- 【第四十八回】太平記part.48『果てしなき戦い』
239 :日曜8時の名無しさん[]:2020/09/12(土) 03:35:41.42 ID:tKGjAqXu - これも宗尊親王が絡む話のようだが、宗尊親王に仕えていた蜷川親心の娘が
伊勢盛継の嫁になって、生んだ子供が伊勢貞継だ 足利義満は、伊勢貞継の屋敷で生まれた 伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継) ■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父 ・肥前前司 ・法名願仏 ・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶 ・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる) ・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する ・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去 ■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏 ・藤原俊経の息 ・伊勢前司 ・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる ・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える ・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去 ■円辰(****〜****):初代伊勢氏・伊勢俊継の叔父 ・三河国滝山寺僧 ・藤原俊経の弟 ・相模法橋 ■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟 ・三河国滝山寺僧 ・円辰の息 ・聖蓮坊大進法眼 ・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする ・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする ・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する ・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する ・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する ・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去
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