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149 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/11/22(日) 17:27:43.32 ID:J9g3oYr/ - 村上貞助(ていすけ)
吟味役高橋重賢は、頭脳の殊のほかすぐれた村上貞助にロシア語を身につけさせたいと考え、ゴローニンにロシア語を教えてくれるよう依頼した。 貞助は学習の第一日目からいちじるしい才能を発揮し、ロシア文字の読み書きを記録し発音もすぐに会得する。その上達ぶりは目ざましかった。
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150 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/11/22(日) 17:30:51.96 ID:J9g3oYr/ - 馬場佐十郎
江戸時代の蘭学者。名は貞由(さだよし)。 長崎のオランダ通詞で中野柳圃(志筑忠雄)の門人。ドゥーフからオランダ語・仏語、ブロンホフから英語、ゴローニンからロシア語を学ぶ。 1808年幕府天文方で《万国全図》の校訂に当たり、のち《厚生新編》訳述事業の中心となった。 日本最初の露和辞典《俄羅斯語小成》を編集。35歳で死んだが語学の天才で《蘭学梯航》など著書多数。
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151 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/11/22(日) 17:39:17.26 ID:J9g3oYr/ - 杉田立卿(りゅうけい)
天明6年(1787)生まれ。杉田玄白の次男。父玄白には養嗣子伯元(はくげん)がいたので別家独立し、若狭小浜藩医となり西洋眼科を専門とした。 文政5年(1822)幕府の天文台訳員となり、馬場佐十郎の後を受けて、ショメルNoel Chomel(1632―1712)の『日用百科事典』の翻訳に従事、 その成果は『厚生新編』にみえる。 また青地林宗(りんそう)とともにロシア人ゴローニンの『日本幽囚記』の続訳にあたり、それは1825年『遭厄日本紀事』として結実した。 天保年間(1830〜1844)老中水野忠邦の内命によって和蘭政典の訳に従事、これは子の成卿(せいけい)に引き継がれた。 弘化2年(1845)死去。60歳。
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152 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/11/22(日) 17:43:20.92 ID:J9g3oYr/ - 井上満(1900−1959)
ロシア文学者、翻訳家。 福岡県久留米市に生まれる。福岡県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒、1924年ハルピンの日露協会学校卒、 翌年上京し文筆活動に入り、社会科学文献を翻訳。 1930年ソ連大使館に勤務、ロシア事情の紹介などを行うが、1936年軍機保護法違反で逮捕され三年間下獄。 出獄後はロシア文学の翻訳に従事。1941年ゴンチャロフの『フレガート艦パルラダ』を『日本渡航記』として翻訳、 1943年ゴロヴニン『日本幽囚記』を翻訳する。 戦後はゴンチャロフの『断崖』『オブローモフ』などのほか、ロシア文学を多数翻訳、また日ソ親善協会を創立、日ソ学院を創立し副学院長を勤めた。
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