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君の名は(茸) (スップ Sd1f-213F)
今回の選抜で1番問題なのは秋元真夏の意味不明なフロント入り

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今回の選抜で1番問題なのは秋元真夏の意味不明なフロント入り
608 :君の名は(茸) (スップ Sd1f-213F)[]:2022/10/02(日) 08:31:29.82 ID:DxXjg/16d
オーストラリア先住民のナレルダ・ジェイコブスさんの生家にはかつて、父親のセドリックさんがエリザベス女王と面会している写真が誇らしげに飾られていた。

テレビ司会者のジェイコブスさんは、「子供の頃は、女王を尊敬していた。『女王だ! 女王からお父さんが勲章をもらっている!』と思っていた」と話した。

「女王は私にとって、いつも見上げる存在だった」

しかし大人になるにつれ、この写真の意味合いが変わってきた。今では、自分たちの主権を認めてもらうために生涯をささげた人物の前に、君主が立っている写真に見えるという。

「そして父は、その決定を待ちながら亡くなった」と、ワジュク出身のヌーンガー(豪南西部の先住民を指す言葉)であるジェイコブスさんはBBCに語った。

エリザベス女王の死に際し、オーストラリアやトレス海峡諸島の先住民の多くが、その複雑な心境を語った。

この地域の先住民は、地球上で最も長く続く文化をもつが、植民地主義に大きく傷つけられた。1770年にジェイムズ・クック船長がこの地にたどり着いて以降、オーストラリア先住民から土地を奪う出来事が次々と起こった。大量殺人、大規模な文化の妨害、そして世代を超えたトラウマが続いた。

1954年にエリザベス女王が初めてオーストラリアを訪問した際、先住民の人々は人口に数えられていなかった。その子供たちは白人家庭に同化するため、強制的に家族から引き離されていた。女王の訪問中、先住民のオーストラリア人は積極的に隠されていた。

それからというもの、たくさんのことが変わった。しかし、オーストラリアでは依然として、先住民が非先住民に比べて健康や教育をはじめとする指標で、不均衡に不利な状況にある。

ウィラジュリ出身のサンディー・オサリヴァン教授は、「私たちの暮らしはいまだに、(非先住民よりも)厳しい(中略)そしてそれは、植民地支配のせいだ」と話した。

入り混じる感情
その結果オーストラリアは、エリザベス女王の死去に際して、どうやってその人生を称えながら、自国の最も暗い部分を認めたらいいのか、苦慮してきた。(略)

女王がしなかったことへの批判
また、女王自身がしなかったことへの批判もある。多くのオーストラリア先住民は女王の在位中、支援拡大を訴えていた。(略)
オサリヴァン教授は、「誰かが亡くなったことを祝いたい人たちのことなど、あまり相手にしたくない」と話す。

しかし、女王は非常に多きな影響力と「莫大な富」を持っていたのだから、単なる「優しいおばあちゃん」として描くのは公平ではないと語った。(略)

「機会はある」
植民地化が先住民に与えた被害をオーストラリア政府が認めるならば、オーストラリアは今後もイギリス君主を元首としていただくわけにはいかないはずだ――そう主張する人もいる。

しかし、共和制への移行を問う国民投票は、少なくとも3年先になる見込みだ。(略)

一方で、イギリス王室は新しい時代を受け入れるべきだという声もある。

オサリヴァン教授は、「今のこれは、白紙に戻すチャンスだ。とても期待している」と語った。

オーストラリア先住民の中には、チャールズ3世に、植民地主義がもたらした被害に対する謝罪をしてほしいと考えている人もいる。エリザベス女王は1995年にニュージーランドのマオリ族に対して、土地の強奪などを「深く謝罪」している。

このほかにも、金銭的な補償、土地や工芸品の返還、イギリス各地の博物館にある先祖の遺骨の返還など、賠償を求める声もある。さらに、国王は「ボイス・トゥ・パーラメント」推進活動を支援することもできるとも言われている。

BBCが今回取材した人々はみな、チャールズ国王には先住民に会い、話を聞いてもらいたいと話した。

ジェイコブスさんは、「本当にいらいらする。このような会話は、私たちの指導者が国王の母親とすべきことだった」と話した。

「しかし、先住民としての主権が認められるのを待つ間に、ほかに誰かが死んでしまうなど、もうたくさんだ」

★1
今回の選抜で1番問題なのは秋元真夏の意味不明なフロント入り
609 :君の名は(茸) (スップ Sd1f-213F)[]:2022/10/02(日) 08:31:42.20 ID:DxXjg/16d
オーストラリア先住民のナレルダ・ジェイコブスさんの生家にはかつて、父親のセドリックさんがエリザベス女王と面会している写真が誇らしげに飾られていた。

テレビ司会者のジェイコブスさんは、「子供の頃は、女王を尊敬していた。『女王だ! 女王からお父さんが勲章をもらっている!』と思っていた」と話した。

「女王は私にとって、いつも見上げる存在だった」

しかし大人になるにつれ、この写真の意味合いが変わってきた。今では、自分たちの主権を認めてもらうために生涯をささげた人物の前に、君主が立っている写真に見えるという。

「そして父は、その決定を待ちながら亡くなった」と、ワジュク出身のヌーンガー(豪南西部の先住民を指す言葉)であるジェイコブスさんはBBCに語った。

エリザベス女王の死に際し、オーストラリアやトレス海峡諸島の先住民の多くが、その複雑な心境を語った。

この地域の先住民は、地球上で最も長く続く文化をもつが、植民地主義に大きく傷つけられた。1770年にジェイムズ・クック船長がこの地にたどり着いて以降、オーストラリア先住民から土地を奪う出来事が次々と起こった。大量殺人、大規模な文化の妨害、そして世代を超えたトラウマが続いた。

1954年にエリザベス女王が初めてオーストラリアを訪問した際、先住民の人々は人口に数えられていなかった。その子供たちは白人家庭に同化するため、強制的に家族から引き離されていた。女王の訪問中、先住民のオーストラリア人は積極的に隠されていた。

それからというもの、たくさんのことが変わった。しかし、オーストラリアでは依然として、先住民が非先住民に比べて健康や教育をはじめとする指標で、不均衡に不利な状況にある。

ウィラジュリ出身のサンディー・オサリヴァン教授は、「私たちの暮らしはいまだに、(非先住民よりも)厳しい(中略)そしてそれは、植民地支配のせいだ」と話した。

入り混じる感情
その結果オーストラリアは、エリザベス女王の死去に際して、どうやってその人生を称えながら、自国の最も暗い部分を認めたらいいのか、苦慮してきた。(略)

女王がしなかったことへの批判
また、女王自身がしなかったことへの批判もある。多くのオーストラリア先住民は女王の在位中、支援拡大を訴えていた。(略)
オサリヴァン教授は、「誰かが亡くなったことを祝いたい人たちのことなど、あまり相手にしたくない」と話す。

しかし、女王は非常に多きな影響力と「莫大な富」を持っていたのだから、単なる「優しいおばあちゃん」として描くのは公平ではないと語った。(略)

「機会はある」
植民地化が先住民に与えた被害をオーストラリア政府が認めるならば、オーストラリアは今後もイギリス君主を元首としていただくわけにはいかないはずだ――そう主張する人もいる。

しかし、共和制への移行を問う国民投票は、少なくとも3年先になる見込みだ。(略)

一方で、イギリス王室は新しい時代を受け入れるべきだという声もある。

オサリヴァン教授は、「今のこれは、白紙に戻すチャンスだ。とても期待している」と語った。

オーストラリア先住民の中には、チャールズ3世に、植民地主義がもたらした被害に対する謝罪をしてほしいと考えている人もいる。エリザベス女王は1995年にニュージーランドのマオリ族に対して、土地の強奪などを「深く謝罪」している。

このほかにも、金銭的な補償、土地や工芸品の返還、イギリス各地の博物館にある先祖の遺骨の返還など、賠償を求める声もある。さらに、国王は「ボイス・トゥ・パーラメント」推進活動を支援することもできるとも言われている。

BBCが今回取材した人々はみな、チャールズ国王には先住民に会い、話を聞いてもらいたいと話した。

ジェイコブスさんは、「本当にいらいらする。このような会話は、私たちの指導者が国王の母親とすべきことだった」と話した。

「しかし、先住民としての主権が認められるのを待つ間に、ほかに誰かが死んでしまうなど、もうたくさんだ」

★2
今回の選抜で1番問題なのは秋元真夏の意味不明なフロント入り
610 :君の名は(茸) (スップ Sd1f-213F)[]:2022/10/02(日) 08:31:53.85 ID:DxXjg/16d
オーストラリア先住民のナレルダ・ジェイコブスさんの生家にはかつて、父親のセドリックさんがエリザベス女王と面会している写真が誇らしげに飾られていた。

テレビ司会者のジェイコブスさんは、「子供の頃は、女王を尊敬していた。『女王だ! 女王からお父さんが勲章をもらっている!』と思っていた」と話した。

「女王は私にとって、いつも見上げる存在だった」

しかし大人になるにつれ、この写真の意味合いが変わってきた。今では、自分たちの主権を認めてもらうために生涯をささげた人物の前に、君主が立っている写真に見えるという。

「そして父は、その決定を待ちながら亡くなった」と、ワジュク出身のヌーンガー(豪南西部の先住民を指す言葉)であるジェイコブスさんはBBCに語った。

エリザベス女王の死に際し、オーストラリアやトレス海峡諸島の先住民の多くが、その複雑な心境を語った。

この地域の先住民は、地球上で最も長く続く文化をもつが、植民地主義に大きく傷つけられた。1770年にジェイムズ・クック船長がこの地にたどり着いて以降、オーストラリア先住民から土地を奪う出来事が次々と起こった。大量殺人、大規模な文化の妨害、そして世代を超えたトラウマが続いた。

1954年にエリザベス女王が初めてオーストラリアを訪問した際、先住民の人々は人口に数えられていなかった。その子供たちは白人家庭に同化するため、強制的に家族から引き離されていた。女王の訪問中、先住民のオーストラリア人は積極的に隠されていた。

それからというもの、たくさんのことが変わった。しかし、オーストラリアでは依然として、先住民が非先住民に比べて健康や教育をはじめとする指標で、不均衡に不利な状況にある。

ウィラジュリ出身のサンディー・オサリヴァン教授は、「私たちの暮らしはいまだに、(非先住民よりも)厳しい(中略)そしてそれは、植民地支配のせいだ」と話した。

入り混じる感情
その結果オーストラリアは、エリザベス女王の死去に際して、どうやってその人生を称えながら、自国の最も暗い部分を認めたらいいのか、苦慮してきた。(略)

女王がしなかったことへの批判
また、女王自身がしなかったことへの批判もある。多くのオーストラリア先住民は女王の在位中、支援拡大を訴えていた。(略)
オサリヴァン教授は、「誰かが亡くなったことを祝いたい人たちのことなど、あまり相手にしたくない」と話す。

しかし、女王は非常に多きな影響力と「莫大な富」を持っていたのだから、単なる「優しいおばあちゃん」として描くのは公平ではないと語った。(略)

「機会はある」
植民地化が先住民に与えた被害をオーストラリア政府が認めるならば、オーストラリアは今後もイギリス君主を元首としていただくわけにはいかないはずだ――そう主張する人もいる。

しかし、共和制への移行を問う国民投票は、少なくとも3年先になる見込みだ。(略)

一方で、イギリス王室は新しい時代を受け入れるべきだという声もある。

オサリヴァン教授は、「今のこれは、白紙に戻すチャンスだ。とても期待している」と語った。

オーストラリア先住民の中には、チャールズ3世に、植民地主義がもたらした被害に対する謝罪をしてほしいと考えている人もいる。エリザベス女王は1995年にニュージーランドのマオリ族に対して、土地の強奪などを「深く謝罪」している。

このほかにも、金銭的な補償、土地や工芸品の返還、イギリス各地の博物館にある先祖の遺骨の返還など、賠償を求める声もある。さらに、国王は「ボイス・トゥ・パーラメント」推進活動を支援することもできるとも言われている。

BBCが今回取材した人々はみな、チャールズ国王には先住民に会い、話を聞いてもらいたいと話した。

ジェイコブスさんは、「本当にいらいらする。このような会話は、私たちの指導者が国王の母親とすべきことだった」と話した。

「しかし、先住民としての主権が認められるのを待つ間に、ほかに誰かが死んでしまうなど、もうたくさんだ」

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