- 【大峠入口】日月神示 第五十四巻【肯定派専用】 [無断転載禁止]©2ch.net
804 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 09:30:27.45 ID:4lMEpjfz0 - >>799
そこで述べられていることは「今度の世」の話ですね 今度(次の新しい御世)の世に入る前に、峠を無事に越す段階があるので、 まず、てんし様(御子イエス様)と地の人(私たち)との夫婦和合となります 順序・順番としてこれが先になります 峠を無事に越す、真っ先にてんし様と繋がる、これは何度も強調されている通りです 「一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様」 「てんし様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ。この位何故に判からんのぢゃ 」 「てん詞様おろがみてくれよ。てんし様まつれよ。みことにまつろえよ。 このこと出来れば他に何も判からんでも、峠越せるぞ。」 「今度は」というのは、その後に来る次の世界のことを述べています まず峠を無事に越さないと、次の世「今度」の世界にも入れません 今度の世界では、 てんし様(御子イエス様)と夫婦和合(結婚)できた人(神人)が「王」となりますが、 てんし様(御子イエス様)はその「王の王」として共に臨在されます(タマとして臨在) 今度(次の新しい御世)の世界は、 天地人の和合、神人一体となって共に住まわれる天地不可分の世界ということになります 順序・順番として「てんし様(御子イエス様)を祀る」のが先になります まず先にてんし様(御子イエス様)を祀って夫婦和合できれば、 他に何様を拝んでもよいことになります 地を拝もうが、海や川を拝もうが、花や木を拝もうが、自分を拝もうが、他人を拝もうが、 それは否定されるものではありません
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822 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 15:40:47.80 ID:4lMEpjfz0 - >>806
日本人の全てとは限りませんし、外国にも神の子がいるぞと示されていますが、 日本人(外国も含め)の幾人かがイスラエルの12の流れにあるということです 神示を見る限りでも、日本人はイスラエルと全く関係がないわけではなさそうです 縁がある方と縁がない方もいるのでしょう
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823 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 15:54:10.44 ID:4lMEpjfz0 - >>811
キリスト教信者ではなくイエス様信者です 同じ神の名は二つあると示されています(例えば表と裏、光と影の関係) 素盞鳴命 → イエス(光) 素盞鳴命 → サタン(影) 罪を背負った救いの大神なのはイエス(光)の方です 今の時代は光と影の二つが存在しますが、 今度の世界は光のみが満ちる世界で、次の世界では影は存在しえません ちなみに聖書にも日月神示にもサタンを信じろという話はどこにもありません
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824 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 15:59:51.48 ID:4lMEpjfz0 - 天照大神にも二つあります (これから開く誠の天照大神 、現在いる騙した天照大神)
天照大神 → イエス(誠の光) 天照大神 → サタン(騙した偽の光) 似て非なるもの 「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気ぢゃ」
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830 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 20:10:57.47 ID:4lMEpjfz0 - >>825
同じ素盞鳴命という名前の神には二つの別の実体があります 「素盞鳴命が、サタンのような荒ぶる神、悪神ではなく、 人民の罪を背負って下さる救ひ主のナザレのイエス様であることが判らねば、 岩戸はひらけんぞ。」 サタンは今は存在できるけれども、今度の世界に入ったら、光の中では生きられない
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836 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 22:42:43.69 ID:4lMEpjfz0 - >>832
>人民の罪を背負って下さる=人民の罪を焼き払うってこと。 同じ素盞鳴命の一方の影の存在であるサタンは聖書では最後は火の池となりますが サタンを信じることが救いに繋がるのではありません 信じるべき目当てを巧妙に「すり替え」てはいけません 素盞鳴命のもう一方の実体、誠の光(イエス)を信じる者が救われる、これは揺るぎません イエスを信じることで救われる(聖霊による霊(ヒ)の洗礼) 自ら好んでサタンを信じても救われる保証はありません(この場合は火の洗礼、火の池) 素盞鳴命には悪神と善神の二つの存在を混ぜて同時に同じ名前で表現されていますが、 イエスとしての素盞鳴命と、サタンとしての素盞鳴命、両者は本来は別物、似て非なる者です 素盞鳴命は日本神話では基本的には悪神のように見られていますが、 それは一方のサタンとしての素盞鳴命だけを人民が見出してしまいがちだからです 誠の光であり救い主である御子イエスの方を無視して見出さないからです 素盞鳴命には二つの異なる神がいますから、 素盞鳴命を一方の悪神(サタン)として見出すのではなく、 誠の光の神(イエス)として見出してくださいという、お示しなのです 仮に素盞鳴命のイエスの方を見出しても、彼を救い主と受け入れるとは限りません そういう人は誠の光であるイエスの方を悪神とすり替えて見るのです 猫に小判、馬の耳に念仏、豚に真珠ということはよくあります サタンを信じれば救われるという教えは本来どこにもありません 日月神示からも聖書からも、サタンを信じて祀れという示しはありません 悪神(サタン)としての素盞鳴命ではなく、素盞鳴命の誠の光(イエス)の方を見出してください
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837 :本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[]:2017/08/12(土) 23:14:38.21 ID:4lMEpjfz0 - 光を嫌う者は光を嫌い、影を好む者は影を好みます
素盞鳴には二つの神があるので、人によってはどちらを見出すか異なるのです ただし、一方は光(誠の神)、一方は影(悪神)です 実際の救いの大神としての素盞鳴は、誠の光であるイエス様です サタンを救い主とする人がいても不思議ではありませんが、 それはサタンを好む者、影を好む者です 今度の世界は てんし様の光が満ちる世界なので、影は今度の世界には入れません 影(サタン)を選んでも影には永遠性はありません 今はまだ存在しえるけれども、今度の世界では影は存在できません 残るのは誠の光、イエス様です イエスを選択する者はイエスを選択します サタンを選択する者はサタンを選択します 「どちらを採る気じゃ」 素盞鳴命の誠の光、救い主としての実体は御子イエス(てんし様)です 天照大神にも二つの神がいますが、誠の実体(光)は一柱です 天照大神の誠の光、今度の岩戸開きで現れるのは御子イエス(てんし様)です
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