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名無しさん@1周年
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★4
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【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
386 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:17:55.14 ID:2catR9x/0
>>880 >>881 >>882 >>883 >>884 >>885 >>886

https://ja.wikipedia.org/wiki/久邇宮邦彦王
外戚として
外戚となった邦彦王はしばしば皇居に出入りし、のみならず皇室に金の無心をするようになった。
とくに自邸の改装費に関しては、貞明皇后を怒らせるまでに至った。しかしこのような邦彦王の行動は当時はいっさい表沙汰にはならなかった。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
390 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:18:05.80 ID:2catR9x/0
>>841 >>842 >>843 >>844 >>845 >>846 >>847

皇籍復帰には皇族が不祥事や政変で臣籍降下した後に復帰した事例が多くあるが、上級貴族でなく平民で生まれたものが皇族になった前例はない
臣籍に生まれたが皇籍に「復帰」した例は平民ではない上級公卿だった「源朝臣忠房」(順徳天皇の曾孫)の1件となる、あえて含むなら源朝臣定省の子供も含まれる

源朝臣定省
源朝臣忠房

源朝臣定省は光孝天皇の子であり宇多天皇となり、宇多天皇の子である醍醐天皇は臣籍から天皇になったただ一つの例となる

https: //ja.wikipedia.org/wiki/臣籍降下

一度臣籍に降下した後には皇族に復帰することは許されないのが原則であるが、皇籍に復帰する事例も比較的多く見られた。
なお、以下の例の内、源朝臣定省の子達や源朝臣忠房の例は、臣籍として生まれながら、皇籍に移行した例である。

源朝臣定省(884年降下・887年復帰)
光孝天皇子。 源姓を賜って臣籍降下後に皇族復帰し、践祚する(宇多天皇)。宇多天皇即位後、源是忠ら同腹の兄弟達も皇籍に復帰している。

源朝臣忠房(1319年移行)
順徳天皇曾孫。臣籍として生まれたが、後宇多上皇の猶子となり、皇籍復帰する。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
398 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:18:21.55 ID:2catR9x/0
https: //ja.wikipedia.org/wiki/忠房親王
出生 弘安8年(1285年)?
忠房親王(ただふさしんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の皇族・公卿。親王宣下を受けるまでは源 忠房と記される。
順徳天皇の曾孫。正三位・源彦仁の子。臣籍時の官位は従二位・権中納言。

忠房親王の父は源彦仁

https: //ja.wikipedia.org/wiki/源彦仁
生誕 不明
死没 永仁6年3月23日(1298年5月5日)
源 彦仁(みなもと の ひこひと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての皇族・公卿。順徳天皇の第五皇子・岩倉宮忠成王の子。
官位は正三位・左近衛中将。

忠房親王の子は源彦良

https ://ja.wikipedia.org/wiki/源彦良
源 彦良(みなもと の ひこよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。忠房親王の子。官位は従二位・左中将。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
409 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:18:50.50 ID:2catR9x/0
>>890 >>891 >>892 >>893 >>894 >>895 >>896

戦前の皇族は貧民が餓死、子供の身売りなどしている中で豪奢な生活をし
その資産は大財閥の資産を全て合算したものを超えていたとの説もある(実際は大財閥の大株主だったらしいので比較に意味はない)
最大では大財閥一族の資産全てを合わせた額の10倍なんて途方もない資産だったという声もある

これだけの資産を持つ王室となると、ロシア皇帝やサウジアラビア王家とも比べられるかもしれず
明らかに経済や社会システムとして望ましくなかった

また宮家には素行も良くないものが多くおり、皇室の品位を事あるごとに貶してきたという声もある

今の皇室はそれに比べ、行動によって称号に相応しいことを示したことで国民からの尊敬を得ている
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
415 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:19:12.01 ID:2catR9x/0
>>420 >>921 >>922 >>923 >>924 >>925 >>926

過去には神の子孫である神別氏族物部氏が殺され、その子が奴婢とされた事例がある

https: //ja.wikipedia.org/wiki/奴婢
また蘇我氏物部氏の争いの時も聖徳太子が大連の首を切ってその子孫を四天王寺の寺奴婢[注釈 2]としたという記述がある。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ
アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。

海人@umihito311
2014年1月17日
イザナミ悪者にする話を見る度に「ヒノカグツチ出産の際に撒き散らかした、大や小やらの
排泄物や吐瀉物からも豊穣神産んだイザナミ様を敬え!!信仰しろ!!あと、イザナギを文句
なしの善玉にするな!!あいつ問答無用で嬰児殺しかましただろが!!」と文句言いたくて言いたくてしょうがなくなる

@mtsuzuki81 @___akarisan
出てこないけどなんかくだらない。
今日習ったことはイザナミの神がゲロを吐いてそのゲロから出てきたのが山の神。
その時した下痢から出てきたのが海の神らしい。おれらはイザナミの排泄物で生きてるらしいぞw
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
417 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:19:30.35 ID:2catR9x/0
>>940 >>941 >>942 >>943 >>944 >>945 >>946

「神の子」と自称する神武天皇(神道の教祖)の誕生が、国の成り立ちとするのが神話史実説の骨子となる

https: //ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇
神日本磐余彦天皇(神武天皇)の諱は彦火火出見(ひこほほでみ)。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の四男として庚午年[注釈 1]1月1日(庚辰の日)[1]に日向国で生まれた。
母は海神の娘の玉依姫である。生まれながらにして明達で強い意志を持っており、15歳のとき(甲申年[注釈 2])に太子となった。長じて日向国吾田邑の吾平津媛を妃とし、息子の手研耳命を得た。

https://ja.wikipedia.org/wiki/タマヨリビメ
タマヨリビメ(タマヨリヒメ、玉依姫、玉依媛)とは、神道の女神である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウガヤフキアエズ
ウガヤフキアエズ、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は日本神話の神。地神五代の五代目、日向三代の三代目。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/イザナミ
火の神軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。
そして、カグツチはイザナギに殺された。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ
アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
424 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:19:47.25 ID:2catR9x/0
実在の証拠が皆無の神武天皇よりも纒向石塚古墳、箸墓古墳を研究すべきだが、こうした遺跡の文脈で国の発生を語れないところが愛国自慰業界の限界と言える

https: //ja.wikipedia.org/wiki/纒向遺跡
3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地とする研究者もいる。邪馬台国の中心地に比定する説があり、箸墓古墳などの6つの古墳が分布する。

天照大神にも持統天皇説や卑弥呼説、男神説、その他にも諸説ある

https: //ja.wikipedia.org/wiki/天照大神
天照大神のモデルは淮南子や山海経などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である義和が該当するとする説もある[16]。
淮南子の冒頭と日本書紀の冒頭が重なる部分が存在する事から記紀の執筆者が淮南子を読んでいたのは間違いないとされる[17]。

また最高神アマテラスの造形には、女帝の持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)や、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち
聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある[18]。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/高天原
天上説
「高天原は神の住まう場所であるから、天上や天より高い宇宙に決まっており、それ以外の場所を考えるのは不遜である」とする説。本居宣長の説が代表的なもので、
戦前は皇国史観と結びついてこの考え方が主流であった。

地上説
「神話は何がしかの史実を含んでおり、高天原も実在したものを反映している」とする説。新井白石の説が代表的なもので「高天原とは常陸国(茨城県)
多賀郡である」とする[1]。地上説にはさらに国内説と海外説がある。国内説の中には、邪馬台国と高天原を関連付けて考える説もある。海外説の代表的な
ものは中華の国雲南説である。新井白石が常陸国説を唱えるまで、京都朝廷では高天原は大和国葛城だとされていた。

いわゆる、高天原はヤマト発祥の地として考えることが地上説である。

作為説
神話は作られたものであるから、そこに出てくる高天原について「どこにあったか?」などと考えること自体が無意味であるとする説。山片蟠桃の説が
代表的なもので、『古事記』における神代のことは後世の作為であるとする。戦後主流となっている津田左右吉の史観はこの考え方に基づく。現在でも
多くの学者は、高天原神話は支配階級のことを「天上界に由来するが故に尊い」とする信仰を語ったものであるという説に与しており、思想的には異な
るものの先の天上説と実質の意味合い的には近い。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
432 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:20:23.90 ID:2catR9x/0
>>953 >>954 >>955 >>956 >>957 >>958 >>959

ユダヤ教は人類最古の古代文明の宗教を継承していると言える
ユダヤ教はアブラハムの啓示から始まるが、アブラハムの先祖の宗教は同じセム語族の宗教だったウガリット神話またはシュメール神話だったと推定できる
ウガリット神話の発祥地とされるレバントの都市文明はシュメールに先んじているためセム語族の神話は現在のシリア周辺で発祥したと考えていい

https: //ja.wikipedia.org/wiki/ナトゥーフ文化
ナトゥーフ文化(英語:Natufian culture)は、紀元前12500年から紀元前9500年にかけてレバントに存在した亜旧石器文化。
人類史において農耕が始まる前であるにも関わらず、定住あるいは定住に近い生活が行われていた点に特徴がある。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/エリコ
死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。
世界最古の町と評されることもある。。。エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られていた。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/ウガリット
ウガリット一帯には、既に新石器時代には人間が居住していたとみられる。紀元前6000年頃には重要な場所であり、
集落全体を壁で囲い、守りを固めていた。後にメソポタミアと文化的に交流が始まり、紀元前3千年紀後半からは西セム人の
都市国家として繁栄、紀元前18世紀にはフルリ人もこれに加わった。

https ://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic
The Neolithic 1 (PPNA) period began roughly around 10,000 BC in the Levant.[6] A temple area in southeastern Turkey at Göbekli Tepe dated around 9500 BC
may be regarded as the beginning of the period.

ヘブライ語はウガリット神話と同じセム語のため類似する所がある(ミカエル、ガブリエル等の語源)が、他のウガリット神話を信じる部族はアブラハム
(メソポタミアに居住していた)の啓示から長い年月をかけてユダヤ教に改宗したと考えられるため、ユダヤ人なるものが初めから存在していたわけではない

ユダヤ人の旧約聖書においてアブラハム啓示以前の記述の多くは、シュメールやレバントの神話から借用して連続する歴史に貼り合わせたものと考えることができる

アブラハムが拝一神教であったかは現在でも議論されており、(最古?の)原始一神教の啓示がユダヤ教の源流といって良い
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
439 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:20:38.54 ID:2catR9x/0
>>963 >>964 >>965 >>966 >>967 >>968 >>969

イギリス:西暦519年ウェセクス国王の血筋(女系) 、13世紀にはマグナ・カルタによって立憲君主制に舵をきる
ドイツ:西暦580年(ピピン1世) からの血筋(ヴィルヘルム2世で退位、カロリング朝の国王・皇帝がメロヴィング朝の
血も一部受け継ぐとする説を用いると西暦400-450年、もしくは小国の王だったPharamond、Sunno以前にまで遡るのであれば西暦300-350年以前に求めることも可能 )

これらの初代国王達は平民ではなく小国の領主の生まれであろうから、エチオピアのようにさらに古くまで血筋を主張することも可能だろう
例えばトイトブルク森の戦い後にドイツの各部族は温存されているため、Arminiusの親戚である可能性はかなり高い
その場合はドイツ、イギリスの王族は紀元前に遡る王族の血筋だったとの主張も可能となる

https://en.wikipedia.org/wiki/Bertrada_of_Laon

ウィリアム1世はウェセクス王家の血をひく王女と結婚し、9人の子供が生まれ、その血が現在の国王の血にも流れている
(さらにイングランド国王から後継者にも指名されてもいた)

https://en.wikipedia.org/wiki/Matilda_of_Flanders
As a niece and granddaughter of kings of France... Her descent from the Anglo-Saxon royal House of Wessex was also to become a useful card.

英国王(さらにフランス王)としての正統な血筋を子供が持っていたことになる

ウェセクス国王の血筋をもつスコットランドの王族と結婚しているために、女系で二重にウェセクス王家の流れをくむ
(キリスト教による重婚の禁止により欧州の王族の数は限られてきた)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
442 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:20:47.94 ID:2catR9x/0
>>453 >>454 >>455 >>456 >>457 >>458 >>459

ドイツ皇帝、神聖ローマ帝国、フランス国王、英国王は、説によっては4世紀の小国の王まで遡ることも可能だ

https://en.wikipedia.org/wiki/Sulpicius_Alexander
The work of Sulpicius Alexander as extracts in Gregory's Decem Libri Historiarum (II 9) is considered an important source
in any discussion of the origin of the Frankish tribes.

またドイツ系の小国の血統を強引に解釈すれば紀元前に遡る王族とすることもできる

英国王室もやる気になれば紀元前まで遡ることもできるはずだが、偽装疑惑で安っぽさが出るだけでメリットがないため、そのような主張はされていない
西欧文明はアナトリア・ギリシャ圏・ローマから発祥し、さらに最古と見られるセム語族の宗教の伝統を継承しているので、王権の先達ならいくらでもいる
考古学的な証拠のない時代の血統を無理に遡っても王室の存在を正当化する意味はなく、むしろ史実を無視したフェイク王族と見られるリスクがあるからだ
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
446 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:21:02.59 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

https://ja.wikipedia.org/wiki/尊王論

山鹿素行は、儒学のモデルであり、当時の憧れの対象であった中国明が滅び、
清に支配されて、もはや規範ではなくなったため、日本こそが儒学の正統だとして、
「日本こそ中国である」と論じた。また、儒教思想の日本への定着はすなわち、
中華思想(華夷思想)の日本への定着を意味し、近代の皇国史観などに影響を与え、
日本版中華思想ともいうべきものの下地となった。儒教では、湯武放伐を認めるかど
うかが難題とされてきたが、徳川幕府は朱子学について孟子的理解に立ち、湯武放伐、
易姓革命論を認めており、そうすると天皇を将軍が放伐してよいことになる
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
450 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:21:14.24 ID:2catR9x/0
>>431 >>432 >>433 >>434 >>435 >>436 >>437

明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった(大久保の暗殺後に政治空白が生まれ宮中での天皇親政運動が強まる)
明治天皇とその側近である侍補グループの天皇親政運動は五箇条の御誓文や維新革命後の政治体制に反する存在となった為に伊藤博文が介入した。最終的に軍の支持を受けた伊藤
の封殺案に抵抗する術はなく、侍補は廃された。宮中グループはその後も教学聖旨によって儒教君主化を企んだが伊藤博文はこれも頓挫させた

「〔明治13年〕11月3日(東京)天皇誕生日。この国の人民がその君主に寄せる関心の程度が低い有様をみることは情けない。
警察の力で,家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、ごく少数だろう」(エルヴィン・フォン・ベルツの日記より)

憲法の制定後は明治天皇の権力はさらに制限され、親政の希望は失われたが、伊藤博文は傀儡となった天皇の権威を最大限利用すべく動き
最終的には西欧におけるキリスト教の役割となることを期待し、操り人形の前提で天皇崇拝を強化した
明治天皇の信任が厚かった宮中グループも、朝鮮朱子学による天皇儒教権威の強化、儒教的・絶対的な天皇中心主義が教育勅語に組み入れられたことで満足(侍補達の権威アップ)し、その後はおとなしくなった

https ://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。

教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省
の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/機務六条
宮中側は明治天皇が儒教に基づいた東洋的な専制君主として「天皇親政」を行うべきであると主張し、明治天皇への帝王教育もその路線で行ってきた。これは将来的には天皇を西洋的な立憲君主として近代国家の中枢に据えようとす
る太政官の方針と矛盾したものであった。このため、岩倉や伊藤らは侍補を廃止して親政路線を停止しようと図ったが、明治天皇自身が元田永孚・佐々木高行ら侍補に心を寄せて彼らを私的なブレーンとして遇し、彼らが期待する君主像を実現させようと試みた。

1879年(明治12年)3月10日、明治天皇が「勤倹の聖旨」を公布して政府の財政路線を批判し、続いて元田に「教学聖旨」を執筆させて教育政策を批判した。伊藤らは天皇と宮中側の関係を改めさせようとしたが、急速に立憲制が確立することで
公家出身の門地に依存してきた自分の地位が危うくなることを危惧した三条や岩倉は、元田や佐々木らの宮中側勢力を完全に抑えることには消極的で、大隈財政末期の外債発行問題などでは宮中側と連携して太政官側を動かそうとする動きも見せたのである。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文
お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が会議の席上、半ば有栖川宮威仁親王の方を向き、「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたことを紹介している。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
459 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:21:33.01 ID:2catR9x/0
>>441 >>442 >>443 >>444 >>445 >>446 >>447

伊藤博文は百姓、山県有朋は奉公人の出身と記憶しているが、明治維新の長州閥に限定すれば大規模な身分変動があったことになる
足利尊氏のように賊軍・朝敵になってから政権を奪取したりする例はあるが、百姓・奉公人の血筋からの出世では豊臣秀吉以来と言えるだろう

王政復古・明治維新後には公家や宮家が権勢を振るう可能性があったが、権力を得たのは伊藤博文と山県有朋を筆頭にテロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長のような指折りの危険人物
ぞろいであったため明治天皇や側近・皇族・公家を差し置いて実権を握ったのは長州・薩摩の勢力となった。伊藤博文と山県有朋は天皇親政運動を封殺して天皇から実権を剥奪したが
元田永孚や公家からの圧力を受け教育勅語において妥協をしている

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

儒教・朱子学は短期的に社会を安定させる効果と、長期的に停滞をおこし社会を過激な動乱に導く滅びの笛であり、定期的に動乱の渦に国が呑まれていくことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/元田永孚
朱子学的な大義名分論を日本の現実社会に徹底化して、修身と治国の一体化を図ると共に皇室への崇敬を一種の「国教」として確立することを
目指した元田の「政教一致」路線は、教育勅語を通じた天皇制国家の確立によって実現されていく。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
470 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:22:05.96 ID:2catR9x/0
>>451 >>452 >>453 >>454 >>455 >>456 >>457

北一輝が西郷隆盛の信奉者であったことを考えると、儒教君主の天皇親政とは考えにくいため、本音は別のところにあったのかもしれない
しかし明治天皇が儒教君主になろうと天皇親政運動をしていたことを北一輝が知らない可能性もある

ある意味では伊藤博文・山県有朋が明治天皇の親政の希望を断ったのも事実ではあるし、プロイセン・ドイツ流の国家主義はカルテル経済のハリボテであったので
両名に対する批判はもっともであるが、伊藤博文が傀儡として天皇を利用せず、明治維新が天皇親政に向かおうとした場合は、薩長や雄藩の軍人によって国体(天皇を中心とする国家体制)と皇室が消滅していた可能性もゼロではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/孝明天皇
その後、幕府・一会桑・薩摩藩・長州藩等の諸藩・公家・志士達の権力を巡る争奪戦に巻き込まれていくと、孝明天皇自身
の権威は低下していくことになった。

1865年(慶応元年)、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を
天皇に要求したため、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出すこととした。だが、この年には実際には宮中のみに留
まったものの西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった[注 2]。

このような状況の中で、次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出するよう
になる。第二次長州征伐の勅命が下されると、大久保利通は西郷隆盛に宛てた書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言[5]し、
岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果た
し、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と記している[6]。こうした中で1866年10月8日(慶応2年8月30日)には、
天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める廷臣二十二卿列参事件が発生し、その後薩摩藩の要請を受けた内大臣・近衛忠房
が天皇が下した22卿に対する処分の是非を正そうとしたことから、天皇が近衛に対して元服以来の官位昇進の宣下をしたのは
誰か、奏慶(御礼の参内)は何処で行ったのかと糾弾する書簡を突きつけている[7]。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
474 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:22:21.90 ID:2catR9x/0
>>461 >>462 >>463 >>464 >>465 >>466 >>467

吉田松陰が育てた陽明学徒の維新勢力は禁門の変で賊軍・朝敵となり、さらに天皇親政運動を封殺しており、陽明学徒はその時々の情勢に応じて天皇の利用を流動的に使い分ける傾向がある
陽明学は経典を軽視する傾向が顕著なため、これに驚きはない

そのため陽明学徒には経典も含めて外部から見た道徳的な制約は存在しないが、朱子学徒は事実・現実を無視した儒教序列妄想に強烈な執着を持つ
朱子学水戸藩は内紛と内部粛清でぼろぼろになり、儒教道理等には眼中にさえない陽明学徒テロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長が政権を奪取したのは合理的必然であると言ってよい

https://ja.wikipedia.org/wiki/陽明学
経書の地位低下
心を外的な規範から解放した結果、六経などの経書を尊び学ぶ姿勢が減退していくことになる。王陽明自身は「吾が心に省みて非なれば、孔子の言といえども是とせず」
と言い切ってはいても、未だ経書への姿勢は謙虚さがあった。しかしその弟子、就中高弟と言われる者でも生涯に読んだ経書は四書だけといわれる人が陽明学派から出て
くるようになる。かくして経書はその聖性を減じていき、六経は単なる歴史に過ぎないという解釈が生まれた。これは清代考証学の一派である黄宗羲ら浙東史学から章学誠
を経て、章炳麟へ受け継がれていった。

元田永孚が宮中や教育を朝鮮朱子学で汚染したのに対して、反朱子学である陽明学を学んだ西郷隆盛の西南戦争(第二維新、第二革命と北一輝は名付ける)の例もある

陽明学を学んだ革命愛好家・趣味的革命研究家である北一輝は、明治維新革命の延長(長州は朝敵であったため明治維新と皇道派との整合性はないので延長ではない)
であると皇道派の将軍に売り込むためか、または朱子学的だった世相を考慮して天皇親政を掲げた

一方で窮乏していた貧民層を救うために、明らかに肥大しすぎた皇族資産の凍結・徴収といった皇室・皇族が嫌悪する政策(しかし否定すれば皇族に理は失われる)
を提案しているが、これは皇族サイドの欲やエゴにはマイナス要因としかならず、権力者・序列主義への忠誠が全てに優先される朱子学的思想から逸脱したことで、
信じがたい非礼、として皇族や宮中を激怒させたことは容易に想像できる

天皇親政という朱子学思想(建前)と、弱者救済や改革といった陽明学思想(本音)が混在する倒錯は、賊軍・朝敵となっても力と血の犠牲で全てをひっくり返して権力を奪取する(明治維新、足利尊氏等)
という軍事クーデターとの相性は最悪でありニ・二六事件は必然的に失敗した。また北一輝のような目立ちたがりやの革命愛好家・革命オタクが関わり表に出張ると情報が外部に漏れて時宜を見失うことで失敗しやすくなる
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
476 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:22:34.64 ID:2catR9x/0
>>490 >>491 >>492 >>493 >>494 >>495 >>496

朱子学を教育勅語に編み込んで日本人を朝鮮朱子学で洗脳した元田永孚に先駆けて日本国内に李氏朝鮮の朱子学を復元した壮大な社会実験は水戸藩で行われた
朝鮮人的思考形態を持つ陸軍統制派によってさらに拡大運用された結果として集団パニック症候群が大量に発生した。現代の愛国烈士の姿は天狗党に被る

https://ja.wikipedia.org/wiki/天狗党の乱

天狗党の発生
こうして権力を得た一派は、反対派から「一般の人々を軽蔑し、人の批判に対し謙虚でなく狭量で、鼻を高くして偉ぶっている」ということ
で、天狗党と呼ばれるようになった。これに対して斉昭は、弘化2年(1845年)10月に老中阿部正弘に対し、江戸では高慢な者を「天狗」と
言うが、水戸では義気があり、国家に忠誠心のある有志を「天狗」と言うのだと主張している[3]。とはいえ、天狗党という集団はその内部
においても盛んに党争と集合離散を繰り返しており、それぞれの時期においてその編成に大きな差異が見られる。まず天狗党は後述する
「勅書」返納問題において鎮派・激派に分裂したうえ、さらに激派内でも根拠地別に筑波勢・潮来勢などの集団があってそれぞれ独自に動
き回っていたことから、『水戸市史 中巻(五)』においては、一味の総称である天狗党の呼称を、最終的に京へ向かって西上した集団に
限定して使用している[2]。

大発勢の出陣と那珂湊の戦い
江戸の水戸藩邸を掌握した諸生党に対し、激派・鎮派は領内の尊攘派士民を下総小金(千葉県松戸市)に大量動員し、藩主慶篤に圧力をかけ
交代したばかりの諸生党の重役の排斥を認めさせ[15]、水戸藩邸を再び掌握した。しかし、市川らによる水戸城占拠の報に接し、国元の奪還
を図ることとなった[16]。そこで、在府の慶篤の名代として支藩・宍戸藩主の松平頼徳が内乱鎮静の名目で水戸へ下向することとなり、執政
・榊原新左衛門(鎮派)らとともに8月4日に江戸を出発した。これを大発勢という[17][18]。これに諸生党により失脚させられていた武田耕
雲斎、山国兵部らの一行が加わり、下総小金などに屯集していた多数の尊攘派士民が加入して1000人から3000人にも膨れ上がった。

投降
関東において天狗党がもたらした惨禍を目の当たりにしていた意尊らはこの光景に激怒し、加賀藩から引渡しを受けるとただちに天狗党員
を鰊倉(鰊粕の貯蔵施設)の中に放り込んで厳重に監禁し、小四郎ら一部の幹部達を除く者共には手枷足枷をはめ、衣服は下帯一本に限り、
一日あたり握飯一つと湯水一杯のみを与えることとした。腐敗した魚と用便用の桶が発する異臭が籠る狭い鰊倉の中に大人数が押し込められ
たために衛生状態は最悪であり、また折からの厳寒も相まって病に倒れる者が続出し20名以上が死亡した。

この時捕らえられた天狗党員828名のうち、352名が処刑された。1865年3月1日(元治2年2月4日)、武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内に
おいて斬首されたのを最初に、12日に135名、13日に102名、16日に75名、20日に16名と、3月20日(旧暦2月23日)までに斬首を終え、他
は遠島・追放などの処分を科された。

乱後
天狗党降伏の情報が水戸に伝わると、水戸藩では市川三左衛門ら諸生党が中心となって天狗党の家族らをことごとく処刑した。

水戸学を背景に尊王攘夷運動を当初こそ主導した水戸藩であったが、藩内抗争は他藩にも例を見ないほどの凄惨な殲滅戦となって人材のことご
とくを失ったため、藩出身者が創立当初の新政府で重要な地位を占めることは無かった。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
480 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:22:53.87 ID:2catR9x/0
>>501 >>502 >>503 >>504 >>505 >>506 >>507

国学・神道の融合による朱子学化を推進した結果として尊王攘夷運動という時限爆弾が荒れ狂い自滅することになった水戸藩は、
弱小国の分際で世界最強国アメリカに無謀な戦争をしかけた戦前日本に重なる

http s://ja.wikipedia.org/wiki/諸生党
戊辰戦争以後
慶応4年1月(1868年2月)、戊辰戦争が始まると、諸生党に対する追討命令が朝廷から出された。これにより水戸藩に戻った本圀寺党を
はじめとする天狗党の残党と諸生党の間で再度抗争が起こり、今度は賊軍となった諸生党はたちまち勢力を失い、市川らは水戸を脱して
会津へ向かった。武田金次郎ら天狗党が藩内での権力を掌握すると、諸生党やその家族に対して激しい報復が行われ、各地で多くの
諸生党士民が処刑されたり投獄されたりした。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/松山戦争
背景
元治元年12月(1865年1月)に関東を劫掠していた水戸藩天狗党の乱が鎮圧された後、水戸藩の藩政は市川弘美ら
中心とする諸生党が掌握し、水戸に居た天狗党の関係者は諸生党によって次々と処刑された。

ところが翌年将軍徳川家茂が死去すると、翌年には天狗党本隊のうち武田金次郎ら遠島に処される予定であった者共
が赦免され、さらに孝明天皇崩御の後、天狗党と共謀関係にあった長州藩が鳥羽・伏見の戦いで勝利すると、天狗党・本圀寺党
の訴えにより諸生党が一転して朝敵に指定された。

経過
天狗党は翌7日から9日にかけて八日市場近隣の村々に押入って金品を強奪し、各村の名主・組頭を縛り上げて拉致し
身代金550両を奪取した上、銚子など周辺の町を次々と襲撃して略奪を繰り返した後、水戸へと戻っていった。飯高寺
の『向城庵記憶帳』は、この時の有様を「辰年十月中旬、水戸藩士天狗共国元にて戦争の上〜八日市・佐原・銚子・東金
などの町家へ乱荒し必死難渋の沙汰」と記している。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田金次郎
1864年の天狗党の乱には、祖父や父と共に参加する。のちに乱が鎮圧されて祖父など376人が死罪に処せられたが、若年を理由に遠島処分となる。
1866年、金次郎ら110名は小浜藩に預けられ、佐柿(福井県美浜町)の屋敷に収容されて謹慎したものの、准藩士格として厚遇される。1868年、
王政復古によって朝廷から罪を許され、水戸への帰藩を命ぜられた。

帰藩した金次郎らは、朝廷の威光により藩の実権を掌握。通称「さいみ党」と呼ばれた金次郎らは、仇敵であった諸生党残党に復讐をすべく、
白昼堂々に襲撃・暗殺し、藩内を極度の混乱状態に陥れた。

香川が栃木県の塩原温泉を訪れたとき、物乞い同然のみすぼらしい小屋で暮らす、体の不自由な金次郎と出会った。驚き哀れに思い、香川が金銭を渡すと、
金次郎は喜び、ひれ伏したという。このあと、金次郎は水戸に戻され、3か月後に亡くなった。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
家系
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。
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484 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:23:05.31 ID:2catR9x/0
>>511 >>512 >>513 >>514 >>515 >>516 >>517

天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が生まれた

結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https://ja.wikipedia.org/wiki/神州不滅
江戸時代
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、「支那」は革命を主体とする国家で王朝交代があるので「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした[1]。藤田東湖は「正気」とは
一般的には道義、特殊的には忠義であるし、更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、皇室の御聖徳は太陽にも等しい、とした[1]。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えた[1]。平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、幕末に「神州不滅」の思想
が巻き起こった[2]。

明治以降
大日本帝国憲法では、日本は万世一系の天皇が統治し、天皇は神聖と明記された。

昭和および太平洋戦争終結時迄は、軍部によって「神国日本」「神州不滅」など、民族主義、精神主義、宗教などの傾向を持つスローガンが広く使用された。
また「神州不滅」の理由として、日本は神国であるから国家の危機の場合には元寇と同様に神風が吹く、とも説明され、神風特別攻撃隊も組織された。
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489 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:23:16.52 ID:2catR9x/0
>>521 >>522 >>523 >>524 >>525 >>526 >>527

民度マックスの水戸藩士達は些細な差で内ゲバを起こし、フランス革命に匹敵する凄惨な同士討ちをした(3歳の幼児を処刑)
内紛・内ゲバの経緯を見ると、水戸藩士は見事なまでに朝鮮人の特徴である中庸徳を会得しており、まさに日本国に現出した朝鮮・中華が水戸藩だったと言える

徳川光国の主導による「大日本史」の編纂の過程において国学が生まれ、水戸藩は神道・国学・朱子学研究の中心地となり、
明治維新に先んじて廃仏毀釈を行うことになる

会沢安あたりは神道からの大義名分論を導き出し、今日の(朝鮮朱子学に洗脳された)愛国烈士の教祖のような存在だろう
弘道館は他にも神道系の国学者を輩出しており、大政奉還・王政復古のプランは水戸藩の貢献が大きいが、同時に内紛による
熾烈な虐殺事件は儒教中庸の強さを証明している

藤田東湖の尊皇攘夷と、元田永孚・佐々木高行の天皇親政は、朱子学をルーツにする点において同祖と言え
国体(天皇を頂点とする国家体制)を作ったのも水戸藩や朱子学者であり、朝鮮朱子学をベースに儒学の官学化を推進し神道と儒学を融合した林羅山からの伝統と認めることができる
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493 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:23:27.68 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

福沢諭吉「我が国の人民は、数百年の間、天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」
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499 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:23:43.43 ID:2catR9x/0
>>530 >>531 >>532 >>533 >>534 >>535 >>536

なぜ水戸藩だけが戦前日本の集団中庸パニック症候群に酷似した状況に陥ったかだが、幕府に近い大藩というだけでなく名門中の名門、
門閥の血筋の藩主と藩士達が主導する正統学問の中心という自負と特権意識による藩内序列、血統序列のマウンティング抗争が勃発したからだろう
その根本原因は朝鮮朱子学・神道と結び合わさったのが原因と推定できる

伊藤博文、山県有朋は名門どころか社会の底辺出身であり朱子学の身分差別からは這い上がるべきでない下民であったし、さらに賊軍・朝敵になった後は初期の(上級武士による)朱子学色は払拭され陽明学ないし西洋的リアリズムで
軍事クーデターによって国体も含めて政権をひっくり返すという意識が芽生えたわけであり、尊皇攘夷もあっさり捨て、政権奪取後の天皇親政運動も封殺した

薩摩も逆賊・朝敵である長州と同盟をする点において大義名分からかけ離れ、幕府を滅ぼすことに熱中し、王政復古より幕府の滅亡を優先し政治的協議でなくリスクの高い内戦を選んだ

福沢諭吉「我が国の人民は,数百年の間,天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」

維新以前は天子の認知度は低かったが、廃藩置県があっさり通った段階で五箇条の御誓文は忘れ去られており、明治天皇と宮中、側近の天皇親政運動(五箇条の御誓文とは全く正反対の儒教原理主義)はその流れを象徴した
現実は伊藤博文と山県有朋は、世襲カリスマである明治天皇の意向をいつでもひっくり返す軍事力を持つだけでなく、国民と皇室が疎遠な事を理解して、大義名分論の天皇親政を退けた現実主義者だったと言える

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
500 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:23:55.33 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

戦前の皇族の資産は、日本一の金持ちだった徳川家の資産を強制的に返上納地させ皇室が(徳川家の視点からすると)奪ったものが大半とされる
違法資産を接収するなら国庫に入れるべきだが、皇室の資産に移転されたようだ
皇族資産は財閥資産と同じく課税対象にされ大半が徴収された

https ://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E8%B2%A1%E7%94%A3%E8%A7%A3%E4%BD%93-1313818
…終戦時の皇室財産の総額は総司令部発表で約16億円(美術品,宝石等を含まない),財産税納付のさいの財産調査(1946年3月3日現在)
によれば約37億円と評価されている。かくして皇室財産解体の第1段として,47年2月財産税法が適用され皇室財産の90%にあたる
約33億円が徴収された。ついで財産税納入後残る10%の皇室財産は,憲法第88条の発効とともに国に帰属することとなった。…

https ://history.state.gov/historicaldocuments/frus1947v06/d178
The application of the capital tax levy law to Imperial Household property will result in the formal transfer to the State by 15th
March upwards of 80 to 90 percent of the total assets of yen 1,675,267,073. The remainder consisting of Imperial palaces, villas
and preserves to a value of yen 169,299,890 will become automatically State property on 3rd May 1947 and will be designated
as State property assigned to the throne to be administered and accounted for to the Diet in accordance with the provisions of
the Imperial House Economy Law and the State Property Law.

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本のインフレーション
日本国政府は、1945年(昭和20年)12月に預金封鎖と新円切替など立法化し(翌2月に緊急措置)通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、
傾斜生産方式による復興政策が始まると、復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、復興インフレが発生した。
インフレーションを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、
1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース、闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の
上昇率はこれより低い)[14]。敗戦後のインフレは年率59%であった[15]。1947年のインフレ率は125%となった[16]。

戦前の(皇居や御用地を除いた)皇族財産は皇居の土地(帳簿は5000億円だが、皇居を1平米1000万で換算すると10兆円になる)の約10倍という計算なので
現在価値で5兆円〜150兆円近くの資産があったと考えることもできるが、昭和20年の国家予算歳出(一般会計)が215億円となり、終戦時37億円保有(〜46年3月3日調査)していたとのことで
現代で言えば一般会計約100兆円を基準とすると17兆円程度となる

1947年はかなり悪質なインフレとなるので、それ以降の数値は信頼しないとすると、昭和20年の一般会計と1946年3月(敗戦後半年経過以内)の調査を微調整するとマイナス数兆円に再評価しても良いかもしれない
なお戦後まもなく大量に保有していた国債の価値は、先行して暴落したはずで数兆円多めに補正をしても良いかもしれないが、さらなる調査が必要だろう
プラスとマイナスを相殺すると17兆円程度の金融資産ではないかと予想(主な大企業の大株主、国債の大量保有)する
(終戦時には財閥の保有財産は破壊しつくされ株式価値は相当毀損しているだろうから、戦前の株資産価値がはるかに高いと想定すると17兆円どころではない)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
515 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:24:52.30 ID:2catR9x/0
>>481 >>482 >>483 >>484 >>485 >>486 >>487
>明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった

象徴制の「象徴」という用語は辞書的な定義とはずれる
君主のsymbolとしての象徴化は19世紀の段階で議論されているわけで、海外からすると象徴も君主・元首の格下・ダウングレード版となる

実体として権力・権威を取り除かれた君主が象徴制君主であるため、象徴は「君主・元首」のダウングレード版と考えれば良い

識字率が低い19世紀イギリスにおける象徴の機能の骨子は、19世紀の文盲で教育がなく情報もない大衆が権利を行使しやすい直接民主制(国民投票による大統領選出等)の道理・正当性に対抗して
「間接民主主義で選ばれたエリートが国民を円滑に支配するための手段」となる
ウォルター・バジョット「イギリス憲政論」(19世紀イギリス)によると、最底辺や中間レベルの大衆はエリートに対して忠誠を示さないが、高貴な君主がいれば社会体制に対する支持を得やすく
有用な政治的ツールである。そして選挙によって選ばれた賢者たるエリートの代議士が効率的に支配するという考え方において、「象徴」はエリートの使いやすい道具と言える
19世紀イギリスの一般人は文盲でろくな教育も受けず貧しく愚かであり、威厳のある高貴な天上人である象徴があることで、(政治思想による)主義(-ism)から独立した国民の効率的な支配ができるという説に依る

これに対して日本ではエリートの質が著しく劣り(科挙や利権権力維持しか能がなく、一般人の方がよっぽどましなぐらい使命感・専門的知識・献身的資質が欠如)、
緊急事態や国が急激に衰退している状況でも日本に四季や国体があるから大丈夫程度で済ませてしまう愚物が大半のため、
これであれば直接天皇が責任を取る親政のほうがましという投げやりな圧力が底辺から湧いてきた。天皇親政運動の根本には、天皇が儒教君主の徳を体現しエリートの
悪政から解放してくれる救世主という意味合いが強く、エリートがどうしようもなく腐敗し堕落した国家における儒教原理主義の一形態と言える(市民革命ならぬ儒教革命・朱子学革命)

象徴はエリートの質が担保できた場合にのみうまく作用するが、日本人の精神的文化には一時的に良いものに飛びついても外部のものであれば悪いところばかり貶して良い面をポジティブ
に捉えず、内部のゴミのような欠陥品をあがめる素質があるため直接民主主義には向かず、大統領制よりはるかにマシな選択と考えることはできるため一定の合理性は認められる

https://ja.wikipedia.org/wiki/象徴天皇制
ヨーロッパの君主制との比較
君主制をとる国で、日本の天皇のように君主に政治的な権限がない国は、北欧やオランダ、スペインなどが挙げられる。

日本の天皇以上に政治的な権限が制限されている君主として、スウェーデン国王があげられる。1979年の憲法改正以後、
首相任命権などの形式的な国事行為すら認められていない。政治から完全に分離され、国の対外的代表としての地位しかない。
そのため、象徴君主制という新たな区分を設けるべきではないかとする意見がある。

その一方で、リヒテンシュタイン家は、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、
ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。

ウォルター・バジョットは「イギリス憲政論」で成文法の憲法を持たないイギリスでヴィクトリア女王をsymbolと位置
づける憲政論をしている。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_English_Constitution
England had a ‘double set’ of institutions – the dignified ones ‘impress the many’ while the efficient ones ‘govern the many’.
The dignified or ‘theatrical’ parts of the system played the essential role of winning and sustaining the loyalty and confidence of
the mass of ordinary people whose political capacities were minimal or non-existent; they helped the state to gain authority and
legitimacy, which the efficient institutions could then use. Bagehot was an unashamed elitist who believed bleakly that the ‘lower orders’
and the ‘middle orders’ were ‘narrow-minded, unintelligent, incurious’. Throughout The English Constitution, there are references to
‘the coarse, dull, contracted multitude’, ‘the poor and stupid’, ‘the vacant many’, ‘the clownish mass’.
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
521 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:25:15.64 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

海外だと王族が多すぎると王族のなりそこないが、正統な王と主張して他国の力を借りて侵略してくることがあるので現王族を除いた王族の系譜の親族は皆殺し・根絶やしにすることは結構ある
ヨーロッパでは宗教的に一夫一妻しか許されないため、王族の絶対数が少なく不要な政策だったが、皇位継承者の多いオスマン・トルコやその他の多妻制があった国では良くある話だ

日本は島国のため、遠島に追放された場合でも海外から援助を受けるのは難しく懸念は全く無かったが、これだけ交通手段が発達し移動が簡単になると中国・ロシアあたりの
援助を受ける旧皇族も現れる可能性がある(中国に移住した西園寺公一の実父は毛利元徳なので天皇家との関係は薄かったが、養父の西園寺公望の実父は東山天皇の男系五世子孫である徳大寺公純だった)

現状は問題ないとしても皇位継承者がいなくなり揉めるような事態となった場合は、新たに皇位を得た二・三等親内の皇族を除いた「皇位継承の要求者」(pretender)となりうる旧皇族や縁者は
処刑(血を流さずに陰で殺処分)根絶やしの検討をすることもありえる(旧王族や王族のなりそこないの支援者・関係者も根絶やしとする事もある)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
529 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:25:28.01 ID:2catR9x/0
>>840 >>841 >>842 >>843 >>844 >>845 >>846
>忠君愛国はある意味世界標準な概念

これは言うまでもなく誤解だ

儒教・朱子学の君主、神権主義の君主、古代王権神授(absolutismや絶対王政の前)の君主では似ているようで異なる
日本では江戸時代に朝鮮朱子学をベースにした国学が流行し儒教・朱子学と原始宗教(実際は相当前から儒教化)の神権主義が習合した
(水戸学によって神授仏から廃仏毀釈で神儒に移行、江戸時代から廃仏毀釈は行われる)

欧州の古代王権神授説であれば、王は神の使用人、世話人であり、国民に対して奉仕し、客観的な真実に基づく説明責任を負う
君主が責任を負えないのであれば裏で殺処分をすることもある

他国で戦争に命をはる場合のスローガンも日本とは異なる
親兄弟、姉妹、子供・孫、親戚、友人、コミュニティー、資産、自由を守るために、命をかけて戦おうというのが一般的なスローガンだ

つまり他国の奴隷には決してならない、そのためには死を厭わないという理屈だ
ただこれは主君や貴族の奴隷にもならないという意味も背後にあり、国民は自由であるべきということだ

(誰が国民かというのは古代では色々とかわってくるが、アリストテレスはエリート・富裕層以外に投票権を与えるのは無政府状態と断じており、
今日の民主制に進化したのは人類文明の進歩の成果といって良い)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
531 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:25:42.04 ID:2catR9x/0
>>529

忠君と愛国は別個の思想であり、同じではない。また忠君の最大の根拠であった神風・神州不滅伝説が崩壊したことで、忠君によって
国が滅びる事例を、膨大な死者を生み出した社会実験によって身を持って証明した

>君臣一体、忠孝一致

君臣一体は朝鮮朱子学に由来するものだが
おそらく戦後になってさえもそれが日本人や朝鮮人特有の精神不安障害だと認識できなかったのは
自称有識者が「united」を「一体」として強引な翻訳をしたからだろう

確かに(国王が女王がいる体制下では)王室と国民が一致団結(unite)して自由を守るというのは当たり前だ
しかし「一体」という言葉は明らかに「一致団結」とは異なる意味を持たせられる

英語では「united under one banner」とか「united under one king」は一つの旗のもとに団結や、一人の王のもとに団結という意味がある

これは君民一体に似ているようで全く違うニュアンスがある。英語圏ではあくまでも独立した個人が集まるチームの団結をとなえる修辞を
こえた意味はもたないが、北朝鮮や戦前日本、李氏朝鮮のような儒教圏では民は君主の子供として一体となる

同質性不安症、集団中庸パニックといった朝鮮人や戦前日本人国家主義者に共通した欧州と全く関係のない用語として
定義された君主と臣民一体という標語の結果は、北朝鮮の金王朝を見れば明らかだ
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
540 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:26:13.56 ID:2catR9x/0
>>903 >>917 >>918 >>919 >>927 >>928 >>929
>1万年前に遡れば、神武天皇とエタ非人・部落民の祖先も同じ

よって遠い親戚である神武天皇の子孫に毎朝感謝するという思考回路か、もしくは遠い親戚だから神武天皇の子孫に毎朝拝礼すべきという理屈らしい
あるいは「先祖が同じで遠い親戚だから神武天皇の子孫」を神の子孫として崇拝するという理屈に落ち着く
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
546 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:26:52.23 ID:2catR9x/0
>>704 >>737 >>738 >>739 >>747 >>748 >>749
>あるいは「先祖が同じで遠い親戚だから神武天皇の子孫」を神の子孫として崇拝するという理屈に落ち着く

この理屈を正気で採用するのであれば、土民が酋長を選ぶ理屈とさして変わらないだろう
朝鮮朱子学の皇室との一体理論というのは脅迫によるヒステリーによって成り立つが、そもそも無理がある理論だから朝鮮朱子学という集団ヒステリー病に
一国が依存することになる

排泄物が神、神から人間が生まれるというような内容では史実と考えることは到底できない
神武天皇即位から10世紀以上経過した8世紀に書かれた日本書紀だけが根拠であるというなら、一体どこからどこまでが史実なのか、
なぜ皇室が成立したかを可能な範囲で知る必要がある

こうした疑問に答えられるなら歴史書に価値はある
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
553 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:27:15.18 ID:2catR9x/0
>>857 >>858 >>859 >>867 >>868 >>869 >>877

https://ja.wikipedia.org/wiki/和諧社会
概説
和とは、「和睦」すなわち心を合わせて助け合うことを意味し、諧とは「協調」すなわち衝突がないことを意味する[1]。
様々な社会的矛盾への取組として、和諧社会の建設は、国家戦略の根幹として位置付けられている[1]。2005年胡錦濤は、
地方政府の幹部の討論会の講話において、社会主義和諧社会とは「民主、法治、公平、正義が実現されな誠心友愛にあふれ、
活力に満ち、秩序が安定し、人と自然が互いに調和されている社会である」と述べた[1][5]。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
563 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:27:39.87 ID:2catR9x/0
>>878 >>879 >>887 >>888 >>889 >>897 >>898

朝鮮朱子学そのものである教育勅語

hosikita@hosikita
教育勅語の内容が朝鮮儒教の教えと一致している、というのは総督府の官僚も感じていたこと。
pic.twitter.com/F58BBJeQGk
https://pbs.twimg.com/media/DovFVOmUcAAACoK.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
576 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:28:11.80 ID:2catR9x/0
>>960 >>961 >>962 >>963 >>964 >>965 >>966

syuji_nakamura@syujinakamura1
2月2日
愚かですね。
日本に奴隷なんていくらでもいましたよ。
魏志倭人伝にも、卑弥呼と台与が奴隷(生口)を献じたとの記述があるし、律令制では奴婢が売買の対象になっていた。
戦国時代にも「乱妨取り」という略奪や人狩りが普通に行われていて、奴隷や性奴隷が売買されていた。

アプロ@rUyaCVtIiRxgC9M
2月3日
日本人の名誉のために再度補足しますと、「律令制以降、奴隷・人身売買が禁止された」のは事実です。
しかし、建前では禁止されても現実には行われていましたし、1231年には鎌倉幕府が奴隷制を容認する布告を出し、
後成敗式目にも反映されています。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
590 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:28:50.97 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

北一輝の問題点は日蓮宗であったことでなく、辛亥革命に参加したエキスパートを名刺代わりにしていたのに肝心の革命技術において名前倒れだったことだ
また日蓮宗がクーデターで今後用いられる可能性はほぼゼロに近い。なぜなら神風・神洲伝説は終わったのであり、日本は極東の弱小国に戻り、
確固とした説のないチャラい教義の島国カルトで有力国との関係を維持・構築するのは不可能だからだ

二・二六事件の将校のうち少数が北一輝との師弟関係的なもので、北一輝の思想は参考程度だったと考えるほうが現実的だろう

青年将校は窮乏する社会との関わりから得た義憤やルサンチマンは持っていたとしても指針がなかった
北一輝は革命オタクとして明治維新の第三革命(失敗した西郷隆盛の第二革命のやり直し)を提供したわけだが、青年将校側に必要なのは大まかな枠組みではな
く失われた明治維新のノーハウであり、それを埋められるのは、辛亥革命に参加した北一輝しかいない

しかし北一輝はあくまで辛亥革命のサポーターであり、外国人である北一輝は当事者・責任者とは言えないし、本物の革命家である孫文は
米国式の信奉者であるため、北一輝とは相容れない。孫文を批判しているが、孫文ほどの能力が北一輝にあったかは疑わしい

北一輝の過剰評価・過剰な名声が合わさったことで、二・二六事件はおかしな方向にいった
小手先的に天皇親政を掲げるのは、朝鮮朱子学土人の心を安心させる一時的効果しかない。明治維新の例でいえば最悪の状況では朝廷に射撃・砲撃をしたり、
長州や薩摩は裏で天皇を毒殺しかねないほどの危険人物を揃えていた (実際に実行したかは知らないが最後まで長州討伐にこだわった孝明天皇のヒ素暗殺説もある)、
足利尊氏や鎌倉幕府は島流しにして差し替えるぐらいの緊迫感があるのに、 北一輝の天皇親政論には合理主義が徹底されているとは言えない

名前の通り「一揆(一輝)」であれば徳政令や米の配給・分配、フランス革命であればパンという明確なゴールがあるため、分かりやすかったが、
大風呂敷をたたんで限定的な直訴でもなく、いまいち悪目立ちばかりして、青年将校の足を引っ張っていた感も拭えない

二・二六事件は今後軍事クーデターがおきる際の失敗例として研究対象となることは間違いないが、北一輝と青年将校が明治維新の例を踏襲していたのならば
真っ先にやることは余計な政治テロは一切せずに皇居への進軍と、堀によって脱出しにくい旧江戸城の皇居包囲と皇室の身柄確保、さらに皇居を人質にとって他軍の介入排除および統制派の殺処分だ
そして天皇が新憲法に同意しない場合は孝明天皇コースとなる。長州や薩摩ならこれぐらいは平気でやるだろう
薩長・足利尊氏ほどリアリズムに徹しきれない時点で敗北は確定していたということだ
そもそも朝敵・賊軍にむしろなった方がクーデター側が一致団結しやすいのだから躊躇すべき合理的理由が見つからない
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
602 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:29:23.07 ID:2catR9x/0
>>590

明治維新の序章となった尊王攘夷は水戸朝鮮朱子学が巻き起こした狂騒は宮家や公家、門閥一族・宗族にとっては最初で最後の復権チャンスだった
葵の御紋の権威は維新戦争での敗戦で失われたが、菊の御紋や血筋で全ての欲望が満たすことができる時代は無様で悲惨な敗戦と共に終わった

門閥貴族の特権意識で戦後資本主義を生きるのは大変な困難だったろうが、それでも縁故資本主義の日本では何のバックもいない貧乏人に比べれば遥かに生きやすかったことだろう
しかしその門閥のアドバンテージも日本の豊かさの源泉であった技術競争力の低下によって経済が崩壊する見込みのある現在では無効となる見込みであり、従来の利権を守ろうとすればするほど
あらがいようのない運命・対流によって深い沼に引きずり込まれ徐々に落ちて、もがき苦しんで死ぬことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸黄門
この講談話の始まりについては、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
しかしながら光圀が正すのは局所々における役人の不正であり、時には身分制度の掟で結ばれない恋人同士に粋なはからいを示すことなどはあるが、身分制度の矛盾を根本的に正す社会改革にまで踏み込んだ対応を試みようとすることはない。

印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使う内質は幼児退行であり、現実逃避に過ぎない
悔しいなら門閥・貴族の一族が本気を見せて日本の経済や競争力を回復させれば良いだけだが、そんな実力がないのは本人達が重々承知しているだろう

なぜ安定して繁栄してきた日本が不運に見舞われ、失敗し続け、衰退中かということだが、それは国民を家畜にしてきたからだ。自由と正義を自ら放棄するような国民は自ら考えることをやめて家畜化され、
上位者である無能で下劣な品性しかない門閥や宮家の残りかすである愛国自慰廃棄物を模倣する。二言目に忠君や国体を連呼するような無能依存体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない
つまり底辺まで腐りきった儒教的衰退と言える

皮肉なのはアメリカは真剣に日本人が自由を持ち人間としての尊厳を取り戻せるよう願っていたことであり、それが実現すれば門閥一族は一定の権威を保つことも可能だったかもしれないことだ
しかし所詮は飼いならされた家畜しか望まない儒教政府では限界があり、自らの無能という印籠紐によって首がしまって窒息寸前という実に同情が不可能な醜態をさらしているのが現在の状況だ

国難時の力の源泉は皇室や国体の失われた権威ではなく、優れた武器と金となる。それを誰よりも持っているのは言うまでもなくアメリカであり、日本がアカく染まって中国の属国となり日本の血の中国人化が進む前に
アメリカは介入するだろう
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
609 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:29:44.09 ID:2catR9x/0
>>620 >>621 >>622 >>623 >>624 >>625 >>626

聖徳太子の憲法17条も論語の学而や礼記のコピーとされている

https://ja.wikipedia.org/wiki/学而

有子曰:「禮之用,和爲貴;先王之道,斯爲美;小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」
(有子曰く「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す、小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども礼を以てこれを節せざれば、亦行なわるべからず。」)

『中庸』は中華主義者がしばしば引用する
日本中華主義・日本型華夷思想

https://ja.wikipedia.org/wiki/中華思想

江戸期日本の中華思想

明が異民族王朝の清に支配されると、日本の朱子学者の一部、林羅山などは、日本の
天皇家は中華正統王朝である周王朝の分家である呉の太伯の子孫であるから、日本こ
そは中華であると主張し始めた。更に、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせ
ず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められてい
る現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べた。日本の
江戸時代の儒学者山鹿素行も著書『中朝事実』の中で同様の主張をした。また、国学
者本居宣長も日本外交史を扱った歴史書『馭戒慨言』おいて、世界の国々は日神の子
孫である天皇に朝貢してその暦を奉じるのが正しい姿であり中国皇帝は「戎王」に過
ぎないとして、中国中心の華夷秩序を反転させて日本中心の華夷秩序をあるべき姿と
して描いている[12]。これが後に水戸学や平田派国学へも思想的影響を与え、幕末の
尊王攘夷論に結びつくこととなる。

太平洋戦争中に天皇を現人神として崇め奉り、軍 部が敗色濃厚になるや神州(中華正統王朝)
不滅を唱えるに至ったのも、朱子学に基づく中華思想に影響されたものであるという[13]。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
618 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:30:11.09 ID:2catR9x/0
>>630 >>631 >>632 >>633 >>634 >>635 >>636

日本式朝鮮朱子学を導入した林羅山の林家は徳川幕府に長きにわたり仕え身分差別制度を促進した
身分統制令を発した豊臣秀吉も藤原惺窩を用いたため、徳川家康より秀吉が先に朝鮮朱子学を導入したとの説もある

https://ja.wikipedia.org/wiki/上下定分の理

その羅山が打ち出したのが「上下定分の理」である。羅山は寛永6年(1629年)に著し
た自著『春鑑抄』[注釈 4]において、「天は尊く地は卑し、天は高く地は低し。上下差別
あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ」と記している。

羅山によれば、天が上にあり、地が下にあることは時代の転変いかんによらない絶対不変
の天理なのであり、それは君臣、父子、夫婦、兄弟などあらゆる人間社会の上下関係[注釈 5]
をも貫くものである。そして、士農工商の身分秩序もまた、天理によるものであるから不変不滅
なものである、と述べる[1]。朱子学の理気説にあっては、「理」とは本来万物のなかに存在し、
万物を存在たらしめる根源・原理である[4]。したがって、それは人間社会のなかにもあって、
人間関係を秩序づける原理・法則として機能する、と羅山はとらえたのである[4]。

そして羅山は、上述の『春鑑抄』において、国をよく治めるためには「序」(秩序・序列)を
保つため、「敬」(つつしみあざむかない心)と、その具体的な現れである「礼」(礼儀・法度)
が重要視されるべき、と説き、とくに身分に対して持敬(心のなかに「敬」を持ち続けること)
を強調した(存心持敬)。羅山は、宇宙の原理である理をきわめれば、内に敬、外には礼とし
て現れると説き、敬と礼が人倫の基本であり、理と心の一体化を説いたのである(居敬窮理)[2][注釈 6]。

林羅山は、江戸幕府の徳川家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕え、その侍講として儒書や
史書を講じて幕政にも深くかかわった。その活躍は、『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』など
の伝記・歴史の編纂、「武家諸法度」「諸士法度」などの撰定、外交文書の起草、朝鮮通信使の
応接など多岐にわたっている[5][注釈 7]。また、かれの努力によって朱子学は幕府の「正学」
[注釈 8]とされ、かれの子孫は林家として代々朱子学を講ずる家としてつづいた[3][注釈 9]。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
625 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:30:29.11 ID:2catR9x/0
>>570 >>571 >>572 >>573 >>574 >>575 >>576

https://ja.wikipedia.org/wiki/律令制

身分制度
日本の律令制における身分は、良民と賎民に大別される。良民は、高級官僚である貴族を初め、
下級官人、一般の百姓(公民と呼ばれることもあった)、雑色人(品部・雑戸という工芸技術を
持つ半自由民)があった。賎民は五色の賎と言われ、陵戸(天皇・皇族の陵墓を代々守る家系)、
官戸(諸官庁に属し公用に従事)、公奴婢(官有の奴隷)、家人(貴族や有力者に属し雑用に従事)、
私奴婢(私有の奴隷)があった。

賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。この
ように、律令制下では奴隷制が存在していた。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
631 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:30:46.84 ID:2catR9x/0
>>580 >>581 >>582 >>583 >>584 >>585 >>586

日本でも清和源氏や桓武平氏等の皇室の血を受け継ぐ宗族が下級貴族となり、さらに地下人となっているため日本でも門閥一族では(儒教をルーツとする)宗族という聞き慣れない単語が使われる
本宗・本家の外戚も含み同姓の姻戚が禁じられていない点を除くと門閥一族の実体は父系制宗族に類似するため日本型宗族ということになるが門閥一族に限定された

(儒教をルーツとする)「宗族」と閨閥のハイブリッドは戦前は良く見られるパターンで財閥家一族と皇族、他の名門一族と政財界のエリートとの婚姻は頻繁に行われ、戦後も継続性が見られる

「三従四徳」
昔の中国の女性への教え。
「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。
「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/父系制
父系制(ふけいせい)とは、父方の血筋による血縁集団を基礎とする社会形態や制度であり、次のような特徴がある。対義語には母系制がある
父方の姓を受け継ぐ(父系出自)
父方の地位を受け継ぐ(父系継承)
父方の財産を相続する(父系相続)

https ://ja.wikipedia.org/wiki/宗族
宗族(そうぞく、しゅうぞく)とは、父系同族集団のこと。古代東アジア法とローマ法に存在した。
隋・唐ではこの結合は弱まったが、唐末に名族と呼ばれた門閥貴族が没落した後、新興地主ができるだけ没落を防ぐため
の相互扶助手段として宗族を強化した。族長のもとに族譜(同族の系図)を有し、宗祠(祖先の神主を安置した建物)を設け、
族産(祭田・義荘など同族の共有財産)をおくものが多く、特に華中・華南に普及した。宗族という言葉や理念は儒教体制が
浸透した朝鮮半島やベトナムにも伝わって、定着している。逆に日本では氏姓社会が比較的維持されたまま、儒教体制を取り
入れたために宗族制は形成されずに中国や朝鮮半島とは異なる儒教観・家族観が形成されることとなる。

https ://kyotofukoh.jp/report704.html
京都の宇多源氏始祖追遠之碑を案内しています。 ... 丘上に「宇多源氏始祖追遠之碑(うたげんじ しそ ついえん の ひ)」が立つ。 宇多源氏の祖とされる ....
同類華族は「宗族会」を組織し、共同して先祖の祭祀などを催した。1878年に『華族類別録』が刊行される。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
宗族
中国の父系親族集団。中国では「異姓不養、同姓不娶(ふしゅ)」というように同姓者間の婚姻が禁じられ、養子も同姓の子の世代の者を迎えるべきとされている。
宗族は、広義にはこの同姓の範囲をさすこともあるが、通常それより狭い、族譜、祖先祭祀(さいし)、族産などをともにし集団としてまとまっている単位を表す。
ただし、海外華僑(かきょう)など同一宗族の人口が少ない場合、異系の同姓者を併合し機能集団をつくることも珍しくない。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
640 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:31:14.49 ID:2catR9x/0
>>600 >>601 >>602 >>603 >>604 >>605 >>606

なない@na_nai
2009年7月24日
当時の身分制度は士農工商をベースに神官や僧職、賎民といった階層分けがされており、適用される刑法も違う。
家族的身分関係が重視されており、主君や親類に反抗することは悪とされていた。なお当時の刑法は成文法ではなく、
慣習法が基本となっており、行動規制を示すことが一般的だった。

士・農工商・穢多非人(読み)しのうこうしょうえたひにん
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/士・農工商・穢多非人-1542795
武士
武士は支配身分として武力を独占し、政務に携わり、特権を享受したが、この身分内部における身分的構成は複雑多岐にわたり、
差別的な規制は厳格であった。たとえば、同じ大名であっても、御三家(ごさんけ)および金沢の前田家、大身外様(たいしんとざま)、
家門(かもん)・門閥譜代(もんばつふだい)、譜代城持格(しろもちかく)以上、中堅譜代、小身(しょうしん)外様、小身譜代によって
江戸城中の詰所(つめしょ)の格式を異にした。

 家臣団については、たとえば広島藩では、1868年(慶応4)、最上位の長柄(ながえ)以上の者は100人で、家老以下、年寄、
番頭(ばんがしら)、寄合、旗奉行(はたぶぎょう)、用人、大小姓組頭(おおこしょうくみがしら)、中小姓頭、大目付などがこれに属した。
次が布衣(ほい)以上の者で87人、留守居(るすい)、郡(こおり)奉行、町奉行、勘定奉行、普請(ふしん)奉行、歩行頭(おかちがしら)な
どがこれに属し、その下に馬持(うまもち)以上305人があり、さらにその下に御前御用(おんまえごよう)(御直御用(おじきごよう))23人、
御序(おついで)の御前御用39人があった。そのまた下に役方(やくかた)291人、中小姓228人、儒医組(じゅいぐみ)106人があって、以上
の1179人が家中(かちゅう)(侍士(じし))であった。家中の下には御前(藩主)に直接応答できない歩行(おかち)(徒士)があり、これ
には左右小姓組に属する者70人、外様歩行組に属する者257人、他の諸役方配属の者453人、計780人がいた。ここまでが士分(しぶん)
で、その下に小人(こおひと)とよばれる足軽(あしがる)がいて、これは卒(そつ)身分であり、およそ2000人、諸役方の下役に従事した。

 こうした身分的差異は日常生活を隅々まで規制した。そのことについて、福沢諭吉は、その著『旧藩情』において、出身藩の豊前
(ぶぜん)中津藩では、足軽は上級士族に対して雨中でも往来で出会ったときには下駄(げた)を脱いで路傍に平伏し、足軽以上の小役人
も大身に対して同様にするのが作法になっていたと述べている。[成澤榮壽]
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661 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:32:35.55 ID:2catR9x/0
>>997 >>998 >>999 >>1000 >>897 >>898 >>899
>現代の日本神話は、旧皇族、旧華族、旧家、神道関係者が、脳を使わない癖がついてしまった底辺や自称愛国者を使ってマウンティングするための
>道具に過ぎないので語るに値しない

旧皇族や旧華族は今は平民である点も重要で、年月が経過するごとにマウンティングできなくなり焦っていることも考慮すべきだ

日本には平民になった皇統の持ち主なんていくらでもいるし、平民としての自由を謳歌し好き放題してきた
平民が皇室の一員として国民に受け入れられるという安易な考えは、実情を知らないからではないのか?
旧皇族が戻る可能性を煽り、皇族復帰をちらつかせてマウンティングする意地汚い商法だと言える

無論、前代未聞の平民が皇族となる事態は未知の問題を生むことは間違いない

例えば竹田家の若年だと(ベンチャー起業後に入社)元電通(大麻で逮捕)、伊藤忠社員、TBS社員、非常勤講師がいるらしいが彼らは
平民であり、平民として教育を受け、平民として生活しているわけで、現時点で醜聞は聞こえてこないが、
ハタイたらホコリはいくらでも出てくるので、彼らを皇族に復帰させるのには壁が大きすぎる

もう一つの問題は、日本人が皇統の血を受け継ぐとの通説では、平民からの皇位継承が可能になると
日本人の誰でも皇位継承権があるとの理屈も生まれて来ることだ

今後国民から絶大な支持を受ける強力な政治家や軍人が誕生したときに、その権威・権力を使って皇位を簒奪しようとするものが出るかもしれない
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
669 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:33:05.69 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

品性下劣で野卑であり品格欠如の俗悪神が登場するために学校では教えられない日本神話を知れば、排泄物の神達が生殖し、犯罪し放題の暴れん坊(自称)神の子孫がいる島国の土人習俗・因習のために数百万人が死んでいったことに無知だった連中は驚くだろう
過去の失敗の学習能力があるのであれば繰り返すわけはないが、日本には今だに中世儒教土人が住み着いているようで、こうした連中は成長がみられないなら精神レベルが同じ隣国に国外追放をするか、殺処分しか処理方法がないだろう

共産主義者が資産の平等と主張するなら脊髄反射で詐欺と批判するのは理解できるが、普通の学生やまともな学者が法の下の平等や自由主義国家の常識である人権を語るだけでもチョンとか共産主義者と
レッテル貼りをするような連中がいることで、まだ日本に儒教土人が多くいることが確認でき、その中に自称特権階級がいたことは意外な発見と言える

日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

旧門閥貴族・旧皇族の平民の中に、いまだに身分や血筋、性別や出身で特権があると主張したり、人間を分類して差別するような連中が一部いるが、これの幼稚さに気づけない点で精神修養の余地は多いにあるだろう
向学心の無い血筋しか誇れるものがいない劣等感の持ち主だから改善はおそらく見込めず精神修養をしても無駄かもしれないが、それでも魂が生まれ変われる可能性はゼロではない
身分差別のない法の下の平等とは恩恵であり、これを罵ったり男女同権を制定したGHQに呪詛を吐くようでは、日本神話に出てくる生活廃棄物の自称神と大して変わらない古代の土人酋長の幻想と過去の栄華にいまだに生きているということだ

現行憲法の法の下の平等、身分・性別・その他差別の禁止、貴族の禁止をどうしても受け入れられないなら、朝鮮朱子学を奉じるお隣の国にいけば良いのだが、儒教土人の自称門閥一族の国外出奔を誰も止めはしないだろうし二度と返ってくる合理的必然は現行憲法の日本にはない
日本中から煙たがれも、どうしても日本に住みたいなら、未来は決して低能中世土人に優しくないことを理解すべきだろう
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
686 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:34:17.52 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
>下がり藤の清和源氏@renjyar
>3月23日
>所謂女性宮家の婿となる旧宮家の男系男子は皇族である事が当たり前ですね。準皇族とか意味不明な身分を作る必要ありません。
>まぁ内親王及び女王殿下方が当主となる女性宮家は無理がありますね。

おそらく皇族や華族の復活という点だけが本音で、それ以外に重要な主張はないと見るべきだ

旧華族や旧皇族からすれば、天皇が愛した藤原惺窩の朝鮮朱子学によって企業の競争力がなくなり日本の経済が破綻し貧民が町に溢れ出ても、
貴族の特権を維持できる方が(貧民に落ちた平民と比べ相対的に)豊かな暮らしができるので無問題ということだ

皇室の悠久@dankeidanshi
2月18日
旧・公家華族と旧・大名華族を復活させ「皇室の藩屏」とする事は皇室の存続にとって重要である。
仮に200家が応じたとして、それ相当の邸宅その他を供するために各家に20億円を下附しても、4000億円に過ぎない。
公営社会保障費を削れば簡単に捻出できる。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
694 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:34:45.06 ID:2catR9x/0
>>686
旧皇族の平民や旧華族の平民が(女性の参政権を定めてくれた)GHQを憎悪・罵倒する理由は、特権を返して欲しいという一点につきる
称号の廃止にはGHQよりも爵位制度・貴族特権が嫌いな日本人が多くいたことが大きい

連菊@皇室史上最悪の縁談から眞子さまを守@defence_mako
3月24日
私も旧皇族復帰は願っていますが、愛子様と結婚して女性宮家設立、なんて結末は望みません!
愛子様には民間の旧宮家でない男性に降嫁していただき、完全に皇室と無関係になってもらいたいです。

みう ◡̈♥︎⭐︎ 🇯🇵@Miu2015Uyo
3月23日
皇位継承順位には天皇の
1位:子、2位:孫、3位:弟など一定の法則があります。
その法則に従って一般人まで皇位継承順位の範囲を広げれば、皇別摂家(華園さん、梶野さん、徳大寺さん)が、皇位継承順位では旧宮家より上位です。
つまり、旧宮家を皇族に復帰させても皇位継承には一切影響を与えません。

下がり藤の清和源氏@renjyar
3月23日
所謂女性宮家の婿となる旧宮家の男系男子は皇族である事が当たり前ですね。準皇族とか意味不明な身分を作る必要ありません。
まぁ内親王及び女王殿下方が当主となる女性宮家は無理がありますね。

松平徳内@ichigu_ichigu
3月22日
これはよくある決定的な誤りです。旧皇族に皇籍復帰していただき、宮家を
"再設"していただかねばなりません

ロリシカ共和国@totoro_rule
2018年5月26日
華族制度ですでに体験済みやで。
尚、敗戦の時にGHQは華族制度の漸次廃止(爵位の世襲禁止)をマーカーサー・ノートで日本政府に要求し、昭和帝も「堂上華族(公家)だけでも残せないのか」
とおっしゃっていたのに、衆議院の憲法改正小委員会で「全廃や、こんなもん!」となったからな…

「女性宮家の女子は、旧皇族から男系男子を婿として迎え、「その間に生まれた男子は男系男子にな」りません。「旧皇族」は「皇族」ではないので、
「女性宮家」に入つても、その子は女系です

深田あり@VXZYllwwLTZX0Y6
3月11日
別に謝る必要ないですよ(^^)

華族は吉田茂が本気で潰す気で潰しました。
GHQが「イギリスにも貴族はいるんだし特権なくせばあってもいいぞ?」
と言ったんですが
「いいえ、断固として華族制度は廃止します!」
と突っぱねました。
というのも戦前、華族って特権が多すぎてスゲー嫌われてたんですよ。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
708 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:35:18.18 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
皇室の悠久@dankeidanshi
2月18日
旧・公家華族と旧・大名華族を復活させ「皇室の藩屏」とする事は皇室の存続にとって重要である。
仮に200家が応じたとして、それ相当の邸宅その他を供するために各家に20億円を下附しても、4000億円に過ぎない。
公営社会保障費を削れば簡単に捻出できる。

🌟今週の輝けない浪ハル 🌟@Rrrounnn
2月28日
原爆の下りめちゃくちゃ共感する。いまだにアメリカは日本に対して謝罪できてない訳だし、寧ろ原爆落としてることを正当化してるし、許せない。
封建制度撤廃したから小室みたいな変なやつが出てくるわけだし、華族制度復活は賛成

Kincri@Kincri4
2月25日
元公卿や旧藩主を中心とする華族を復活して良いし、華族院を第二院にしても良い。そこには日本の歴史の中の「伝統」
の良い面が残っている。

お菓子なやつ@open_wagashi
2月16日
そういう風な旧華族の復活だけだと問題視される可能性がありますから、上記のような法の下の平等に反していませんよ、
という形で復活させれば法的には問題はないのではないかと。

ロックマン@famishushu
2月8日
「不敬罪」を復活させていただきたく願います。
枢密院や華族など皇族に重要な方々を今一度復活させていただきたく存じます。

大和守@日韓断交を!@nihonwomamorou
2月1日
皇室をお護りするためには、華族制度の復活なども検討に値すると思います

清新明朗な加賀内閣@hirataitaisho
2011年8月17日
西園寺(侯爵→公爵・清華家)が近衛(公爵・摂家)を上座に座らせてたって話が有るな。軍隊じゃ星の数よりメシの数かも知らんけど、華族じゃやっぱ爵位と江戸以前の家格。
旧大名・公家のなかには、伊藤・山縣のような功績華族・軍人華族を嫌う風があったともいう。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
718 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:35:38.86 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6
>旧皇族の平民や旧華族の平民が(女性の参政権を定めてくれた)GHQを憎悪・罵倒する理由は、特権を返して欲しいという一点につきる
>称号の廃止にはGHQよりも爵位制度・貴族特権が嫌いな日本人が多くいたことが大きい

忍豚@ninton
3月24日
旧華族はよく自慢してますよねw
○条家の当主は、
「日本人には民主主義は合わない」
と明言し、自分の家が皇室を守ってると誇ってたし(新人物往来社の出版物でw)
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
727 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:36:15.86 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

男系男子にこだわるのであれば、現皇族女子の「たね馬専用の平民婿」として結婚し平民として現皇族女子を支えるか、平民色がつく前の6歳程度で養子になるぐらいの論であればまだ理解はできる
成人してからの皇族復籍と宮家当主と称号、旧宮家の戦前復帰・戦前回帰に固執するのは、それが莫大な利益を生む鉱脈であり、法律を超えた特権となる事を見越しての事だろう

旧皇族男子の平民の中には現皇族女子と結婚したくないものが多い可能性もあるが、現皇族を追い出すことが宮家の成立に必須条件と考えているフシはある
皇族や華族への復帰という点だけが本音で、それ以外はどうでも良いなし崩し的な印象がある
そのためには現皇族を追い出すことも辞さないわけで、ある意味では革命家じみたところもある

旧華族や旧皇族からすれば、天皇が愛した藤原惺窩の朝鮮朱子学によって企業の競争力がなくなり日本の経済が破綻し貧民が町に溢れ出ても、
貴族の特権を維持できる方が(貧民に落ちた平民と比べ相対的に)豊かな暮らしができるので無問題ということだ

皇室の悠久@dankeidanshi
「生前退位」を可能にする目的は「現皇室典範の改悪」。旧宮家の皇籍復帰など(明治皇室典範に戻す)以外に、一切の改悪は許されません。
女性宮家創設は、そもそも宮家に成り得ず、旧宮家からの養子入りも論外です。現典範を改悪しようする動きは「皇室破壊」の為の「悪しき前例作り」が目的です。

皇室の悠久@dankeidanshi
「女性宮家創設」「旧皇族の養子入り」「内親王の尊称保持」「生前退位」これら全てが「皇統断絶」に繋がります。決して騙されてはいけません。
これらは、2670年以上の歴史を誇る、我が国の皇統譜を破壊しようとする極左達の「天皇廃止」運動の策略です。

松平徳内@ichigu_ichigu
3月23日
「旧皇族から養子を迎える」と明記されてゐますね。「婿入り」といふ意味での「養子」は皇統に一例もありません。
また、まだ皇族でない「旧皇族」を青で書くのはミスリーディングです。
「女性宮家」当主は、皇族でない旧皇族との間にお子様をお生みになつてはなりません。お子様が女系になるからです

皇室の悠久@dankeidanshi
3月19日
旧皇族の方々は、旧典範でも現典範でも正統な皇族である。慣例に習い、そのまま復帰して頂くべきである。
それをわざわざ「養子入り」すると、旧皇族の方が正統な「皇族」ではない事になる。女性宮家創設も論外だが、旧皇族の方々の養子入りも、
「永久皇族の制」を破壊してしまう論外の策だ。

皇室の悠久@dankeidanshi
2月18日
旧・公家華族と旧・大名華族を復活させ「皇室の藩屏」とする事は皇室の存続にとって重要である。
仮に200家が応じたとして、それ相当の邸宅その他を供するために各家に20億円を下附しても、4000億円に過ぎない。
公営社会保障費を削れば簡単に捻出できる。

Nappa@Nappa63
2018年8月7日
宮家を増やすことを嫌がる人はいますよね。折衷案として、竹田さんが言っておられましたが旧宮家の独身男性20ー30歳代を今の宮家の養子に迎えると。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
742 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:36:56.69 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7
岩崎博@iwasakihiroshi6
1月13日
竹田会長大丈夫ですか。明治天皇にむかって弓ひくきか。フランスめが。神風が吹くぞ❗すでに吹いているではないか。
毎週デモ隊に苦慮しているようだな。辞任しろ、フランスはなんだ、大統領?自国を統治できずに神国日本にくだらぬ、
いいがかりつけるな。例え賄賂だって、いいんだ。バカ❗

青蛙@竹島は日本の領土@mirandakero
2017年2月6日
神風が吹く事を私も信じます。東宮家に男子が授からなかった事は皇祖神の霊力によるものだと信じています。
愛子さん誕生時、守り刀を落として踏んづけるという珍事も、皇祖神からのなんらかのメッセージではないかと。

KATSUMI 🍒ちゃん(津久井 勝美)@katsumitsukui
3月12日
我が日本🇯🇵には古来より、ヤマト国の民が災難に瀕した時、事態打開の為に吹く風を「神風」と云ふ!

日本人は 其の風をを信じて生きて来たし…

これからも… 信じて生きて行く!

それ故に日本國は「神国 ニッポン」なのである。

おぢゃる麻呂@dyalu07_m8l0l
2月21日
日本人は、合理的・論理的思考ができなかったから、過去の歴史に置いて 
米国に戦争をしかけることになったのじゃいの?
日本は神国 
負けるはずが無い 
神風が吹く 
と思ったんでしょ??

amazon@MaZ0x0
2月19日
関連して神国思想ってのは維新で薩長が作り出したものではなく元寇で「我々の祈祷のお陰で神風が吹いた」と主張した
鎌倉時代の寺社や公家が言い出したものなんだわ。神皇正統記とかもそれに則ってるわけ。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
750 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:37:17.67 ID:2catR9x/0
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

Yasu@noosa_noosa
1月18日
神風
大和魂
神国日本

全てプラシーボ効果に過ぎない。
思い込みという。

フォンテーヌ春日@oauKs58jejOMqEF
1月17日
百田の言う「日本がなければ世界はカオス」=「万世一系の皇統を頂く
神国ニッポンは人類の救世主」という歪んだ誇大妄想こそが戦前の日本を誤らせた「誤謬の根底」北一輝)。
ならば問う。その神国ニッポンがなぜ”鬼畜米英”に敗北したのか?なぜ神風は吹かなかったのか?神とは民族性の別名なのか?

TJO@TJO_datasci
2018年7月21日
散々言われ尽くした話だけど、美しい国ニッポンの得意な「人も金もリソースも何もかも無くて余裕がないけど
頑張っていればいつか神風が吹いて大逆転できる」という発想、元寇以来800年近く続く伝統芸能だし大戦中も
流行ったなと思ったが、今も大流行中らしい

はるよい@haruyoi_MURATE
2018年7月23日
「いつか神風が吹く」=「現状は圧倒的にこちらが不利」が分かっていればまだマシな方で。
攘夷志士とか私塾の指導者ですら「天子の勅が下り我ら正義の志士が立ち上がれば、夷狄など即座に恐れを為して逃げ出すこと必至!」
くらいの頭しかないのが割と標準ですよね…

はるよい@haruyoi_MURATE
2018年7月23日
学生運動の革命も「この銃と爆弾で国民の目を覚まし、一気に革命へと突き進むのだ!」だから根っこは神風。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
755 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:37:44.34 ID:2catR9x/0
>>997 >>998 >>999 >>1000 >>897 >>898 >>899

神風・神州不滅は歴史によって誤りと実証されている
アメリカに余裕で叩き潰され、神風は吹かず無残に敗戦したことで神風伝説は崩壊し、神国思想の正当性・妥当性は失われた

神風は天皇から得体の知れない超常性やオーラ・霊力を感じる源泉だったので、神風が吹かなかった敗戦の時点で明治期の朝鮮朱子学とオカルト平田神学の融合の役割は終わったと言える
神風オーラを皇室からビンビンに受信できる特異体質の自称保守を除く国民にとって皇室の存在意義とは立憲君主的な象徴に移行したと考えるべきだ
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
762 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:38:10.65 ID:2catR9x/0
>>997 >>998 >>999 >>1000 >>897 >>898 >>899

神国思想というのは、終焉しつつあった公家や皇族の逆転サヨナラホームランのようなものだった
運良く元寇による侵略がおき、神風・神州不滅の伝説が生まれたことで皇室には霊力があるとの神話が作られ
その得体の知れない霊力が天皇の権威に正当性を与え、皇室・皇統崇拝の実体・核心は神風伝説となった

その副産物として神風・神州不滅というオカルト祈祷師の迷信による恐喝・迷惑行為による創作神話が生まれ、儒教(李氏朝鮮の朱子学)によって強化される
後に豊臣秀吉と徳川家による朝鮮朱子学と神道の合体が戦前までの天皇の在り方を決定したと言える

天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が国論を支配した

結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
(神風吹かず)敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https ://ja.wikipedia.org/wiki/神国思想
神国思想(しんこくしそう)とは、自国を神の国(神国)とする思想で[1]、選民思想の一種である[2]。

この時代が武家と公家の権力交代期にあり、天皇を頂点とする古代貴族体制を保つためのイデオロギーとして強調されたことによるものだった[3]。

世界大百科事典内の神風の言及
【神国思想】より
平安時代には対外意識が鮮明になることは少なかったが,後期になって朝廷の権威が衰えはじめると,
皇統の一系と神々の加護を説く神道思想が整えられるようになった。鎌倉時代の半ばに元の軍勢が来襲
したとき,異敵調伏の祈禱の中で神国思想が強調され,敵国の船団を壊滅させた風は神風と呼ばれた。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
鎌倉期の神風観
文永の役において元軍は神風で壊滅し日本側が勝利したという言説が流布した背景として、当時の日本国内では元寇を日本
の神と異賊の争いと見る観念が共有されており、神社や寺による折伏・祈祷や歌詠みは日本の神の力を強める(天人相関思想)
と信心されていた。そのため、元軍を撃退できた要因は折伏・祈祷による神力・神風であると神社等は宣伝し、幕府に対して恩賞を求めた。

幕府は、こういった各社による軍忠状に対して神領興行令と呼ばれる徳政令を各社に対して3度も発布し、恩賞に当てた[221]。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
また、戦時中や現代の教科書においても文永の役において元軍は神風で壊滅したとい
う言説が依然として改められなかった背景としては、戦時中は「神国思想の原点」ゆえ
に批判が憚られたことによるという見解がある[223]。
【時事世論調査】女系・女性天皇に賛成7割★5
766 :名無しさん@1周年[]:2019/04/13(土) 08:38:34.22 ID:2catR9x/0
>>997 >>998 >>999 >>1000 >>897 >>898 >>899

天皇崇拝の根拠は神風伝説から類推される天皇の超能力や天皇の霊力が実際に存在すると思わせることだが、これは一言で言えば戦争に勝つだけで実証できる
皇室の権威は日清戦争の快勝、日露戦争におけるボロボロの苦戦からの勝利(クライマックス)によって、鰻登りであり絶頂にあったはずだ

神風伝説は(物理的に)存在し現人神の霊力に人類がひれ伏す時が来るという思想には確かに根拠があるように見えたはずだ
したがって御真影を見るだけでビンビンのオーラを日本人は感じてしまったわけだ
そのオーラの源泉は元寇時のオカルト祈祷師の恩賞目当ての如何わしい恐喝・恫喝によって生まれた神風伝説ということになる

圧倒的な実力差による完敗からの無条件降伏によって神風・神州不滅は粉砕された
天皇の(神風)霊力・オーラの消滅によって中世儒教土人による偶像崇拝を権威の源泉とするのではなく、現代的立憲君主としての象徴の模索が始まったということだろう

しかし無残な敗戦後(敗戦を認めていない?)も一部の狂人は神風神話を史実と受け止めており、天皇からオーラ(得体の知れない霊力)をビンビンに受信している印象がある
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