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もうすぐ正月。
一月一日。元日。
一月二日。
一月三日。
一月五日。
一月七日。七草粥。1。
一月七日。七草粥。2。
一月七日。七草粥。3。
一月七日。七草粥。43。
一月七日。七草粥。5。

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【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】

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【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
570 :もうすぐ正月。[]:2011/09/30(金) 02:57:49.11 ID:DM5Tf5nz0

お正月のお祝いと申しますとね、先ず1日元日がございます。
それから3日の正月のお祝い、5日のお祝い、7日の七草粥のお祝い、11日の鏡開き、
15日の小正月、20日の正月と申しまして、お正月の中で最後のお祝いの日となります。

どうしてその様に、1,3,5,7,11,15,20とお祝いが出来たのかと申しますと、
これは余程前からの話でして推定によりますと、今から大体2000年前、
コトタマの原理を隠してしまわなければならない事態になりました時に、
後世コトタマの原理を世の中に甦らせる時のよすがに、社会のひとつの行事として残せば、
後世の人があぁそうかと気付くであろう事を期待してこの行事を設けたのが、
この何回かの正月の行事になったと推定されます。1つ1つについて簡単に説明させて頂きます。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
571 :一月一日。元日。[]:2011/09/30(金) 02:59:09.38 ID:DM5Tf5nz0

古事記の冒頭から古事記の神話は初まります。

その第一、何にも無い心の宇宙に何かが起こる、今、ここ。
心と申しますのはね、過ぎ去った所、昨日に生きている訳ではありません。
又今から来ようとする、将来に生きている訳ではございません。常に今、ここ、で活動しているのが心です。

その活動する一番最初の動き、それは「天地の初めの時」と申します。
その初めの時に成りませる神の御名は天の御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と言いまして、
言霊の学問で言いますと言霊ウと成ります。

何かが有る。だけどそれが何であるかは判らない、という意識の兆しが判ります。これを言霊ウと申します。
この意識の兆しと言うのが心の中で文明的に進化しますと、これが自意識のウとなります。

今の人間が誰でもプライベートと言って、尊重するですな、言霊ウと進化しますが、
初めに起こります時は、ただ何かが有る、と言う意識の芽です。
これが初まりですから、この天地の初めの時、これを一と充てまして元日と申します。
全ての人間の活動の初まりとして「一」を充てます。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
572 :一月二日。[]:2011/09/30(金) 03:01:06.05 ID:DM5Tf5nz0

次に高御産巣日の神、神産巣日の神と言います。
その何か判らない意識の目、つまりウが人間の心の中に何だろうと疑問詞が初まると同時に、
瞬間的に主体と客体に分かれます。主体の方を言霊アと申します。
客体の方を言霊ワと申します。

昔の言葉で自分のことを吾(アレ)と言います。
又相手のことを我(ワレ)と言いまして、今でも地方ではお前のことを「われ」と言う所があります。
アとワに分かれます。
主体と客体に分かれませんと、人間の文化は決して起こって参りません。
わたくしとあなたがあるからその間に何かが起こるであろうと思って、意識が色々な活動を始めます。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
573 :一月三日。[]:2011/09/30(金) 03:03:12.94 ID:DM5Tf5nz0

それでその意識の消息をですな、昔の2500年程前の中国の老子という方は、儒教のはじめのところで
「天地(てんち)が動いて一を生ず。一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず。」と言っております。
三つが集まりますと、ここから精神的に一切のこの世の現象が初まりますので、このウ、ア、ワは造化三神と申します。

この「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生じる」と申しますので、三日正月。
全ての事が初まる一番の大本はこの三が集まらないと起こらないよ、と言うので、
造化三神の事を記念して正月三日をお祝い致します。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
574 :一月五日。[]:2011/09/30(金) 03:04:47.46 ID:DM5Tf5nz0

ウ、ア、ワと起こりますと、次にアが5つの次元に分かれます。
アオウエイ、そしてワも5つの次元ワヲウヱヰに分かれます。
この五つの次元のことを儒教では五行と申します。
木火土金水(もっかどこんすい)というものです。

インドの哲学では五大と申します。地水風火空(ちすいふうかくう)と言います。
吉川英治の書いた小説の宮本武蔵は、地の巻、風の巻とか言って、この事を使っておりますね。

この五つの母音は、人間の心が住んでいる心の家の事を表します。
後で大祓祝詞に入ります時に詳しく説明しますが、これを五行と申します。
この五行は全て人間の心の住処に五段階の次元が有ると言う事を表します。

これを表わす為に五日正月と申します。
心の構造を一つ一つ明らかにして行く、その節目を、正月の行事として後世に残そうとしたのです。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
575 :一月七日。七草粥。1。[]:2011/09/30(金) 03:06:38.99 ID:DM5Tf5nz0

その次は七日正月。いわゆる七草粥を食べて祝います。
それはウ、ア、ワが揃いましてその次に出て来ますのが、オとヲ、エとヱこれが心の中に現れてまいります。

オと言うのは人間の経験知のことです。経験知の中のオは主体の方。ヲは客体の方を示します。
エは選択智。オは今まで起こった事を考える人間の知識ですけれど、
エはこれから起ころうとする瞬間にはどうしたら良いかという、いわゆる選択智、実践智の主体と客体を示しています。

これで母音が全て出尽くしますので、七日正月と言います。これを記念して七草粥を食べます。
お粥の中に七草ですな。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロと申します。

これは中国から来た風習だと、大概の辞書に書いてありますが、それは大変な間違いでございます。

何故間違いかということは、これからのお話でお解かりになると思います。
秋の七草には言霊の原理はありません。これは後世、春の七草になぞらえて人為的に作ったものの様であります。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
576 :一月七日。七草粥。2。[]:2011/09/30(金) 03:09:28.77 ID:DM5Tf5nz0

春の七草は完全に言霊の原理から来た名前ですのでこれは直ぐ説明がつきます。
セリ、ナズナ〜と、この順序で説明したら、何の事かさっぱり解りません。次の通り説明していきますとご理解いただけます。

先ず最初に、スズナ、スズシロです。スズナと申しますのは蕪のことです、
人間の顔を横から見て「あっ」と口を開けた形ですね、この口を動かす事で言葉が出ますから、
この口を開けた形は人間の一つ一つの言葉を表わしまして「鈴」と申します。
なぜスズと名づけたか、がわかりますと、日本語というものがどれ程素晴らしいかがよくわかります。

五十音の鈴をお祭りした宮なので伊勢神宮の事を五十鈴の宮と申します。
五十音、スズナに続いて出てまいりますのがスズシロです。スズシロというのは大根の事ですが、
シロというのは場所と言う意味。ナワシロ(苗代)と言うと苗を植える場所です。

スズナが言霊でしたらスズシロはそれを植える所、ですからこれ、五十音図になります。
言霊と五十音図が出てきたら、そこには縦にア、イ、ウ、エ、オというゴギョウが揃っています。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
577 :一月七日。七草粥。3。[]:2011/09/30(金) 03:10:41.94 ID:DM5Tf5nz0

ゴギョウ(五行)の事はこれはペンペン草ということです。
屋根にペンペン草が生えていると言ったら、その家はダメだと言うことになりますが、五行が揃っていたら大したものです。
人間の心の中の五行が自覚されたら,これ仏教で言うお不動さんです。

日本で言うと天の橋立と申します。天の御柱。
「両頭を裁断すれば一剣天に寄って寒し」という禅の言葉があります。
両頭、二つの頭。二つの頭というのは、自分のことをああだこうだと反省する、と、
もう一つは相手の事を何だかんだと批判すると言うこと。

自分のことを反省して悩む心と相手の心を批判して攻撃する、この二つのくだらない事を、
つまり、両頭を裁断するというのですから、
ピシャーと二つ共切ってしまえば「一剣天に寄って寒し」。

鋭い刀でたとえられる、カタナではなく両刃の太刀、つまり、
天与の判断力が天の彼方から地の底に到るまでずらーっと通っているよ、
なぜ人間はその判断力に頼らないで、なんだかんだと年中やっているんだ、という訳です。
この判断力の事を五行と申します。
言霊の学問で言うとア、イ、ウ、エ、オという五母音のこととなります。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
578 :一月七日。七草粥。43。[]:2011/09/30(金) 03:11:29.85 ID:DM5Tf5nz0
一月七日。七草粥。4。
この言霊であるスズナとそれを入れておく五十音図があったらそこに五行があるでしょ、と言うのです。
五行をどういう順序で並べていったら良いかとセル。
セルとは今の言葉で言ったら選ぶ、選る(よる)という意味です、昔はセルと申しました。

今でも有りますな、市場へ行くとセッてます。これは俺が買うか買わないかをよるんです、セルのです。
セリと言いますね、五行を選って行きますと、物事が運んでいくようになります、進展していくようになります。

そうすると、横に「な」の綱が出来上がります。
「な」の綱の事を住吉の神と言います。
大阪の住吉区に大きな神社があります、その神様、今は船乗りの神様となっていますね。
どういう訳かというと、綿津見の神と申しまして、これが海の綿と捉えまして、
海を渡るからわたつみ、そして海の神様になったのですが、実はそうじゃありません。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
580 :一月七日。七草粥。5。[]:2011/09/30(金) 03:13:53.64 ID:DM5Tf5nz0
一月七日。七草粥。5。
ここに出発点があって人間の心の目的が向こうにあったら、どうしたらこっちからあっちへ渡れるかって、
仏教で言うと石橋(シャッキョウ)と申します。此岸から彼岸に渡す、地獄から極楽に渡す道、のことを言いますが、
そこにナズナ(名綱)が出来ました、
ナズナが全部出来上がりますとこれがホトケノザ(仏の座)。

すなわち五十音の並び方がアイウエオでなく
アイエオウと並ぶ天照大神と言われる五十音図が出来上がりますとそれで完結です。

この様に、この七草の一つ一つの名前は言霊の原理から発した名前でございます。
こういう所に、この原理の名を留めて置いて、
後世の人間が言霊の原理又は布斗麻邇の学問があるということに気がついた時に
、あっこれは先祖がこういうものを残している位だから、
先祖から授かっている日本伝統の学問があったんだ、と悟るように、こういう名前をつけて頂いたのだということが解ります。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
581 :一月十一日。鏡餅。1。。[]:2011/09/30(金) 03:16:31.03 ID:DM5Tf5nz0
一月十一日。鏡餅。1。
七日が過ぎますと、十一日です。十一日を鏡開きと申します。
剣道や柔道の練習、寒稽古を致しまして、最後に十一日になりますと鏡餅を砕きまして、お汁粉に入れて食べます。

これで寒稽古終りました、と言ってお祝いを致します。どういう意味か。
鏡餅を崩して開いて食べるから鏡開きではございません。

それは象徴的な事でして、十で持ってですな、人間は十段階の心構えで、と言ってもちょっとお解かりにならないかも知れませんが、
五行と言うのを逆さにひっくり返しまして、つまり一、二、三、四、五、から
今度は六、七、八、九、というひっくり返したものの五段階を作るという操作をしますと、
そこに上下揃った百の音図が出来上がります。

いわゆる鏡餅と申しますは、上の一段、その下に少し大きい下の一段と、二段で持って出来上がります。
これはどういうことかと申しますと、上の鏡餅で五十の言霊を表わします。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
582 :一月十一日。鏡餅。2。。[]:2011/09/30(金) 03:18:19.16 ID:DM5Tf5nz0

下の鏡餅で、その五十個の言霊を心の中でどう操作運用したならば
人間の持っている心の最高、理想の精神構造が出来上がるかと言う、
五十の操作法を表わしします。

上の五十個の言霊をお祭りしてあるお宮が、伊勢神宮でございます。
下の操作法、五十の言霊をお祭りしたのが奈良の天理市の奥の方にあります石上神宮(いそのかみ神宮)です。
これは当て字です。「五十神神宮」が本当の名前です。

この五十個の言霊と五十個の操作法の言霊を併せますと、
10の2乗になります。これで言霊の原理は全部でございます。完成致します。

完成するまでに順序だてて勉強する事をたすき(手次)と言います。
侍が決闘をする時に襷(たすき)を掛けますな。あれと同じです。漢字では手次と書きます。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
583 :一月十一日。鏡餅。3。。[]:2011/09/30(金) 04:45:09.07 ID:DM5Tf5nz0
何も無い所から一つ一つ検討しまして、言霊の原理を一つ、解った。二つ、解った。三つ、解った。
と指を一本一本しまうように進み、十段階で全部の指十本が握られた時に、「解った」となります。

いわゆる法則として物事の道理を掌握した事になります。これを握手(にぎて)と申します。
神社の注連縄(しめなわ)の所に垂れ下がっている紙がありますが、
あれを幣手(にぎて)と言います。こうやって手を握るからにぎ手(握手)。

十で握手。十一からはそれを1つ1つ開いていって、その法則を応用して文明を創造する事となります。
それを第一条何々、第二条何々と法律に決めていきます。

そして、それは一つ一つ手を起こして行きますから起手、つまり掟です。
こうして握って、掌握した法則は今度は十一番目で起こして行きます。
手を起こすんじゃなく指を起こすのだろうと、そういう屁理屈は言わない事(笑)。
こうして手を起こして行きます。それで起こしはじめが十一日。これで鏡を開くと言います。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
584 :一月十一日。鏡餅。4。。[]:2011/09/30(金) 04:46:24.73 ID:DM5Tf5nz0

一段目と二段目で鏡餅です。五十の五十で百。百で完成します。人間の行為の鏡となるもち。
これは百の道でもち(百道)です。百の道を形どるのに餅を使ったのです。

実はご神前にこの餅をお供えしてお祝いをしますが、神様ご苦労様でした、
これをお召し上がり下さいと言ってお餅を上げる訳ではございません。
神様に捧げたって何にもならない。

神様の前にお供え餅を上げると言う事は、
神と称するものを我々人間は、この事だ、と承知しておりますと言う事を表わしているのです。
このように(百の言霊)鏡餅を開いて、いよいよ実践が初まると言うのが十一日の正月の意味でございます。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
585 :一月十五日。[]:2011/09/30(金) 04:52:04.44 ID:DM5Tf5nz0

十五日は、先天のウから始まってア、ワ、に分かれエ、ヱ、オ、ヲと続き、これで七つです。
次に何が起こるかと言いますと、この人間の先天の最後に来ますイとヰという、、
伊耶那岐、伊耶那美ですね、人間の生命意志、
人間の心の奥にございます文明を創造する最高の意志、創造意志と言われるものが一番最後に出てまいりますけど、
その実際の働きはチイキミシリヒニという八つの父韻で表わされます。

その次にイ、ヰという伊耶那岐、伊耶那美の命が現われて、ここで創造が初まりますが、
意志が働くそのものの内容はウ、ア、ワ、エ、ヱ、オ、ヲ、チイキミシリヒニですので、
この十五が揃った時に初めて、宗教でいえば最高主神と呼んでいます、
人間の心の一番奥にある活動の源泉、人間が生きていく為の根本の力動、
原動力であります生命意志が働く条件がここで整います。

そこでこの整った内容が十五個ありますので十五日の正月を小正月と申します。
イ、ヰを含め全部が揃うと大正月となりますが、この「内容が整った」という事で小正月と申します。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
586 :一月二十日。フトマニ1。[]:2011/09/30(金) 04:54:04.23 ID:DM5Tf5nz0
一月二十日。フトマニ1。
次は二十日正月。二十日正月というのは、こういうことが起こりまして、
いよいよ心の現象が出てまいりますけど、出た現象が三十二、先天の現象十七と合わせて四十九。

それに、その四十九の言霊を神代文字で表わした、神代文字化の作業をしたことを一つとしまして、言霊ン、
つまり運ぶという事ですね、これを加えて五十個の言霊が人間の心を構成する要素の全てとして捉えられます。

そして五十の言霊を操作する事によって百の道、鏡餅の餅、百道が出来上がります。
その百道の原理の事、言霊の原理の全てを布斗麻邇と申します、
今は太占と書く方がほとんどですね。

この字「占」が入るものですから占いととってしまうのです。
筮竹(ぜいちく)もそうですし、神道では亀の甲羅を焼きまして、
その焼いた裂け目の模様で吉凶禍福を占ったり、又鹿の肩骨、肩甲骨を焼きまして、
するとヒビが入りますから、そのヒビの模様の状態で、今年は豊作か凶作かとか、この戦争は勝つかどうかとかを占いました。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
587 :一月二十日。フトマニ 2。[]:2011/09/30(金) 04:56:44.66 ID:DM5Tf5nz0

その事に今はとらわれてしまっていますが、昔はそうではありません。
布斗麻邇というものの原理が崇神天皇の時に隠されまして、
人間の心がどういう構造になっているかと言う事を日本ばかりでなく世界中の人が忘れてしまいましたので、
そして、それに替わって、筮竹とか、鹿の肩骨を焼くという占いが初まったのです。

実はそうじゃない、この原理から見れば、将来がどうなるかはたちどころに解るのですが、
原理を隠してしまいましたので、この占いが始まってしまったのです。

占いの語源をご存知でしょうか、「占」これ一字でうらないと言います。
うら淋しい、うら悲しい、と申しますが、「うら」というのは「おもて」が顔としますとその「うら」は心です。
淋しい顔は顔が淋しいのではなく心が淋しいのですから、その心は裏に有りますので、心の事をうらと申します。

その「うら」の要素、一つ一つの言霊の要素を縄を編むように「ない」ますから、それで「うらない・占」といいます。
これが語源です。これで十五が揃って来ますが、この十五を全部応用しまして最後にこの布斗麻邇の原理というものを得ます。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
588 :一月二十日。フトマニ3。[]:2011/09/30(金) 05:04:35.31 ID:DM5Tf5nz0

この布斗麻邇と申すものの意味は、皆さんもうお気づきでしょうが、二十(フト)です。
麻邇は言霊です。麻という真で真実、絶対に見間違う事なき真実。
それを言葉にしますと真実に最もよく似ているもの。

人間の宿命で真実に最も近いものは表現できますが、真実は表現出来ません。
清水の舞台から逆さに飛び降りても真実=真実は絶対に出て来ません。
人間の能力のほかになります。それで、真実に最も近いものということで麻邇(マニ)=真似という事。
似は第二次的という意味です。

それで麻邇は世界語でして、キリスト教ではマナと言います。
神の口より出ずる言葉なり、と聖書に書いてございます。
仏教でもマニと言います、摩尼宝珠と言います。
ヒンズー教ではマヌと言います。

マヌの法典という、立派なヒンズー教の法律の書物が残っております。
日本では麻邇、この布斗麻邇(フトマニ)の本当の意味は二十の言霊ということになります。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
589 :一月二十日。フトマニ4[]:2011/09/30(金) 05:08:05.90 ID:DM5Tf5nz0

何故二十の言霊が言霊の原理の全てなのかと申しますと、五十音図を想定なさいますと
縦に五つずつ十の行が並んでおりますな、その内に濁点がつけられる行は4行しかありません。

ア段をとりますとカ、サ、タ、ハ、の4行です。そして横の段も入れると全部で20。
この4行20個の言霊の実相が解りますと言霊の原理は全て解った事になるのです。

どうして?とお思いになる方は私の所へいらして、目と目を見合いながら、はっけよいと、真剣勝負をさせて頂きます。
人間の言葉と申しますのは、ただ人から人へと心を移す為の道具としてだけ、ではないのです。

聖書のヨハネ伝に「はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。」
と書いてあります様に言葉が神なのです。
人間はしゃべっている時に言葉を使いますが、
しゃべる前、考えている時、思う時も全て言葉で考え、思っております。言葉が全てなのです。
【大峠入口】 日月神示 第十八巻 【肯定派専用】
590 :一月二十日。フトマニ5[]:2011/09/30(金) 05:13:45.87 ID:DM5Tf5nz0
一月二十日。フトマニ。5。
その内のカ、サ、タ、ハの濁点が付く方は人間の心の主体の方を表わす20音です。
濁点のつかないナ、マ、ヤ、ラはそれに応答するだけの客体の方です。
ですから心の主体の方の20の言霊の実相が解りますと人間の心の全部が解ってしまうこととなります。

すると、20の言霊つまり布斗麻邇が完成いたしますので、
それを後世に残す為に二十日正月という制度を設けたのであります。
これが言霊の原理の結論になりますので、二十日正月で終りという事になります。


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