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名無しさん@1周年
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【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★9
208 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 14:49:05.45 ID:2catR9x/0
>>956 >>957 >>958 >>959 >>953 >>954 >>955

ユダヤ教は人類最古の古代文明の宗教を継承していると言える
ユダヤ教はアブラハムの啓示から始まるが、アブラハムの先祖の宗教は同じセム語族の宗教だったウガリット神話またはシュメール神話だったと推定できる
ウガリット神話の発祥地とされるレバントの都市文明はシュメールに先んじているためセム語族の神話は現在のシリア周辺で発祥したと考えていい

https: //ja.wikipedia.org/wiki/ナトゥーフ文化
ナトゥーフ文化(英語:Natufian culture)は、紀元前12500年から紀元前9500年にかけてレバントに存在した亜旧石器文化。
人類史において農耕が始まる前であるにも関わらず、定住あるいは定住に近い生活が行われていた点に特徴がある。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/エリコ
死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。
世界最古の町と評されることもある。。。エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られていた。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/ウガリット
ウガリット一帯には、既に新石器時代には人間が居住していたとみられる。紀元前6000年頃には重要な場所であり、
集落全体を壁で囲い、守りを固めていた。後にメソポタミアと文化的に交流が始まり、紀元前3千年紀後半からは西セム人の
都市国家として繁栄、紀元前18世紀にはフルリ人もこれに加わった。

https ://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic
The Neolithic 1 (PPNA) period began roughly around 10,000 BC in the Levant.[6] A temple area in southeastern Turkey at Göbekli Tepe dated around 9500 BC
may be regarded as the beginning of the period.

ヘブライ語はウガリット神話と同じセム語のため類似する所がある(ミカエル、ガブリエル等の語源)が、他のウガリット神話を信じる部族はアブラハム
(メソポタミアに居住していた)の啓示から長い年月をかけてユダヤ教に改宗したと考えられるため、ユダヤ人なるものが初めから存在していたわけではない

ユダヤ人の旧約聖書においてアブラハム啓示以前の記述の多くは、シュメールやレバントの神話から借用して連続する歴史に貼り合わせたものと考えることができる

アブラハムが拝一神教であったかは現在でも議論されており、(最古?の)原始一神教の啓示がユダヤ教の源流といって良い
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★9
215 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 14:49:46.05 ID:2catR9x/0
>>966 >>967 >>968 >>969 >>963 >>964 >>965

イギリス:西暦519年ウェセクス国王の血筋(女系) 、13世紀にはマグナ・カルタによって立憲君主制に舵をきる
ドイツ:西暦580年(ピピン1世) からの血筋(ヴィルヘルム2世で退位、カロリング朝の国王・皇帝がメロヴィング朝の
血も一部受け継ぐとする説を用いると西暦400-450年、もしくは小国の王だったPharamond、Sunno以前にまで遡るのであれば西暦300-350年以前に求めることも可能 )

これらの初代国王達は平民ではなく小国の領主の生まれであろうから、エチオピアのようにさらに古くまで血筋を主張することも可能だろう
例えばトイトブルク森の戦い後にドイツの各部族は温存されているため、Arminiusの親戚である可能性はかなり高い
その場合はドイツ、イギリスの王族は紀元前に遡る王族の血筋だったとの主張も可能となる

https://en.wikipedia.org/wiki/Bertrada_of_Laon

ウィリアム1世はウェセクス王家の血をひく王女と結婚し、9人の子供が生まれ、その血が現在の国王の血にも流れている
(さらにイングランド国王から後継者にも指名されてもいた)

https://en.wikipedia.org/wiki/Matilda_of_Flanders
As a niece and granddaughter of kings of France... Her descent from the Anglo-Saxon royal House of Wessex was also to become a useful card.

英国王(さらにフランス王)としての正統な血筋を子供が持っていたことになる

ウェセクス国王の血筋をもつスコットランドの王族と結婚しているために、女系で二重にウェセクス王家の流れをくむ
(キリスト教による重婚の禁止により欧州の王族の数は限られてきた)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★9
221 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 14:50:15.12 ID:2catR9x/0
>>456 >>457 >>458 >>459 >>453 >>454 >>455

ドイツ皇帝、神聖ローマ帝国、フランス国王、英国王は、説によっては4世紀の小国の王まで遡ることも可能だ

https://en.wikipedia.org/wiki/Sulpicius_Alexander
The work of Sulpicius Alexander as extracts in Gregory's Decem Libri Historiarum (II 9) is considered an important source
in any discussion of the origin of the Frankish tribes.

またドイツ系の小国の血統を強引に解釈すれば紀元前に遡る王族とすることもできる

英国王室もやる気になれば紀元前まで遡ることもできるはずだが、偽装疑惑で安っぽさが出るだけでメリットがないため、そのような主張はされていない
西欧文明はアナトリア・ギリシャ圏・ローマから発祥し、さらに最古と見られるセム語族の宗教の伝統を継承しているので、王権の先達ならいくらでもいる
考古学的な証拠のない時代の血統を無理に遡っても王室の存在を正当化する意味はなく、むしろ史実を無視したフェイク王族と見られるリスクがあるからだ
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★9
256 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 14:54:30.90 ID:2catR9x/0
>>208

旧約聖書のアブラハム以前の記述はより古い約8000年前に遡れるウガリット神話に類似するとされる

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウガリット
この遺跡から見つかった重要な文化には、独自の表音文字・ウガリット文字と、ユダヤ教の聖書へとつながるカナン神話の原型ともいえるウガリット神話集がある。
完成 紀元前6000年
放棄 紀元前1190年
時代 新石器時代—青銅器時代
文化 カナン

ユダヤ人は古代レバントの地域の部族がアブラハム(メソポタミア出身)の教義に改宗したものというのは、ユダヤ語がセム語圏であることから分かる
孤立言語の日本や朝鮮とは根本的に成り立ちが違う

ギルガメッシュもウガリットもセム語圏であり、レバントはユーフラテス川とティグリス川の運河沿いの源流にある
さらにベイルートとエルサレムからバグダッドの直線距離は900km程度であり、この地域の交流が紀元前4000年より前にあったことは必然と言える

https://en.wikipedia.org/wiki/Euphrates#/media/File:Tigr-euph.png
チグリス・ユーフラテスの間にあるのがアッカド帝国であり、北アッカドにはアッシリア帝国がある

この地域の部族の中でユダヤ教に改宗したものがいると考えるのは、縄文や弥生が日本人の祖先と考えるぐらい自然だ
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★9
272 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 14:56:15.04 ID:2catR9x/0
>>256

レバントのアッカド帝国(紀元前2334年)、アッシリア帝国といった人類文明黎明期の国家はセム語系とされている

https://ja.wikipedia.org/wiki/アッカド帝国
アッカド帝国は、青銅器時代におけるメソポタミア最初の古代セム語系の帝国である。
聖書において古代メソポタミアでアッカドとも呼ばれ、アッカドとその周辺地域を中心としている。

技術
1960年にイラク最北端のドホーク県バセトゥキ村(英語版)で発見されたバセトゥキ像(英語版)の碑文には、
"誰も鉛の像を作ったことはないが、キシュのリムシュ王は自分の像を鉛で作った。それはエンリルの前に立ち、
彼(リムシュ王)の美徳を神々のイドゥに語った。"とある。銅製のバセトゥキ像はロストワックスの技法により鋳造され、
当時の職人がアッカド帝国の時代に達成した高水準の技術を証明している[9]。

国王 Middle Chronology
サルゴン 2334–2279
リムシュ 2278–2270
マニシュトゥシュ 2269–2255
ナラム・シン 2254–2218
シャル・カリ・シャッリ 2217–2193
(空位時代) 2192–2190
デュデュ(英語版) 2189–2169
シュ・トゥルル(英語版) 2168–2154

https://en.wikipedia.org/wiki/Akkadian_Empire
The Bible refers to Akkad in Genesis 10:10[10], which states that the beginning of Nimrod's kingdom was in the land of Akkad.
Nimrod's historical identity is unknown, but some have compared him with the legendary Gilgamesh, founder of Uruk.[11][12]
Today, scholars have documented some 7,000 texts from the Akkadian period, written in both Sumerian and Akkadian.
Many later texts from the successor states of Assyria and Babylonia also deal with the Akkadian Empire.[12]

特筆すべきは王達(または皇帝)の寿命が100歳を超えていないことだ
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