- アメリカ飽きたけど日本には帰れない - 40発目
250 :名無しさん[sage]:2020/09/08(火) 14:23:34.15 ID:Kc+o1PhR0 - 日本軍がしていた厳格なセックス管理の真逆を行く半島人
↓ ベトナム民間人虐殺、残虐な加害の実態「村人を1カ所に集めては手榴弾を……」 韓国政府提訴へ ・「村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた」 韓国がベトナム戦争に参戦したのは、朴正煕政権時代のことだ。内戦に介入していた米国が北爆を開始し、ベトナム戦争が本格化。1964年から支援部隊を送っていた韓国も本格的な派兵を決める。南ベトナム政府からの要請という名目で1965年に集団的自衛権を行使し、朴大統領は延べ32万人もの兵士を投入したのである。 派兵されたのは「猛虎隊」、「青龍隊」、「白馬隊」と呼ばれる3部隊だった。大規模な虐殺が行われていたのは、主にフーイエン、ビンディン、クワンガイ、クワンナムの4か所。いずれも韓国軍駐屯地の周辺だった。 韓国軍はベトナム人から「ダイハン(大韓)」、「朴正煕の兵士達」と呼ばれ、怖れられていたという。 ク・スジョン氏が生々しい証言について語る。 「生き残った方々の証言から、村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた、生まれたばかりの乳児が40人以上も殺された、などという凄惨な話が次々と出てきました。機関銃で殺したり、洞窟に逃げ込んだ村民を催涙ガスで燻りだして銃殺するケースもあった。 なぜ虐殺が起きたのかといえば、韓国軍が基地を作るためでした。基地を作りたい場所の周辺に村があると、敵が潜伏する隠れ家になりやすい。そこで村人を戦略村(事実上の収容所)に送ろうとしたのですが、ほとんどの村人は村を離れようとしなかった。『私は1mmもここから離れません』と標語を掲げたり、木にしがみ付いて戦略村送りを拒否する村人が多かった。 そこで韓国軍が選んだ方法が虐殺だったのです。虐殺の85%は1966年に集中していますが、ほとんどは基地設営のためでした〉 (後略) 8/10(月) 17:01 https://news.yahoo.co.jp/articles/a14de20cdc59e6ba76b851525430d06eeba28197
|