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日曜8時の名無しさん
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part173©2ch.net
史実史実うるせぇな、ドラマだっつってんだろw [転載禁止]©2ch.net

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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part173©2ch.net
731 :日曜8時の名無しさん[]:2015/10/09(金) 00:54:29.53 ID:fjywWAEd
民主義国家の議会がもちろん外の国民に開かれてなければならない(公開原則ー開放的)のに対して、
平安の世の議定なるものは、一部の特権階級のそのまたスーパーエリートである公卿が集う
密室談義の場であって本質的に内向きなものだ。狭さと圧迫感を覚えたとしたら、むしろそれはこの時代の
矮小な公共空間をよく捉えていたといえるだろう(海賊跋扈の根本原因を力説する通憲に理解を示さない、
堂々めぐりの王者議定、宋との交通に先例を楯にとって難色を示す場面など)。
いっぽう、平氏(平家)宅での寄合いはずっと開放的なものだった。初期にはモブも見えたし、従者となった
兎丸たちも庭で控えているのが見えた(発言権のない参加)。つまり室内という空間は密室ではなく、外に開かれていた。
このように、一口に室内が狭苦しいとか圧迫感があるという評価もまた、文脈を抜きにして語ることは
できないのであって、公卿の集まりがせせこましいのがいけなくて、それを反省して戦国や幕末大河の
武士の集まりは開放的なものにした、というのは事実認識としても成り立たないし正しいともいえない。
史実史実うるせぇな、ドラマだっつってんだろw [転載禁止]©2ch.net
133 :日曜8時の名無しさん[]:2015/10/09(金) 19:05:54.12 ID:fjywWAEd
>>132
2ちゃんを蹂躙した王家がー、チョンがー、反日がー、ソウカがー、汚盛がー、犬HKがーの誹謗中傷はこの際おいておこう。
では、同一人物たちが繰り広げてきた、大河清盛は歴史に対する無知と傲慢に満ち溢れ、歴史とその中で生きた人物に対するリスペクトを
何ら持ち合わせない超駄作、との妄言はどうであろうか?
思えば、2ちゃんに飛びつき、視聴率を絡めた大々的な清盛バッシングに終始することで更なる視聴率低下に「貢献」したこと以外に
何一つオリジナルな定見をもたない無責任なマスコミもまた、特定人脈によって操作されミスリードされたこの2ちゃん世論に乗っかり、
嬉々として清盛を叩き続けた。
放っておけばこの愚連隊たちによるこうした与太話が、例年通り嘴を挟む余地のない確固たる2ちゃん世論となっていたところだった。
ところが2015年の現在、大河平清盛を最低視聴率大河ということで揶揄し、バカにし、下らない内容の最低大河だと堂々バッシングする
(できる)声は2ちゃんの屑どもはさておき(ほぼ視聴率とソーカしか持ち出せない)ほとんど聞こえないではないか。
ババアどもも、内容的にはほとんどダンマリを決め込んでいる有り様だ。
これこそ、画一化し全体主義化する言論情況に対する対抗言論の成果であり、健全なコミュニケーション的行為の現れなのである。
再批判があるのならば、逃亡せず堂々と行えばよい。

このスレに引き付けてみると、例えば、昭和の名作新平家物語に依拠した平忠盛像※はどうだろうか?
既に名声を確立した作品であり、脈々として受け継がれ愛されてきたある種の「講談話」にケチをつけるのは忍びない。
なので、新平家物語と銘打った作品を、今となっては滅茶苦茶と言わざるをえない設定と不十分な表現に目を瞑り、
素直に受け入れる態度だって大いにありだ。
ところが、清盛クレイマーの阿呆どもときたら、多大な遺産を清盛に残した忠盛という偉人を初めて「救済」した平清盛について、
「歴史を知らず、歴史と人物を冒涜した無能愚劣な制作側がー」と罵詈雑言を吐き続け、歴史に関わってはならない無能は、
せいぜい至高の原作つきの新平家をリメイクするしかやりようがないのよ、と恥も外聞も捨てて嘯いているのある。
いったい、どちらが大きな存在であった忠盛に対してリスペクトを払っているのだろうか?答えるまでもない。


新平家:借金を背負いこんで女房に頭が上がらない、昭和の情けない貧乏サラリーマン風(現代の価値観)。宗子、家盛等の設定も滅茶苦茶。
平清盛:深謀遠慮のもとに院に取り入り信頼を獲得。身分的には公卿寸前にまで上昇し、併せて武力と財力を清盛に残すことで清盛躍進の基礎を築いた。
受領収益、荘園蓄積に加えて密貿易による利益を院や上級貴族に還元(献上品、得長寿院造営)することが、忠盛のしたたかな上昇戦略であった。
一方で忠盛は、富を蓄積しても、貴族からの反感(殿上闇討ち事件)をきちんと考慮に入れて質素を貫いた(死に際して頼長が賞賛〈台記〉)。
大河清盛は、「大金持ちなのに質素を装った」忠盛平家の様相を極めて適切に映像化していた(cf「平氏を乞食みたいに描いた無能な制作側がー」)。


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