
|
- 沖縄独立阻止は可能?不可能?(8) [無断転載禁止]©2ch.net
967 :名無しさん[]:2016/06/03(金) 23:46:01.04 ID:RNGM7BuO - <明治政府による琉球藩設置はアリバイづくりだった>
日本の明治政府は1872年に琉球王国を一方的に廃止して琉球藩を設置したが、この措置は日本の統治機構の改編というものではなく、実はアリバイづくりのための単なる名称変更にすぎなかった。 その証拠に琉球以外の地域では既に1871年に廃藩置県を行っており、この時点で日本の統治機構の改編は完了している。 ところが、1871年の時点で琉球にはまだ日本の統治権(主権)が及んでいなかったため、日本の明治政府は1872年にとりあえず琉球王国を琉球藩とし、外務省の管轄下に置いた。 その後、1873年に内務省ができ、翌年の1874年に明治政府は琉球藩の扱いを外務省から内務省に移管している。 ちなみに外務省の管轄下に置かれたのは琉球藩だけで、全国の諸藩が当初、大蔵省の管轄下にあったのとは大違いである。 なぜ日本の明治政府が琉球王国を廃止してすぐに沖縄県を設置しなかったかというと、後々「沖縄には廃藩置県が行われていない」ということを諸外国から指摘されるのを恐れていたからである。 要するに明治政府が琉球王国から琉球藩に変えたのは、諸外国に対して「琉球にも他の藩と同様の手続きを取った」という説明ができるようにアリバイづくりをする必要があったのである。
|