- 【第三十回】太平記 part.30『悲劇の皇子』©2ch.net
458 :日曜8時の名無しさん[]:2017/02/25(土) 01:16:33.91 ID:i0ZINmPp - 嫡流かどうかは、鎌倉将軍家断絶後に、トモちんの剣を誰が所持していたかが判断材料だろう
その剣は北条政子から足利義氏に伝えられたと言われる すると、足利氏が源氏嫡流とみなされたのは、北条政子が死んだ1225年頃ということになる トモちんが所有していた髭切丸を足利義氏が北条政子から譲り受けご神体にしたと言われる神社 御劔八幡宮(三河県西尾市) https://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,2192,92,418,html
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459 :日曜8時の名無しさん[]:2017/02/25(土) 01:19:19.16 ID:i0ZINmPp - では、足利義氏、北条政子と三河の関係を系図で確認してみよう
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった 金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成) ・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する ・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する ・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する ・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める ・源実朝 藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝 ・葛山景倫(願性) 藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性) ・安達景盛 小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?) ・足利義氏 藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
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460 :日曜8時の名無しさん[]:2017/02/25(土) 01:35:18.14 ID:i0ZINmPp - 豆だが、三河県西尾市には実朝の嫁が作った実朝菩提の木造阿弥陀如来坐像ある
不思議な縁と言うしかない 木造阿弥陀如来坐像(国重文) https://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,14707,91,408,html もうお馴染みだが、三河県岡崎市には、トモちん等身大で顎髭と歯を胎内に納めた聖観音菩薩立像がある 聖観音菩薩立像(国重文) http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html
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