- 2012年に本当にアセンションあるわけ? Part29
177 :本当にあった怖い名無し[]:2008/12/07(日) 01:58:10 ID:zhBWp63g0 - 無神論について:2008/12/05(金) 10:37:31 ID:RL2hJlX+
普通無神論をかく場合、宗教的に論理を進めてゆくのが当り前のようになっ ているが、私は全然宗教には触れないで、自分自身無神論者の立場に置き、 かいてみようと思うのである。それはまず人間オギャーと生まれるや、早速 育つに必要な乳という結構な液体が、しかも産んだ親の体から滾々(こんこ ん)と湧き出てくる。それによって子は順調に育ってゆき、歯が生える頃に なると噛んで食う食物も親は運んでくれる。というようにして段々育って、 遂に一人前の人間となるのは今更言うまでもないが中でも最も肝腎な食物に ついていえば、食物にはそれぞれの味が含まれ、舌には味覚神経があり、人 間楽しみながら食う事によって充分カロリーは摂(と)れるのである。しか し何といっても人間の楽しみの中での王者はまず食事であろう。そんな訳で 肉体は漸次発育すると共に、学校教育等によって頭脳は発達し、かくして一 人前の人間としての働きが出来るようになる。そうなると色々な欲望が出て 来る。智慧、優越感、競争欲、進歩性等から、享楽、恋愛等の体的面までも 頭を持上げてくる。というように理性と感情が交錯(こうさく)し、苦楽交 々(こもごも)到るという一個の高級生物としての条件が具わり、社会を泳 ぐ事になる。以上人間が生まれてから成人までの経路をザットかいてみたの であるが、次は大自然を眺めてみよう。 言うまでもなく天と地との間には、 日月星辰(じつげつせいしん)、気候の寒暖、雨風等々有形無形の天然現象 から、直接人間に関係ある動物、植物、鉱物等々あらゆるものは大自然の力 によって生成化育されている。これがあるがままの世界の姿であって、これ ら一切を白紙になって冷静に客観するとしたら、無神経者でない限りただた だ不思議の感に打たれ、言うべき言葉を知らないのである。実に何から何ま
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178 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:00:24 ID:zhBWp63g0 - で深遠絶妙の一語に尽きる。としたらこんな素晴しいこの世界なるものは、
一体誰が、何がため、何の意図によって造られたものであろうかという事で、 何人もこれを考えざるを得ないであろう。そうして天を仰げば悠久無限にし て、その広さは、どこまで続いているか分らない。また大地の中心はどうな っているのであろうか、太陽熱の最高は、月球の冷度は、星の数は、地球の 重さは、海水の量は等々、数え上げれば限りがない。考えれば考える程神秘 霊妙言語に絶する。しかも規則正しい天体の運行、昼夜の区別、四季の変化、 一年三百六十五日の数字、万有の進化、止まるところを知らない文明の進歩 発展等々はもちろん全体この世界はいつ出来たのか、いつまで続くのか、永 遠無窮(むきゅう)かそうでないのか、世界の人口増加の限度、地球の未来 等々、何も彼も不可解で見当はつかない。 以上のごとくにして一切は黙々 として一定の規準の下に一粍(ミリ)の毫差(ごうさ)なく、一瞬の遅滞も なく流転している。しかしそれはそれとして、一体自分という者は何がため に生まれ何を為(な)すべきであろうか、いつまで生きられるのか、死んだ ら無になるのか、それとも霊界なる未知な世界が在ってそこへ安住するのか 等々。これらも考えれば考える程分らなくなり、どれ一つとして分るものは ない。仏者のいう実にして空、空にして実であり、天地茫漠(ぼうばく)、 無限無窮の存在であって、これより外に形容の言葉を見出せないのである。 これを暴(あば)こうとして人間は何千年も前から、あらゆる手段、特に学 問を作り探究に専念しているが、今日までにホンの一部しか分らない程で、 依然たる謎である。としたら大自然に対する人間の智慧などは九牛の一毛に
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179 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:01:31 ID:zhBWp63g0 - も当るまい。これも仏者のいわゆる空々寂々である。ところが人間という奴
自惚(うぬぼ)れもはなはだしく、自然を征服するなどとホザいているが、 全く身の程知らずの戯(たわ)け者以外の何物でもあるまい。故に人間は何 よりも人間自体を知り、大自然に追随し、その恩恵に浴する事こそ最も賢明 な考え方である。 ところで以上のごとき分らないずくめの世の中に対し、 たった一つハッキリしていることがある。それは何であるかというと、これ 程素晴しい世界は一体誰が造り自由自在思うがままに駆使しているのかとい う事である。そこでこの誰かを想像してみるとまず一家庭なら主人、一国家 なら帝王、大統領といったように、この大世界にも主人公がなくてはならな いはずであり、この主人公こそ右の誰である神の名に呼ばれているXでなく て何であろう、というより外に結論が出ないではないか。 以上の意味にお いて、もし神がないとしたら万有もない事になり、無神論者自身もない訳で ある。恐らくこれ程分り切った話はあるまい。これが分らないとしたら、そ の人間は動物でしかない事になろう。何となれば動物には意志想念も智性も ないからであって、人間の形をした動物というより言葉はあるまい。それに は立派な証拠がある。すなわち無神思想から生まれる犯罪者であって、彼ら の心理行為のほとんどは動物的であるにみてよく分るであろう。従ってこの 動物的人間からその動物性を抜き、真の人間に進化させるのが私の使命であ り、その基本条件が無神思想の打破であるから、一言にしていえば人間改造 事業である。
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180 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:02:36 ID:zhBWp63g0 - これは一般宗教には当てはまらないかも知れないが、少くとも本教としては
言わざるを得ないのである。それは何かというと、学者やジャーナリストの 宗教に対する見方であって、必ずといいたい程科学の目をもって批判する事 である。ところがよく考えてみると、これ程不合理な話はあるまい。何とな れば科学は唯物観念をもって物を見るに反し、宗教は唯心観念をもって見な ければならないからである。つまり科学は形而下(けいじか)的分野に属し、 宗教は形而上(けいじじょう)的分野に属しているからである。すなわち前 者は地面に立って屋根瓦の表面を見るに対し、宗教は屋根の上から地面を見 下すようなもので、この主客転倒に今日まで気付かなかったのである。 こ の意味において滑稽(こっけい)なのは、宗教学者達が学問上から宗教を論 ずる事である。考えてもみるがいい、仮にもしそれが妥当としたら、その宗 教の開祖よりも学者の方が上になることになるから、そういう学者こそ一派 を立てて生神様になれば、成功疑いなしであろう。また新興宗教にしてもそ のほとんどは既成宗教を基本としている以上、同様の事が言えると思う。し かしそれはそれとして今日学者やジャーナリストが新宗教を批判する場合、 まことに皮相浅薄(ひそうせんぱく)な観方である。たとえば現当利益、特 に病気治しなどは低級だとか、金儲けが目的だとか言って、肝腎な宗教理論 には一指(いっし)も触れないことであるのはおかしな話ではあるまいか。 これについて私の言い分をかいてみるが、他の宗教は知らないが、少くとも
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181 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:03:30 ID:zhBWp63g0 - 我救世教に至っては、現代の学問で分るようなそんな低い程度のものではな
い。全く想像もつかない高度の文化的超宗教であって、偉大なる救いの業で ある事は、声を大にして言いたいのである。言うまでもなく既成宗教的にい かに巧妙な理論や説教をもってしても、それだけで人間を救う事のできない のは事実が示している。一例を挙げてみれば今仮に目の前に苦しんでいる病 人にむかって枕元で百万陀羅(ひゃくまんだら)有難い御説教や教典を聞か せたとて、なるほど心の慰めにはなるが、病気そのものを治すことはできな いのは分りきった話である。故に確実に病気を治し健康を快復させ、貧乏も 救われ、一家幸福になるとすれば、恒産あれば恒心ありで、自然不正や不道 徳も減るに違いないから、よりよき社会となるのは当然である。私はこれが 宗教としての真のあり方であって、これ以外に何があるかである。故にこの 意味からいうも彼(か)の釈迦、キリストが、遺憾ながら万人の病気を救い 得なかったため、二千有余年を経た今日といえども、相変らず人類は病貧争 に苦しみつつあるのであるとしたら人間はいつになったらこの桎梏(しっこ く)から免れる事ができるであろうか、恐らく見当はつくまい。としたら実 に情ない話である。これによってみても今日まで世に現われた幾多聖者や賢 哲にして、真に救う力をもった者は一人もなかったのである。それがため止 むなくその諦めを説くのが宗教の建前となってしまったのも宣(むべ)なる かなである。ところが喜ぶべし、私はこの夢のごとき真の平和幸福世界を実 現する力を神から与えられたのである。これは自惚(うぬぼ)れでも何でも ない。現に不幸に悩める人々を救いつつあり、これが本教の救世事業である。
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182 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:05:23 ID:zhBWp63g0 - 以上によって私という人間がいかなる存在であるかが分ったであろう。そ
うして今日の世の中を大局から眺めてみると、現代文明は実に大いなる誤謬 に陥っている。今その二、三の例を挙げてみるが、現在日本における最大脳 みである食糧問題にしても、また世界的悩みである病気の問題にしてもそれ を現わしている。しかもそのどちらも進歩は行詰り状態にあって、解決どこ ろか益々溝は深くなるばかりである。これらに対し私は根本的解決の方法を 神示によって知り得た以上、今や日本は固(もと)より、世界全体に渉って 知らしめつつあるので、もちろん主眼とするところは全世界指導者階級の眼 を醒まし、新文明の何たるかを知らしめることである。つまり小学生の学力 をして大学程度にまで引上げる事である。 以上の意味において私の説くと ころ余りに超越しており、学者もジャーナリストも容易に理解できないので、 反って一種の恐れさえ抱くらしいのである。それというのも本来ならば大い に謳歌(おうか)礼讃(らいさん)すべきが本当であるのに、反って無批判 的に非難する人や、触れるのを避ける人などある事実である。その現われと して私が最近発行した結核信仰療法及び救世教奇蹟集の両著にしても、日本 の三大新聞は一致してその広告を引受けない事である。その理由を質(ただ) せば言を左右に託して、真相を言い得ない苦しさであって、これは本教係り の者から聞いた話である。 これでは現在の日本は言論の自由がない訳で、 しかもこの自由の抑圧者が大新聞としたらほとんど信じられない程で、恐ら く世界の文明国中例がないであろう。しかしそれも無理はないかも知れない。 何しろ私の説たるや、余りに現代科学を超越しており、ちょうど人力車時代 に飛行機を見せるようなものであるからである。また昔からいつの時代でも
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184 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:06:12 ID:zhBWp63g0 - 既成学問を覆えす程の画期的発明、発見、新説等を発表するや、例外なくそ
の時代の識者から誤解と迫害を受けるのは歴史が示している。ここに先駆者 の悩みがあるのである。特に日本の知識人程それがはなはだしいのは、例え ば今日世界的偉人として万人から仰がれているキリストや釈迦のごとき大聖 者より以上の人間は、永久に現われないと決めている事である。今一つは日 本には外国人より優れた人物は出ないとしている迷蒙である。これが国民感 情に沁み込んでいる以上、私とそうして私の仕事が認められないのも当然で あろう。 それがため私の言説も事業も、頭から否定してしまい、調査検討 など思いもよらないらしいのである。特にこの傾向はジャーナリストに多い 事は、本来なれば外国にも例を見ない程の画期的偉大なる私の聖業であるか ら、直に正邪善悪を検討しそうなものだが、そういう事は全然ない。私は思 う。もし研究の結果いささかでも疑問の点があり、社会上マイナスと認めた ら、断固排撃し葬り去ると共に、反対に正しい説で、社会人類にプラスであ るとしたら、大いに援助すべきではなかろうか。それをいつまでもうやむや にしている態度は前記のごとき恐怖感のためか、触らぬ神に祟りなし的事な かれ主義のためか解し難いのである。以上私の思うままを記いたのであるが、 要するに私はジャーナリストとしての当然な責務を希望するに止まり、それ 以上他意はないのである。ここに再度の考慮を求むるゆえんである。
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185 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:07:53 ID:zhBWp63g0 - 既成学問を覆えす程の画期的発明、発見、新説等を発表するや、例外なくそ
の時代の識者から誤解と迫害を受けるのは歴史が示している。ここに先駆者 の悩みがあるのである。特に日本の知識人程それがはなはだしいのは、例え ば今日世界的偉人として万人から仰がれているキリストや釈迦のごとき大聖 者より以上の人間は、永久に現われないと決めている事である。今一つは日 本には外国人より優れた人物は出ないとしている迷蒙である。これが国民感 情に沁み込んでいる以上、私とそうして私の仕事が認められないのも当然で あろう。 それがため私の言説も事業も、頭から否定してしまい、調査検討 など思いもよらないらしいのである。特にこの傾向はジャーナリストに多い 事は、本来なれば外国にも例を見ない程の画期的偉大なる私の聖業であるか ら、直に正邪善悪を検討しそうなものだが、そういう事は全然ない。私は思 う。もし研究の結果いささかでも疑問の点があり、社会上マイナスと認めた ら、断固排撃し葬り去ると共に、反対に正しい説で、社会人類にプラスであ るとしたら、大いに援助すべきではなかろうか。それをいつまでもうやむや にしている態度は前記のごとき恐怖感のためか、触らぬ神に祟りなし的事な かれ主義のためか解し難いのである。以上私の思うままを記いたのであるが、 要するに私はジャーナリストとしての当然な責務を希望するに止まり、それ 以上他意はないのである。ここに再度の考慮を求むるゆえんである。
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186 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:08:46 ID:zhBWp63g0 - 周知のごとく昨今次から次へと、芋蔓(いもづる)式に出てくる汚職事件に
は、誰しもウンザリするであろう。恐らくこんなに汚職問題が一度に重なり 合った事は、未(いま)だ嘗(かつ)て例がないように思う。もちろん司直 (しちょく)の厳正な裁きによって、いずれは白黒判明するであろうが、そ れだけで済まされないところにこの問題の重要性がある。というのは今回の それは別としても、昔から年中行事のようになっているこのスキャンダルは、 現われただけを裁いても、根本的解決とはならない以上、どうしても徹底的 根絶をしなければならないのである。ちょうどゴミ溜に蛆(うじ)が湧くよ うなものであるから、そのゴミ溜の清掃であって、これ以外根本的解決はな いと共に、国民も大いに要望しているに違いあるまい。ただ困る事にはその 原因である急所が分っていない事である。 ではその急所とは何であるかと いうと、それこそインテリ族の最も嫌いな有神思想であって、実は汚職問題 といえどもその発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから始末が 悪いのである。言うまでもなく無神思想とは、ズルイ事をしても人の眼にさ え触れなければ済むとする怪(け)しからん考え方であって、しかも人智の 進む程それが益々巧妙になると共に、出世の第一条件とさえ思われている今 日である。これを実際に当てはめてみると、そうはいかないのが不思議であ る。なぜかというとなるほど一時は巧くいったようでも、早晩必ず化の皮が 剥(は)がれるのは今度の事件をみてもよく分る。しかしながら彼らといえ
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187 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:09:30 ID:zhBWp63g0 - どもある程度は分っているであろうが、根本的観念がこの世に神は無いと固
く信じている以上、心の底から分らないため、たとえ今度のような結果にな っても、真に悔い改める事の出来る人は果して何人あるであろうか、疑わし いもので、大部分の人々はこうなったのはやり方がまずかったからだ、智慧 が足りなかったためだ、だからこの次の機会には一層巧くやって、絶対引掛 らないようにしてみようと思うであろうが、これが無神族としての当然な考 え方であろう。従ってこの根性骨を徹底的に叩き直すには、どうしても宗教 によって有神観念を培(つちか)う事で、それより外に効果ある方法は絶対 ない。 しかも今日以上のような無神族が上に立っている限り、官界も事業 界も古池と同様、腐れ水に溝泥(どぶどろ)や塵芥(ちりあくた)が堆積し ているようなもので、どこを突ついても鼻持ならぬメタンガスがブクブク浮 いてくるように、今度の事件の経路をみてもそう思われる。故に今まで分っ ただけでも、あるいは氷山の一角かも知れないが、これが国家に及ぼす損害 や国民の迷惑は少々ではあるまい。それどころか国民思想に及ぼす影響もま た軽視出来ないものがあろう。言うまでもなく上層階級の人々は、陰ではあ んな悪い事をして贅沢三昧に耽(ふけ)り、政党や政治家などが湯水のよう にバラまく金も、みんな国民の血や汗の税金から生み出すとしたら、真面目 に働くのは嫌になってしまうであろう。従ってお偉方が口でどんなに立派な 事をいっても、もう騙されてたまるものかという気になり、今までの尊敬は 軽蔑と変り、国家観念は薄くなり、社会機構も緩む事になるから、これが国 運に及ぼすマイナスは予想外であると思う。 以上によってみてもこの問題 の根本は最初にかいたごとく無神思想のためであるから、何よりもこの思想
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189 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/12/07(日) 02:10:37 ID:zhBWp63g0 - 絶滅こそ解決の鍵である。それには何といっても宗教家の活動によって、神
の実在を認識させる事であって、たとえ人の眼はごまかし得ても、神の眼は ごまかし得ないとする固い信念を植付ける事である。そうなれば汚職事件な ど薬にしたくも起りようがあるまい。そうして今度の事件の立役者は、高等 教育を受けた錚々(そうそう)たる人ばかりで、地位、名望、智慧など申し 分ないであろうが、なぜアンナ事をしたかという疑問である。これこそ無神 思想のためであるとしたら、この点教育、学問と道義感とは別である事が分 る。そうしてこのような立派な人達が精一杯巧妙に企(たくら)んでやった 事だから、知れる訳はなさそうなものだが、蟻の一穴(いっけつ)で、ちょ っとした隙からそれからそれへと拡がって大問題となったのであるから、ど うみても神の裁きとしか思えないのである。 ここで今一つ重要な事は、日 本は法治国といって誇っているが、よく考えてみると、これは飛んでもない 間違いである。何となれば法のみで取締るとしたら、法さえ巧く潜れば罪を 免れ得て、悪い奴程得になる訳である。というように法という檻で抑える訳 だから、人間も獣扱いであり、万物の霊長様も哀れ片無しである。これが文 化国家としたら文化は泣くであろう。私は常に現代は半文明半野蛮時代と言 っているが、これを否定出来る人は恐らく一人もあるまい。またこれについ ての一例であるが、今仮に目の前に財布が落ちているとする。誰も見ていな いとしたら、普通の人なら懐へ入れるであろうが、断じて入れない人こそ神 の実在を信じているからである。ところがこういう人を作る役目が宗教であ るが、これとに対して当局もジャーナリストもはなはだ冷淡で、宗教を以っ て無用の長物視しているかのように、ともすればインチキ迷信扱いで、民衆
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