- 【大峠入口】日月神示 第二十一巻【肯定派専用】
542 :本当にあった怖い名無し[]:2011/12/13(火) 21:33:29.54 ID:uzw1jwKs0 - >>541
http://hifumi.uresi.org/17.html に、 地震の巻十九帖(枚)の写真がありますが、 写真一枚が各一帖ですか、 それとも各帖の一部分ですか。 また、写真で見る地震の巻を音読するのは可能なのですか。
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546 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 22:35:40.56 ID:uzw1jwKs0 - よく自分には個人的経験体験があるというだけで、
個人的な自利小乗でしかない体験を隠し持っていることを書く人がいます。 自分の体験でしか真理を証明できないのに、そのため、 相手に通じなのを相手の未熟なせいにして卑屈な満足感を得ています。 自分が特殊体験の金メダルを得ているかのようです。 その心はあるかないか、できるかできないかで、金か糞メダルかになるとしています。 現象が異なるのは当たり前です、できるできない、分かる分からない、知る知らないの、 違いがあるのは当たり前です。体験の違いは当たり前です。 そんな体験の収集をして慰め合おうとする意見が出てきました。 非常に衰弱した精神機能と思われます。 体験の蓄積、過去経験の貴重さを自利小乗から解放する原理が見つからないからです。
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547 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 22:41:15.30 ID:uzw1jwKs0 - そして今まではこの違いに、価値、権威、量の値打を設け、
効用、利便の違いを心で表現してきたのです。 そういった今までの心をでんぐり返ししようというのが日月神示です。 もちろん歴史的には全ての宗教や道徳思想が、それに挑戦してきました。 尊い教え、有り難い教えとかになって、いくらでも転がっています。 今でも教え広めようとする人もいます。 経験を交換し合おう,伝え合おうというところでしょうか。 二千年間の偉大な宗教家、聖人を差し置いて自分が立候補したいということらしいです。 しかし、どの宗教、聖人聖者も世界を導くのに成功した方はいません。 この数千年間物質上の産業繁栄はなされましたが、多くの犠牲と後遺症を伴っていました。 負の遺産を我慢しろ、耐えろ、希望と愛を持て、明日がある、死後がある、天国があるといって、 神の名の元に意気消沈をくい止め頑張るように仕向けてきました。。
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548 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 22:43:02.64 ID:uzw1jwKs0 - 日月神示は今までの宗教ではない、として新しい産声を上げましたが、
その原理を知らせることはなく、躊躇し隠没したままでいることを承認しています。 神示の主張は躊躇と隠没の一厘を開示していないため、自らを表現するのに数魂を使用しています。 よくよく注意してください、 大昔は、実在の自然の物理的な脅威を感じていました。 ついで抽象化によって自然の総体の偉大さを創造主にしました。 ここから創造文化の花が開き、多くの神々が生まれました。 この名残りが現在細かく言われている神々です。 そして最近世界に神示が出現して、神を数霊に置き換え、数を神として読むようにしました。 神自らが自らを数としたのです。
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549 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 22:47:03.89 ID:uzw1jwKs0 - ではこの後、数はどうなるのでしょうか。
数は言葉になります。 そしてその後言葉はどうなりますか。 言葉は人になります。 人はどうなるか? 人は現実です、現実となります。 神示で数として表現されてしまった神は、数へ、言葉へ、人となって、もう神には戻れなくなります。 こうして神は人となり、わたしがあなたが神となるのです。 神示の示した数の後に体験を持ってくるとどうなるでしょうか。 過去の体験のワッショイワッショイで終わります。 個人的な自利小乗を基本とした体験のでんぐり返しを、神示は示し提供しているのです。
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550 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 22:52:43.96 ID:uzw1jwKs0 - ここでの問題はいつまでも「神」という言葉を使用していることです。
神示でさえ神という言葉を使用しているので、それを読むわれわれも神といわされます。 しかし、神示はでんぐり返しの半回転まではできて自らを、数としたのです。 そのあとの半回転で数を言葉にするのはわれわれです。 われわれは自然な物理的な精神的な意図する心を持つ生きた物体です。 半回転後の言葉はそのようなものとなるでしょう。 神は喜んで消滅していき言葉なかへ、そして心の中へと移り住んでいくことになります。
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552 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 22:55:25.26 ID:uzw1jwKs0 - ここにリンゴがあります。大昔は実在する甘酸っぱい自然の味に神威を感じ、、
そのような超越的な創造主体への思いから、創造主へ、神の創造となり、一転して、 神への感謝から、この世への感謝、愛となり、 神示の出現でリンゴの甘酸っぱさは数で示されました。 人は甘酸っぱさの数を解くのに言葉を用い、言葉にある甘酸っぱさを得ます。 人は甘酸っぱさという言葉と現実の一致に目覚め、リンゴを得ます。 そこでは、神は味わうわれわれの口の中で消化されていくのです。 神示の神も丑寅の神も同様です。 神示は自ら消滅する道を選んでいます。消化できるかどうかはわれわれ次第です。
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553 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 23:08:48.37 ID:uzw1jwKs0 - 数の後にくるものは、言葉です。
言葉は実在・現実を求めます。 体験と言い換えてもいいです。 ただし個人的な体験の殻の中にいることしか出来なのがほとんどです。 でんぐり返しができなければ相手に伝わらず、伝わらないことを良しとする優越感に堕していきます。 良心的な方ならば、ジレンマに陥り、聖人となって洞窟に閉じこもる事になります。 意気消沈をくい止めるため神と自己の経験にすがるようになるでしょう。 実在とは今ここにいるわたしであり、あなたです。 わたしとあなたの実在とは、心の構造でありその動きです。 過去の経験と自分を鼓舞する夢や希望だけではありません。 自分の希望に沿うように、自分の思いに沿うようにさせるのは、 自利小乗の放漫です。 でんぐり返しをした後には神とは人々の心のこととなっています。 こうして、宗教の、既成の神の出番はもうなくなります。 それが神示さんの希望です。
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554 :数の後にくるものは[]:2011/12/13(火) 23:45:52.09 ID:uzw1jwKs0 - 551を読んだ後の追加。
非常に結構なお言葉です。では真面目にそれを実行してもらうとどうなるでしょうか。 良質な良心の行き着く先は、ジレンマか孤高か、良心を言いふらしながらの仲間作りになるでしょう。 既に二千年間の間に多くの偉人が、多くの負の結果と共に成した道です。 神示は始めてそれらを超える道を示しました。暗喩指示でしかありませんでしたが、 一応古事記のフトマニ言霊の方向を取るように導きました。 未だにそれを拒否する方たちがいますが、もう後ろに回転することはないのです。 この間まだまだ多くの感想意見が出てきます。 新しい体験を語る人も出ます。 言葉を畏れ行に邁進一心不乱になる方もいるでしょう。 極まった感情や崇高な感情を持ったりする人も出るでしょう。 それが普通のことです。 神示はそれらの中の一厘をどうしても開かさない積もりですが、 一厘を見つけてもらい、自分が葬られるを楽しみにしているのです。
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