- 【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part49
825 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 10:54:48.79 ID:I63sBdDe - >>805
経済力、軍事力の評価が滅茶苦茶だぞ
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- . 【】決着【】大河民の幕末史【】真実【】 .
189 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 11:24:00.35 ID:I63sBdDe - >>187
818政変はどうみても軍事的な主力は会津 会津藩 1888人 薩摩藩 150人 禁門の変の時は 会津藩 4578人 (新撰組や京都見廻組のほか、おそらく幕府からの増援を含む) 薩摩藩 1000人 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941466/233
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923 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 15:21:02.53 ID:I63sBdDe - >>921
鳥羽伏見は、慶喜脱出前に敗走していたぞ どこが幕府軍優勢なんだ?
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930 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 15:29:17.88 ID:I63sBdDe - >>888
>当時は(司馬遼太郎が小説にする前までw)、中岡慎太郎のがはるかに有名人だしな 確かに昨今の坂本龍馬は持ち上げ杉の傾向は確かにあるけど、 これは明治時代の書物も読まないような奴が、 司馬遼太郎や坂本龍馬を批判したいだけのために言いだしたこと 坂本龍馬の名前は明治20年代末に出版された教科書にも、 夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する
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935 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 15:44:11.07 ID:I63sBdDe - >>933
お前は>>921で「鳥羽伏見」と限定してるじゃない? 何を戊辰戦争全体とごっちゃにしてるんだ? 慶喜の脱走は鳥羽伏見から軍を引き揚げた後のこと
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939 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 15:56:54.81 ID:I63sBdDe - >>936
お前が>>888で書いたのは、 「当時は(司馬遼太郎が小説にする前までw)」だ さらに言えば、知名度というのは会う人によって異なるだろうが、 勝海舟や木戸が坂本を持ち上げ、書物に書き残している以上、 知名度は坂本の方が上になる。 そして実際に明治時代の教育用の歴史教科書に載るのは坂本が第一で、 中岡が載る時は坂本も載る 重田定一,高山栄一 『中学日本史』 内田老鶴圃 (明治32年) http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770122/94 是より先、土佐の坂本龍馬等薩、長の間に周旋す.薩藩依て其議を変じ、 西郷隆盛、黒田清隆等を長州に遣はし、木戸孝允等と謀り、合同を約す. 幕府之を知らずして、征長の師を起し、薩藩観望して兵を出さず. ついでにいえば、どっちも無名の下士じゃなく、 わざわざ明治政府が勅で両方の家名存続を出すほど http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787647/127 御沙汰書写 高知藩知事 故坂本龍馬故中岡慎太郎等 思食有之家名被立下候間血脉之者可申出候事
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942 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 16:01:50.70 ID:I63sBdDe - >>938
>・徳川軍は、鳥羽伏見の戦いで既に薩長を圧倒する軍事力をもっていた > =だから、本気出せば勝てた。本気で指揮しないで江戸に戻ったのは内乱を望まなかったから それはどこの歴史家の解釈で、誰が書き残したこと? あと理由が全然説明になっていない >>940 坂本の役割については同意
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978 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 18:46:26.62 ID:I63sBdDe - >>976
>だいたい資料がほとんどなく、有名になったきっかけが >夢枕に現れたことって笑える。 それは否定派が話を盛ってるっつーの
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- 【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part50
26 :日曜8時の名無しさん[sage]:2013/04/15(月) 21:31:47.16 ID:I63sBdDe - >>24
いや、その件に関しては、夢枕のエピソードでより有名になったというのが正しい解釈だと思うよ 以下『ベルツの日記』(菅沼竜太郎訳)から 明治38年4月15日 そのとき、妻(ハナ)が驚きの叫び声をあげた――「あら、ここに坂本龍馬の 墓がありますわ!――「どんな人なんだ、それは?」と、自分はたずねた。 「ご存じありませんの?皇后さまのお夢の話を、なにかでお読みになりません でした?」――「いや、知らないよ。」――「昨年、戦争の始まったころ、 皇后さまが大変不思議な夢をご覧になりましたので、これを御付の方の一人に おもらし遊ばされました。それによりますと、お見知りのない一人の男が、 お夢に現れて――わたしは坂本龍馬と申す者でございます、今度の戦さは勝利 でございますから、ご安心遊ばれますよう、お知らせ申しあげるため 参上いたしました、この坂本龍馬めの申しあげることにうそ、偽りはございません ――と申し述べたそうでございます。皇后さまは、その男の様子、衣服などを お物語になって、そんな男が居ったかどうか、またどんな人物であったかを おたずねになりました。御付きの人は驚きのあまり、言葉も出ない有様でしたが、 そのような男の居ったこと、仰せのとおりの様子をした人物であったこと、朝廷に 尽くして死んだこと、京都に葬られていることなどをお答え申しあげました。 それ以来、坂本は日本中で有名です。そしてこのお話は、 国民を元気づけることにもなりました。
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