- 【第三十六回】太平記 part.36『湊川の決戦』
549 :日曜8時の名無しさん[]:2019/04/11(木) 01:44:20.92 ID:mqnhsHbc - 足利大夫、足利冠者等、義康を足利とした記録が無い以上、京武者たる源義康で間違いないべ
例えばだ 三河の藤姓熱田大宮司家の祖、藤原季兼は三河四郎大夫と号したわけだから、三河季兼であり、その息子の額田冠者の季範は額田季範である ここで豆知識だが 三河の源頼朝は、熱田大宮司季範の血を引いていない話がある 由良御前は、蒲郡市の八剱神社の神官だった季兼の長男、季頼(三河五郎)の娘であり、弟の季範の養女になった 場合によっては、源頼朝は三河頼朝になっていた可能性もあったわな まとめるとこうなる 藤原季兼(三河四郎大夫) ・藤原季頼(三河五郎、八剱神社(三河県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝 ・藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→女子→足利義兼 ・藤原季成(勘解由丞季成、蒲神明宮神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父)→当麻太郎 ・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭) ・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏) 三河という苗字は長男が継いだわけだな
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