「夜の果てへの旅(Journey to the End of the Night)」などの作品で知られ、当時はフランスの最も偉大な作家の一人と目されたセリーヌだが、「皆殺しのためのたわ言(Bagatelles for a Massacre)」、「死体の学校(School for Corpses)」、「苦境(The Best Sheets)」というこの3つの評論により、その名声は著しく傷ついた。
セリーヌは1944年、第2次世界大戦(World War II)のノルマンディー(Normandy)上陸作戦決行日「Dデー(D-Day)」後にフランスを離れ、後に欠席裁判により対独協力の罪で有罪判決を受けている。
盗難事件は、アフターパーティー「ガバナーズ・ボール(Governors Ball)」で発生。会場にいた米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)のカーラ・バックリー(Cara Buckley)記者は、ツイッター(Twitter)で事件を実況中継し、「ガバナーズ・ボールの警備員が、フランシス・マクドーマンドのオスカー像を持って逃走したこの男を捜しています」と書き込んだ。