- 【夏と冬】「超」怖い話Part22【怪コレ】
680 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 13:40:58 ID:AYQ+zCuE0 - >673は
超一1 怪コレクション(3) ↑ ここ注目! で、超‐1とは別の商品なんだよ!
|
- 実話怪談vs創作怪談について考察するスレ
739 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 17:45:09 ID:AYQ+zCuE0 - >>737
内輪褒めでも職権濫用でも、持てるリソースを全て注ぎ込むのは戦略として 当然のことと思うので、それはよし。 ないないづくしの超怖とてのひらを比べるのは、1944年の大日本帝国と アメリカ合衆国を比較するくらいの差があるのだがw、歴史にIFがないように 現時点の背景の勢力差について「もし同じだったら」みたいな想定は無意味だし、 そういう背景勢力を整備する能力や期間も、主催者の才能・実績・能力のうちだろう。 48歳の東雅夫と39歳の加藤一の経験値、人脈の差というのもある。 そういうキャリア・蓄積はおいとくとして、てのひら怪談そのものに目を向けた場合に、 それをバックアップする側から見てどれほどのウェイトがあるか、というのも興味を引く ところかも。宣伝媒体が潤沢であったとしても、そのリソースが無尽蔵に割けるわけ ではないし、リソースを注ぎ込むだけの価値があるものでなければ、リソースを使う ことについて許可が出まい、と。 雑誌の場合、例えば1頁広告を打ったらうん万円とかうん十万円の広告料を本来なら 取れるところに、「新刊よろしく」という自社広を入れたり、キャンペーン紹介記事を 入れたりするわけで。幽やその他の関連媒体が、どのくらい宣伝に力を入れるかで、 てのひら怪談のMF・ポプラ・bk1の中での重要度が見えてくるのではないかと思われる。 東氏にとっては、「たくさんある仕事の中のひとつ」なのか、将来の布石として重視してるのか。 東氏の思惑とそれを支援するMF・ポプラの思惑は一致しているのか、などなど。 それはそれとして、そろそろ一杯一杯だと思うので、続きは次スレへ。 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】 http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1161661757/
|
- 【夏と冬】「超」怖い話Part22【怪コレ】
683 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 18:40:11 ID:AYQ+zCuE0 - 怪コレ2、ゲットできた。
そして!一応要点だけ書いておく。 ・後書きに怪コレ3の予告が載ってるのは本当。ただし、最後の一行に「来月出ます」とあるだけ。 ・裏超‐1開催中とか、URLとか、そういうことは一切書かれていない。 ・大物実話怪談作家の書き下ろしという予告も一切書かれていない。 ・よって、ID:EBnlPdmK0は嘘つき確定。 ・嘘つきとキチガイはそれぞれ別種の粘着と認定。 お知らせメールにも怪コレ3の話は書いていなかったので、 ほんやタウン情報を別にすると、怪コレ2後書きが実質的な オフィシャルな初出情報と思われる。 「箱」が載ってたが、超‐1の最中に読んだときとずいぶん印象が違う。 その他のもがっつりリライトされているモヨリ。これからゆっくり読む。以上。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
8 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:04:48 ID:AYQ+zCuE0 - 一応、この「てのひらと怪コレ」の話について、少し整理したいんだけどいいかな?
1)てのひら怪談と怪コレクションは、競争・競合関係/対立関係にはないのではないか、と思う。 2)てのひらは「怪談を小説として楽しむ読者」をターゲットとしている。怪コレは「実話怪談を楽しむ読者」をターゲットにしている。 3)てのひらは「文学賞を目指す人の登竜門」を志向している。怪コレは「超怖を目指す人の登竜門」だった。(来年以降は不明) 4)てのひらは、bk1、幽(MF)、ポプラ、東雅夫とその人脈、とリソースが潤沢。怪コレは、公式HP、竹書房、加藤一とその人脈(詳細不詳w)、とリソースはショボい。 5)将来的な展望と期待値で言うと、てのひらに分がある。怪コレは実績作りで足場を作ってる最中だが、超‐1の手作り感wから言えば、かなり順調そう。 6)てのひらは(というかbk1怪談大賞、幽怪談文学賞)来年も開催される(だろう)。怪コレ(というか超‐1)は、来年未定。 敢えて二択要素を設けるなら、 7)読者から見て、てのひらと怪コレのどちらが魅力的か?(読者も一種類ではないだろうけど) 8)プロデビューを目指す著者にとっては、てのひらと怪コレのどちらが魅力的か? 9)版元として、商品展開を考慮した場合に魅力的なのはどちらか? 他にも要素はありそうだけど、それはおいおい。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
9 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:13:35 ID:AYQ+zCuE0 - まず、半端なところからだが「(6)次もあるかどうか」についての補足的考察。
てのひら(bk1)、幽文学賞の登竜門またはJr.部門という位置づけであること、 bk1の過去からの蓄積から言えば、来年第5回の開催は確実であろうし、今後も (何か事情がない限りは)続くであろう、と見てよさそう。継続は力なりであるわけで、 この点については作品集化は怪コレが先んじたが、継続企画としてはてのひらが先行 して安定化している。 今後も、「幽文学賞の入門用」という位置づけでbk1怪談大賞→てのひらという路線 は続くのではないか。(ただし、これはてのひら怪談が、単品の商品としてそれなりに売れる という前提が必要。もちろん、幽・ダヴィンチ・ポプラが全力を挙げて支援するだろうから、 大ハズレということはないだろう) 怪コレ(超‐1)は、まず来年やるかどうかがはっきりしない。超怖の共著者選定という 大前提はすでに達成されているわけで、新しい目標が設定出来るかどうかということ、 その新しい目標が読者や版元に支持されるかどうか、という二つの課題がある。 やるともやらないともアナウンスがない以上、「おそらくやるだろう」という想像の元、 話を続けるしかないのだが、1年目で作品集が3冊、毎月連続で出るというのは、 やはり尋常ではないと思われる。ネームバリューがない著者(素人)の作品集に そういう期待が掛けられ、実際に3冊出る(すでに2冊出ている)という実績を積んで いる以上、むしろこれは「来年もある」と考えるほうが確実かもしれない。 版元が「作品集」が商品としていける、と判断しなければ、三冊刊行はないと思うし、 三冊刊行が実現しつつある以上、来年も怪コレを前提に超‐1をやるのではないか。 (開催の前提が超怖ではなくて、怪コレになる、という意味) どちらにせよ、怪コレはあてにできるリソースは「応募者のクオリティ」と、 「怪コレの売れ行き」しかない。これは連動していて、クオリティが低ければ 売れ行きにはブレーキが掛かる。売れ行きがよい、ということが、クオリティの 高い応募者を来年以降に引きつける牽引力になると思う。 宣伝、バックアップなどの支援体制が皆無である以上、ここが全ての生命線になるだろう。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
10 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:23:07 ID:AYQ+zCuE0 - >>8
(7)読者から見て、てのひらと怪コレのどちらが魅力的か? これなんだけど、読者も一律ではないから、一言では判断しにくいかもしれない。 小説を読む読者が実話怪談を読まない、またはその逆、という二択は、 ありそうに見えてそうでもないと思う。おそらく重複しているのではないか。 どちらがより上位になるか(どちらがどちらを内包しているか)と考えた場合に、 見方はいろいろある。 「本好き」という条件で見れば、「何でも読むウワバミ的読者」は、小説も実話も どちらも読むだろう。 「いいものだけを読みたい」という条件で絞ると、小説だけを価値あるものと見る文芸志向と、 ネタの優劣を重視する内容重視に分かれる。 価格という要素もあって、「安い(文庫)なら読むが、一定の金額以上なら買わない」 という条件付けをしている読者もある。そうなった場合、「安い本支持」になれば怪コレ有利、 「高い本を買うのは目の肥えた読者だけ」となるとてのひらは市場開拓の上では苦しい。 実話怪談と創作怪談という分け方をした場合に、「なんでもいいから怖いものを」という ジャンキーは、創作怪談も実話怪談もホラー映画もなんでも選ぶのではないか? という気はする。 実話怪談読者と創作怪談読者、どちらの排他性(趣味性)が高いか、どちらが好き嫌いが激しいか。 好き嫌いが激しい読者は、自分が属さないジャンルは読まないから、結果的に好き嫌いが激しくない 読者の分しか、嫌われたジャンルwは読まれないことになってしまうのだが、実数、特に部数で 見るなら、必ずしもその理解が当てはまるとは言えない気がする。 そういうわけで、「読者の資質の優劣」では簡単に判断できない。 ただ、読者は「一度手に取ったものが気に入らなかったら、次からは買わない」わけで、 リピーター獲得を念頭に置いているかどうかが、ひとつのカギになっているかもしれない。 最初は安くなければ手に取られないが、一度手に取った人間は次からは値段ではなく 内容で判断するようになる。最初の一手(手に取りやすい)から言えば、怪コレはてのひら より断然有利と言えるかもしれない。 その後は、読者の好み次第ということになると思う。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
11 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:28:45 ID:AYQ+zCuE0 - >>8
(8)プロデビューを目指すとしたら、どちらが魅力的か? これは、応募者の下心がどこにあるかによって違うと思う。正統派文芸路線、 有名評論家の喝采、賞という栄冠などを考えれば、圧倒的にてのひらに軍配が上がる。 怪コレには、それに載ることについて「高い評価」を形作る支援母体がないからだ。 一方、印税を念頭に置くならてのひらより怪コレのほうが充足しているように思える。 てのひらは単価が決まっていないようなのだが(おそらく単行本になるだろうから、1000〜1400円 くらいではないか)、掲載者が多数に昇ることから一人当たりの取り分は少ないのは 容易に予見できる。つまり、名は取れるが実は取れない。 怪コレは文庫本故に単価が安いが、人によっては掲載数はなみなみならぬ規模になる。 たくさん書ける人、書いたものが評価を得た人に、より大きくフィードバックされる。 つまり、名はないが実は取れる。 プロを目指すということを、「栄冠を目指す」と考える人はてのひらを選び、 「実業」と考える人は怪コレを支持するのではないか。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
12 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:36:39 ID:AYQ+zCuE0 - >>8
(9)版元として魅力的なのはどちらか? これは版元の考え方によっては一概には言えないかもしれない。 共通点を言えば、「素人を使う」ということにはリスクとメリットの双方がある、ということ。 リスクは「クオリティとスケジューリング(〆切)」が確実ではないということ。〆切について 言えば職業作家でも不確実な人はいるのだろうがw、クオリティはプロなら過去の作品から 容易に見当がつくのに対して、素人では原稿がきてみないとわからない。 しかも、プロが「過去の実績に対する信頼」という意味でのネームバリューを持つのに 対して、素人にはそうしたネームバリューは期待できない。故に、これはリスクと考えていいと思う。 また、収録される人数が増えれば増えるほど、事務手続きの手間は増えるはずだ。 プロ一人(またはせいぜい数人程度)に頼むのに比べて、収録予定者の人数が増える ということは、それだけ作業は繁雑になり、編集担当者の負担が大きいのではないか。 版元にとっては、これはリスク(またはデメリット)と見なして良いかもしれない。 メリットがあるとすれば、人件費が安価に済む。。。と言いたいところなのだが、 てのひらも怪コレも印税率を発表している。てのひらは著者取り分が7%(編集費3%) 怪コレは10%らしい。すると、これはプロに頼むのと変わらない。 他のメリットを考えるなら、あらかじめ作品を公募しておいてから本を作るのだから、 〆切破りが発生する余地がない、ということだろうか。 ただ、このあたりは版元にとっての魅力というより、編集担当者にとって楽かどうか、 という話のような気もする。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
13 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:46:12 ID:AYQ+zCuE0 - >>12の続き。
版元にとっての魅力は、「本がたくさん売れる(市場開拓)」 「本は損が出ない程度に捌ける(返本率が低く、損益が少ない)」 「リピーターの育成(続刊のシリーズ化)」だと思う。 もちろん、たくさん刷ったのが全部残さず売れて、全員がリピーター になって続刊も同じように売れるのがベストオブベストだと思うがw 市場開拓を考えた場合に、てのひらの場合は、支援媒体である幽や ダヴィンチなどの読者数を、おおよその上限とした市場規模が想定 できる。もっとも、雑誌の発行部数相当の読者が全員同じ本を選ぶ とは限らないわけで(例えば週刊ジャンプが600万部売れていた時代でも、 新刊コミックが初版600万部だった連載作品はない)、支援媒体の リソースの全てが、てのひらの市場になるわけではない。 怪コレの場合は、上位に位置する支援媒体は「超」怖い話のみという ことになるわけで、市場規模は幽やダヴィンチに比べて遙かに小さい。 (幽もダヴィンチも実際の公称部数が判らないので、一応「超」怖い話 より売れているはずだ、という前提にしておく。雑誌だし) ただ、読者の傾向が分散しているであろう雑誌に比べると、読者の 趣味傾向が集約されていて似ている(「超」怖い話読者、というくくり) ため、上位の媒体の市場をまるまるあてにできるという有利さはあるかもしれない。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
14 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 19:52:04 ID:AYQ+zCuE0 - >>13の続き。
版元から見れば、怪コレは「超」怖い話の読者をまるごとあてにできるため、 宣伝に要するリソースが少なくて済む(または宣伝費をほとんど掛けずに 怪コレという市場を構築できる)。安上がりにできる、のではないか。 また、3冊連続で出すことで、毎月同じタイトルを冠した新刊が市場に 顔を出すことになる。もちろん、内容(品質)に対する信頼性がある、という 前提は必要になるが、「怪コレというシリーズ」の名前の定着(市場の定着) を考えれば、かなり大きなリーチになっていると見ていい。「新刊が並ぶ」という ことそのものが、宣伝にもなっており、売れた分だけ回収できるコスト、という ことになる。もちろん、これは「売れれば」の話だが。 てのひらの場合は、bk1はともかく、幽とダヴィンチの「てのひらを知らない読者」 に対して強くアピールすることで、てのひらの市場規模を拡大するチャンスが ある一方、幽とダヴィンチの読者の全てがてのひらに興味を持つとは限らない、 というリスクも持つ。てのひらの存在を、まだ知らない読者に周知するために 誌面リソースを使わなければならない分、コストが掛かる商品ということにもなる。 てのひらそのものは来年(2007/2)発売、おそらく続刊は翌年の2008/2発売、 ということになるだろうから、てのひらだけでは市場は作れない。あくまで、てのひら とbk1怪談大賞(bk1)と幽文学賞(MF)の連動が前提になる。 bk1は「書籍通販サイト」であって版元ではないので、展開企画がポプラ社から 出ることについては問題ないのだろうが、幽文学賞の場合は母体がメディアファクトリー という出版社であるわけで、自社展開したものをポプラ社など外部の版元に譲る とは考えにくい。(譲る場合は、幽文学賞はMFにとっては利益を生まないものだ、 という認識になってしまう) 複数出版社乗り入れ企画であるが故のメリットと、「儲けの山分け」というところを、 どう解決していくか、というのが気になるところ。 おそらくは、「人材の共有」という方向に進むのではないか、とは思うのだが。
|
- 実話怪談と創作怪談について考察するスレ【2】
15 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 20:06:17 ID:AYQ+zCuE0 - >>14まだ続く。
人材の共有について。 bk1で集めた応募者(著者)を、てのひら怪談という本にまとめる過程で、 将来見込みのありそうな著者(と、その連絡先)をポプラ社は手に入れることができた。 自社企画ではないところで行われた企画で、しかも優秀者の選別は済んでいる 状態で名簿をうまうまともらうようなものだから、ポプラ社が将来的に自社で使える 人を育てていくための下地としては、かなりおいしい話だったのではないか。 てのひらが仮にまったく売れなかったとしても、「人材獲得のための投資」として ペイできる、と踏んでいるのかもしれない。 bk1側は話題作りになる。MF側は幽文学賞の前哨戦として、データ取りができる。 MFが手を染めなかったのは、幽文学賞との棲み分けもあるだろうけれども、 それ以上に売れなかった場合のリスクが投資に見合わない、と考えているから ではないか。つまり、MFは新人を自社でゆっくり育てていこうという意志・意識が ないか、少なくともまだそのことに会社のリソースを割く判断はついていないか。 そこで浮いてしまう人材(候補)を、雲散霧消させてしまわないために、東氏は bk1組をポプラ社にリースした、と。MFはリスクを取らず、ポプラ社は人材を得、 橋渡し役をしたことで東氏はブローカーとしてのポイントが上がる。四者総得。 カラクリとしてはそういったところではないかと思うのだが、これはもちろん一素人の 下衆の勘ぐりなので、実際のところはわからない。 超‐1は超怖を満たすだけの人材が拾えれば成功だったろうと思うのだが、 余剰人材をプールするために、怪コレというまとめ本に踏み切ったのではないか。 ただ、竹書房が継続的な人材育成をするつもり&体制があるのかどうかは、 はっきり言ってわからない。が、集めた人材を雲散霧消させないで引き留めるため の算段として、怪コレを実現させた、さらにはシリーズ化させたのではないか。超‐1 の受け皿として。というのは、ちょっと穿ちすぎか? そう考えれば、竹書房は来年も超‐1をやるだろう、という楽観的観測ができてしまうのだが。
|
- 【夏と冬】「超」怖い話Part22【怪コレ】
686 :本当にあった怖い名無し[sage]:2006/10/27(金) 20:08:03 ID:AYQ+zCuE0 - >>684
いや。箱はトップじゃなかった。 でも、今回もちゃんと編集の妙というか、前後の話がなんとなく繋がってる 加藤構成になっている模様。最初の数話からしてそうだったので、 後ろもそうなってるんじゃないかと思う。(まだそこまで読んでないので) 続きは今夜読むのー。
|