> 王政後期のイタリア政界でイタリア社会党(PSI)の政治家として活躍、 第一次世界大戦従軍後に同じ退役兵を集めてイタリア戦闘者ファッシ及び国家ファシスト党(PNF)を結党し、そのドゥーチェ(統領)となる。 イタリアの政治学者ジョヴァンニ・アメンドラの全体主義、 フランスの哲学者ジョルジュ・ソレルの革命的サンディカリスムなど複数の政治思想を習合させ、 新たな政治理論としてファシズム(結束主義)を構築した。 国家ファシスト党によるローマ進軍によって首相に任命され、 1925年1月3日の議会演説で実質的に独裁体制を宣言し、 同年12月24日に従来の首相職[注 2]より権限の強い 「首席宰相及び国務大臣(イタリア語版)」[注 3](イタリア語: Capo del governo primo ministro segretario di Stato)を新設し、 同時に複数の大臣職を恒久的に兼務することで独裁体制を確立した。 1936年、エチオピア帝国征服によりサヴォイア家が帝位を兼ねる様になると(イタリア植民地帝国)、 「帝国の建国者(イタリア語: Fondatore dell'Impero、フォンダトーレ・デッリンペーロ)」という名誉称号をサヴォイア家から与えられた[1]。