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おんなネトウヨ
日曜8時の名無しさん
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180

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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
517 :おんなネトウヨ[]:2018/06/14(木) 22:56:45.86 ID:EoyUyeOc
>あけっちーの反論に見る批判に対するトンチンカンな解釈を鑑みると、
>こういう色んな業界で見られる「言ってることを曲解してわけわからん自論で批判する人」
>への対処法ってもう「物理的に処す」しかないんじゃないかなとか思ったりする時がある(´・ω・`)

その前にお前のトンチンカンな曲解を、じっくりと凝視めた方が良いとちゃう?
センセーセンセーウットリしてないで。気に食わんのはシケーイ!はいかにもだけどさ。
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
518 :日曜8時の名無しさん[]:2018/06/14(木) 23:12:26.36 ID:EoyUyeOc
よくあった批判に、「とっ散らかった」「大風呂敷を広げて畳めず終了」「ジャンプの打ち切り」というのがある(おんなネトウヨ)。
どこをどう見れば、多彩な構成要素が配置されながら、それらが緊密に連結された群像劇に対して、そのような戯言が出てくるのか
不思議でならないのだが、ともかく連中はこう元気に吠えていた。
清盛後半は、
清盛vs後白河及び清盛vs頼朝という2本の主軸を設け、これらを交差させたストーリーが、広げた大風呂敷に統一感と凝集性を与えていた。
朝廷簒奪を目指して後白河との提携と政争を繰り広げる京の清盛と、伊豆の田舎でスローライフを送る頼朝。
清盛が後白河との政治ゲームに熱中している時、伊豆では頼朝がスローライフを送りつつ密かにマグマを貯めていた。
2人は異なる空間で接点のない人生を歩んでいるとしても、いずれ一本の線上で再び対峙する運命にあったのだ。
したがって、vs後白河との息詰まるドラマだけでは、歴史の半面を捉えたに過ぎないのである。
この2つの軸を交差させる群像劇スタイルが、物語の振幅を大きなものとする一方で求心力を高め、頼朝のラストワード〜
「平清盛無くして武士の世はなかった」(=キーコンセプト)へ向けて、すべての要素を収斂させてゆく展開を可能にした。
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
519 :日曜8時の名無しさん[]:2018/06/14(木) 23:15:06.28 ID:EoyUyeOc
後半の清盛vs後白河はwin-winゲームを強調する展開が続いた(対立を抱えた協調)。しかし、いずれ臨界点に達すれば両者の関係は破綻する。
それが鹿ケ谷事件であり、治承クーデター。

他方、京の清盛vs伊豆の頼朝は助命時以降、一度も会うことのない疎遠な関係となったが、両者の関係性の推移を構造化することで
ドラマ上、常に両者は「密接な関係」を保持し続けた(=反比例→ex平家が絶頂に向かう時、頼朝は千鶴丸の悲劇に遭遇して、
グランドゼロからさらにマイナス地点へと沈む※。この悲劇は、大番役祐親が清盛の「虚像」を伊豆にもたらしたことで惹き起こされた。
さらに、伝播する日招き伝説&清盛危篤の報、平家の横暴ー臨時課税を心ならずも伝える伊豆守目代仲綱、三浦・佐々木・上総の会話、
弁慶の記憶、そして政子が解釈した髭切「返還」の本意など、京と伊豆を繋ぐメディアとして使える事象やアイテムが最大限活用された)。
※清盛平家と頼朝源氏の関係は、一方が上昇すれば他方が下がる、下がれば上がる、というようにzero-sumゲーム的に捉えるのを基本とした。
頼朝が上昇を始めるドラマ上の起点が(自らは無関係の)鹿ケ谷事件。

作用上は、長らく一方的な清盛からのベクトルに終始したが、挙兵によって反転し、清盛は頼朝の鎌倉都市建設に刺激を受けるなど、
頼朝からのベクトルが作用し始め、両者は相互に作用する関係となっていく。そして、鳥羽エア矢を受け止めた頼朝※※が京へ向けてエア矢を放ち、
これを受け止めたのだろう、清盛は最後の双六を挑むべく後白河を訪った。
曰く「今や平安は終わりを告げ、貴族の世は去ろうとしている。これからは武士の世が始まるのだ。
(俺は頼朝との決戦に集中するから)あんたとの双六遊びは終了!」
この清盛の言葉に双六をひっくり返すかと思いきや、後白河はシミジミと詠嘆し(「もう左様な時代となったのか・・・」)、
深々と一礼して去るライバルの後ろ姿を万感の思いで見送った。清盛ー後白河ー頼朝の三者が見事に繋がった名場面である。

※※義朝とは異なり、清盛と頼朝は共同で朝廷に立ち向かう関係にはない。むしろ頼朝は、長きに渡り貴族体制に抗して孤軍奮闘し、
その内部に食い込んで大きな穴を開けた清盛が切り拓いた道を、タダで進むフリーライダー的受益者と言える。
弁慶の記憶が運んだ「鳥羽エア矢」を追体験することで、頼朝はこのことを自覚し、不信を募らせていた清盛へのリスペクトを新たにした。
長らく無気力低徊した後、政子によって覚醒した頼朝は、ここで意を決したかのように「暫定王者清盛」に対して挑戦状を突きつけた。
それが「頼朝エア矢」のシーン。

しかし、その前史においては、忠盛と清盛が源氏とのwin-winの関係を志向したことが重要で、このことを理解することが
平治の乱での「一騎討ち」を適切に位置づけるためにも必要だ。もっとも理解されず嘲笑されたのが一騎討ちゆえ再論する。
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
520 :日曜8時の名無しさん[]:2018/06/14(木) 23:17:13.63 ID:EoyUyeOc
源平ライバルは、武家の覇者という一つの椅子を巡り、いずれはNo.1決定戦を挙行して決着をつける運命にあった。
しかし、武士の総体が未だ堅固な貴族体制に劣位する段階では、下手に戦って共倒れしては、旧体制を利するだけだ。
そのことを、深謀遠慮の人忠盛はきちんと自覚していた。
「為義殿、斬り合いとならば共に終わりぞ。源氏と平氏、どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか?
[その勝負は武士が朝廷に対して十分な力をつけてからでもよいのではないか]」
この4話殿上闇討ち回(【源平棟梁間最初のタイマン対決】)における忠盛発言は、その後の源平間の関係を強く規定した
〜視聴者がずっと頭に入れて何度も反芻しなければならない台詞の一つ。

やがて軍事力を発揮して保元の乱を制したものの、清盛には未だ国政を担う力量もなければ、貴族を圧倒できるだけの力はない。
父の言葉をしかと受け止めて戒めとした清盛は、信西の知力を頼りながら国造りに参加し力をつけることが、何よりも大事な
喫緊の課題であると考えた。
他方、父親殺しに手を染めたというのに報われず、恩賞他あれこれ不満を覚え焦る義朝は、
「今は貴族たちに対して互いに力を蓄える時だ、早まるでない」と自重を求める清盛からの再三の忠告を撥ねつけて、
ついに信頼の甘言に乗せられる形で、クーデターという途方もない軽挙妄動に走ってしまった。
【源平棟梁間二度目のタイマン対決】となった平治の乱での一騎討ちは、武士の力の総体が未だ貴族を圧倒するに至っていない、
したがって、武士の長者決定戦(歴史上の平治の乱の決着とは区別される)は未だ時期尚早の段階において、
「親の教えを守った清盛」と「守れなかった義朝」との間で挙行された「〈早すぎる〉源平合戦第1ラウンド」と位置づけることができる
(3話の競べ馬以上に4話からの帰結が重要。リアリティを欠く異次元空間は、この仮装現実ちっくな一騎討ちの場に相応しかった)。

そして、平治の乱後20年の時を経て、朝廷の内部に食い込んだ清盛の奮戦によって、時代はようやく
「武士が十分な力をつけた歴史段階by忠盛」へと突入した。
この段階で挙行された「源平合戦本戦ラウンド」こそ〈歴史上の源平合戦〉に他ならない。
ところが、頼朝の挑戦を受けて立ち直接出馬しようとした矢先に、清盛は熱病で倒れてしまい、頼朝との【源平棟梁間三度目のタイマン対決】
の機会(最終決戦)を永遠に失ってしまった。

清盛の死後、唯一無比の大黒柱を失った平家一門は運命に抗することができず、壇ノ浦に沈んだ。
かつて助命時に「俺の国造りを指を咥えて眺めておれ!、真の武士とは如何なるものか見ておれ!」と暫定敗者頼朝を突き放した清盛は
(髭切突き刺し=返還→這い上がって来いとの真意を政子が見抜く)、すべての勝敗がついて最終敗者となった後、
イタコ西行に導かれて陰府から現れ、サバサバとした表情で武士の世の建設を頼朝に託した〜「真の武士とは如何なるものか見せてみよ!」
【敗者から勝者への志の継承】。
そして長大な清盛物語は、ついに頼朝のラストワード〜「平清盛無くして武士の世はなかった」によって大団円を迎えたのだった
【勝者から敗者へのオマージュ】。

以上、源平三世代が繰り広げた関係性の全体を、源平vs旧貴族体制の対立軸にも留意しつつ俯瞰することで、
さらにその中間点に一騎討ちを位置づけることで、それは「荒唐無稽なファンタジー」※※※どころか、平清盛という一個の論理的構築物に
不可欠な構成要素であったことが明晰判明するのである。
しかしまあ、「広げた風呂敷を畳めずに終わった」ってアンタ・・・

※※※歴史上の平治の乱について、原因、勃発までの経緯、勃発後二転三転する戦況、六波羅の後衛で戦況を完全にコントロールする清盛、
一人勝ちとなった歴史的意義、などを的確に描いた上での一騎討ちであったことを忘れるべきではない。


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