- 【2023年大河ドラマ】どうする家康★20
956 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 17:44:21.53 ID:a04cGyy6 - >>947
当時、殺伐とした内部対立があった中、源頼朝が尾張で生まれるわけないだろうw 頭の悪い田舎者、名古屋人のセンズネタじゃねーつーのw 303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83 尾張國造家は、単なる三河の外戚の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、 藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる >「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる(笑) 三河(源頼朝、三河の藤姓熱田大宮司一族、天台宗系神宮寺) vs 尾張(尾張氏(田島氏、馬場氏)、宗徒、真言宗系神宮寺)
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975 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 18:56:29.20 ID:a04cGyy6 - >>958
また産湯(笑)か?w この懲りない田舎猿は 残念でした 頼朝は、熱田大宮司職を乗っ取った三河武士の家系 松平家の菩提寺たる大樹寺から東に3キロには、頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた、等身大の仏像がある、頼朝母方菩提寺たる滝山寺がある 滝山寺(三河県岡崎市) http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html 源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像 吾妻鏡 文治四年(1188)十一月大九日庚子。頼朝様の甥(従兄弟の間違い)に当たる僧の任憲が参りました。 未だに会った事も無く良く分からないので、質問してみると、故祐範の子供だと言っております。そこで、北の私邸の客間へお呼びになり、丁重にもてなしました。 その祐範は、季範様の息子で頼朝様のお母さんの弟です。お母さんが早死にした時に、七日目毎の供養に(故祐範が)澄憲法印をお呼びになり、成仏のためお経を唱えさせました。それだけにおわらず、永暦二年に伊豆国へ流された時に、下男一人を付けさせて送って来てくれ、それから毎月使いをよこしました。 そのような恩義を忘れる事はありません。そこへその息子がたまたまやってきたので、これもご先祖様のおかげの良いかたみだと大変お喜びになられましたとさ。 季範は頼朝の祖父、熱田大宮司 祐範は三河法橋祐範といい三河国滝山寺僧 祐範は、三河国滝山寺で姉である由良御前を菩提 澄憲法印は信西の息子で、由良御前のハトコ 祐範が頼朝につけてやった下男一人とは安達盛長と思われる
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977 :日曜8時の名無しさん[]:2023/01/25(水) 19:30:13.37 ID:a04cGyy6 - >>976
諦めろ 季範が頼朝祖父であるように、足利義兼にとっても祖父 足利氏は三河→下野→三河 関東にとって源氏は侵略者 関東利権、洛中利権を三河にチューチューされたんだろうが ■源頼朝と従兄弟2人の関東支配の裏歴史 1181年:源頼朝は藤姓足利氏を滅ぼし、三河の母方従兄弟の源義兼に足利荘を安堵する(源姓足利氏の始まり) 1181年:源頼朝の意向で、足利義兼は北条時子(政子の妹)と結婚する 1182年:源頼朝の従兄弟の寛伝が、頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる ■日光山 源頼朝が、三河の母方従兄弟(寛伝)を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた 源頼朝 ・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝 足利義兼(初代源姓足利氏) ・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼 寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主) ・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 寛伝年表 ・1142年、生まれる ・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(三河県岡崎市)で仏門に入る ・仁和寺で修行 ・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる ・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(三河県岡崎市)に戻る ・菩提寺の滝山寺(三河県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する ・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に) ・高野山御影堂に大鐘を施入する ・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する ・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する ・1205年、死去する
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