- ЖЖЖ大麻はなんだかとてもオカルト18g目ЖЖЖ
251 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 00:28:59.04 ID:11zgYRuz0 - 今いる場所、今いる環境、今いる時代が分からない。またどこに向かうか見当も
つかないとき、また意味不明な物事が顕れたとき、人は答えを探します。 答えを探すという行為は、どんな意味をもつかというと、ある出来事を整理分類することで、 思考がスッキリするわけです。それを他者に向ける時、カテゴライズ、またはレッテル張りって言います。 ようするに呼び名、あだ名をつけるわけです。そこには意味が詰まっており、実は、無意識が表出しているのです。 あらゆる人々はこのカテゴライズを使って、無意識の共有をしようと試みます。 権力の中枢、または情報の発信元は一事情報で純粋な事実ですが、ジャーナリズムを介して、 メディアによる報道を行う時には、分かりやすく伝える必要がある。しかし分かりやすく伝えるという事は、 ある種のレッテルを貼って、それを評価しなくてはならない。ただ事実だけを伝えるならば、 多くのみなさんは理解できないのです。
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252 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 00:37:18.08 ID:11zgYRuz0 - 一事情報にはまったく意味はないのですが、その情報の繋がりや意図を伝えなければ、
因果関係を解明できません。解明は一事情報者や現象から発せられる事はまずありませんから、 メディアでは解説する必要がある。これを一言でいうと、●●である!とタイトルコピーを付けなければ ならない。そのタイトルコピーをみて、リテラシーの無い人達は分かるのですが、 リテラシーが無いが故に、一事情報の因果関係や意図を、報道の伝達者(記者)のレッテル張りで 操作されているわけです。もちろん記者の属する会社の方針に沿ってでしょう。 リテラシーとは、あるソースから排出された一事情報がどのように加工され、大衆に排出されたのか? などを知り、自分に情報が入ってきた総体から、その全体像とその意図を解釈する識別能力です。 基本的に情報排出は、出版元、記者、著者が行うプロパガンダです。世論操作が介入してしまう。 情報操作するがゆえに、私たちは新しい情報に触れる事ができるのです。ようは正誤などは無く、 どの情報の影響下に置かれるのが、自分の意識をたかめられるのか?というだけの事です。
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253 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 00:49:04.24 ID:11zgYRuz0 - 無意識の表出、無意識の獲得に現在の人々の関心は向かって具体化していますが、
その操作を洗脳やプロパタンダとか啓蒙主義とか信仰、信条などと表しますが、 要は、自分が信じられる、無意識への到達の途中の具体的な目的ポイントをなんとするか? という事であり、闇の勢力だとか、悟りだとか、様々に表現されます。 つまりれは、ネガティブの象徴を造り、それを具体化させて語る事で、この社会のシステムの謎を 説く説明体系か?ポジティブな象徴を造って、それを説明する体系かの違いだけであり、 やっていることは、無意識の顕在化です。社会的には暴露です。社会の人々の本音の暴露は、 一般紙や、ツイッターなんかが担っているのでしょう。
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254 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 00:50:42.64 ID:11zgYRuz0 - 私たちは、いまだ時代の潮流の意図を人格化、偶像化、象徴化せずには居られないのです。
それをもってして、形として表し言語化できるのですが、万人が抽象思考できるわけではないし、 万人が無意識下で、また無意識下どおしで、コミュットできるというわけには行かない段階なのです。 そういう意味において、具体的にレッテルを貼って、それについて物語を作って語るという手法を とらざるをえないという事なのです。 今の社会のシステムは正確にはある特定の誰かがコントロールしているのではなく、 システムが暴走しているのです。それを視覚化しているのがAI(人工知能)の暴走という モティーフで表現されている数々の映画ですし、その打破はマトリックスで表現されている ソースやネオやトリニティー(三位一体)予言のカラクリなどですが、最終的には、あるていど 明らかになった時に、創造の領域に突入します。
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255 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 00:55:25.07 ID:11zgYRuz0 - 創造の領域というのは、無意識が消滅し、非常にシンプルに表現するならば、
全員が大麻を吸った状態。もっと具体的に言えば、スカンクなどのような 時間感覚に影響を及ぼすようなスローモーションできめ細かに認知できる 世界観が私たちの日常意識として支配的になってくという事になります。 もちろん、あわただしい日常は繰り返されるのですが、それは身体であって、 意識はその動きに追いついていますから、結果的にあわただしいのではなく、 知っており、その今の状態において、感情的に不満があるのではなく、 必要だから行っているという状態であり、そこにストレスは無いという状態でしょう。 ある意味、静かな世界となるでしょう。地震の後の静けさのように。
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256 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 00:58:51.75 ID:11zgYRuz0 - そこに誰かが支配的行為を行ったとしましょう。
行ったとしましょう!と書きましたが、無意識が顕れすでに見えている感じられている 中で、あえて、支配的行為というベタな行為をしたとするという意味なのです。 とてもバカバカシイ行為に映っている事でしょう。 無意識が表出している世界というのは、地球は丸いと完璧に信じられている世界で、 一人この世界は直線なんだから、あっちへ行くと崖から落ちるから、俺に付いてこい!と いうようなもので、そのような支配的行為は滑稽にみえてしまう現実だから、 そのような行為に及ぶものが少数になるという事でもあります。
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257 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 01:05:22.05 ID:11zgYRuz0 - 現在の状況は、過渡期であり、馬鹿げた行為も社会で許容されると同時に、
バレてしまっており、それでいて、不満も倦怠感も支配的ですが、 要は、新パラダイムのイメージが多くの人々の無意識にできつつあり、 それと比較して、今の馬鹿げた取り締まりや支配的行為が滑稽に見えているのであって、 この流れはどんどん加速されて、支配する意味そのものが馬鹿馬鹿しく見えてくる 段階に達するのは時間の問題だという事です。 つまり民衆制圧、強要、支配そのものが崩壊するプロセスを私たちは見ているのであって、 支配するプロパタンダ情報よりも、カウンター情報の排出の速度のほうが早いため、 支配が追いつかないのです。逆に支配的情報が出されるたびに、支配者の意図ば暴露されるため 支配的情報すらだせずになっているのが現実なのです。あえて古い体質の機関がイキ絶え絶え 必死にその支配権をアピって頑張っている程度なのです。
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258 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 01:12:14.04 ID:11zgYRuz0 - 今頑張ってるのは、支配階層の上部です。頑張っているという意味は
本当の崩壊がまっていて、ドキドキしているのは、上なのです。 それは上の階層の人々でもあり、その正体は実は、老人達なのです。 もっとも弱い立場の人々なのです。あえてイキ絶え絶え言うことは、 私たちは頑張ってきた。だから…という意味不明な言葉が最後の砦なのです。 新しい人々は彼らにしてみれば、脅威なのです。 一方新しい人々は彼らを敵視するから、彼らも依然最後の力を振り絞るでしょうが、 体力差でいずれそれも決着するでしょう。そこからでしょう、新しい流れがはじまるのは。 そして双方、認め、じゃあどうするか?という所でまずは対等の議論の土台が造られるのです。 そこから、新しい制度が誕生してくることでしょう。
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263 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 07:58:37.81 ID:11zgYRuz0 - 市場経済の崩壊ってのは、実は、私たち自身に課せられる態度は、
放棄・解放・諦めなどの「どうでもいいじゃん的な態度」なのです。 なぜならば市場経済は今後も続くからであって、問題は、市場経済至上(原理)主義なのです。 ようするに世界全体が、カネの亡者化しているのであって、当然そこにある人々の態度は、 不足感が充満しており、情報の全てが今を肯定せず、不足を煽る事で消費活動のてこ入れを 行う仕組みが当たり前のように定着しているという事です。
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264 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 08:04:12.05 ID:11zgYRuz0 - その対極にあるのが、幸福の自給自足、つまり自己満足です。
食にも、幸福も、楽しみも、別に消費(購入)しなくても手の内にあるから、 カネは医療やエネルギーその他、にしか使用しないよ。というライフスタイルです。 そして楽しみや幸福の活動は必然的になんらかの生産活動に集約され、一部は、 他者のニーズにもこたえられるはずですから、それを分ける事で代価は十分在るという 流れや仕組みは作ることはできるでしょう。要は、市場経済の崩壊を加速させようと する必要はなく、市場経済のワナである不足の煽りに乗らない宣言するだけでいいのです。
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265 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 08:11:41.21 ID:11zgYRuz0 - 例えば、市場経済主義ってのは、スピードや効率ばかりに焦点化します。つまり人を物と
見なす思想なのです。そういう意味では、金食い虫の車には乗らないとか、買わずに 自分で創れるものは造るとか、修理を覚えるとか、修理可能なものを買うとか、 ゴミを出さないようにするなどが実質的な活動となりますが、 一番大きなハードルは、やはり人を物と見なさない思想なのです。 人を物と見なす社会とは、人間が邪魔だという排除の論理が露骨にまかり通りますが、 人が幸福に過ごせる事を第一条件とするならば、人は物ではなく基準となるのです。 但し、現状の人を基準とすると既に他者は物という思想、つまり市場経済主義に犯されているので、 そのような信仰は徐々に自分自身の中から追い出してゆかねばならないという事です。 これは過去自分がすがっている信念も放棄するという事ですから、大変な人もいるのです。 しかし既に放棄している人にとっては、日に日に生きやすくなるわけです。 どの属性に自分自身が居るかによって、今後の幸福度はばらつくわけです。
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266 :ジャンキー[]:2011/12/04(日) 08:17:57.17 ID:11zgYRuz0 - ようするに最悪の人を見て、ほっておく自分が居るならば、
それは、既に排除の思想で生きているのです。 ここに現状、コストを投入しないならば、どんどん最悪の人が増えるだけで、 結果的に崩壊します。さらに、いくら不足を刺激しても不買ならば、 商品も売れない。するといっこうに市場経済は発展しない。それどころか、 開発コストや継続をペイできずに自然消滅って事です。 大まかに書きましたが、今の流れは社会的には崩壊、個人的には放棄という キーワードで括られる出来事に集約されるわけです。踏ん張りきかすだけの 人々の意欲などもうないのです。
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