- 本当にやった復讐 4
241 :本当にあった怖い名無し[sage]:2011/06/30(木) 14:40:06.00 ID:Vn9h8hXS0 - 心を壊して入院してたことがある。退院したのは30歳の時。浦島多呂子とでも。
私の記憶は大学生活の途中で途切れ、24歳位からの牢獄じみた生活で再開されてる。 空白の期間に何かあって、幻覚の幸せな生活の中に埋没して、戻れなくなったのね。 そこから日常生活に戻るまでに色々とやったけれど、興味がある人いるなら書くわ。
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249 :1[sage]:2011/06/30(木) 15:37:27.82 ID:Vn9h8hXS0 - 24歳の時に意識を取り戻した。
目覚めた時私は椅子か何かに座らされていた。 頭や腕などにいろんな機械みたいなものが接続されていて 硝子の向こうの白衣達が私を見ながら驚いた顔をしているのがわかった。 目の前にも医者がいた。周囲を見渡してる間は気にもしなかった顔だ。 唯一話せる距離にいるのがその男だったので、その顔をみた。 すると、とてつもない恐怖がこみ上げてきた。理由は分からない。 私は助けてと叫んで、接続されたコードをひきちぎるようにして(或いはひきちぎって)ドアにかけよった。 意識を取り戻したものの、私は、隔離病棟に置かれた。 錯乱状態のように見えたらしい。ただ、意識を取り戻して以降の記憶ははっきりとしている。 弁護のように思えるかもしれないが、私は、正気だった。 医者が自分を助けてくれたという認識はちゃんとあった。 その彼から逃れようとしたことを後悔もした。 残念なことに、精神を病んでいるという先入観でみてくる医者達には、それは伝わらない。 そして、もう一つはっきりしていることがあった。 それは件の医者-彼をAとしよう-が目の前にいるととてつもない恐怖がこみあげてくることだ。 それが、折角意識を取り戻した自分の立場を悪くすると理解していたから。 私は、極力この恐怖を抑えていた。 半年程経過する間に待遇が、微々たるものだが向上。 私の知るより、白髪の増えた両親とも再会した。 とても複雑な顔をしていたが喜んでくれた。 妙にキテレツなファッションをして、私を笑わそうとする努力も絶やさない優しい父母だ。 私の心は、Aの診察の時以外、穏やかなものになった。 はやく退院して、仕事を決め、両親を安心させたい。 そんなささやかな願いを抱きはじめた。 そんな願望は、院長先生自らの診察の時 当分退院出来ないとはっきりと告げられて砕け散った。
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250 :2[sage]:2011/06/30(木) 15:39:41.54 ID:Vn9h8hXS0 - 両親以外、誰も面会に来てはくれない生活。
医者と看護師以外、まともに会話できる知性のある人もいない。 テレビを一日中みつめて涎を垂れ流している老婆や 拘束服に身を包ませられながら、こちらを血走った目で見つめてくる男といった おぼろげに覚えていた平和な日常とは、まったく違った環境。 段々と、病院そのものが、私の精神を疲労困憊させていった。 患者の立場で退院を求めても、医者の立場でそれを拒否される。 バイトをして稼いだお金を両親に少しでもお礼として渡したい。 それがダメなら、せめて、毛糸で編物をして両親にプレゼントしたい。 これらの望みも却下されてしまった。 病院の仕事の手伝いをするから、十円でいいからお願いしますといってもダメだった。 その十円で、駄菓子でも買ってきてもらって、自分の手で渡したいと思うことすら許されない。 両親にその悩みを打ち明けると、両親は大層喜んだ。 「そのうちきっと、あ○○○(しゅばとかしぇばとかそんな音)様がお前を助けてくれるよ」 無情にも時間だけが過ぎていった。 私は病院で25、26のバースデーを迎えてしまった。 両親がケーキをもって祝いにきてくれたのが救いだった。 その間、あ○○○様の名前をなんども聞いた。 発音しにくい名前をやたら正確に発声していたから 呼び間違えてはならない名前なんだと察した。 私のせいで、両親がカルトにでもはまったのかと思うと 夜中に唐突に涙が溢れて、一睡もできない日もあったように思う。
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251 :3[sage]:2011/06/30(木) 15:43:36.75 ID:Vn9h8hXS0 - 27歳になったある日。チャンスが唐突にやってきた。
外の病院から、偉い先生の一団がきたのだ。 彼らは隔離病棟にやってきて、特に私をとても興味深く観察していた。 声はきこえなかったが、Aはやたらと彼らを急かしていた。 最初に抱いた恐怖からはじまり、わたしはAを信頼していなかった。 この時、Aは私が外に出てはまずいのではないかと思った。 彼の考えとは裏腹に、私は普通に振舞った。 久しぶりに見る、見慣れてない顔。 手を振ったり、ガラス越しに筆談してみると、一団は硝子の向こうで院長先生と何かを話しはじめた。 結論から言うと、私には外出許可が降りるようになった。 一団と私は面談し、そこで私は精一杯、私が快方に向かっていて この牢獄のような場所から解放するに足る人間だとアピールした。 アピールといっても、媚びるわけではない。 ただ、普通にするだけ。妙な態度のAに対する怒りを隠しただけ。 仕事もさせてはもらえないけれど、週一で、3時間も自由になった。 仕事っぽいことでもして、せめて気を紛らわそうと 近くの公園にでかけていって、清掃することにした。 かの一団は、この病院の上部組織の医療法人のお偉方だった。 彼らは、幻覚の世界から戻ってきた私に、大変興味を示してくれてた。 私は彼らの求めには素直に応じた。 そして徐々にAへの不信をあらわにしていった。これが、私の策略。 担当医師をAから別のものにさせたかった。 よしんば、転院を勝ち取ろうとも。 28歳のバースデーに、私は転院というプレゼントを勝ち取った。 一団の中でも最も若手だった40代のN様の病院が私の転院先に決まった。 転院の日、Aが私を凝視していたのが、とても気になった。
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253 :3[sage]:2011/06/30(木) 15:48:10.21 ID:Vn9h8hXS0 - 私はN様のもとで、みるみるうちに回復した。
それはそうだ。目が覚めて以来のストレス源は病院そのもの。 監禁状態のストレスは計り知れない。 N様の病院では、研究対象もあって、専用冷蔵庫(わお)のついているちょっぴり豪華な軟禁状態から。 半年もしないうちに、大部屋に近い個室にうつらせてもらえた。 大部屋の入院患者や御家族からは、随分と酷い言われようだったけれど。 毎日、窓から、近くの病室の賑やかな声が聞こえる環境は 嫌味の千や万を言われてでも価値のあるものだった。 やがて、元精神異常者に対するバッシングも消えた。 このころから両親の様子が少しづつおかしくなっていった。 元々おかしかったのが、さらにおかしくなって、正常に戻ったというかんじだ。 あ○○様の名前が登場する回数が減り。 (他の入院患者や御家族のバッシングの理由の一つだった) 奇妙な腕輪や首輪などの装飾をみにつけなくなっていた。 そして、段々と表情が暗くなった。 N様はとても優秀なお医者様で、両親にもケアが必要だと考えた。 そして、N様による両親のカウンセリングがはじまった。 一方、私は、病院のボランティアとして毎日4時間働かせてもらえる待遇を勝ちとっていた。 大学生の頃、テラスで、友人たちと語り合った将来設計。 何歳までに結婚してとか、語り合ったっけ。 彼氏もいないのにとつっこまれて、あなたもでしょと小突くのが、幸せなことだったとは。 でも、それを取り戻せる位置にいる。取り戻す資格があると示せる立場にいる。 とても、幸せでした。
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254 :3[sage]:2011/06/30(木) 15:54:03.32 ID:Vn9h8hXS0 - 充実した毎日だったから、待つのは辛くなかった。
29歳のバースデーも間近に迫った日。N様が顎をぐっと張って切り出した。 「私は医者として、今からとても間違った事をします。 けれど、医者の持つべきモラルに恥じない行いもします。 多分、一生この事について、思い悩むでしょう。 しかし、おそらくこれは、あなたが正常に戻るための、大事なことです。 ですからどうか。 」 こんな切り出し方だったろうか。やたら勿体ぶった、抱えた悩みの大きさがわかる切り出しだった。 結構ハンサムなかおが、苦悩に歪み、かとおもうと憐憫を示し、一定しなかったのだけは、はっきりおぼえている。 私は、20歳の頃に、○○学校の生徒に拉致されて、輪姦された。 救出されたときには私はヘラヘラと笑い続ける状態だったらしい。 病室のそんな私を見て、当時つきあっていた男性は、吐いたそうだ。 それっきり二度とくることもなくなった。 それ以来私は何に対しても反応することがなくなった。 両親は戦い、そして○○学校と、生徒達の保護者から 事態を秘密にするかわりに、示談金として三億円ほどの金を得た。 恐らく自分たちが死んだ後も廃人の私が生きて行けるようにと その金には手をつけずに、必死に働いて私を病院にいれてくれていたそうだ。 「私は、ご両親を尊敬します」 N様はこう仰った。 しかし、面会に行くたびに魂の抜けた状態の私を見るうちにだんだん辛くなっていたらしい。 そこにあ○○○様を祀る教団の人間が声をかけてきたそうだ。 なるほど、やっぱり、大事なお名前。
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256 :6[sage]:2011/06/30(木) 15:59:14.36 ID:Vn9h8hXS0 - 「彼は、こう言ったそうです。あなたの娘は試練から逃避してあ○○○様に見捨てられた。
したがって、もう一度試練に挑ませる以外、彼女は追放から帰還できない」 「試練とはレイプのことですよね」 「…うっ」 「私、A医師がとても怖かったんです」 「…うっぐひっ」(N様は泣き出した) 「Aが、私を犯したんですね」 「…ふゎい」(号泣しながらN様は頷いた。私は泣き止むのを待った) 「慰謝料は、その教団に、寄付として、奪われてしまったそうです」 「ああ、道理で、両親がたまに申し訳なさそうな顔をしたのよね」 「それと、大変申し上げにくいのですが」 「はい」 私の心は冷め切っていた。 「その、儀式の内容は、出回っているんです」 「つまり、売ってお金に変えていたわけですか」 「…」 「販売元は?」 「いえ、そこまでは」 「外出許可を下さい。でないと私恩人にすらなにするかわかりません」 「自暴自棄な気がしませんか?」 「なってませんよ。やっとつかみとった自由に近い立場です。 でも、奪われたお金は取り戻さないといけないでしょう?」 「それは」 「それとも私を養ってくれますか?愛してくれます? 私先生を愛していけると思いますけど。」 「……すみません」
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260 :6[sage]:2011/06/30(木) 16:03:29.87 ID:Vn9h8hXS0 - 「不謹慎な冗談ですみません。
いろんな男の慰み者になった体なんていりませんよね。 大丈夫。必要がないなら無茶はしません。 でも、お伽話じゃないんです。 大して魅力もない眠り姫の末路を少しは考えてください。 退院した後、大学にも通い直したいです。人生をやり直すために、整形だってするかもしれない。 苗字を変えたり、色々やらなきゃいけないんです」 「未来のためにですね?」 少し驚いたような顔をしていた。 「Aのホラは本当になったんです。今更レイプ一つで御託を並べるものですか。 でも、盗まれたものは少しでも取り戻します」 「わかりました。信頼します。ただ、出来る限り僕を同伴で」 「ロクでもない女をみることになりますよ」 販売元の会社はすぐにみつかった。 マンションの一室に事務所を構える零細映像製作会社。 私は販売されているテープを全て見た上で乗り込んでいった。 彼らは、大変驚いていた。 私はこの映像が私の同意の元で撮影されたものではないと言った。 話はスムーズだった。何せN医師がつきそってくれていたからだ。 かといって、投稿者を不利にしてしまえばこんな会社はすぐに潰れる。 事前に調べた限りでは、こういう会社の販売するAVはたいていはヤラセだが、中には本物も混じっている。 その本物を求めて、こんなくだらない会社の制作物を買い漁るクズがいる。 そんなクズの欲求を満たすだけしか能のない会社なんて、信頼を失ったら、ボンッ、だ。 面談に応じた社長が職員のほうをちらちらみた。そしてこちらを見ているものと目があうと目配せをする。 それに気づいた職員がすぐにパソコンに向かった。 私はすっと、席をたち。その背後に近づいていって、中指を折り畳み、関節をその職員の背中に押し当てた。 「下さるのよね」 「は は はい!勿論です」 何か勘違いをしたようだが、こうして円満に同意を得られた。 抵抗する社長さんには、あまり抵抗するとおおっぴらにしない気が変わるかもしれないと言って理解をいただいた。
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261 :6[sage]:2011/06/30(木) 16:06:09.00 ID:Vn9h8hXS0 - 映像はもとからある程度編集されていた。
ただし素人のそれ。夜とはいえ、病院の窓の向こうの景色が一瞬うつっていたり。 Aのものとよく似た声が写っていたりもした。 十分材料になるようにダイジェストムービーにして、私はあの牢獄みたいな病院に向かった。 Aを呼び出し、会議室をキープするように言った。抵抗するAに、N様がアドバイスした。 五分程度にまとめたダイジェストムービーをAは呆然としながら観ていた。 「あ○○○様ねえ。うちの両親にまで随分酷いことしてくださったじゃないの。 とりあえず耳を揃えて三億きっちり返してもらいましょうか」 「あ、あるわけないだろ!あれはもう教団に!」 「教団なんてないでしょう」 「ち、ちがっ」 「あなたが奪ったお金は私への慰謝料だったのよ」 「そうじゃない。俺は本当に教だ」 「仮にそれが本当だったとしても、三億耳を揃えてきっちり払ってうわ」 「俺の薄給ではらえるわけないだろ!」 「ここに住んで残飯でも食べればいいじゃない」 「妻も子…ぁ」 「…」 「おい。なんだその顔は」 「払えないならそれでいいわ。じゃ、さよなら」 「ちょっと待て!おい、待ってくれ!! なあ、頼む。 待てといってるだろ!! 待ってください。 お願いしまぁすうぅ!! 妻と子供には何も!」 「あなたが売ったのよ。このテープ。お金欲しさかしら? だから、私があなたのお子さんに あなたの顔が写っている部分を見せたって、犯罪にならないじゃない。 だって、貴方が誰の目に入るかも気にせずに、売ったものなんだから」
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263 :8[sage]:2011/06/30(木) 16:09:38.63 ID:Vn9h8hXS0 - 「や めて くれ」
「私がやらなくたって、エッチな事に興味津々の年頃になったら このテープがお子さんの目にとまる可能性だってあったわけじゃない。 考えなかったの?バカねえ?それでよく医者になれたわね」 「うぁ ぁっ ああ つ、使わせるんじゃなかった」 「そう、使っちゃったの。あっは、使っちゃったの あぁ、そう。そうなの。わたしの人生を立て直す為の大事な大事なお金」 「ゆるしてくれええ」 「いいわ。許してあげる。 月賦も自分から言い出せないんじゃあ。反省の色ゼロ」 「ち、違う。大金を湯水のごとく使う癖がついて 妻が、借金したりしながら豪遊するんだ」 「あぁら災難。ざまあみろ。でもあなたの債務は私が一番よ。 人生を台なしにされた代価をうばったんだから。 あなたの人生めちゃめちゃにしてやるわ。 まずは、これを公開して、医師免許の剥奪かしらね。 稼ぎを失い、その職につきなおす資格も失い。ははははは。 それから嫌がらせのように告訴しまくって他の再就職も困難にしてあげるわ」 「じょ、冗談じゃない!大体もとはといえばこれも全部お前の両親が悪いんだ!」 「あらそう。じゃ、さよなら」 「あっ、おい! ごめんなさい!ごめんなさい!」 「私をもう一度レイプしたら、目を覚ますって言ったそうね。 憎いけれど恩人でもあるのよね。事実、私が目を醒ましたのよ。 貴方から逃げるためにね。私が貴方に怯えていたのがなによりの証拠よ。 でも、ちゃんと反省して謝るなら、月数万円の慰謝料でも、多分、許せたわ。 でも、もう無理ね。」
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266 :9[sage]:2011/06/30(木) 16:13:33.95 ID:Vn9h8hXS0 - 「あ、待って! 月十万円くらいなら!」
「あら、二つ返事で出る十万だったの? ますます許しがたいわ」 「い…いかせ、いかひぇない。ひゃ、ひゃああああああ!」 Aは自分の座っていた椅子を掴み上げて放り投げてきた。 私は会議室から逃げ出し盛大に叫んだ。 すぐにAが取り押さえられた。 するとAを取り押さえられていた何人かに向けてAの目が輝いた。 咄嗟に、それらが、あのビデオの登場人物だと気づいた。 医師から、看護師の一人に耳打ち、看護師達の数人が小声で伝言ゲームをはじめる。 聞いた者から順に思いつめた顔になっていった。 ちょうどその時に院長がやってきた。 そこで私ははじめて言った。 「私、この男とその口車にのったおたくの病院の看護師達に昏睡状態の間にレイプされたの。 それだけだったら良かったわ。そのテープを売られたのよ。 挙句に、何も知らない両親は、この男達の偽の宗教団体に、三億円も騙し取られて、こいつらはそれを遊びに使ったわ。 私が転院するの、この男達はずいぶん反対したんじゃない? そうよ。真実が発覚するのを恐れて、私の時間をさらに無駄にしたんだわ。 これが許せないから、この病院のスタッフ全員路頭に迷わせるつもり。 私に異常者のレッテルを貼って監禁する? それとも私と交渉して病院が無事に済む方法を一緒に考える?」 院長はがくがくと震えだした。横にいた副院長がそれを支えた。 院長の目は真っ青になったAとそのお仲間たちに注がれた。 その態度が、混ぜておいた一部の嘘すら、本当に変えてくれた。 病院は、この件に関わったスタッフ全員を、大幅に減俸した上で 私に毎月、十分な額の慰謝料を入れてくれている。 合計しても三億には満たないが、毎月五十万円を二十年もいれてもらえるのだ。 大学に行き直すことも出来る。どこにいくにも、完全に自由。 N様は私が、復讐心によって生きていることを理解した上で、正常だといってくれた。 そのおかげで退院できたのだ。
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270 :9[sage]:2011/06/30(木) 16:23:24.79 ID:Vn9h8hXS0 - 退院してすぐに、○○学校の事件のことを調べはじめた。
すると、ずいぶん画質が荒いが、その当時の私が出ている 輪姦もののハングル字幕つきの映像がネットで見つかった。 私はその映像を配給していたらしい会社が日本の会社だったことをつきとめた。 そこから当時の社長を探り当て、会社を解散したときの、権利などの引受先をたぐり。 情報隠匿を試みる者を、時に御家族の名前を列記したメモを御覧にいれるなどして、首を縦にふらせた。 そして32歳のバースデーから三ヶ月ほどたった日に、マスターテープを入手した。 子供の犯罪だから、マスターテープには何の手も加えられていなかった。 いまどきVHSデッキを買うのはバカバカしかったが、その中には犯人たちの一部の顔が頻繁にうつっていた。 何本にも渡るその映像に二十数人の少年達が出てきて。 当時の私は一本目が終わる頃には、もう息をするだけの人形になっていた。 ショックは少なかったように思う。こんなものよりひどい目にあった。 一過性のレイプで済むなら、今なら笑って許せる。 正常な思考のままで、隔離病棟に入れられる辛さに比べたら、目の前の映像は大したことがなかった。 私はこのテープを持ってある場所にいった。 Aがレイプビデオを売った映像製作会社は私を暖かく迎えてくれた。 歓迎しないと何をされるかわからないからだと思う。 私は彼らに私の学生時代の輪姦テープを見せた上で その画像を解析してより鮮明な犯人たちの画像をつくるように依頼した。 報酬は300万円の十回分割払い。こちらから言い出すとあちらはすごく驚いた。 秘密を握られているからタダ働きさせられると思い込んでいたようだ。 こうして私は、私の人生が完全に崩れ去った原因のうち何人かの顔を手に入れた。 両親にそれを見せた上で、当時両親が戦った○○学校の名称を教えてもらった。 ○○学校には、大規模犯罪を起こした学年には、卒業名簿をつくらないという決まりがあるようだったが。 起こす前に発行された、学級名簿の入手は、一年ほどかけて達成できた。 ほどなく、修学旅行の記念アルバムなども手に入り、氏名と顔が一致できる態勢が整った。 私は、恨むどころか、いっそ愛しい連中のことを知った。 このころになると私は消えていた輪姦の時の記憶も蘇ってきていた。
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- 本当にやった復讐 4
272 :9[sage]:2011/06/30(木) 16:29:29.69 ID:Vn9h8hXS0 - 私がターゲットに絞り込んだのは、輪姦の最中最も優しく。
拉致するときに仲間を引きとめようとしていた人物だ。K君としよう。 彼のご両親は名簿の電話番号を今もつかっていらしたので、旧友を装い、携帯を聞き出した。 携帯電話にかけた私は彼に素直に身分を明かした。 彼は何度か電話をすぐにきったが、やがて、面会することを承知してくれた。 私は、彼に一つの依頼をした。 こちらで把握してない犯人たちのうち、特に私に酷い真似をしでかしていた連中はどうしても許せない。 彼らを特定するための協力がどうしても必要だった。 私は私が陥った地獄の日々を彼に語って聞かせた。 彼は、色々と条件をつけたが、最終的には協力を約束してくれた。 一枚のCDを、家庭をもった犯人達の家に、投函する仕事はなかなか面白い。 CDのラベルには、ご主人の浮気の証拠と記す。こうすると面白いように見るのだ。 狙うのは決まって、午後二時頃。早いときは午後五時前にご主人が帰宅する。 ものすごい罵声が聞こえてくる時もある。 主人の帰りを待たず。早々に荷物をまとめた女性が、赤ちゃんを抱いて家を出たのをみたこともある。 併記しておいたメールアドレスに連絡をとってくるものもいた。 頼むから、明るみに出さないでくれと懇願してくるのだ。 ご主人がそれなりに高給の仕事を得ているからかもしれないと思い。 相談に乗る振りをして、時間をかけて就業先を特定。そしてその就業先に、CDを送りつけた。 出所不明のCDなんて破棄されるだけだから、○○さんの横領の証拠なんてタイトルを書いておく。 こうすると会社にはネットワークに接続されていない端末くらいはあるからみてくれるはずだった。 この賭けには勝った。話を聞きたいと連絡がきた。 私は私のたどった数奇な人生とともに、私を犯したものへの憎しみを吐露した。 資料として見せるのは輪姦ビデオが販売されていたときの、不鮮明な映像だ。 すると、おもしろいようにクビを約束してくれた 「反省もせずにこんなビデオを売りさばいて金儲けをしたやつなんか許せるか!時効とか少年とか知ったことか!」
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- 本当にやった復讐 4
277 :9[sage]:2011/06/30(木) 16:43:21.34 ID:Vn9h8hXS0 - こうして何人かに復讐を果たし、私が直接行う復讐は終わり、日常が戻った。
これいじょうどうにかするつもりはない。あとは勝手に怯え、ストレスに苛まれながら、死ぬまで苦しみ続ければ良い。 実際に復讐を果たされたものをみたら、警戒せずにはいれないもの。 今日も明日も明後日も、少年の間なら許されるとして、犯した罪で苦しむバカがいる。 私は彼らが苦しんだ分幸せに包まれている。
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