- 【2015年大河ドラマ】花燃ゆ Part77©2ch.net
123 :花神[sage]:2015/08/10(月) 21:53:24.00 ID:wHcA6COw - 放送の翌日というのに、空気読めない会津キチへの矯正は明日に回すとしてw
昨日の視聴率は12.2%だったのか・・・ 昨日と「薩長同盟」の回は大きくは落ちないとは思ったが、ここまで上がるとは・・・ 「花燃ゆ」第32回の評価は15点 文が正室と対等に議論し、「藩主に会わせろ」は荒唐無稽スグルだが 晋作の決起と大田・絵堂の戦いに尺を取ったということで基礎点10点に5点を加算した Pよ、これで文と小田村パートを削って、「花神」を倍グレードアップすれば視聴率が取れるって わかっただろw
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124 :花神[sage]:2015/08/10(月) 21:54:36.01 ID:wHcA6COw - 明日又スレを汚すお詫びに、貴重な情報をw
(「花神」をNG登録している奴は読めなくて可哀そうだがw) ドラマの山県狂介は無口で煮え切らない男になっていたが そもそも軍のトップは部下を犬死にさせないように慎重になってあたり前 だが、あの時山県が動けなかったのは、幕府への恭順条件に諸隊の解隊があったからで 1864年12月20日の幕府による監察が終わるまでは、死んだふりをするしかない 同月27日、征長軍は解兵令を発するが、その後も山県は慎重に動いた 藩政府からの問い合わせに対して「返答期限はいつまでかを正月3日までにしてくれ」と のらりくらりとかわす しびれを切らして政府の使者が6日に山県のもとに来るが、山県は使者を接待しながらそっと 奇兵隊を絵堂方面へ動かした(道で会った者は木に縛るほどの用心ぶりw) そして、7日になった深夜2時ごろ、藩政府軍に奇襲をかけ、その時は勝利する だが、その後は一進一退の攻防となる 実はここからが重要なので、もう少し詳しくやってほしかったが、これが今のスタッフの限界かも そこで補足するが、「花燃ゆ」公式サイトに地図があったので、まずこれをご覧いただきたい ttp://www.nhk.or.jp/hanamoyu/special/hakunetsu/index31.html 図の上の「絵堂」に政府軍の本拠地があり、下の「金麗社」に奇兵隊を含む諸隊の本拠地がある 10日に「大木津・川上の戦い」とあるが、この戦いで諸隊は川上口まで押された 本陣にいた山県は発砲の音が近くなってきたので、やばいと思い、馬に乗って駆けつけ陣頭指揮をとった 本陣まで押された大きな理由は兵力の差もあるが、功山寺決起の時にいた力士隊約50人のうち30人近くが 裏切って政府軍につき、それが先頭にいたからではなかろうか(これはあくまでも推測。ちなみに、 諸隊側の勝利後、その裏切者達を糾弾する声があがったが、結局「勇力隊」と名前を変えて存続させた) 押された山県は5カ月前の下関戦争で学んだ散兵戦術を思い出し、数名を側面から攻撃させ政府軍を 攪乱させ、なんとか踏ん張った(山県がいなければ本陣も襲撃され、晋作のクーデターは成功しなかった と思われる。しかも下関戦争の経験が活かされた) 山県は幹部に髷を奉納させて戦勝祈願をしたり、政府軍の荻野隊にこちらにつくようにと裏工作もする 「荻野隊の陣の前には隊の名前を入れた提灯を掲げてくれ、そうすればそこは攻撃しない」と約束 荻野隊は開戦当初迷って中立だったが、最終的には政府軍のままと決心して、14日の「呑水の戦い」では 先頭に立って出撃する だが、ここが不思議というか戦勝祈願が効いたのか、突然の雨で荻野隊の火縄銃が使えず赤村まで後退 諸隊は最新銃なので雨の影響を受けなかった(ドラマは雨だったが、そのあたりが割愛されて残念) 16日には合流した晋作が指揮をとり、赤村での最終決戦で勝利して「大田・絵堂の戦い」は幕を閉じた
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126 :花神[sage]:2015/08/10(月) 21:56:09.57 ID:wHcA6COw - ここも想像だが
晋作は12月15日に決起する4日前に、中岡と会っている そこに西郷もいたのではないか(防長回天史に記述がないので、だれも言わないが) たとえ西郷がいなくても、薩摩との密約がそこにあったのではなかろうか・・・ つまり薩長連盟の本当の立役者は「西郷-中岡-晋作」のラインだったのではということw そして晋作は13日山県に会った時、そのことを話したのではなかろうか・・・ その時山県に「15日にわしは決起するが、お前は征長軍が解隊するまでは死んだふりをしてくれ ただし藩政府軍が攻めてきたら、わしらが合流するまでなんとか持ち堪えてくれよ」と・・・ だからこそ「わしとお前は 焼山葛 うらは切れても 根は切れぬ」では?(歌はヘタだったがw) 実は山県はその前に晋作にこんな歌を送っている(これは奇兵隊を動かす時のサインか?) その歌とは 「呉竹の世にうきふしの杖の笠 おもひたつ身のうれしかりける」 伊藤は晋作の決起に一番に駆けつけたことを人生一の誇りと思っていたようだが 山県は後で参加したとはいえ、大田・絵堂の戦いで勝利したことが一番の思い出となっただろう 事実、山県のあの働きがあったからこそ、天下分け目の戦いに勝てたのだ この二人は明治になって、ともに総理大臣になった(伊藤は初代、山縣は3・9代) 伊藤は総理になった時、山県にこんなことを言っている 「あのときの歌はねーわ、晋作はワカメむすびを食べながら、ワケワカメとゆうちょったぞw」
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