- 沖縄のジャンヌダルク我那覇真子応援スレ★6©2ch.net
612 :名無しさん[]:2016/01/14(木) 19:52:20.92 ID:4h+on+Kp - 1406年 尚思紹
1414年 将軍、足利義持、尚思紹遣使に対し謝意を表す。 1422年 尚巴志 中山王即位 1441年 島津(嘉吉の附庸)島津の捏造 1466年 琉球使節、将軍義政謁見後、退出の際火砲を鳴らし京都を驚かす。 1470年 尚円 金丸王位につき尚円と称する。第二尚氏王統 1570年 島津、琉球に対し「印判」要求 1588年 秀吉、島津を介し琉球招諭 1591年 尚寧即位。朝鮮役を島津を通し命じられその半分を提出。島津に貸付支払いを求められるがこれを拒否。 ※琉球は朝鮮出兵は明と対峙するとし、島津の要求には答えないことを決定。 1592年 秀吉、琉球を島津の(与力)とす。秀吉への進上物が粗末だとして帰国させられる。 1609年 島津琉球侵攻。尚寧降伏。 (人頭税再編強化を迫られる) ※人頭税そのものは古琉球から行われ近世の沖縄でも租税賦課の基本であった。税率も宮古、八重山が特別高かった訳ではない。問題は地元役人の搾取であった。 1611年 薩摩より起請文。掟15条令達。 ※島津は奄美大島、喜界島、徳之島、沖伊良部島、与論島を没収する。 1617年 琉球の日本化を禁止する。 1621年 尚豊、島津の承認を得即位。以後、王位は島津の承認が、慣例となる。 1628年 大和在番仮屋が設置される。 1637年 宮古、八重山の人頭税制度化 1646年 宮古、八重山を抵当に薩摩より銀9000両借。 1659年 定額人頭税の制定。 1663年 清、冊封来琉。尚質国王 ※冊封は琉球国王の戴冠式で在位中に一度しか行われない。礼部は安南や朝鮮にならい冊封を中国側で行うよう要請するが、琉球側は伝統儀礼とし拒否。冊封使を来琉させる事で、国王の権威を高める事が出来た。 ※琉球王国冊封は1404年武寧から1866年尚泰まで、462年24回行われる。 1872年 琉球藩設置 1878年 清国、日本政府に抗議。 1879年 日本政府「廃流置県」沖縄県設置 1880年 日本政府、分等増約案を清国へ提示。清国側琉球三分割案提示。交渉決裂。 1895年 日清戦争勃発 95年 大日本帝国勝利(下関条約締結) 1903年 宮古、八重山「地租条例」「国税徴収法」施行(人頭税廃止)
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