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青い猫
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■

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■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
510 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 00:16:37.62 ID:Be/uvFqP0
>>503
次の動画の4:30あたりからご覧下さい。

ttp://www.youtube.com/watch?v=hkEHpZxiSB8&feature=related

これを即座に信じろとは言いませんが、これが写真への加工ではないとすると
エピソードから判断して、霊的でないと言うのは強情ではないかと?
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
530 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 00:52:37.27 ID:Be/uvFqP0
>>512
まだ起きているものとしてレスします。
画像だけを切り出してみましたので、参照できるならご確認を。

@ ttp://pita.st/n/bfoqru57
A ttp://pita.st/n/fghqsv78

@は遺影に帽子無し。Aは遺影に帽子あり。二つとも同一の写真だそうです。
葬儀のときに撮影した写真に写る遺影の様子がまったく異なる。
お亡くなりになった遺影のご本人が欲していた帽子なのだそうです。

1時間後くらいに画像ファイルを消します。
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536 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 01:13:00.63 ID:Be/uvFqP0
違うんだよなぁ……。写真を撮影した当事者にとってはこれ以上ないほど自明だということ。
それを第三者が論評したところで写真が撮れたことは覆しようがない。
写真という科学的な結果は評価によって覆るものではないということ。
これは評価によって左右される現象ではない。評価とはあくまでも第三者による
価値判断にすぎない。よって価値判断が重要なのではなく、撮影当事者によっての
客観性こそが重要だということ。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
543 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 01:43:31.17 ID:Be/uvFqP0
うーん、何度も言うが、第三者の評論は写真という科学的な結果に対しては
重要ではない。この部分が共有されなくて困る。

明らかに写真に対する修正・加工が認められるものでもない限り、その写真
に対する評論はケチをつけるもの以外の何ものでもない。

これは心霊写真以外に置き換えればよくわかる。
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548 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 02:05:04.91 ID:Be/uvFqP0
>>542
俗に心霊写真と呼ばれてしまう不可解な写真が見つかってしまうことをもってして、
それを根拠に霊的なものが存在すると主張するのは若干弱い根拠だと思う。

しかし、ここに私自身のいくつかの体験が加わると、他のところでも類似した
ものが見つかったのかと思うわけで、個人的な現象に一般性が加味されるので、
不可解な経験が自分だけではなかったと確信するようになる。
まずはこれが非常に有力な根拠となる。

次に、誰かと同じように私自身が騙された可能性を考慮すると、いまでは
即座に画像化されるデジカメが主流なので、誰かによって写真を加工されて
騙される可能性は無くなった。この状況でも一般的にいわゆる心霊写真は
生じているので、現像途中に加工する可能性は逆に減ったとみてよい。
したがってテクノロジーの進歩は写真に対する加工を容易にする一方で、
即座に画像を表示させる機能は増したので、ますます撮影当事者にとっては
心霊写真の客観性および信頼性を担保することとなった。

ゆえに、撮影当事者にとっての信頼性が増したことが第三者による評価を
低減させる理由です。
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596 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 20:54:24.48 ID:Be/uvFqP0
死んだら「終わり」という表現がまるで理解できない。正と死は連続不可分
なものなのに。
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603 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 21:06:11.96 ID:Be/uvFqP0
物質としての肉体がその形状を維持できなくなって滅んでいくのは理解できる。
でも、それは肉体がその形状を変えただけのことで、その肉体を経由して得られた
自己(これを私は「霊」という概念によって捉えている)までが失われてしまう
とする根拠はどこにもない。これを映画『アバター』の世界にたとえてみれば
わかりやすい。『アバター』をご存じなければ、RPG のゲームの世界がそれ。
テレビゲームで選んだキャラがゲームの世界で死んだからといって、ゲームの
プレーヤーまでもが死ぬわけではない。プレーヤーはゲームの結果を記憶できる。

だから、死んだら終わりという主張がまるで理解できない。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
608 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 21:17:50.98 ID:Be/uvFqP0
幽霊が実在すると主張する立場は同時に、死後も自分自身は存続することを
認める立場でもある(中には、幽霊は実在するけれども、それは死後生存とは
無関係という考えもあるかもしれない)。これは死後の世界があることを前提と
していることになる。したがって、>>603で主張したことはこのような世界観
に基づくものである。この世界観はいわばひとつのモデルと言える。
これを死後生仮説とも言う。
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617 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 21:30:59.58 ID:Be/uvFqP0
物質がすべてであると妄想する人にとっては、その物質の振る舞いを捉える
概念などは物質の副産物程度に考えているふしがある。したがって自己とは
幻想であるとみなす。

これに対して、私のように、この世こそが仮の世界であると考える立場からすると、
物質こそが概念の副産物であると考える。いくつかの表現はあるものの、
「思考は現実化する」という主張はまさにこの立場にある格言であろう。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
624 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 21:39:30.77 ID:Be/uvFqP0
われわれの意識は脳の産物ではなく、身体の産物である。
これも生死の連続性と同じである。脳単独で成立するものではない。
われわれの身体は物質によるものである。
この物質は概念によって成立する。

よって私の意識は概念である。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
629 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 21:46:58.42 ID:Be/uvFqP0
>>627
それは見落としがあるよ。

>身体=意識 身体=物質

ならば、「意識=物質」ではないか?
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634 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 21:52:28.36 ID:Be/uvFqP0
>>632
それはあなたの前提「身体=意識 身体=物質」が間違っているということでしかない。
この程度の論理はきちんと理解しなければ。
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642 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 22:13:06.59 ID:Be/uvFqP0
具体例を出せば、無数にある電子にはそれらのどこにも違いを見出せない。
これは陽子や中性子でも同じこと。これらからなる同種の原子もまた区別がつかない。
区別ができるようになるには、ひとつのまとまりにおいて名称を与えられて
初めて区別ができるようになる。この名称こそが概念に他ならない。

この世では、物質を発見したから概念を持ってきたわけではなく、どこにあるのか知らないが、
どこかに概念があったからこそ、その物質を発見できたことになる。
つまり、どこかにありとあらゆる概念が存在し、その中から特定の概念を物質
に投影させて発見しているに過ぎないのです。これがこの世の特徴です。
わざわざ物質に投影しないと概念を発見できない。だから物質がすべてであると
錯覚するのが唯物論者なのです。
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647 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 22:24:28.30 ID:Be/uvFqP0
>>646
違う。概念が何かをするわけではない。概念は雛形。
この雛形が無数にある。だから意識が成り立つ。←ここが難しいかな?
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656 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 22:34:22.69 ID:Be/uvFqP0
たとえば、無数にある電子それぞれは見分けがつかない。
便宜的に電子A、電子B、電子Cと表記することはできるが、現実にこれを
やってのけることはできない。
一卵性双生児のように、姿かたちはそっくりでも性格が異なるようなことはない。
物理をやっているならば、これくらい気づけよ。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
661 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 22:40:12.77 ID:Be/uvFqP0
>>654
黒板に数字を書き記して筆算しなくとも、脳内イメージに同様の光景を
思い浮かべて暗算できませんか?

このとき、黒板と脳内イメージの差は何ですか?

数という雛形があり、計算という雛形がある。これをわざわざ黒板に
投影するか、脳内イメージに投影するかの違いなのです。
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674 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 22:55:16.47 ID:Be/uvFqP0
>>669
どうもありがとうございます。やっと伝わるひとが現れた。
あの世の状態が「想念の世界」だと表現されるのも認識論的なのです。
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686 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:13:09.81 ID:Be/uvFqP0
「概念」はきっとあの世にあるのでしょうね。
この世の雛形はあの世にある。それを物質に投影した状態がこの世。

大本教の主張もこんな感じでしたよね?
たしか、あの世で起こったことはこの世でも起こるから注意しろよ、
みたいなことが言われている。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
694 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:21:52.58 ID:Be/uvFqP0
>>687
いやいや、われわれが認識できるものはすべて概念だというだけ。
だから特別に物理法則や数学の公理だけを概念と呼んでいるわけではない。

で、宇宙の場合、すなわちこの世は物質の世界だという条件があるので、
あの世の概念がすべて実現されるわけではないだろうということです。

ちょっと話がずれたかな・・・?
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702 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:32:22.49 ID:Be/uvFqP0
まぁ、平たく言ってしまえば、死んで何もかもお終いなのだ!
と言いたげなひとが否定論者であるというところが苦しい見解だなと。

まるで、現実逃避をしたいと言いたげな感じでね。

肉体的な死がすべてであると決め付けてしまっているところがもはや信仰だよ。
精神(魂、霊魂、霊などなど)は死にませんよ。なぜならば肉体ではないからです。
って、当たり前のことなのにね?
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
706 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:38:53.72 ID:Be/uvFqP0
とある死刑囚が、犯した罪を一切反省しない代わりに死刑を受け入れたという
逸話がある。その理由は、どうせ死ねばお終いなのだからだそうです。
反省したって死んでお終いなんだから反省する意味なんてないだろってさ。

ニンテンドーDSのゲームがうまくいかなかったから電源ボタンを押すように
スイッチ切っちゃうわけよね。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
714 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:43:20.27 ID:Be/uvFqP0
>>705
宗教が幽霊をどのように扱おうと、どうぞご勝手にと言うことです。
宗教のほとんどはただの宗教ですから。それを盲信する信者さんは気の毒だけど。
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722 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:50:58.78 ID:Be/uvFqP0
>>715
あれ、死んだ後に仕返しされるとは思わないわけ?
死ななくても生きている間に幽霊が仕返しするかもよ。

死刑囚の逸話はスイッチを切る行為そのものだと思う。
リセットするつもりかどうかは知らないけれど、全部お終いにしたつもりでしょう。
■□■幽霊は本当にいるのか128(いないのか)■□■
725 :青い猫[sage]:2011/05/30(月) 23:53:28.19 ID:Be/uvFqP0
>>720
きたか? それとも地震だった? なんの本が崩れたの? なにかのメッセージかも。


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