- 【過去世】霊視スレ 仏様からのメッセージつき
152 :本当にあった怖い名無し[sage]:2023/02/18(土) 17:59:49.89 ID:N/CvtaA30 - 智慧(ちえ)とは、一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用を意味する仏教用語。(悪名高いWikipediaより)
とあってこの解説は足りないところはあれどそこそこに間違ってはないのでこの定義を採用しつつ話すると いわゆる物理的な目や五感を使わぬ、霊視と呼ばれる類のものは本来は智慧の働きの一種であると解釈しています そうするとこの霊視というものの必要性を考えた場合 祈祷師や拝み屋においては進行する神仏と繋がる、もしくは対象となる人物と繋がるために必要なスキルとなります 僧侶においては宗派によって異なりはすれど、基本的に彼らは仏の弟子であり、仏の説く道を邁進しているのでその存在や生活そのものがすべからく仏の道であり、祈りもまた仏へと繋がっていると私は考えておりまして、宗派によっては霊視は不要とする派閥があるのかなと推察しております (多分、祈祷をする派閥では必要に近いのかな?) しかしまあ、仏教においても基督教においても信仰とは難しいもので遠藤周作の沈黙にもあるように、愚物な大衆(©︎イブン ルシュド)にとっては手応えのない神仏というものは中々に信じきれないものです (だからこそインスタントな神仏に頼りがち) また愚物であるので、ものの道理に従って幸不幸というものをどうしても一時的な肉体的な楽(これは精神的なショックも含む)をその価値の判断基準として選びがちです そこで我々大衆は祈祷であるとか霊視であるとか。ある意味で不純でありながらもかけがえのない神仏の恩寵に頼ってしまうわけですが この時に与えられる恩寵は必ずしも愚物な大衆にその価値がわかるというものでもなく せっかくの恵を打ち捨ててしまうこともしばしばあるわけです さてここで本題なのですが もし霊視でどう考えても「これはそのまま伝えるのは如何なものか」という神仏の恩寵(霊視結果)を得た場合 如月さんならどうされますか? また伝えた結果、やはり相手がその結果を受け入れられない場合はどう思いますか? もしお暇が出来ましたら お答えを頂けますと幸いです
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