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11 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:23:34.73 ID:W4nxyXnV0 - >>9さんの栄光がそうさせたという事でしょう。
栄光とともに、次のステップに進みましょうか。
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12 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:29:26.47 ID:W4nxyXnV0 - 暴力について考えてみましょう。
まず私たちは暴力の手段やイジメの手段、ようするに権力や優越的地位を利用して、 その優越的地位確認の為のイケニエ儀式のマネをする神に嫉妬する人々についての 糾弾(キュウダン)方法を学んでいないという事が上げられます。 また、私たちは、報復、反撃、黒魔術、呪、武術いについても学んでいません。 つまり私たちは暴力に対して無知また、使い方など、まことに貧弱だという事です。 社会に出てやっと暴力を学び、その手法を儲けと称してカネを集めているのが、 この社会の現実です。
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13 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:34:03.84 ID:W4nxyXnV0 - 目に見える身体的ダメージを与える行為を暴力とするならば、その暴力は、
まことに遅い、末端の出来事であると言わざるをえません。 暴力はの種は既に暴力という実力行使以前にじわりじわりと火山の噴火の静けさのように 罪悪感という感覚をともない、個人的な妄想空間で噴火をまっているのです。 これを「制圧」と言います。制圧以前に「罪悪感」があります。 観念から発生する暴力は実はクセです。そのルーツは宗教に由来します。 もう一つは、獣の衝動であるなわばり意識です。ようすに距離感ですね。
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14 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:38:01.62 ID:W4nxyXnV0 - 暴力の目的は、権威の維持、縄張り意識(距離感)獲得による威嚇行為です。
生命は無目的な動作はしません。しばしば暴力は無目的つまり無意識に単なるキレとして 認知されますが、明確な理由があります。逆に言えば、理由なく暴力は成立しませんから、 素人がから見れば、それを知っている人が行う暴力の制圧はまるでバリヤが張られているように 見える時があるはずです。野獣化して、キレまくっている人間を何故、制圧できるの?と 思う行為を見たことがあるでしょう。彼らは本能的無意識的、あるいは意識的に知っているのです。
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15 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:43:33.70 ID:W4nxyXnV0 - 暴力の目的は、権威の維持、縄張り意識(距離感)獲得で、シンプルに言えば、
アピールです。殺す目的の暴力は有りません。殺したいほど観念的、罪悪感の増大による 殺意や縄張り確保がままならず、そのストレスに耐えかねて殺すというケースはあります。 これは他殺、自殺にも当てはまります。暴力は自分に向けるケースが罪悪感で、 他者に向けるものが、承認不足感です。 ようするに、自分なんてダメな人間だ!という感覚が両者の暴力衝動の根底にあるという事です。 簡単に言えば、自分は満足だ!と思ってる人は、別に自分を殺す必要も他人を殺す必要も無い。 自己満足しているその最中に暴力衝動が起こりますか?
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16 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:48:18.70 ID:W4nxyXnV0 - 経済発展も同様で、満足してれば、別に発展しなくてもよいのです。
ようするに自給自足ができていれば発展という暴力を振るう必要も無しって事です。 自国が豊になれば、みんなに分ければいいのですから、そもそも武力すら必要ない。 ブータン王子はそれを教えにわざわざきたわけでしょう。 まあ、それはそれでいいとして、話しをもどしましょう。 これまで話してきた事は暴力以前に暴力という獣化、血迷った、カルト化した、はたまた憑依状態の 人間の精神構造ってのはどんな内面の傷を抱え込んでいるのか?って事をお話しました。 また、あらゆる暴力に対する免疫や糾弾方法、さらに退治、対峙の方法は切迫した問題であるにも 係わらず、学校教育は暴力の原因は作っても、暴力を教えない。この矛盾的背景がみなさんに有るということを お話しました。
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17 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:53:26.68 ID:W4nxyXnV0 - 人間は常に暴力を行っているという現実をまず認知していただきましょうか。
ようするに現在のスキあらば儲けてやろう!という精神そのものが暴力的ですから、 現在の人々は常に暴力的な事をしているという視点で眺めてみるのも悪くないでしょう。 まず、ファッション、アピールするために、肩を怒らせ、クビに刀の代用、この軍服が スーツでしょう。過去の権威者が必ず腕組みや腰に手をあて、おきまりのポーズ。 俺は強いぞ!アピール。なにやってんでしょうね?女は女で、直ぐケツをまくって セックスできるようにスカートを穿く。実に暴力的でしょう。 ネクタイや学生服は犬の首輪と同様です。クビを締めるというのは制圧の象徴です。
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18 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 21:59:32.36 ID:W4nxyXnV0 - リクルートスーツ、窮屈ですね。そりゃそうでしょうよ。軍服だもの。
言うこと聞く奴隷ですよ!というようなものです。それでいて、 いつでも暴力振るう体勢になってるビジネスマン。 で資本家、経営者も同じ恰好をして奴隷ブル。でもやることはえげつない暴力。 私が何を言いたいのか?といえば、これは神のまねごとなのです。 ようするに西洋から入ってきた一神教の影響です。 権威主義とでもいいましょうか。ようするに力や人徳がなくても権威だけはだれでも みにつけられる馬鹿げた平等思想です。だから弱いものが成り上がれる。強いものも しいたげられる。誠実な者、正直な者はバカを見るわけです。
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19 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:05:09.94 ID:W4nxyXnV0 - 一神教の崩壊は権威の崩壊と階層の崩壊でもあり、貴族文化の崩壊でもあります。
私たちは人間をなんと定義するでしょうか?宗教によって違いますが、根強い西洋の 考え方は、罪人です。ようするに神に対してそもそも劣等感をもっているのです。 そして人々は神のマネをするのです。これは育てられた親のマネをするという ごく当たり前の、人間の成長過程の構造を説明しているにすぎないのです。 ようするに西洋文化は人間はダメだ!神は凄い!という馬鹿げた信仰がその正体なのです。 そして、その信仰は、今の日本人にもあり、上だ、下だという神のまねごとをしている。
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20 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:09:51.30 ID:W4nxyXnV0 - 西洋文化では権威主義という宗教があります。また別の地域には別の上下関係が存在し、
日本にも日本の上下関係の信仰があります。これらが密接に絡み合い私たちは、盲目的に ある種の信仰。つまり上の言うことを聞く!という思考停止のドグマ(教義)が形成されているのです。 科学の学会であっても、会社であっても、どの人間関係にもそのドグマはヴィールスのように 蔓延して、命というシステムを形成して、私たちはそれらに犯されてしまったわけです。 この上下関係上にまずは、観念的な暴力は成り立っています。人々の距離感を作る縄張り目的の 威嚇行動というものと観念的支配の手段としての暴力は区別しなければなりません。
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22 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:16:19.09 ID:W4nxyXnV0 - セックスの獲得という暴力、つまり強要は、男性目線の考え方です。
女性目線でのセックスの獲得という暴力の強要は、引き込むという暴力です。 ようするに釣りという暴力です。チラチラ魅せて、ガルブリと食いつかれる暴力です。 明確な身体的暴力や攻撃ほどベタな暴力はある意味分かりやすく素直でしょう。 しかし、引き込み、巻き込まれ、自爆、恨み、怨念、憑依という見えない暴力は じわりじわりと聞いてくるから気づきません。気づいた時には、もう犯されています。 これが黒(裏)の暴力です。殆どの人がこの暴力に無力です。やっている人も無意識に やっている。自覚してそれを指摘しても、シラバッくれる。だから実行動まで待たねば、 ならないという事後処理でしか発覚しないのです。
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23 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:23:06.96 ID:W4nxyXnV0 - 戦略、作為、小細工、屁理屈、これらは当たり前のようにビジネス社会では
もてはやされていますが、見破られた時点で意味をなしません。 なぜならば、目的は一つです。「欲しい」って事ですから。 不足感があるんでしょう。与えれば満足するわけです。 彼らが本当に欲しいものは、神様になることです。その神ってのは、一神教。 つまり絶対的な支配者なのです。つまり自分は誰かに支配されているとおもっているバカが 一神教を目指すって事です。 私が神であるならば、別に支配されないし、わざわざ彼らが信じる神のようになる必要もない。 彼らが信じている神様は偉いし、何でも知っていて、なんでも出きる存在なんでしょうね。 その力を使って、たぶん、みんなを奴隷にしたいのでしょうね。 奴隷が信じる神ってのが一神教って事です。これが観念的暴力の根元です。 実にワガママで幼い信仰なのです。
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24 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:29:09.10 ID:W4nxyXnV0 - そういうワガママでみんなを奴隷化したい奴隷特有の夢は、神に近づく競争ゴッコを
演出して、対立構造が大好きです。俺のが凄い、私のがキレイ。神と自分を常に 比較するのがこの信仰だからです。彼らがもっとも嫌う信仰は、こういう人々でしょう。 私は天才であり、私は満足し、私はヒーローであって、私は救世主。 こう思う信仰を彼ら奴隷宗教は糾弾するでしょう。だってそうでしょ。 お前は神か!そんな事はありえない。どう考えたっていいじゃないですか? 偉い人を作り、自分は絶対に偉くないというのがこの馬鹿げた信仰の正体なのです。 じゃあいったいこの信仰をしている人はどうやって自分を幸福にするのでしょう。 信仰を放棄することです。まあ、ある種の悟りって言ってもいいでしょう。
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25 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:34:48.81 ID:W4nxyXnV0 - 獣特有の距離感という意味での本能的に近い感覚的な威嚇行為については、
未知、無知に怯えますから、知ってしまえば距離が近づいても威嚇行為に及びません。 隣人がヤカマシイとしましょう。知っている人なら許せるが、知らない人だとハラが立つのです。 まったく安全な暗闇でも、まったく見えない場合は、歩くことも恐怖します。 この状態を嫌う為に、ある距離を取ろうとします。これが威嚇であり、暴力とは違いますが、 実力行使によって均衡を保つという意味で、人間関係上では不用意に相手を刺激してしまった 場合には暴力として受け止める事もあるでしょう。この場合は、相手の恐怖に近寄ってしまって 悪かったなぁ〜と反省すればいいわけです。
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26 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:41:31.75 ID:W4nxyXnV0 - 憑依や怨念については、オカルトならではの概念ですが、これが実際には
一番みなさんが日常で体験している暴力だと思います。 依存者からの無意識の念を受け止めてしまう事が憑依であり生き霊です。 仲良しの友人知人であっても内面のドロドロがこちらに憑依する場合もあります。 憑依という概念は受け止める方と出す方とのセットで形成され、単独で客観的に存在確認 できるものでは今のところありません。受け手のみが感じてしまう場合もあるし、 送り手のみが感ずる事もある。双方が意識しているならば、それは起こり得ません。 なぜならば、自覚した時点で、それは実行動として言動や行動に表れるから、 そのような無造作に想念だけが排出される状況にはならないという事です。
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27 :ジャンキー[]:2011/11/21(月) 22:51:57.79 ID:W4nxyXnV0 - よく霊能者が想念が見えるだの、オーラだの言うが、そりゃそうでしょう。
しかし、重要な事は自覚することで、さらに重要な事は、自覚する時には、 自覚できる時に自覚できるという時がある。その時がある。 人が何故生きているのか?その時々で学ぶ事があるからであり、学ぶという概念を 行うと置き換えてもいいし、考えるとしても、どう表現しても良い。その時々で、 その時々の事をしているでしょう?今も。それを今していることが生きるという事です。 この時しか、考えられない事がある。この時にしか感じられない事がある。 大麻を決めた時、とても良い時があっても、その時とまったく同じ時がないように、 その時が大切だと思う。今はこんな時だが、こんな時にもきっと意味が在る。 辛ければ辛いほど、死ぬのが楽しみになるわけです。 会社という過去でいう、阿片窟(アヘンクツ)に向かい、精神疾病や自殺をする人を救うのは、 大麻という正常に戻す聖なる草でしょう。などと私などは考えますね。
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