- 東北地方太平洋沖地震の災害ボランティアオフ
42 :エージェント・774[sage]:2011/03/12(土) 10:33:07.78 ID:rJD+ivFw - 個人のボランティアは、現地の受け入れ体制ができるまでは控えたほうがいい。
被害の大きい三陸の海沿いは交通手段もないし、海と山に挟まれた狭い土地だから、ボランティアの居場所も充分にはない。 中越地震では余震が続き、避難勧告が解除されなかったため、大量に集まったボランティアが、することなく余っていたことがある。 だが、長期(2週間以上)現地にいられるボラは不足していた。その間、自分(達)の衣食住を整えられるのならば行けば役に立てると思う。 避難所のトイレ掃除、泥や砂まみれになる避難所の床の掃除、炊き出しの配膳など、毎日地道に活動を続けることで、 被災された人々との信頼関係を作る必要がある。 また、保守的な考えの地域では、避難所内のこういう仕事は「女のやること」とばかり女性陣に押し付けられ疲労を溜めていて、 愚痴を吐き出す先すらなく苦しいんでいるケースがある。発災から4日くらいからそういう傾向が出る。 地震災害は、復旧から復興まで、とにかく長期戦になる。 今はできることがなく歯がゆいかもしれないが、突発的に現地に行くような行動は控え、装備と情報と心構えを充電して待機。
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81 :42[sage]:2011/03/12(土) 13:26:51.83 ID:rJD+ivFw - 参考までに、中越地震のときの2ちゃん発でのボラ隊は
発災から1週間は、準備と事前の打ち合わせをして、10月30日(本震の7日後)に先発隊が現地に向かった。 到着したときが、ちょうど、川口町のボランティアセンターが開設されたときだった。 本隊はその2日後に到着した。 ボランティアセンターが開設されていれば、ボランティア保険の費用は、(原則的に)地元の社会福祉協議会が 負担しているようだ。 装備について 皮軍手は必要。ヘルメット、長靴(できれば安全靴)。懐中電灯(LEDのヘッドライトが良い)。 ラジオ(FMも聞けるもの:地元ローカルFM局を聞くため) 今回は、地震のほか、津波の水害もあるので、ホコリにまみれていろいろな物質が舞っている。マスク、ゴーグルが必要。 スコップ、バール、バケツ、土のう袋なども使うが、ボランティアセンターが機能していれば貸してくれることもある。 今のうちに、地図を買ってよく見ておく。現地の地名や地理感を頭に入れておく。 ニュースなどを聞いて、地図のどの辺の話なのかがすぐ頭に浮かぶよう、市町村名くらいは最低限覚える。 携帯の充電器、もし余っているならいくつか持っていくのも良いが、分岐タップも忘れずに。
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162 :エージェント・774[sage]:2011/03/12(土) 16:17:31.71 ID:rJD+ivFw - >>92
中越地震のとき。 発災(10/23)の1週間後に入った。3月まで交代しながら続けた。 人数は、最大で12人くらい、最低は1人2人(1月2月の大雪の頃)だった。 けど他からのボラも一緒に活動していたので、実際の活動人数はもう少し多い。 何をやったか 〜仮設住宅ができるまで(約50日、12月中旬まで) 避難所のお手伝い(炊き出しの配膳、掃除、ボランティアセンターとの連絡役) 支援物資の仕分け・配布 新聞作りと配布 作業ニーズの聞き取り→ボランティアセンターに集まる日帰り作業ボラさんに繋げる 損壊した住宅の片付け手伝い 損壊した住宅に住む人たちへのサポート(水などの配達) 話し相手(お年寄り、子供) 仮設住宅ができてから 引越し手伝い 仮設住宅入り口の「雪囲い」製作 新聞作りと配達 話し相手(お年寄り、子供) 雪かき 雪下ろし 看護師や福祉系の資格のある人は、お年寄りを中心に巡回、心身面の聞き取り 今回の地震にはないであろうこともとりあえず書いておいた。 これらは、1ヶ所の避難所で、長期的な活動をした人たちの例。 ずーっと現地にいるのではなく、1週間か長くても2週間ごとに、交代要員と入れ替わり、という人が大半だった。 長期的にいる人でも、日替わり作業(力仕事系)だけを続ける人もいた。 で、長くいられないなら役に立たない、なんてことはない。
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