- 【複合選抜】愛知県の高校受験part89【尾張・三河】
25 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:01:20.83 ID:hNpzzTof0 - ★名古屋の高校でブラタモリ(名古屋市の高校の歴史)
江戸時代、 城下町「名古屋」と、門前町・宿場町「熱田」とは別の街であった。 近代都市の名古屋は、 城下町「名古屋」が拡張し、「熱田」を飲み込むことから始まった。 明治政府は、 「名古屋」と 「熱田」へ それぞれ旧制中学を設置した(明治時代)。 前者が、愛知一中(後の旭丘)、 後者が、愛知五中(後の瑞陵)。 旭丘と瑞陵が、名古屋の中等教育機関の始まり。
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26 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:01:44.23 ID:hNpzzTof0 - ◎名古屋市の教育機関の2大聖地
聖地1;愛知一中(旭丘)→旧制名古屋帝国大学→県一→明和高校(現在)。 聖地2;愛知五中(瑞陵)→旧制第八高等学校→名古屋大学(教養)→名市大滝子キャンパス(現在)。 旭丘も 瑞陵も、 愛知県が誘致した名古屋大学(名帝大・八高)に追い出され、校地を移転させられたという共通点がある。 高等教育(名大)>中等教育(旭丘・瑞陵) →名大は名古屋では、最強! でも、名大の前身の旧制八高よりも歴史と伝統があるのが、旭丘と瑞陵!!
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27 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:02:02.84 ID:hNpzzTof0 - ◎愛知県のナンバー・スクール(=国策の学校)
〔明治時代の創立〕 一中 ⇒ 旭丘★ 二中 ⇒ 岡崎 三中 ⇒ 津島 四中 ⇒ 時習館 五中 ⇒ 瑞陵★ 〔大正時代の創立〕 六中 ⇒ 一宮 七中 ⇒ 半田 八中 ⇒ 刈谷 ★印は名古屋市内の高校。 ナンバー・スクールの認可主体は、文部省(当時)。 戦後の新制高校の認可主体は、愛知県。 →ナンバー・スクールは国策の学校。
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28 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:02:25.40 ID:hNpzzTof0 - ◎西尾武喜・名古屋市長(当時)の発言
「名古屋市内では、 五中(瑞陵)が設立されて以来、一中(旭丘)、明倫中(明和)の三校は、 互いに相競い、 それぞれ、独自の校風を誇り、 伝統と歴史に輝く名門校として、 県下男子中等学校の三雄たる栄誉を担ってきました」。 ◎1967年名古屋大学の合格者数(尾張地区の公立高校) ★明和196、★旭丘156、★瑞陵92、一宮46、半田43、向陽38、 名西25、横須賀23、熱田22、☆菊里17、松蔭11、桜台10 昭和7、津島6、春日井3、☆中村3、☆千種2 ★印;名古屋御三家
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29 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:02:55.77 ID:hNpzzTof0 - ◎なぜ明和は2番目で満足なのか? ”明和 as No 2.”
1、戦前の愛知県下のランクは、 旭丘(一中)>瑞陵(五中)>明和(明倫中)>時習館(四中)>岡崎(二中)。 戦前は県内でも文化格差が大きく、 名古屋市が圧倒的に進学に有利だった(今でも名古屋とそれ以外の地域との文化格差は圧倒的であるが)。 名古屋市>豊橋市>岡崎市(戦前)。 2、戦中・戦後直後は、 瑞陵(五中)>旭丘(一中)>明和(明倫中)>略…… →旭丘が史上初めてトップの座を奪われた大混乱期におきたのが、愛知一中予科練総決起事件。 3、戦後(新制高校)は、旭丘>明和>瑞陵。戦前はずっと「3番目」だった明和が、瑞陵を抜いて「2番目」になった。 瑞陵=五中+実務女(女子底辺校) 明和=明倫中+県一(女子トップ校) 明和は、女子トップの県一の(空襲後に移転した)所在地に明倫中が婿養子に入った。 こうして一等地が現在の校地になった。 瑞陵は、五中と釣り合わない女子底辺校と合併。 五中関係者は反対するも、しかし当時GHQの命令は絶対であった。五中関係者は涙した(←本当に泣いたらしい)。 こうして、「2番目」と「3番目」が入れ替わった。 「3番目」だった明倫の後継校=明和がタナボタ(幸福な結婚)で「2番目」になった。 よって、明和は「2番目」で満足である。
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30 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:04:05.29 ID:hNpzzTof0 - ◎名古屋とその周辺の高校事情【 ☆原則 旭丘に媚びを売るさまは、ジャイアンに媚びを売るスネ夫(スネギリョフ)の様】
旭丘との近さでエラさが決定されるというのがほとんど高校。「旭さまに近いからオレは偉い」 。他校のふんどしで、恥ずかしくないのか? 春日井高校;旭丘の分校だったのが誇り(通説)。 松蔭高校;旭丘の校舎を借りてスタートしたのが誇り。 昭和高校;旭丘と同じ(レベルの高い)教科書を(一部)使用しているのが誇り。 惟信高校;「名古屋二中」を自称(ここでは「名古屋一中」は旭丘のこと)するのが誇り。 菊里高校;旭丘の独占的滑止め校(で高偏差値をたまたま維持しているの)が誇り。
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31 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:04:29.82 ID:hNpzzTof0 - ◎名古屋とその周辺の高校事情【☆例外 五中=瑞陵 五ーイング、マイ ウェイ! ドラえもん?】
名古屋市内で唯一、旭丘(一中)に対抗心を持つ独立・自主の高校が、瑞陵(五中)。 名古屋市内の公立で唯一、私服登校が可能なのが旭丘。このことも旭丘が特別視される理由の一つである。 しかし、 旭丘の校則には今も学生服着用との明文がある。 つまり、旭丘でも私服登校は校則違反。 1969年の学園紛争時(この年、旭丘では1000人が栄までデモを敢行)に左翼の生徒(初めは20名)が学校祭を機に勝手に校則違反の私服登校し(都立を含む全国で高校の一部が私服になったのもこの時)、 今でも校則違反の私服登校が継続中。当初、生徒会は公認化(=校則改正)を求めていたが、公認されず私服登校黙認というのが現状(生徒の敗北)。 私服公認(=校則改正)を勝ち取れなかったのは全国で旭丘だけ。 ちなみに、学園紛争時の旭丘では反体制の左翼は私服登校をし、体育会系の右翼は学生服で登校していた。 今の旭丘生は、左翼右翼の思想もなく、私服登校。 「わが旭丘、古はともかく今は哲学なし。」(by中江兆民)。 一方、 旭丘と並んで学園紛争が激しかったのが瑞陵。 旭丘に対抗心があった瑞陵は、 学園紛争時に旭丘のマネをしたくなかったので校則違反の私服登校をしなかった。 これが、名古屋で私服通学の公立高校が一校しかない理由。 (ちなみに、旭丘の私服登校は都立高校の私服登校をマネたもの。) 「旭丘は特別な高校だから、旭丘だけ私服」という理解は間違い。 「瑞陵が私服運動をしなかったから、愛知では旭丘だけ私服」が正しい。 あるいは、県教委の(校長への)圧力の有無はともかく、「校則を改正する能力が旭丘生・生徒会に乏しいから、全国で旭丘だけ私服登校が公認されず黙認」という理解が正しい。 その意味では、全国で最も無能な生徒会である(反語。愛知県下の生徒会をリードしたこともある旭丘生徒会の再起を祈念します。) 。 いずれにせよ、瑞陵抜きに名古屋の高校生の私服登校事情は語れない。
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32 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:04:54.35 ID:hNpzzTof0 - ◎瑞陵と旭丘の校風と輩出した人材の違い
戦前、スパルタ校だった旭丘(一中)は、 旧制高校への合格者数を凌駕し、数多くの高級官僚・高級軍人を輩出した。 そして、 自由な精神を持たない彼らは軍国主義へ突き進んでいった。 戦前、県下で唯一自由な校風だった瑞陵(五中)は、 旧制高校への合格者数は旭丘に次いではいたが、その絶対数は、旭丘よりもはるかに少数であった。 しかし、 瑞陵の卒業生は、杉原先輩、都留重人先輩をはじめ数多くの先輩が軍国主義への抵抗をみせた。 今の瑞陵もその五中の精神を受け継いでいる。 それが瑞陵の「自由自主自律」という校風である。 「旭丘は(瑞陵が輩出した)一人の杉原千畝にも如かない」(芥川龍之介『或阿呆の一生』) "There's no school like Zuiryo." The Wizard of Oz (1939 film) 『尾張瑞陵の魔法使い』 z=Zuiryo 「分け入っても分け入ってもズい陵」種田山頭火
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33 :実名攻撃大好きKITTY[sage]:2020/02/15(土) 00:05:20.92 ID:hNpzzTof0 - ◎ここからが本題(今に続く話) 1970年代から中村、千種、菊里(以上、公立)、東海、南女、滝(以上、私学)が躍進。
東海高校や滝、菊里、千種がトップレベルになったのは、 公立高校の入試制度として「学校群制度」が導入された1970年代から。 それ以前は、 旭丘>明和>瑞陵>一宮>★東海>向陽>名西>>>>熱田>★菊里>★中村=★千種(公立底辺校) [壁](★滝=実業高校(当時)≠進学校) ★印;新興トップレベル高校 1、学校群制度により、 愛知のトップレベルの学業成績者は、 群を組んだ伝統校(ナンバー・スクール等)と新設校にクジで振り分けられるようになった。 先行して学校群制度を導入した東京では、 都立高校の衰退を招き、それまで都立高校の滑り止め校だった開成麻布武蔵(東京の私学)が台頭した。 2、東京の現状を知っている愛知の知識人の一部の家庭では、 子女が、ナンバー・スクールでなく新設校に振り分けらるくらいなら、と、 私立中学受験に走った。 【結果】 群の組み合わせが良かった、パッとしなかった伝統校の菊里、新設校で底辺校だった千種・中村がトップレベルへ。 私学の東海、南女、滝もレベルアップへ。 ただし、東海は今も成績別クラス(A群・B群)を維持。とても一流高校とは認められない校風(進学1流・校風3流)。 【現在】 東京;都立高校が復活する過渡期。日比谷高校(府立一中)復活(しかし大学区制までの自由な校風は見る影もない)? 私立武蔵は凋落化。 愛知;中村は底辺校へ回帰、千種も慢性的凋落、一方、ブランド化成功の東海、南女はトップレベルを維持。 近年、滝蹴り多発、高校入試の合格者数を大幅増員(【定員110人一定】合格者数449人⇒553人⇒634人⇒669人⇒680人⇒730人2年前)=滝蹴り公立高校増加。 ナンバー・スクールで、愛知の管理教育の優等生の岡崎・刈谷が進学実績を伸ばす。 名古屋の3年生次文理分け校が減少。 ★2年前から三河群廃止 6年前に「地殻変動」と言われた瑞陵人気ブレイク中。
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