- カルマの法則は真実だろうか?
150 :メグ[]:2021/07/07(水) 13:16:42.43 ID:ofhrJcri0 - >>149は簡潔に書きすぎて少々分かりづらいかもしれませんので、内容を補足させて頂きたいと思います。
誰の目にも明らかなよう因果関係について順を追って書いているつもりなのですが、客観的には理解しにくいであろう表現がありました。 長くなりましたので、補足を二つに分けて投稿いたします。 問題なのは >>自我という部分が抜けてしまうと、カルマの法則における進歩という概念までもが消失するように感じています。 ただ、142様は善因善果、悪因悪果というお言葉を使っておられるので、物事の良し悪しの基準が存在すると考えておられるのだと思います。 物事の良し悪しを自我や自我の成長(自身の成長)を基準にするのでない場合、自我ではない別の所に、物事の良し悪しの基準を求めておられるという事でしょうか。 の箇所です。 なぜ、自我というテーマを抜きにすると、進歩という概念が消失すると考えているのかについて簡潔に補足します。 僕の場合は因果応報は自我に対する教育的要素が多い現象だと考えておりまして、そのため、自我というテーマを抜きにカルマを語ると進歩という重要な概念が消失すると考えました。 142様は因果応報が存在すると考えておられるようなのですが、”因果応報の原理は自我に対する学びとしての意味は無い”とお考えなのかという点に僕は関心を持ちました。 もし、自身の行為による影響を自分が回収する事に教育的要素は無いとするなら、仰られている事がよく理解できます。
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- カルマの法則は真実だろうか?
151 :メグ[]:2021/07/07(水) 13:17:25.48 ID:ofhrJcri0 - ただ、142様は善因善果、悪因悪果というお言葉を使っておられ、その表現はカルマについて自我まで踏まえた表現であるように感じました。
というのも、行為に良し悪しをつけるとすれば自我を中心にした尺度が通常だからです。 ・自我の”世界”に対する変化の良し悪し(自我が周囲の出来事に対しより良く適応できるようになる・ならないなど) ・自我の欲望が叶うような出来事が起こる・起こらない ・何らかの行為により自我による世界に対する理解が深まる・逆に狭まる など、自我や世界を取り巻く要素を、行為の良し悪しの判定基準にするのが通常ですので、善因善果、悪因悪果というお言葉を使うという事は、人間の自我を中心とした尺度を前提としているように感じました。 その点に合点がいかず、どうも142様の思想を深く理解する妨げになっています。 仮に、善因善果、悪因悪果という言葉が人間の自我を中心にした尺度により善悪と判定づけているのでなければ、別の何かにより判定づけているという事になります。 その『何か』について知りたく思い、>>149のようなレスになりました。 もし、それが分かれば僕の認識は大きく拓けるかもしれません! ちなみに、下記のお言葉に関してレスをしておりませんでした。 大変申し訳ございません。 >>カルマの法則は個人だけでなく、社会集団である民族や国民、 あるいは国家という単位でも発動するといいます。 ですから自我云々は不要な議論です。 【カルマの法則が民族や国家に働く可能性がある】のと、【カルマを理解するにあたって自我というテーマは必要無い】というのは直接関係が無い事柄のように感じました。 ちなみに、”自我の存在しない大きな集団にもカルマの法則が働くのだから、カルマの法則は個人の自我と関係がない”という意味で発言されたのでしょうか? もし、そうである場合であれば、一つの考えとして理解ができました!
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- カルマの法則は真実だろうか?
153 :メグ[]:2021/07/07(水) 14:07:58.76 ID:ofhrJcri0 - >>152様
窘めのお言葉を頂き感謝いたします。 お陰様で少し冷静になれました。 (ちなみに、これは統合失調症の方を蔑視した発言ではありません。 事実と異なる事を思い込むという問題自体は診断の下った方、そうでない方の誰もが抱えている問題だと考えています。 当然、僕も同様です) 142様の思想の理解をしたい気持ちが先行し、少し興奮してしまいました。 過去、”理解しづらい思想”を理解するほどに世界が広がりましたので、つい質問しすぎたかもしれません。 大変申し訳ございませんでした。 以後、気をつけたいと思います! もし、142様も僕との議論に付き合うのが疲れる場合は、いつでもスルー頂ければ幸いです。
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- カルマの法則は真実だろうか?
155 :メグ[]:2021/07/07(水) 23:07:20.52 ID:ofhrJcri0 - >>154様
僕も”カルマの善悪”に関して、154様の仰る通りの側面があるなと思います。 例えば、一般的には禁欲は良いとされやすいのですが、禁欲に囚われているがゆえに人に共感できず視野が狭まる人も多いです。 この場合、ストイックさを解いて少し欲を解放する方が、カルマ上良いと感じる場面は多かったです。 他には、一般的には勉強は良いとされやすいのですが、立派な人間でありたい願望の強い人が、偉人の本等で知識を得て”より立派であらなければならない”と強迫観念を強くしてしまう結果になり、実際は誰かと飲みに行ったり、ゲームが苦手な人であればテレビゲームでもした方が全体的に上手くいくという事がよくあると思いました。 (この際、カルマの法則により、自身と反対の価値観を持つ人が配置されているケースが多いように感じています) こうした事から、常識的な善悪とカルマ上の善悪が少し違うのは現実味のあるご意見だと僕も思います。
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