- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
822 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:23:04.34 ID:kGt76EwX - >>819
文化程度が低い駿河で、鰻料理あるかつーの 鰻料理が記録された最古の資料は、三河武士の大草氏が記した大草家料理書 そもそも何で、三河人が駿河の糞カッペに教化されなあかんのか 洛中の超インテリ、大草衆は家康と同じく三河国額田郡出自だ 支配階級と無縁の部外者は歴史を語らんでよい そもそも一切歴史に興味を持つな、迷惑だ 足利将軍家料理人にして日本料理のみならず北山文化、東山文化のクリエイター集団、大草衆 大草衆 大草衆とは、大草氏の惣領を中心に時衆の阿弥号(観阿弥、世阿弥も時衆)を持つ者(同朋衆)を取り込み形成された一種の職能集団で強い仲間意識で連帯していた。 阿弥号を持つ者は、主として身分が低い者が身分制度から抜け出て南北朝や応仁の乱の乱世で、己の才で主に芸術面で活躍することができた。 大草衆は庖刀式などの儀式のみならず、書式、書札式、礼式、数式、絵図式、礼法、兵法、歳時記 十節句、年中行事、臨時儀礼(冠婚葬祭等)、音声などを自らの職能とし室町幕府を文化面で支えた。 大草流は武家諸礼式の流派小笠原流や伊勢流と、ならぶ故実の伝承者であり、群書類従で有名な大草家料理書、大草殿より相伝の聞書などは、大草流の伝え事のほんの一部でしかないのである。 大草流庖丁道 https://ja.wikipedia...E9%81%93 大草氏 http://www2.harimaya..... >家伝によれば、三郎左衛門尉公経が足利尊氏に仕えたとあり、公経をもって始祖にしている。 > 三河国額田郡大草(三河県幸田町)を領して、大草を家号にしたと伝える。
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823 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:27:49.84 ID:kGt76EwX - >>791
演出家、脚本家が物を知らない田舎者だからだろう 家康が生まれた当時の岡崎をしっかりと頭に入れろ 南北朝時代のスーパースター、高師泰、高師直を菩提する寺は、岡崎城の隣接地にあった 築山殿は、この尼寺に幽閉された 明阿 父は足利尊氏の執事を務めた高師直の兄弟で、自身も優れた武将であった高師泰。夫は父の従兄弟で、後に高師直の猶子となった関東執事高師冬。 正平6年/観応2年(1351年)、夫師冬が甲斐国で敵に包囲され自害、更におよそ一月後には、おじ師直・父師泰・兄弟師世ら高一族8人が摂津国武庫川で殺害されるという悲運に遭い出家、明阿と名乗る。 明阿は滅亡した一族の菩提を弔うため、寺院の建立を決意し、正平10年/文和4年(1355年)8月、足利尊氏に対して、師泰の生前に自身が譲り受けていたとする菅生郷(岡崎市)を菩提所として建てる総持寺に寄進したいと申し出た。 尊氏は感激し、息子の義詮にもこのことを伝え、各々明阿に対して申し出に賛同する書状を送っている。 明阿は、とーちゃんが侍所頭人、引付頭人、5カ国守護(尾張・越後・河内・和泉守護)、旦那が関東NO2(関東執事)のセレブ 三河の文化程度が低いとか、頭がおかしいのか?
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824 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:29:09.11 ID:kGt76EwX - 家康とやらがジョギングすれば、10分のところに尊氏のかーちゃんの屋敷があった
この屋敷は幕末に火事になるまで岡崎藩が使用していた 足利尊氏の生誕地は、家康の生誕地から直線距離で約1.5キロしか離れていない おそらく足利尊氏、直義は、足利氏の大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた ■上杉氏 太田亮 上杉-勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。 丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。 『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。 その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か 足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷 ■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷) 鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。 足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、 翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。 頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。 日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。
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825 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:30:17.36 ID:kGt76EwX - 家康とやらが馬を走らせれば15分の所に、洛中の武家社会で三本指に入る名門中の名門の斯波氏の菩提寺があった
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」 「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」 初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした 永源寺 中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。 「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。 応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
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826 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:31:41.24 ID:kGt76EwX - 岡崎の大門地区には、矢作川の洪水で流されるまで大門寺という寺があって、その坊舎の一つを足利宗家が屋敷としていた大門屋敷があった
その大門寺にあったと思われるのが足利尊氏の石宝塔だ 足利尊氏石宝塔 https://www.city.okazaki.lg.jp/1550/1575/1662/p021486.html その大門寺を矢作川挟んで右岸にあるのが長瀬八幡宮 賊に焼かれたが尊氏が再建し、足利一門を宮司に据えたと伝える 長瀬八幡宮 https://okazakikeikan.boo-log.com/e95416.html そしてこの長瀬を本拠にしたのが、関東の吉良氏の祖たる長瀬四郎だ ■室町時代 ・世田谷御所(東京都世田谷区) 長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む ■戦国時代 ・蒔田御所(横浜市南区) 長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
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828 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:33:55.19 ID:kGt76EwX - 足利宗家の大門屋敷から北東に約3キロの豊田市には、洛中の武家社会で三本指に入る名門中の名門たる細川氏の初代が眠る隣松寺がある
その隣松寺の由緒 隣松寺境内にある稲荷社は、松平広忠が竹千代(のちの徳川家康)誕生にあたり、成長の無事を祈願したと伝わる。 徳川家康は三河一向一揆に際し稲荷社に戦勝祈願し、勝利後、寺の山号を「玉松山」から「稲荷山」に改め、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納するとともに朱印地30石を寄進した。 東京の三河稲荷神社は、当社の末社である。 細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市) http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html 現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス) 公家(No.1、No.2) ・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子 ・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子 武家(No.1、No.2) ・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子 ・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市) 細川家 菩提寺 ・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126) ・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56) 氏神 ・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) 大給松平家 菩提寺・墓所 ・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123) ・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56) ・大給城(三河県豊田市大内町字城下) 氏神 ・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
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829 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:37:51.95 ID:kGt76EwX - 松平家の菩提寺たる大樹寺から東に3キロには、頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた、等身大の仏像がある、頼朝母方菩提寺たる滝山寺がある
滝山寺(三河県岡崎市) http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html 源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像 吾妻鏡 文治四年(1188)十一月大九日庚子。頼朝様の甥(従兄弟の間違い)に当たる僧の任憲が参りました。 未だに会った事も無く良く分からないので、質問してみると、故祐範の子供だと言っております。そこで、北の私邸の客間へお呼びになり、丁重にもてなしました。 その祐範は、季範様の息子で頼朝様のお母さんの弟です。お母さんが早死にした時に、七日目毎の供養に(故祐範が)澄憲法印をお呼びになり、成仏のためお経を唱えさせました。それだけにおわらず、永暦二年に伊豆国へ流された時に、下男一人を付けさせて送って来てくれ、それから毎月使いをよこしました。 そのような恩義を忘れる事はありません。そこへその息子がたまたまやってきたので、これもご先祖様のおかげの良いかたみだと大変お喜びになられましたとさ。 季範は頼朝の祖父、熱田大宮司 祐範は三河法橋祐範といい三河国滝山寺僧 祐範は、三河国滝山寺で姉である由良御前を菩提 澄憲法印は信西の息子で、由良御前のハトコ 祐範が頼朝につけてやった下男一人とは安達盛長と思われる
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830 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:39:16.68 ID:kGt76EwX - 岡崎市東部には、足利尊氏遺言、足利義満創建の寺
俺が知る限り、足利義満創建の寺は、ここしか知らない 天恩寺(三河県岡崎市) https://okazaki-kanko.jp/point/554 天恩寺とセットらしい、すぐ脇の山下八幡宮も足利義満創建と伝える
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831 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:41:28.82 ID:kGt76EwX - 義家流源氏の縁故地がウジャウジャあって、文化レベルが低いとか
何処の物を知らない田舎者なんだろうか 源頼朝関連史跡 ■三河七御堂(西尾市、豊橋市、蒲郡市、豊川市、新城市) 源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治~建久年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた 東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する 一覧 【西尾市】光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂【豊橋市】赤岩寺/弥陀堂、普門寺/観音堂【蒲郡市】長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり、全福寺/現在は廃寺、丹野御堂【豊川市】財賀寺/観音堂【新城市】鳳来寺/弥陀堂 ■滝山寺(岡崎市) 母方の一族である藤姓熱田大宮司家氏寺、伽藍造営、源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像あり 北条政子13回忌に、足利義氏(3代目足利宗家)が源実朝、北条政子の遺骨を分骨 ■その他 【岡崎市】 ・光明寺/堂宇を再建 ・夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進 【幸田町】 ・浄土寺/寺領700石寄進 【豊田市】 ・平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進 ・二井寺(普賢院)/寺領寄進 ・猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築
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832 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:42:26.18 ID:kGt76EwX - >>831
続き 【知立市】 ・牛田八幡社/頼朝の目代(大江氏か?)が鶴岡八幡宮を勧請 【西尾市】 ・瀬門神社/1195年に源頼朝が社殿を再建 【豊橋市】 ・普門寺/堂舎再興、寺領寄進、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭、頼朝等身と伝わる不動王あり ・吉田神社/社殿は安達藤九郎盛長が造営、天王社勧請 ・鞍掛神社/愛馬の鞍を奉納 【豊川市】 ・財賀寺/本堂・仁王門再建、寺領寄進 ・宮道天神社/安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納 ・八幡宮/寺領(1000町歩)寄進 【蒲郡市】 ・八劒神社/社殿は建久元年(1190年)、頼朝の命により安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)が造営 【新城市】 ・鳳来寺/再興、三重塔造営、寺領寄進 ・今水寺/寺領寄進
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834 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:43:34.80 ID:kGt76EwX - 義家流源氏の縁故地がウジャウジャあって、文化レベルが低いとか
何処の物を知らない田舎者なんだろうか 足利尊氏関連史跡 ■天恩寺(岡崎市) 足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所 ■勝楽寺(西尾市) 創建、お手植えの松あり ■その他 【岡崎市】 ・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進 ・高隆寺/七堂伽藍造営 ・真福寺/持地院建立 ・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営 ・竜泉寺/日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野一族(足利一族)の竜泉寺城 ・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり ・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に ・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり ・八剣神社/足利尊氏の墓あり、近くに大門屋敷(足利宗家の屋敷)があった 【豊田市】 ・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ ・猿投神社/東の宮創建、槍と鏡奉納 【幸田町】 ・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ
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836 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:44:48.28 ID:kGt76EwX - >>834
続き 【西尾市】 ・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし) ・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興 ・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係 ・幡頭神社/参拝、弓矢奉納 【豊橋市】 ・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納 【新城市】 ・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀堂等造営
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837 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:46:36.37 ID:kGt76EwX - >>835
尊氏が生まれた時、既に貞氏は出家 つまり頼重も出家して嫡男に家督を譲り、三河在国だった可能性が高い 清子は、とーちゃんかーちゃんがいる三河の屋敷で子供生むの当たり前だろうが 頭が悪いカッペめ
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839 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:51:00.77 ID:kGt76EwX - 家康が生まれた当時の三河の産業一覧
駿河の文化不毛の糞カッペと一緒にするんじゃない 綿産業 https://nishiokanko.com/list/shop/mensosai/ 日本の綿産業は、インド人が三河に流れ着いて始まったとされる 絹産業 三河赤引糸 伊勢神宮では、1年に2度、冬の御衣(和妙・にぎたえ)=絹布 夏の御衣(荒妙・あらたえ)=麻布2種類の神御衣(かんみぞ)=神が着用する衣服=を皇大神宮と荒祭宮に奉ります。 和妙の原料となる絹糸は、三河赤引糸(あかひきのいと)「三河の国より神宮に奉献される清浄な絹糸」とされています。奉納は、桓武天皇の時代(781~806)に三河大野(現在の新城市大野)服部郷(はとりごう)で生産された絹糸を渥美神戸の名で伊勢神宮に献納したのが始まりとされています。 林業 伊勢神宮の式年遷宮、内宮の用材の御杣山は三河国の木材が使われた事があった http://www.marunakawood.co.jp/higashimikawa_wood.html 奥三河は全国一の木材産地である奈良県吉野にならび、良質な木材が取れる全国有数の木材産地と言われている 瓦産業 http://www.kawara.gr.jp/01_rekishi/rekishi.shtml 東大寺の瓦は渥美半島産 江戸期、日本の瓦の三大産地(三州、石州、淡路) 鋳造業 頼朝が納めた高野山の高野四郎(大塔の鐘)の二代目は三河で作られた 三州釜の中尾工業(株)は、1538(天文7)年創業 鋳物師中尾氏を中心に鋳物師集 団が定住し、三河ではもっとも古くから市場が形成されていた 当時、中尾 氏のほか幡豆の太田、碧海の国松、岡崎の木村と安藤の各鋳物師が活躍していま したが、中尾氏はこれら三河鋳物師の統率者の役割を果たしていました。中尾氏 が鋳物業を大きく発展させたのは、それまでの梵鐘など社寺製品のほかに鍋釜の 鋳造を始めた元禄(1688~1704)の頃からでした。 中尾氏の鋳物業の隆盛は、幕末の嘉永年間(1848~1854)にかかれた『三河名所 図絵』から知ることができます。そこには数千人の職人が従事し、各種の鍋釜を 中心に鋳物製品を船で大阪に運送していたことが記されています。 中尾氏は1849( 嘉永2)年に、大阪の商人と共同で五百石積みの船を購入しています。当時、中尾 氏が生産した三州釜は、大阪をはじめ西日本一帯でたいへん有名で、三州釜の称 号は優良品を意味する代名詞となっていました。 漁業 三河国は御食国 奈良時代、三河湾に浮かぶ三つの島からサメやスズキ、タイなどの海産物の加工品が、天皇へ捧げられる「贄(にえ)」として奈良の都まで運ばれていた 奈良市の平城宮跡と平城京跡などからは1960年代から、「参河国播豆(芳豆、芳図)郡」で始まる佐久島(析嶋)、篠島(篠嶋)と日間賀島(比莫嶋)の3島の名前が書かれた贄の荷札木簡116点が出土。「○月料御贄」という共通の文言とともに「須々岐(すずき)」「佐米(さめ)」「鯛(たい)」「赤魚」など魚の名前に続き、「楚割」(細く切って干したもの)などと記されている。 製塩業 吉良の饗庭塩田はセンゴク(笑)期に始まる 石工業 岡崎の石工業は室町期まで遡り、国会議事堂の花崗石は岡崎産 醸造業 八丁味噌
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841 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:53:31.91 ID:kGt76EwX - >>838
諦めろ 俺は、そんなに甘くない 一覧にまとめれば、お前の嘘だけが露呈する 高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三河国滝山寺) 高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事) 高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三河国滝山寺) 高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子) 高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室) 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師世(幕府執事)→いち(三河国総持寺住持) 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師秀 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→明阿(高師冬妻、三河国総持寺開基) 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)? 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師夏 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師詮 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子) 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師兼(初代三河守護、高師直猶子) 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→貞円(三河国滝山寺) 高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三河国額田郡比志賀郷)
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844 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:56:45.46 ID:kGt76EwX - >>840
清子が京都生まれとか、頭が悪いにも程があるだろう お前は歴史に向いていない 一切、日本史に興味を持つな
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845 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 11:58:50.11 ID:kGt76EwX - >>842
搾取されていた田舎者とは、コイツらの事?w しかしアレだ パゴヤの田舎者、良くこんなダセー町に愛着があるよなw ■那古野荘(名古屋) ・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当) 藤原顕隆→顕頼→小野法印別当 藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院) ■平安時代 ・小野法印顕恵が開発 ・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る ■鎌倉時代初期~中期 ・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する ■鎌倉時代末期~南北朝 ・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる ■室町時代 ・今川那古野氏が領家職となる 初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か? ・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城 ■江戸時代 ・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城 ■現代 ・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる
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- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
847 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:00:27.84 ID:kGt76EwX - >>842
搾取されていた田舎者とは、コイツらの事?w 清洲城の築城者は、元岡崎市民と西尾市民の娘の間の子供の斯波義重 斯波義重 ・斯波氏(武衛家)6代当主 ・管領 ・越前・尾張・遠江・加賀・信濃守護 ・正三位 父:斯波義将 ・斯波氏(武衛家)5代当主 ・管領 ・越前、越中、信濃守護 ・従三位 母:吉良満貞の娘 ・父は西条吉良氏 ・父は三河国西条城主 ・父は引付頭人 空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」 「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」 初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
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- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
850 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:01:57.72 ID:kGt76EwX - >>846
諦めろ 関東は東夷 梅松論には、東国を征伐する歴史を語る記事で、日本武尊に言及している つまり義家流源氏は、東国征伐のルーツを日本武尊に求めていた事が分かる 日本武尊と言えば、草薙剣 三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝、足利尊氏の使命感の源泉でもある 日本武尊の実在モデルが建稲種命なら、三河に墓がある 正法寺古墳がその墓で、祀る神社が旗頭神社だ 正法寺古墳 https://ja.m.wikiped...F%E5%B0%BE%E5%B8%82) 幡頭神社 https://ja.m.wikiped...AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE そして正法寺古墳の裾には、足利尊氏再興の正法寺がある 三河を探れば、全部意味があるんだよ 正法寺 https://jinja.dr-lea...ji-nisio-kiraokkawa/ 寺宝 足利尊氏寄進 扁額 足利義満寄進 太刀、獅子頭、扁額 日本武尊の双子の兄弟を祀る、猿投神社 https://yaoyorozulab...azujinja-kira-nisio/ 足利尊氏は、猿投神社の東の宮を創建し、槍と鏡奉納した
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851 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:02:52.43 ID:kGt76EwX - >>846
ほんと諦めろ 梅松論 日本武尊から源氏三代将軍まで 「先代」というのは、元弘年間(1331-1334)に滅亡した相模守高時入道(北条高時)のことである。 承久元年(1219)、武家の遺跡が絶えて以来、故頼朝卿の後室二位禅尼(北条政子)の計らいによって、公家の将軍を迎え、北条遠江守時政の子孫を執権として、関東において天下の沙汰をすることになった。 将軍とは何かといえば、人皇十二代景行天皇の時に、東夷が反乱を起こし、御子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を大将軍としてこれを征伐された。 同十五代神功皇后は、自ら将軍として、諏訪住吉の二神を伴われて三韓を平らげられた。 同三十二代用明天皇の御宇、厩戸王子が自ら大将として守屋大臣を誅された。 同三十九代天智天皇は、大織冠鎌足をもって入鹿大臣を誅された。 同四十代天武天皇は、自ら大将として大伴皇子を誅した。浄見原天皇がこれである。 以下略 大体だな、関東は東夷で征伐した そのルーツは日本武尊と言ってんだよ 義家流源氏は足利ガー、坂東武者ガーとか、三河を植民地ガーとか間抜けな事を抜かすな 義家流源氏は、東国征伐のルーツを日本武尊に求めていた事が分かる 日本武尊と言えば、草薙剣 三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝、足利尊氏の使命感の源泉でもある 日本武尊の実在モデルが建稲種命なら、三河に墓がある 正法寺古墳がその墓で、祀る神社が旗頭神社だ 正法寺古墳 https://ja.m.wikiped...F%E5%B0%BE%E5%B8%82) 幡頭神社 https://ja.m.wikiped...AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE そして正法寺古墳の裾には、足利尊氏再興の正法寺がある 三河を探れば、全部意味があるんだよ 正法寺 https://jinja.dr-lea...ji-nisio-kiraokkawa/ 寺宝 足利尊氏寄進 扁額 足利義満寄進 太刀、獅子頭、扁額 日本武尊の双子の兄弟を祀る、猿投神社 https://yaoyorozulab...azujinja-kira-nisio/ 足利尊氏は、猿投神社の東の宮を創建し、槍と鏡奉納した
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855 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:07:51.11 ID:kGt76EwX - >>848
父親や一門がいた三河を通過して、京都で生んだと抜かす、頭が悪い田舎者よりマシなんだが?w お前な、一覧眺めて、いかに自分が、間抜けな事抜かしているか自覚しろ 頭が悪い、田舎臭い老人め ◇元弘の変(1331~1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇ 【三河県岡崎市】 ・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり ・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺) ・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城 ・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城 ・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城 ・上地氏(矢田一族、仁木氏分家) ・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺) ・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷 ・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷 ・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷 【三河県幸田町】 ・大草氏 (足利被官):奉公衆 ・大場氏 (吉良被官):深溝城 【三河県豊田市】 ・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆 ・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城 【三河県西尾市】 ・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城 ・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城 ・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向) ・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城 ・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸 ・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代 ・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官 【三河県豊川市】 ・関口氏(足利一族):奉公衆 ・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆 ・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆 【三河県豊橋市】 ・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後) 【三河県新城市】 ・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 ・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
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857 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:09:02.47 ID:kGt76EwX - >>854
その一次資料、さっさと持ってこいと言ってんだろう さっさとしろ、ノロマ老人め
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- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
860 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:10:35.95 ID:kGt76EwX - >>856
三河から居住して、足利荘を植民地にしただろ 1181年 源義兼、足利荘獲得 1221年 足利義氏、三河国守護職獲得 義氏源氏は関東にとっては侵略者 足利氏は、足利に進出したが、わずか40年後に三河の権益を得ると、下野で勢力拡大に熱意なく、義氏は祖母の地たる三河に舞い戻ってきた ■樺崎八幡宮(元は法界寺) http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/023/935/11/N000/000/011/138960094181861421228_s-CIMG3574.jpg >生母菩提の為 生母 三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流) 家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令) 系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→→藤原範忠→女子→足利義兼 その三河の祖母の親戚とは ⑥藤原季範 ・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→⑦へ ・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→⑧へ ・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→⑨へ ・藤原範綱(大学助大夫) ・藤原範智 (法眼、園城寺)→三条局(源実朝御所縫殿別当) ・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者) ・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習) ・千秋尼(上西門院女房) ・大進局(待賢門院女房) ☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍) ★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護) ⑦藤原範忠 ・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司) ・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘) ・藤原能季(相模守) ・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司) ・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺) ・任暁(仁和寺) ★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
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- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
863 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 12:17:08.75 ID:kGt76EwX - >>861
お前は、日本史に向いてない 興味を持つなよ、カッペ老人
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- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★21
69 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 23:21:44.61 ID:kGt76EwX - >>10
そもそもキャラ同じだからな 鎌倉末期、武士集積地の岡崎と鎌倉が激突し、当然三河が勝った 日本は三河が勝つように出来ている 関西(六波羅探題)、関東(鎌倉、中先代の乱)を同時にヌッ殺したのは三河国だけだよな 足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。 途中、三河の矢作川のほとりの矢作宿(三河県岡崎市)で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。 19家とは 01.西条吉良氏■後に将軍御一家 02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家 03.今川氏■後に九州探題、守護職 04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職 05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職 06.細川氏■後に管領家、守護職 07.斯波氏■後に管領家、守護職 08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職 09.畠山氏■後に管領家、守護職 10.桃井氏■後に守護職 11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題 12.上野氏■後に奉公衆 13.岩松氏■ 14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職 15.鹿島氏■ 16.粟生氏■後に奉公衆 17.倉持氏■後に奉公衆 18.高氏■後に室町幕府執事、守護職 19.上杉氏■後に関東管領家、守護職 太平記第20回「足利決起」
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- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★21
71 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 23:23:33.40 ID:kGt76EwX - >>60
おいパゴヤ、お前は出入り禁止だ 農作業に戻れや 日本の歴史は、パゴヤ抜きで成立する
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