- 【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part52
880 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/26(金) 21:54:18.81 ID:USz/ci12 - >>873
ありがとう。 またネタかと思ったら、いい記事でした。
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- 【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part52
892 :文字起こし[sage]:2013/04/26(金) 22:51:28.02 ID:USz/ci12 - >>873
読売新聞 江戸博 蔵めぐり 領民の赦免訴えた謝罪書 松平容保上書写 1868年(明治元年)9月22目、会津若松(福島県)の鶴ヶ城 の大手門に「降参」と書かれた白旗が掲げられた。およそ1か月に わたった会津藩と新政府軍との戦闘が終了した瞬間であった。同日 の正午、大手門前に旧藩主松平容保が姿をあらわした。正式な降伏 の儀式である。この時に降伏の謝罪書が提出された。 謝罪書では、朝廷に敵対して、会津の地で抗戦したことを、許され ざる大罪を犯したと述べ、同時に領民には辛い苦しみを受けさせて しまったと書き記す。そのため自らの命も差し出して御聖断を仰ぎ、 さらに会津の民の御赦免の嘆願を加えている。かつて京都守護職と して孝明天皇の信任を厚く蒙り、政務に携わった松平容保の心境は いかばかりであったろうか。自らの罪を謝し、領民の赦免を訴えた 文章は、ただただ胸をうつ。 この謝罪書の写しが江戸東京博物館に残っている。おそらく原文 書では書状の形だったと思われるが、この写しは簡易な冊に仕立て られている。後半には新政府に引き渡される鶴ヶ城の武具の一覧も 書かれている。 降伏の儀式を会津藩士たちは無念の思いで見つめたであろう。式 後、ある者はその場の緋毛氈(ひもうせん)を切り取り、屈辱を 決して忘れないと持ち帰った。毛氈は悔しさの血の涙で染まったと たとえられ、泣血氈(きゅうけつせん)と呼ばれるようになった。 この資料は開催中の特別展「八重の桜」展にて5月6日まで展示 されている。(江戸東京博物館学芸員 斎藤慎一)
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902 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/26(金) 23:50:46.73 ID:USz/ci12 - >>894
白旗とか降伏の手順はすでに国際法の影響があったはず 新政府軍からの指示もあった
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