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440 :名無しさん[]:2016/03/17(木) 01:51:00.81 ID:B+4VZGiE - 「カイロ会談」での蒋介石とルーズベルトの密談
1943年12月1日に日本の戦後処理を巡って連合国側から「カイロ宣言」が出されたことは周知のとおり。後のポツダム宣言のひな形はここで作られた。 イギリスのチャーチル首相は参加せず、蒋介石とルーズベルトの二人だけによる、完全な密室会談だ。 ルーズベルトは言った。 「何度も考えてみたのだが、琉球群島は台湾の東北側にあり、太平洋に面している。言うならばあなた方の東側の防壁に当たる。 戦略的位置としては非常に重要だ。あなた方が台湾を得たとして、もし琉球を得ることができなかったとしたら、安全上好ましくない。 もっと重要なのは、この島は侵略性が身についている日本に長期的に占領させておくわけにはいかない、ということだ。 台湾や澎湖列島とともに、すべてあなたたちが管轄したらどうかね?」 ルーズベルトは蒋介石が何も答えないのを見て、もしかしたら聞こえてないのかと思って、さらに一言付け足した。 「貴国はいったい琉球を欲しいのかね、それとも欲しくないのかね。もし欲しいのなら、戦争が終わったら、琉球を貴国にあげようと思うのだがね」 蒋介石はようやくその前の質問のときと同じように 「琉球の問題は複雑です。私はやはり、あの考え、つまり米中が共同で管理するのがいいのではないかと……」とあいまいに答えた。 ルーズベルトはここで「そうか、蒋介石は本当に琉球群島が欲しくないんだ」と思った。と同時に、蒋介石のこの反応を不思議だとも思った。 東シナ海を巡る世界地図はこうして、この瞬間に決まった、と言ってもいい。 しかし「カイロ密談」の後、実は蒋介石は琉球群島領有を断ったことを、ひどく後悔した。 密談後、「果たしてこれで良かったのだろうか」と悩み、王寵恵にこっそり悩みを打ち明けたというのだ。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130208/243504/
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