- 【結局宗教化】 日月神示に眉唾 その3 【否定派】
56 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 07:36:54.03 ID:eHtG8fEJ0 - 言霊学の歴史
http://wiki.livedoor.jp/niwaka368/d/%B8%C0%CE%EE%B3ؤ%CE%CE%F2%BB%CB 一、大昔、日本人の祖先の長年の研究の末に人間の心の構造が解明され、アイウエオ五十音言霊の原理として完成されました。 二、その原理を保持した聖の集団が地球の高原地帯からこの日本列島に渡って来ました。そして、まず、原理に基づいて日本語を作ったのです。 また、その日本語が表現する実相そのままの社会・国家体制を築き理想の精神文明を創造しました。 三、精神文明の成果は世界中に伝播し、地球上には数千年にわたって精神文明繁栄の時代が続いたのです。 世界の各民族に今なお現存する神話は例外なく「大昔、精神的に豊かな平和な理想時代が存在した」ことを伝えています。 これらは事実存在した精神時代を、神代という表現で後世に伝えたものなのです。
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57 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 07:37:50.97 ID:eHtG8fEJ0 - 四、歴史のある時点に、その時までの精神文明に次いで物質文明の創造が急務であることを感じた聖の集団は、
精神文明の基礎である言霊の原理を一定の期間、方便として世界の人々の意識から隠してしまう方策を決定したのでした。 なぜなら物質文明は生存競争の場においてのみ、その創造は促進されるからです。 物質科学研究は弱肉強食の競争社会において、最も急速な進歩を遂げることは現代人がよく認識するところでしょう。 平和・互譲の精神時代は方便として終焉を告げることとなりました。三千年程前、日本からの精神文明の輸出は停止され、 二千年前、日本においても言霊原理の社会への運用は完全に停止されてしまいました。 五、この文明創造の方針の大変革に当って、日本の政府では種々の準備に万全を期しました。 そのいくつかの例を次に列挙することにしましょう。
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58 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 07:39:38.03 ID:eHtG8fEJ0 - A.言霊の原理の自覚を表す三種の神器(鏡・曲玉・剣)は、代々天皇の御座所近くにおかれていました。
二千年前、崇神天皇の御代、三種の神器を伊勢五十鈴の宮に天照大神という神様としてお祭りして、 天皇から切り離してしまいました。 この事実は「日本書紀」崇神天皇の章に詳しく載っています。天皇が実践智の鏡である言霊の原理の自覚を失ってしまったことを意味します。 この歴史的事実を「天皇と神器との同床共殿制度の廃止」と呼んでいます。 B.言霊の原理はただ世の中から忘却されたのではなく、物質文明促進のため、 一定期間、方便のため世の表面から隠されたものです。だから物質文明が進歩し、完成に近づいた時には、 再び日本人の脳裏に蘇ってこなければなりません。そのための施策が色々講ぜられたのです。
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59 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 07:42:09.59 ID:eHtG8fEJ0 - C.三種の神器のうち、特に八咫鏡を天照大神としてお祭りした伊勢の神宮の本殿の構造を
現代まで「唯一神明造り」と呼んでいます。 その建築構造は、時が来て言霊の原理からみると、アイウエオ五十音図にそっくりそのまま写しかえることが出来るように造られています。 五十音の言霊を並べて人間の精神の理想構造を表したものを器物として形どったのが八咫鏡なのです。 唯一神明造りとはただ一つの神の内容が明らかとなるよう造られたもの、という意味です。 例えば神宮の最高の秘儀として尊ばれる本殿下の「心の御柱」を初めとして本殿の構造、 千木、鰹木に至るまで、言霊の原理に則って形づくられています。 D.宮中の重要な儀式の中に言霊の原理は巧妙に取り入れられました。 例えば先に行われた天皇一代に一度の大嘗祭や、天皇の子が皇太子として立つ儀式の一つである壺切りの儀など、 今では宮内庁の人々でもその意義が分からなくなってしまっていますが、言霊の原理からみると、 どうしてその様な形式で行うのかが一目瞭然となります。 日本人の宝である原理を儀式の形で後世に伝えようとしたわけであります。
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60 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 07:44:33.85 ID:eHtG8fEJ0 - E.そしてこの章の主題である「古事記」・「日本書紀」の神代の巻の神話も、以上お話してきました趣旨に基づいて編纂されたものです。
崇神天皇が言霊の原理を信仰の対象として神様に祭ってしまって七百年、 言霊の原理は名実ともに日本人の意識から完全に忘れられようとしている頃、方策の最後の手段として計画され編纂されたのが 「古事記」・「日本書紀」だったというわけです。 言霊の原理は、将来の日本人の意識に甦る時に供えて確かに後世に伝えねばならず、 そうはいっても当面の方針に従って明らさまに書くわけにいかず、当時の聖達はさぞ苦心したことでしょう。 その結果、神話という形で言霊の原理の詳細を遺すこととしたのです。 その苦心は見事に「古事記」・「日本書紀」の神代の巻としてまとめられました。 今、言霊の原理がはっきりと解明され、理解された眼で記・紀の両書を読みますと、 一字一字、一行一行驚くべき新鮮さで心の中に神話の物語が元の言霊の原理となって甦ってきます。 最初の「天の御中主の神」から五十番目の「火之迦具土神」までが、それぞれ言霊の五十音を表徴した神名であり、 五十一番目の金山毘古の神から百番目の須佐男の命までが、言霊五十の運用法なのである ことが明らかに理解されてくるのです。
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61 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 07:46:53.27 ID:eHtG8fEJ0 - しかも最初の五十の神々が五十音のどれを表すかの要点は、宮中の賢所に二千年間保存されてあったと聞きます。
賢所とは文字通り世界中で最も賢い所であるということがいえましょう。 「古事記」や「日本書紀」の神代の巻の神話が、日本固有の学問である言霊の原理の教科書なのだ という筆者の主張に対して、当然起って来る疑問に対する解答をお話してきました。 これをお読みになった読者の中には「そんな話は日本のどんな歴史書にも載っていない」と眉に唾される方が多いことでしょう。 ただ話を聞いただけではそう思われるのも当然のことです。しかし、もし読者が「古事記」の示す天の御中主の神言霊ウ……と、 先に心の先天構造の項でお話したことを読者ご自身の心の中に分け入って確められるならば、 そして言霊の原理が確かに生きている人間の心の構造を明らかにしている事実に気付かれるならば、 この本に書かれたことが真実かも知れない、と思われるに違いありません。 それらの証明は、この章の次からお話いたします事柄の数々によって、確めていただきたいと思います。
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87 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 16:39:43.94 ID:eHtG8fEJ0 - >>76。「 バカなこと」
どこの時代どこの国のひとたち、われわれも、何かあると聞けば知りたい思いをもちます。 それが思想であっても、あるかもないかもしれない新天地であっても、得られるか得られないかもしれない物であっても同じことで、 人間という生物の移動範囲は恐ろしく広く、また拡げていくものです。 「バカなこと」という76氏の言葉もその心持ちを現した文章です。 仕える仕えないはまた別のことです。 易の教理、ユダヤの教理、仏の教理の出所は、神代の巻と付き合わせればいいことです。
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91 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 17:24:05.46 ID:eHtG8fEJ0 - >>67。「 精神文明、精神文化は世界中どこにでもある。日本が輸出したわけではない。」
「どこにでもある」 と 「日本からの」とがあるのは当然です。 ですので、「日本が輸出したわけではない」というのは、両者を混同しています。別々にあって当然です。 あなたの意見があり、わたしが輸出した意見がありますが、あなたの意見形成にわたしが係わっていないとは言い切れません。 大和日本は今後の世界の為に言霊の精神原理のことは言うことを停止したということです。 その代わりに、「どこにでもある」人と世界の仮の発展進歩のために別の道を用意したということです。
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100 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 20:48:53.85 ID:eHtG8fEJ0 - >>98。
もし、知ってみたい意志がおありならば、次のページを開けてみてください。 http://www.futomani.jp/lecture/no215/no215.htm 中程から講座がはじまります。 その後のこと、ご縁の有る無しは私の関知することではありませんので、 ただチャンスを活かして欲しいと願うだけです。
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102 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 21:42:02.62 ID:eHtG8fEJ0 - >>101。
「よくわからない」のに 「その関係性」を聞いて 「説明」され 「好奇心を満た」し 「自己満足」する、 ということも「よくわかりません」。 ただ言えることは「よくわかりません」が、「身魂磨き」とかいうものは、 必要最低条件になるでしょう。当然の通過点になるもので、 そんなものは基本要求ではなく、未来の努力目標でもありません。 神示さんの文章の書き方を見れば良く分かると思いますが、(そのやさしい絶対命令口調)、 この文章はその最低条件を満たしていないのがよく「分かる」でしょう。 従って、もしわたしに聞いているのならおかど違いですし、 わたしが答えるというのもお門違いですね。
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105 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 21:57:52.90 ID:eHtG8fEJ0 - 確かなことは、
日月神示は古事記の神代巻の解説をする下位文書ということです。 つまり、 古事記の本文は、神代巻の文庫本で十数ページの三貴子まで、これが言霊学の原理原則です。 その後の神代巻は、その解説で、 そして、そのまた解説が神示や、多くの古文献等です。 その後に、付録に天皇の皇統紀が付いています。 古文献の多くが皇統紀を扱うより、神代の巻を扱う理由はここにあります。 こんなことをいうと、大変怒る方もいますが、 どんでん返しはもっと凄いものです。
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108 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 22:17:44.01 ID:eHtG8fEJ0 - 日月神示は言霊学を適応すれば、わたしみたいなものでも簡単に解けるところがあり、
他のひとたちが、訳者、解説者、ファンたちの読みは字面だけというのがすぐわかります。 もちろん字面だけを実行しても人としてよい行いになるというのは、原理原則がそうなっているからで、 別に言霊学を学ばなくともよいようになっています。それほど言霊学の原理は強力ということです。 関心がなく、うさん臭いと思えばそれでよく、取るも捨てるも、神代巻の原理原則に則っているというだけのことです。
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110 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 22:25:50.08 ID:eHtG8fEJ0 - >>106「神示は古事記の解説書」
繰り返しますが、「神示は古事記の解説書」ではなく、 古事記『神代の巻』の冒頭の解説書です。 天皇皇統紀は付録ですので。 まだまだ大きな声では言えないようですね。 原本となる証拠は御賢所にあることは分っていますから、 次期あるいは次々の次ぎあたりには、はっきりするかもしれません。
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112 :あらわれているのじゃ[]:2011/09/09(金) 22:45:04.31 ID:eHtG8fEJ0 - 「身魂」。なぜ神示さんはわれわれに対して身魂というか。
「身魂とは神民の申す身魂でないぞ、 身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、」 通常神道では荒魂、和魂、幸魂、奇魂の四魂、または、一霊四魂で現し 身(三)魂とは言わないのです これも字面上、魂を磨くことは結構なことですからそれにこしたことはありません。 「神民の申す身魂でないぞ、」と言い、わたしがわざと身を「三」としたことには理由があります。 神示さんがわれわれにいう時の身魂には二つ欠けているのです。本来は五つでなくてはなりません。 ここから先は言霊学になります。
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