- 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】
75 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/05/23(土) 07:37:17.30 ID:CLZrvdd0 - 弘治3(1557)年
3/5 近衛稙家 幕府の依頼により種子島時尭に南蛮人から 直伝の鉄砲火薬の調合法を伝えるよう求める 「思ひ寄らざる儀に候と雖も鉄砲薬の事 南蛮人直に相伝せしめ調合比類無きの由 御耳に触れられ武家御内書かくのごとく候 相違なきに於ては御祝着たるべきの旨候 聊以て御他言あるべからず由候 猶島津匠作(貴久)より伝達あるべく候也 状 件のごとし 三月五日 近衛稙家 花押」 種子嶋弾正忠(時尭)殿」(薩藩旧記雑録拾遺) 4/1 日食(御湯殿)(続史愚抄) 4/17 六角義賢 細川晴元の娘を養女として本願寺光佐(顕如)に嫁がせる(厳助)(本願寺系図) 4/18 大内義長自刃(異説4/3) 4/28 京都立売町が焼亡 近衛前久邸炎上(厳助往年記) 4/29 足利義輝 等持寺で足利尊氏の二百年忌法会を行う(長享年後畿内兵乱記) 6月 三好長慶 山城盧山寺に禁制(盧山寺文書) 7/6 朝廷 諸社寺に降雨を祈らせる 五月から諸国旱害飢饉疾病は流行(御湯殿)(妙法寺記) 8/26 山城 攝津 大風津波 人多く溺死する(御湯殿)(細川両家記)(続史愚抄) 三河 大風大旱魃(定光寺年代記) 8月 伊勢国国司北畠氏より禁酒を令される(言継 永禄元年8/18条) 9/5 後奈良天皇(第105代) 崩御11/22泉涌寺で火葬 深草北陵に葬る(御湯殿) 10/1 日食(続史愚抄) 10/16 三好長慶の軍丹波龍蔵寺城を攻略(細川両家記) 10/26 三好長慶 山城霊雲院領の百姓に未進の年貢を速やかに納めるよう命ずる(退蔵院文書)
|
- 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】
76 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/05/23(土) 07:42:00.81 ID:CLZrvdd0 - >>75
10/27 方仁親王(正親町天皇)土御門皇居で践祚する(御湯殿)(公卿補任)(続史愚抄) 永禄3年(1560)1/27即位 10月 三好長慶「筑前守」京都大徳寺へ全3ヶ条の「禁制」を下す(大徳寺文書1‐268) 11/2 織田信長 弟信行が叛いたので信行を清洲に招き殺害(織田家雑禄) 11/9 三好長慶 山城大原野神社に中村一直が押領していた同社領の田畠作職等を許可する (大原野神社文書) 11/27 織田信長 熱田検校馬場氏へ敵味方からの依頼された保管物を誰が処分しても 織田信長は同意しない旨 それ以外に織田信長が使者を門外に入れたり竹木を 要求したり郷質を取り立てることを永久にしない旨を安堵 (清洲城における織田信行誘殺関連の史料)(熱田神宮文書一)(熱田祝師文書) 12/29 三好長慶 再度東寺へ公文所の宮野浄忠追捕を命令し家財田畠を没収す(東寺百合文書) 12月 本願寺・伊勢国司北畠具教から後奈良天皇崩御の御香莫としてそれぞれ一千疋が参る(御湯殿) 三好長慶 播磨清水寺に禁制(兵庫県加東市清水寺所蔵制札) ━━━━━━━━━━━━━━━ 是年 明智秀満 誕生(異説1537年) 織田信忠 尾張国に誕生
|
- 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】
77 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/05/23(土) 08:10:33.75 ID:CLZrvdd0 - 弘治4 永禄元(1558)年
1/1 朝廷 後奈良天皇の諒闇のため四方拝 小朝拝 節会などが停止 (続史愚抄)(御湯殿) 1/27 織田信長 加藤資景へ商売に関しては以前与えた判形通り 織田信行誘殺に関する戦乱にあたり加藤資景分の知行は代々免許の通りに安堵 (加藤秀一氏所蔵文書『張州雑誌抄』二十六) 2/3 細川晴元の子 聡明丸 攝津芥川で元服 信良(昭元)と称す 三好長慶が加冠(細川両家記) 2/5 松平元康 初陣 今川氏の要請により初陣(家忠日記増補) 2/23 多賀谷重経 下総国に誕生 2/28 朝廷 「永禄」と改元 高辻長雅 年号選出 出典群書治要巻26(言継)(御湯殿) 3/7 織田信長 今川義元の将松平家次と尾張品野に攻撃して敗れる (家忠日記増補)(信長公記) 3/13 将軍足利義輝 細川晴元と近江朽木より下龍華に還る(惟房公記) 5/3 将軍足利義輝 細川晴元 六角義賢ら近江朽木谷下龍華から兵二千を率いて 京都に向かうため近江坂本本誓寺に陣を移す(細川両家記)(言継) 5/7 三好長慶の被官藤岡直綱 東寺の宝厳院裕重 観智院栄盛に足利義輝の 入京に備えての三好軍の配置を通告する 東寺には陣所を設置しないと伝えたが実際は長慶が東寺に陣した(東寺百合文書) 5/9 幕府 山城清凉寺に禁制 (清凉寺文書) 5/11 吉田兼右 若狭守護武田信豊に「式三番」の秘事を伝授(兼右卿記) 5/19 三好長逸 松永久秀 伊勢貞孝父子ら一万五千の兵を率い京都で打廻りを行う (惟房公記)(御湯殿) 5/20 山城鞍馬口 火災(言継) 5/23 斎藤義龍 治部大輔 昇官の礼文 「みのさい藤治部大輔より御れう所 又一官のれい文」(御湯殿) 5/26 分部光高 国府市場口の合戦に於いて戦功をたてるも負傷す(分部文書) 5/28 織田信長 尾張浮野に織田信賢 斎藤義龍の軍を破る (信長公記) 5/28 長野藤定(伊勢豪族)部下の分部光高「分部左京亮」へ国府市場口に於ける 合戦で戦功をたて更に戦傷を負ったことを褒賞し養生を命令(分部文書) 6/2 足利義輝 京都上京室町に禁制 (京都上京文書) 6/2 三好長逸ら 山城勝軍山に築城 足利義輝らの入京を防ぐ (惟房) 6/4 足利義輝 細川晴元と共に如意嶽へ出陣 三好長逸ら山城鹿ヶ谷で 義輝晴元の軍と戦う (御湯殿) 6/7 長逸ら 北白川勝軍山城を焼き京都に撤退する 義輝の軍 同城に陣を移す (惟房)
|
- 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】
78 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/05/23(土) 08:17:01.96 ID:CLZrvdd0 - >>77
6/7 朝廷 永禄と改元したのちも幕府がまだ弘治の年号を使用しているので 近江の将軍足利義輝に通知(惟房公記) 6/9 両軍 白川口で交戦 6/10 桑原直元・日根野弘就・安藤守就・長井衛安・日比野清実・竹腰尚光 (美濃斎藤氏家臣)美濃国真桑七ヶ井下名主百姓中へ七ヶ井に関する指示を下す (守屋文書‐3) 6/10 桑原直元・日根野弘就・安藤守就・長井衛安・日比野清実・竹腰尚光 (美濃斎藤氏家臣)美濃国真桑七ヶ井下名主百姓中へ七ヶ井の水に関する指示を下す(守屋文書‐4) 閏6/5 鴨川の河原で交戦(言継)(厳助)(細川両家記) 7/14 三好長慶 許可無くして京都の地子銭を徴収する(言継)(細川両家記) 7月 三好長慶 京都清水寺に鉄砲を放つことを禁止(成就院文書) 7/25 阿波の三好義賢の先陣三好康長 三好慶長の援軍として兵庫に 8/9 不破光治 美濃国瑞雲寺へ陽運寺との懇意を促す(瑞雲寺文書‐5) 8/16 月食(御湯殿) 8/18 三好義賢 兵庫に至る 8/30 淡路の三好(安宅)冬康も尼崎へ至る 8/20 義演(醍醐寺三宝院門跡)山城国に誕生(異説1559年8月10日) 9/1 木下藤吉郎 織田信長に仕える(太閤記) 9/3 十河一存ら和泉堺に至る 9/9 松永久秀の茶会に北向道陳 今井宗久 山上宗二が招かれる 前席で掛物 後席で花入が始まる(今井宗久茶湯日記書抜) 9/15 織田信長 尾張国恒川氏へ津島辺(「北辺」)内の興雲寺領10貫文 堀之内公文名20貫文 合計3000疋を扶助 (生駒家宝簡集坤) 9/16 本願寺教如 誕生 9/17 織田信長 前野長康へ野々村大膳分20貫文 高田中務丞分20貫文 合計40貫文を扶助(大森洪太氏保管文書) 9/18 三好長慶ら 堺で会合 (細川両家)(足利)(御応仁後記) 9月 三好長慶 山城清水寺に禁制 (清水寺成就院文書) 10/26 朝倉義景 越前洞雲寺に禁制(洞雲寺文書) 10/27 幕府 山城阿弥陀寺が同寺境内に無縁所 墓を立て 檀那を土葬にすることを許可する また禁制を出す(阿弥陀寺文書)
|
- 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】
79 :日曜8時の名無しさん[sage]:2020/05/23(土) 08:21:41.68 ID:CLZrvdd0 - >>78
11/6 三好長慶 将軍足利義輝方の近江六角義賢と和睦(細川)(足利)(言継) 11/27 (幕府の復活) 足利義輝 六角義賢の斡旋により三好長慶と和睦し 京都勝軍山城より入洛して相国寺に入るそこで三好長慶らを引見(御湯殿上日記) 11/28 足利義輝 勝軍山城に戻り 12/3 足利義輝 京 本覚寺に入る (足利)(伊勢貞助記)(細川)(御湯殿) 12/18 三好長慶 松永久秀 京都より摂津国芥川城へ帰還(細川両家記) 12/22 三好之康ら兵を率いて和泉堺より淡路阿波に帰国(細川)(三好家譜) 12月 織田信長 尾張国白坂雲興寺へ全5ヶ条の禁制を下す(雲興寺文書) 是年 足利義輝 長尾景虎と武田晴信との和睦をはかる(上杉家文書) 今川義元 松平元康の軍 尾張石瀬で水野信元の軍と戦う(三河記) ポルトガル船2隻 平戸に至る(カピタンモール年表) ポルトガル船1隻豊後に至る(カピタンモール年表) 下総の野田市郎兵衛 豆油より醤油を醸し甲斐武田に納め川中島御用溜醤油と称される (野田醤油会社二十年史) 大旱 (皇年代私記)(和漢合運) 是年 大友義統豊後国に誕生 織田信雄 尾張国に誕生 織田信孝 尾張国に誕生(異説1562年) 金森可重 美濃国に誕生 蜂須賀家政誕生(異説1559年) 別所長治 播磨国に誕生 森長可 美濃国に誕生
|