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日曜8時の名無しさん
【2019年大河ドラマ】 いだてん〜東京オリムピック噺〜 part78
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part183
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART2

書き込みレス一覧

【2019年大河ドラマ】 いだてん〜東京オリムピック噺〜 part78
24 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 03:33:12.47 ID:W8W5ZFXr
>>10
でも第1回から逃げ口上をうっているじゃないか。「このドラマは史実を基にしたフィクションです」と。
実在していたプロトタイプカップ麺では、役者がヤケドしそうであぶない、という単純な理由ではないかと。
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part183
145 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 04:38:56.48 ID:W8W5ZFXr
>>124
伊豆配流時代の頼朝は、たしかにフラフラしてるけど、殺されなかったことに意義があるのだと思う。
関東における源氏の隆盛は、頼朝の曾曾祖父である八幡太郎義家から始まる。頼朝が再起できた
原動力のひとつが、坂東武者に依然として偉功が記憶されていた義家にあったことは疑いない。
そして伊豆の頼朝を監視していたのは、摂津源氏の源仲綱。
たとえていえば、東京で大ポカをしでかしたおぼっちゃまが、ひなびた地方の営業所に左遷されてきたが、
5代前のご先祖様が大大名の名門の子で、遠縁の親戚が営業所長だったという構図。
ご先祖様が無名の平民で、営業所長が赤の他人だったら、リストラ(自害)させられてもおかしくなかった。

厳しい試練は多々あったろうが、それでも頼朝は復活した。頼朝復活物語は、世界各地で好まれている
貴種流離譚のバリエーションのひとつだ。大河平清盛でその貴種流離譚の掘り下げかたは浅かったかも
しれないが、主役は清盛なのだから仕方がないと思う。無限の放送時間を確保できる大河は無いから。
【2019年大河ドラマ】 いだてん〜東京オリムピック噺〜 part78
29 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 04:54:52.78 ID:W8W5ZFXr
>>26
日清食品からカップヌードルが発売されたのは1971年(昭和46年)のこと。
ところがその十年前の1961年に明星食品からカップ麺のプロトタイプが試験発売されている。
(問題が続出したため、正式発売には至らず) だから、その時代にはいちおう存在していた。
やる気がないのでなく、やる気が伝わってない、または伝えかたが下手だということ。
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART2
32 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 05:26:01.47 ID:W8W5ZFXr
みなさま誰が出演するのか手がかりが少なくて予想しにくそうに見えるけど、渋沢栄一の生涯は、
渋沢栄一記念財団が渋沢栄一詳細年譜をつくってくれている。これはよく出来ていて便利ですよ。
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/kobunchrono.html
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART2
33 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 05:54:48.13 ID:W8W5ZFXr
>>14
渋沢は慶応3年(1867)正月11日から明治元年(1868)11月3日まで徳川昭武随員として国外にいる。
だから、おそらくフランスから見た明治維新を描くのだろうと思う。
西郷隆盛とは、元治元年(1864)2・3月に旅宿の相国寺に訪れ、豚鍋の饗応を受けて談論している。
当時の渋沢は徳川慶喜の家臣としてさまざまな人物と面会している。どこまで描けるかは尺しだい。
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART2
34 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 05:55:26.39 ID:W8W5ZFXr
>>15
渋沢は大蔵省に仕官していたので、大蔵卿(大蔵大臣相当)の大久保は上司、大蔵少輔(局長級)
の伊藤博文は同僚の関係だった。ただし大久保・伊藤は岩倉使節団で海外渡航してしまうので、
少輔だった渋沢が事実上の大蔵次官となってしまう。
【2021年大河ドラマ】青天を衝け PART2
35 :日曜8時の名無しさん[sage]:2019/10/07(月) 05:57:03.94 ID:W8W5ZFXr
>>16
留守政府の内紛激化で、渋沢は大蔵大輔の井上馨とともに大蔵省を辞めてしまうが、そのあと、
大隈重信とは大激突してしまう。横浜の英字新聞に日本財政の危機を訴える文章を投稿して、
(つまり維新政府の本当のふところ具合を暴露して大騒動に発展し)大蔵省事務総裁・参議の
大隈が混乱の収拾に当たることになる。大隈は怒り心頭だったろう。
いまもむかしも積極財政派と財政健全化派との対決が激しいことだけはちっとも変わってない。


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