- ■□■幽霊は本当にいるのか117(いないのか)■□■
17 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 02:23:37.20 ID:3ZcThnC00 - 「戒め」か。そうとも言えるが、むしろわたしは「希望」ととらえたい。特に輪廻などはそうだ。生まれた身分に
不平を言わず、その務めをまっとうすれば来世はより上位へと生まれ変われるという希望だな。 また天国にしても、そこに行けるという希望があるから自爆テロをも笑ってやってのけることができるわけだ。 いずれ支配者層にとっては好都合であることは間違いない。
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18 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 02:30:00.77 ID:3ZcThnC00 - またホラー作品については、未知なる世界への好奇心ということもあろうが、自分の安全確認の
手段としても重要であろうよ。安全確認とはおかしな表現だが、うまい言葉が見つからない。 つまりは、映画なら登場人物が悲惨な目に遭ったり、恐怖に震えたりしているのに感情移入しながら も、ふと我に返れば安全な映画館にいて自分には何の危害もないという安心感、ホラー作品は恐怖と ともに、この安心感を同時に味わうことができるのだよ。
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20 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 02:56:39.72 ID:3ZcThnC00 - ちなみに輪廻とはカーストと対になる関係にあり、卵とにわとりのどちらが先かというのとよく似ている。
わたしの信仰の対象・・・あえていえばマネーだ。
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22 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 03:25:18.88 ID:3ZcThnC00 - 幽霊か。その存在を想定してしまうのは、人類の生得的な性癖ではないかな。わたしたちはその生に
おいて過去から未来へと流れる時間の矢の上にいる。唐突な終わりは想像しがたいし、また 想像したくもない。死後の存続ということを考えてしまうのはしかたのないことではないだろうか。
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24 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 04:00:14.93 ID:3ZcThnC00 - うむ、死への恐れもそうなのだが、わたしたちは完全な終わりというものを、死以外に体験する
ことはできない。無意識のうちに続きがあると考えてしまう習性があるのではなかろうか。
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26 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 04:36:48.18 ID:3ZcThnC00 - 死によってすべてが終わると考えるのか、それとも続きがあると考えるのかは
わたしたち一人一人のこれまでの人生経験からくる一種の価値観の相違だろう。 そして普段は意識にのぼらないとしても、おそらく多くの人はこの二つの考えの間で 揺れている。そこにこのスレの存在意義もまたあるのではないかな。
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29 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 05:15:25.88 ID:3ZcThnC00 - なるほど。では、変化というのはどうです。本人がそのまま人外のものに化身する場合。
たとえば、嫉妬に狂った女が、生成、般若と化身するような。
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32 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 08:30:58.98 ID:3ZcThnC00 - >>30
・・・人間が生身のまま妖異に変ずる場合は、民俗学ではどう考えられているのですか。 頭に鉄輪を被り、ろうそくを灯し、たちまちに角が生えて鬼に変じた場合などです。
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35 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 09:27:27.86 ID:3ZcThnC00 - なるほど。あくまでも精神に重きを置いて、肉体変化はそれに付随するというわけですね。
シャーマニズムはおおざっぱに憑依と離魂(脱魂)があると考えられています。憑依は、 文字どおり神あるいは精霊などがとり憑くことで、離魂はシャーマンの体を魂が離脱して 霊界などを訪ねることです。日本の天皇は祖先霊と一体化するため、憑依型に分類される のでしょうか。 しかし般若の例などは自らの嫉妬心を自ら制御できなくなったための精神崩壊であり、外部の 鬼族がとり憑いたというわけではないでしょう。
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43 :ハレンチノ准将 ◆mDGIQ/A4z2 [sage]:2011/03/05(土) 10:26:03.51 ID:3ZcThnC00 - >>40
奈良時代に聖武天皇が自ら仏弟子となって以来、天皇の神道的儀式は形骸化したでしょう。 明治からの国家神道に見る儀式も古代のものからは変質しています。 銅鐸までは集落共同体における祭祀で、万物の精霊と穀物霊は同等に扱われていた。この頃は 水稲以外の食物割合も多かった。これが前方後円墳が造られる頃になると首長霊信仰、つまり 偉大な首長霊が穀物霊に働きかけて豊作を成就させる、という形に変わってくる。また、首長霊を 継承する儀式も行われていたようです。まあ、民衆を支配するための一種の装置と言えなくもない。
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