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幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
【シリア内戦】国連安保理、ロシアとトルコが仲介する和平プロセス支持で全会一致…ロシアにとって大きな外交的勝利に [無断転載禁止]©2ch.net
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
【トルコ】トルコ乱射テロ、「イスラム国」が犯行声明 ロイター報道 [無断転載禁止]©2ch.net
【国際】チリ人に逮捕状 仏留学の黒崎さん失踪 [無断転載禁止]©2ch.net
【株式】 日経平均株価、終値479円高の1万9594円と急騰 ほぼ全面高、大発会で4年ぶり値上がり [無断転載禁止]©2ch.net
【仏・日本人留学生不明】国際手配男、ビデオ声明をネット投稿「彼女は代償を払う義務存在」深夜3時20分黒崎さんの5、6秒悲鳴★2©2ch.net

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【シリア内戦】国連安保理、ロシアとトルコが仲介する和平プロセス支持で全会一致…ロシアにとって大きな外交的勝利に [無断転載禁止]©2ch.net
538 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 00:07:14.63 ID:trmLr24W0
>>534
これを見てくれよw

Ռուս-թուրքական
հարաբերությունների
կարգավորման
նախապայմաններից մեկն
Արցախին է վերաբերում
ナゴルノ=カラバフ問題は、ロシアとトルコの関係正常化の前提条件の一つである
http://armedia.am/arm/news/38742/rus-turqakan-haraberutyunneri-kargavorman-nakhapaymanneric-mekn-arcakhin-e-veraberum.html

プーチンがサンクトペテルブルクで指摘した、トルコとロシアの和解に必要な7つの条件

1.アサド政権の保護
2.ナゴルノ=カラバフ問題にトルコは口出しするな
3.クリミアのロシアへの編入を認めろ
4.トルコのスパイどもをキルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタンから追い出せ
5.シリアにとっての唯一の脅威はイスラム国だと認めろ
6.シリアへの武器弾薬を送るのをやめろ。我々は国境を監視する
7.トルコの閣僚や政府高官による反ロシア宣伝をやめろ
【シリア内戦】国連安保理、ロシアとトルコが仲介する和平プロセス支持で全会一致…ロシアにとって大きな外交的勝利に [無断転載禁止]©2ch.net
540 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 00:09:53.22 ID:trmLr24W0
今のところエルドアンがしぶしぶ飲んだのはこれだけ


1.アサド政権の保護
5.シリアにとっての唯一の脅威はイスラム国だと認めろ
7.トルコの閣僚や政府高官による反ロシア宣伝をやめろ
【シリア内戦】国連安保理、ロシアとトルコが仲介する和平プロセス支持で全会一致…ロシアにとって大きな外交的勝利に [無断転載禁止]©2ch.net
541 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 00:10:31.14 ID:trmLr24W0
エルドアンが無視している条件

×
2.ナゴルノ=カラバフ問題にトルコは口出しするな
3.クリミアのロシアへの編入を認めろ
4.トルコのスパイどもをキルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタンから追い出せ
6.シリアへの武器弾薬を送るのをやめろ。我々は国境を監視する
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
496 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:27:46.64 ID:trmLr24W0
>>491
重要な個所だけ何度も読めばいいのだよ
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
506 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:30:21.11 ID:trmLr24W0
文化破壊者としてのマルクシズム

マルクシズムというユダヤ的教説は、自然の貴族主義的
原理を拒否し、力と強さという永遠の優先権のかわりに、大衆の数とかれらの空虚な重さとをも
ってくる。マルクシズムはそのように人間における価値を否定し、民族と人種の意義に異論をと
なえ、それとともに人間性からその存立と文化を奪い取ってしまう。マルクシズムは宇宙
の原理として人間が考えうるすべての秩序を終極に導く。そしてこの認識しうる最大の有機体に
おいて、そのような法則を適用した結果は、ただ混とんのみであるように、地上ではこの星の住
民にはただ自己の破滅あるのみである。
 ユダヤ人がマルクス主義的信条の助けをかりてこの世界の諸民族に勝つならば、かれらの王冠
は人類の死の花冠になるだろうし、さらにこの遊星はふたたび何百年前のように、住む人もな
くエーテルの中を回転するだろう。
 永遠の自然はその命令の違反を、仮借なく罰するであろう。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
509 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:30:41.12 ID:trmLr24W0
多数決原理

だがマルクシズムは、人間生活のあらゆる領域で、人格のいちじるしい重要性
を排除し、それを大衆の数によっておきかえようとして、ユダヤ人がもちこんだ正真正銘の試み
のあらわれである。政治的には議会主義的政治形式がそれに応じたものであり、われわれはそれ
が地方自治体の最も小さい胚細胞から始まって、全ドイツの最高の統治にいたるまで、有害な作
用を及ぼしているのを見る。そして経済的には、労働者の実際的利益には奉仕せず、もっぱら国
際的な世界ユダヤ主義の破壊的意図にだけ奉仕している労働組合体系も、これに適応して
いるのである。人格の原理の作用から離れ、そのかわりに、太守の影響力と干渉にのみゆだねら
れるにしたがって、経済は、すべてのものにとって価値のある指導能
力を失い、そして次第に確実に逆行的に堕落していくに違いない。かれらの使用人の利益を認め
ず、そのかわりに生産そのものに影響を及ぼそうとしている全経営組織は、同じような破壊的な
目的に役立つのである。これは全体の仕事に害を及ぼし、かくして実際に個々人にも害を及ぼす
のだ。というのは、ある民族体に属しているものが満足するのは、けっきょくは単に理論的な口
先だけでなく、むしろ日常生活の個々人の手にはいる品や、そこから決定的に生ずるところの民
族共同体がそのすべての仕事において個人の利益を保護しているのだという確信から、もっぱら
起こるのだからである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
512 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:31:07.07 ID:trmLr24W0
人種と人格に反対するマルクシズム

われわれが「民族主義的」ということばから、その意
味に最もよく合った中核をとりだそうとするならば、次のようなことを確認することができる。
すなわち、今日われわれのありきたりの政治的な世界観は、一般に、国家には実際それ自体に創造的に
文化を形成する力が与えられているのだが、国家は人種的前提とはまったく関係なく、むしろ経
済的必要から生まれてきたか、せいぜい政治的な権力欲から自然に出てきたものだ、という観念
にもとづいている。この根本観念は理論的に首尾一貫した教育を続ければ、ある人種の原動力を
誤認するばかりか、人格の過小評価まで導くのである。というのは、個々の人種が一般的な文化
形成能力について際があることを否定することが、この最も大きな誤りをまた個々人の判断
にも及ぼしてしまうにちがいないからだ。いろいろの人種の質が同一であるという仮説は、さら
に民族についても、また個人についても同様な見方をさせる根拠になる。だから国際的マルクシ
ズム自体はまた、実際上すでに昔から存在していた世界観的な立場と解釈を、一定の政治的な信
条の形にユダヤ人カール・マルクスが転用したにすぎないのである。マルクシズムの教説の驚く
べき政治的成功は、かような一般に昔からあった害毒の下地がなかったならば、決してできなか
ったであろう。

カール・マルクスこそ実際に、だんだんと堕落していく世界の沼沢の中で、その
最も本質的な毒素を予言者のするどい目で認識し、それを抽出し、この地上の自由諸国民の独立
的存在を急速に崩壊さしめるために、魔術者のような濃厚な溶液につくりあげた、百万人の中の
一人であるのだ。しかし、これらのすべては自分の人種のために行ったのだ。
 このようにマルクシズムの教説は、今日一般に通用している世界観の簡潔な精神的抜粋である。
こういう根拠からみればたしかに、マルクシズムに対するわれわれのいわゆるブルジョワ社会の
人々のすべての闘争は不可能であり、まさしく笑止のいたりである。というのは、これらのブル
ジョワ社会にも本質的にこれらの毒素が浸透しており、マルクシズムの世界観とは一般にもはや
その程度と人物がちがうだけで、その世界観に忠誠を誓っているからである。ブルジョワ社会は
マルクス主義的であり、マルクシズム自体が世界を計画的にユダヤ人の手中に移そうとしている
のに、特定のグループ(ブルジョワジー)が支配する可能性を信じているだけなのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
513 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:31:23.60 ID:trmLr24W0
指導者思想の破壊

われわれの議会の多数決原理が指導者思想一般の破壊に導く必然性はないのか?
 ところでこの世の進歩はおそらく多数の頭脳にもとづくもので、一人の頭脳にもとづくもので
はない、と信じているのか?
 あるいは将来のためにこの人類文化の前提を欠くことができるぐらいに考えているのか?
 反対に今日、これまで以上にそれが必要であると思われないのか?
 多数決という議会主義の原理は、個人の権利を否定し、そのかわりにその時々の群集の数を置
くことによって、自然の貴族主義的根本思想を破壊する。もちろんそのばあい、貴族という概念
は、決してわが一万人の上層階級の今日の頽廃の中に具体化されているわけではない。
 この近代民主主義議会主権という制度が、いかに被害をもたらしているかは、もちろんユダヤ
人新聞の読者は、かれが自主的に考え吟味することを学ばぬかぎり、想像しがたいのである。ま
ず第一にこれが、政治生活全体に現代の最も劣悪な現象が信じられないぐらいはんらんしている
原因である。大部分が、創造的な功績や仕事ではなく、むしろ多数のものの好意をけずりとったり、
取引したりすることでなりたっている政治活動に関して真の指導者がいかにひきこまれようと、
この活動は小人物に対応して、したがってかれらをひきつけるにちがいないのである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
516 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:31:37.84 ID:trmLr24W0
偉大な過去の誹謗

しかし、明らかにシラーもゲーテも、あるいはシェークスピアも近代ド
イツ詩文学のヒーローたちにとっては、実際なんの意味もないのだ!シラーらは古い陳腐な時代遅
れの、否、克服されてしまった亡霊である。すなわちこの時代の特徴なのだが、かれら自身がただけ
がらわしい作品を生産したばかりではなく、おまけに過去のあらゆる真に偉大な作品が、かれらによ
って冒とくされたのである。もちろんこのようなことは、そうした時代にはいつも見られる現象である。
ある時代の、そしてその時代の人々の創作物が卑しく、みじめであればあるほど、それだけ以前
の時代のより偉大な高尚さと、品位の証人は憎まれるのだ。このような時代には、人々はなによりも
好んで、人類の過去の記念物を一般的に抹殺し、その結果として、あらゆる比較可能性を取り去って
しまい、自分のいかさま物を相変わらず「芸術」であるかのように、うまく見せかけるだろう。した
がって、どんな新しい制度もそれがみじめで、あさましいものであればあるほど、それだけ過ぎ去
った時代の証拠を徹底的にぬぐい去ろうと一心になる。他方、あらゆる真に価値のある人類の革新は、
むとんちゃくにも、過去の世代が残した、すぐれた成果に結びつくことができる、いやそれどころか、
しばしばそれらの成果を、はじめて一般に認めさせようと努力さえするのである。そうした革新は。
過去と比較されて、色あせてしまうことを少しも恐れる必要がなく、進んで、人類文化の共有財産に
非常な価値のある貢献をするのである。したがってそうした革新はしばしば、まさにその貢献の価値
を十分に認めさせるために、過去の作品そのものの回想の火をかき立てるだろう。つまりはそうして
新しい贈物がいよいよ確実に現代人の十分な理解をうるためにである。ただ、自分からは価値あるも
のをまったくなにもこの世に贈ることができないのに、さもなにかたいしたものを、この世に与えよ
うなどというものにかぎり、現実に存在しているすべてのものを憎み、またもっとも好んで、
否認し、あるいは抹殺さえするであろう。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
517 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:32:04.24 ID:trmLr24W0
「世論」

われわれがつねに「世論」といっているものは、自分でえた経験や個々人の認識にもと
づくものはごく小部分だけで、大部分はこれに対して、往々にしてまったく際限なく、徹底的にそし
て持続的にいわゆる「啓蒙」という種類のものによって呼びおこされるものである。
 信仰上の態度決定が教育の結果であり、宗教上の要求それ自体がただ人間の内心にまどろんでいる
に過ぎないのと同様に、大衆の政治的意見もまた往々にしてまったく信じられないほど強靭で徹底的
な加工を、心と理性にほどこした究極の結果であるにすぎない。
 このばあい、宣伝ということばが非常にぴったりするが、政治「教育」に図抜けて強力に関与して
いるものは新聞である。新聞はまず第一にこの「啓蒙活動」を考え、それによっておとなに対する一
種の学校をなしている。ただこの授業は国家の手にはなく、ある部分は最も劣等な勢力の手中にある。
わたしは若くして、ヴィーンで、この大衆教育の機関の所有者や精神的な製造者を正しく知るまさしく
絶好の機会をもった。わたしははじめは、国家の中にいる不快な大勢力が、一般のものがしっか
りといだいている内心の願望や観念をまったくつくり替えようとするときに、どうしてそんな短期間
で一定の意見をつくることができるのかと驚いた。数日にして笑うべきことから意味深長な国家的行
為をつくりあげ、その間同時に逆の生活上の重要問題は一般に忘却され、もっとよくいえば大衆の記
憶と回想の中から簡単に盗みだされてしまうのである。
 そのようにして、二、三週間たつうちに、魔法のように何もないところから名前がつくり出され、
その名前に公衆の信ぜられぬほどの希望が結びつけられ、さらに実際にすぐれた人物でもしばしばか
れの全生涯においても与えられないような人気をつくろうとするのである。そのさい、一ヶ月前には
だれも聞いたことがないような名前で、一方では同時に国家生活やその他の公的生活で古くから定評
ある人々が、最も健全でありながら簡単にその時代社会から抹殺されてしまうか、あるいはかれらの
名前がやがて、まったくはっきりと下劣で無頼なシンボルになるように脅迫する悲惨な誹謗を浴びせ
かけられるのだった。

このゴロツキ新聞の危険を完全に正しく評価しうるためには、りっぱな人間を
一度で呪文をかけたように、同時に何百という方向から清潔な衣服に下劣な誹謗と、名誉毀損の汚物
桶を注ぎかける、卑しいユダヤ人のやり方を研究しなければならない。
 こういう精神的な盗賊騎士には、自己の卑しい目的を達するために合致しないものは何もない。
 かれはそのさい、家族の最も秘密なことまで中へはいってかぎつけ、不幸な犠牲者にとどめをさす
にちがいないようなあわれむべきでき事を、キノコを探すような本能で探し出すまで止めないの
だ。しかし公的な生活しも、私的な生活にさえも、まったく何もかぎだすものを見附えないと、幾
度となく取消しても、それだけを取ってみると何かが引っかかるだけでなく、かれの遊び仲間のみん
なによって誹謗をただちにみつけ、幾百回となくくり返した結果、たいていのばあいにそれに対する
犠牲者の闘争がまったくできなくなるのだ、という不動の確信をもってヤツは簡単に誹謗するのであ
る。そのさいこういうゴロツキどもは、他の人間には信じられないぐらいの、あるいは理解さえもで
きないような動機から何か企てるのである。神よ守りたまえ!というようにルンペンは愛すべき
同時代の人々を、最も無頼な方法で攻撃しながら、このイカは実直さとかもったいぶった文句とかい
うまことらしい墨雲の中へかくれ、「ジャーナリストの義務」とか、それに似た虚偽のくだらないこ
とをしゃべり、しかもそのうえ増長し、会議とか、会合とか、またこういう疫病がたくさん集まる機
会には、まったく特殊な、すなわち、ジャーナリストの「名誉」についてムダ口をたたき、おまけに
集まってきた無頼漢どもはおたがいにおもおもしく確認しあうのである。
 だが、このゲスどもが、いわゆる「世論」の三分の二以上を製造していて、その泡から議会主義と
いう愛の神が発生したのだ。
 このやり方を正確に描き、そのまったくの嘘にみちた不誠実さをのべるためには数巻を要するであ
ろう。しかしまたこれを度外視し、そしてその活動とともに所与の結果だけでも観察するならば、正
しく信ずる気持ちをもつのならば、この制度の客観的に見た狂気を想像するためには、これで十分であるように思う。
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518 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:32:20.40 ID:trmLr24W0
民族体の三クラス

いずれの民族体も、三つの大きなクラスにわけることができる。すなわ
ち一方の側では最良の人間性という極端で、あらゆる道徳の意味で善良で、とりわけ勇気と献身
によって特徴づけられる。他方は、最悪の人間の屑という極端で、あらゆる利己主義的衝動と悪
徳が存在しているという意味で劣悪である。両極端の間に、第三のクラスとして、大きな広範な
中間層があり、ここにおいては輝かしい英雄的精神も、卑劣きわまりない犯罪者的根性も具体化
されていない。
 民族体の興隆期は、この極端によい部分の絶対的指導によって特徴づけられ、そのうえそれに
よってのみ存在する。
 普通の、均整のとれた発展期、あるいは安定状態の時代は、明らかに中間の分子の支配によっ
て特徴づけられ、またそれによって成立している。この場合両極端は、相互に平衡を保ち、あ
るいは相殺しあう。
 民族体の崩壊期は、最悪の分子の優勢な活動によって定められる。
 ただそのさい、大衆は−わたしたちはかれらをそう呼ぼうとするのだが−中間のクラスとして、
両極端自体がみずから相互の格闘にしばられているときだけ、はっきりとあらわれるのであり、
だがかれらは両極端の一方が勝った場合には、つねによろこんで勝利者に従属するものだ、とい
うことにも注意すべきである。最良のものが支配している場合には、大衆はこれに従い、最悪のも
のが興隆している場合には、かれらは最悪のものに何の抵抗もしない。というのはこ
の中間の大衆は決してみずから戦わないからである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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520 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:32:42.01 ID:trmLr24W0
3つの新聞読者グループ

すなわち、ほかならぬジャーナリストの仲間の中では、新聞を国家の中での「国家」と好んで表現する習慣がある。
事実、新聞の意味はなんといっても、じつに巨大なものである。新聞は一般的にいって、いくら高く評価しても
過大評価されるということはありえない。なにしろそれは現実に、相当の年配になった人々に対し、
教育の延長という働きをするからである。
新聞の読者はその際、一般に三つのグループに分類される。
すなわち、第一は読んだもの全部信じる人々、
第二はもはやまったく信じない人々、
第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳をもつ人々、である。

第一のグループは数字の上からは、けたはずれの最大のグループである。かれらは大衆からなっ
ており、したがって国民の中では精神的にもっとも単純な部分を表している。しかしかれらを
職業でもって示すことはできず、せいぜい一般的な知的程度で示すことが出来るだけである。自
分で考えるだけの素質もなければ、またそのような教育も受けていない人々は、みなこのグルー
プにはいる。そしてかれらは半ば無能から、半ば無知から白地に黒く印刷して提供されたものを
全部信じる。さらに、たしかに自分の頭で考えることもできようが、それにもかかわらず、考え
ることの単なる無精さから、他人はきっと正しく頭を働かしたに違いなかろう、とつつましく仮
定して、その他人がすでに考えたことをありがたく全部そのままもらってしまうような、無精者
もまたこのグループにはいる。ところで、大衆を意味するこれらすべての人々にとって、新聞の
影響はまったく驚くべきものであるだろう。かれらは提供されたものを自分で吟味する境遇にも
ないし、またそんな意思もないので、あらゆる時事問題に対するかれらの一般的態度というもの
は、ほとんど例外なく他からの外的影響に還元できるのである。このことは、かれらの啓蒙が、
真剣で真理を愛する方面から企てられるならば有利であるだろうが、しかし人間のくずや、うそ
つきがこれに手を出す場合には害悪となる。

第二のグループは数ではまったく決定的に少なくなる。かれらの一部は、最初は第一のグルー
プにはいっていたが、長い間の苦い幻滅を経験した後いまや反対側に移って、ただ印刷されて目
に映るものならばなんでも、もはや全然信じなくなってしまった分子から構成されている。かれ
らは新聞という新聞を憎み、およそ読まないか、あるいは、その内容がかれらの意見からすれば、
まったくうそと、事実でないことだけで構成されているにすぎないのだから、例外なしに、そう
した内容に憤慨するかである。なにしろ真実に対してもつねに疑ってかかるだろうから。これら
の人々はきわめて取り扱いがむずかしい。かれらはそれゆえ、あらゆる積極的な仕事に対しては
だめな人間である。

 最後に第三のグループはけたはずれて最小のグループである。かれらは生まれつきの素質と教
育によって自分で考えることを教えられ、あらゆることについてかれ自身の判断を形成すること
に努力し、また読んだものはすべてきわめて根本的にもう一度自己の吟味にかけて、その先の結
論を引きだすような、精神的にじつに洗練された頭脳をもった人々からなり立つ。かれらはいつ
でも、自分の頭をたえず働かせながらでなければ新聞を読まないだろう。だから、編集者の立場
は容易ではない。ジャーナリストはこのような読者を実際括弧つきでしか愛しはしない。
 この第三のグループに属する人々にとっては、新聞がでっち上げうるナンセンスもほとんど危
険がないか、あるいは意味があるとさえも考えられる。とにかく、かれらはたいてい生活の過程
の中でジャーナリストなどは通例として、真実をたびたび語るにすぎない詐欺師とみなす
ことに慣れてしまっている。しかし残念なことは、このようなすぐれた人間の価値が、まさにか
れらの知能にだけあるにすぎず、その数にはないことである。−このことは賢明であることに
意味がなく、多数がすべてであるような時代における不幸なのだ。大衆の投票用紙があらゆるこ
とに判決を下す今日では、決定的な価値はまったく最大多数グループにある。そしてこれこそ第
一のグループ、つまり愚鈍な人々、あるいは軽信者の群衆なのである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
521 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:33:08.35 ID:trmLr24W0
宣伝

宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、
そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に
行われなければならない。人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとすると
すぐさま効果は散漫になる。というのは、大衆は提供された素材を消化することも、記憶しておくことも
できないからである。それとともに、結果はふたたび弱められ、ついにはなくなってしまうからである。

大衆感情

民衆はどんな時代でも、敵に対する容赦ない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、
逆に他者の絶滅を断念することは、たとえそれを自分が正しくないことの証明と感じはしないにしても、
自分の正義についての不確実さと感じとる。
大衆は本能のかたまりに過ぎず、かれらの感情は、敵同士であることを望んでいると主張している
人々の間のお互いの握手を理解しはしない。かれらが望んでいることは、より強力なものの勝利と
より弱いものの絶滅あるいは弱いものの無条件の隷属である。

大衆の心理

大衆の心理は、すべて中途半端な軟弱なものに対しては、感受性がにぶいのだ。
女性のようなものだ。かの女らの精神的感覚は、抽象的な理性の根拠などによって定められるより
も、むしろ足らざるを補ってくれる力に対する定義しがたい、感情的なあこがれという根拠によって
決せられるのだ。だから弱いものを支配するよりは、強いものに身をかがめることをいっそう好む
ものである。大衆もまた哀願するものよりも支配するものをいっそう好み、そして自由主義的な自由
を是認するよりも、他の教説の併存を許容しない教説によって、内心いっそう満足を感ずるものであ
る。かれらもまた、たいていそれをどう取扱うべきかを知らないし、しかも容易に見捨てられている
と感ずるものである。かれらは破廉恥な精神的テロや、かれらが人間的自由をシャクにさわるほど虐
待されていることにも気がつかないのだ。かれらは全教説のうちにひそむ狂気に決してきづかないの
である。そのようにしてかれらは、目的のはっきりしているこの傍若無人な力や残虐さを見て、いつ
も屈服しているのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
523 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:33:46.57 ID:trmLr24W0
  ユダヤ的エゴイズムの結果

 ユダヤ人の場合も似た事情にある。かれらの犠牲心は外見上だけの
ものである。それは、各個人の生存にとって無条件に必要である期間だけ続くに過ぎない。だが、共
通の敵が克服され、みなを脅かしていた危険が取り除かれ、獲物が隠されてしまうと同時に、ユダヤ人
相互間の見せかけの調和は中断してしまい、もとから存在していた素質が再びとってかわるのである。
ユダヤ人は共通の危険がそのように強制するか、共通の餌食がそそのかす場合にだけ一致するのであ
って、この二つの理由が消えてしまえば、きわめてはなはだしいエゴイズムの本性が当然のこととな
り、一致した民族からてのひらを裏返すように、相互に血みどろの闘争をするねずみの群が現れてくる。

 この世界にユダヤ人だけがいるのなら、かれらは泥や汚物に息がつまりながらも、憎しみに満ち満
ちた闘争の中で相互にペテンにかけよう、根こそぎにしようと努めるに違いない。ただしかし、それ
はかれらの臆病に示されている犠牲心の完全な欠如が、この場合にも、この闘争を猿芝居にしてしま
わなければの話である。

 したがって、ユダヤ人が闘争において、あるいはもっと適切にいうならば、かれらの隣人から強奪
する場合において、団結しているという事実から、かれらにある種の典型的な犠牲心が存在するのだ
と推論しようとするのは、根本的な誤りである。

 この場合でもユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外のなにものでもないのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
526 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:34:17.48 ID:trmLr24W0
日本とユダヤ人

ところでユダヤ人は、自分達の千年にわたる順応によってヨーロッパ諸民族の
基礎を掘り崩し、かれらを種族の性格を失った雑種に養育することはなるほどできるにしても、
しかし日本のようなアジア的国家主義国家に同じ運命を与えることはほとんどだめだということ
をじゅうぶん知っている。今日ユダヤ人はドイツ人、イギリス人、アメリカ人、そしてフランス
人のふりをすることはできるが、黄色いアジア人に通じる道はかれらには欠けている。したがって
かれらは、日本という国家主義国家をやはり今日同じような構造をもつ国々の勢力によって破壊
しようと企てるのであるが、それはこの危険な敵のこぶしによって、最後の国家権力が防御力の
ない諸国家を支配する専制に変ってしまう以前に、その敵を片付けるためである。

 ユダヤ人は自分達の至福千年王国の中に、日本のような国家主義国家が残っているのをはばか
り、それゆえ自分自身の独裁が始められる前にきっちり日本が絶滅されるよう願っているのである。

 したがってかれらは、以前にドイツに対してやったように、今日日本に対して諸民族を煽動し
ており、それゆえ、イギリスの政治がなおも日本との同盟を頼りにしようと試みているのに、イ
ギリスのユダヤ人新聞はすでにこの同盟国に対する戦争を要求し、民主主義の宣伝と「日本の軍
国主義と天皇制打倒!」の鬨の声の下に、絶滅戦を準備するということも起こりうるのである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
530 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:34:51.72 ID:trmLr24W0
ユダヤ的詭弁

 労働者というものが、よりりっぱな知識やよりすぐれた説明に屈しないほど頑迷ではないという確
信をうるためには、わたしの一年のヴィーン滞在でもう十分だった。わたしは次第にかれらの独自の
教説の通になった。そしてそれを、わたしの内心の確信のために闘うときの武器としてふりむけた。
 ほとんどいつもわたしのほうが勝った。
 時間と忍耐というきわめて困難な犠牲をはらった後にだけ、大衆を救う見込みがあった。
 しかしユダヤ人は決してかれらの意見を変えようとはしなかった。
 当時のわたしはまだ子供のようだったから、かれらの常軌を逸しているような教説をはっきりさせ
てやろうとして、わたしの狭い交際範囲で舌をかみ、のどをからして演説し、かれらが狂ったような
マルクシズムの有害さを確信することができるに違いないと思っていた。だがわたしはまさに反対の
ものに到達したのだった。ちょうど社会民主党の理論とその実現の破壊的作用についての洞察が深く
なることだけが、かれらの決心の強化に奉仕するかのように思われたのだ。

 かれらと争えば争うほど、ますますかれらの詭弁がわかってきた。最初はかれらは相手の愚鈍さを考
慮に入れる。だがもはや逃げ道がみつからないとなると、簡単に自分をバカに見せるのだ。なにをや
っても役に立たないと、かれらは正確に理解することができないとか、あるいは即座に他の領域に飛
躍したり、放棄したり、わかりきったことをいい、しかしそれが受け入れられるやいなや、ふたたび
本質的に違った材料を引き入れ、さてふたたびつかまえられると回避して、そしてくわしいことは何
も知らないという。そういう使徒を攻撃しても、いつもくらげのような粘液で手をつかみ、くらげの
ような粘液が指の間をすべり抜けると、次の瞬間にはふたたび合流して結合する。しかしかれらが周
囲から観察されると同意せざるえなくなり、そして少なくとも一歩自分の意見に近づかせたと思う
と、次の日はかえって逆になって驚きが大きい、というような実際ムダなことにぶつかる。ユダヤ人
はきのうのことは何も知らず、あたかも何事も起こらなかったし、しなかったかのように、かれらの古
い不法なことを幾度も話し続ける。そしてそれに憤慨して論駁すると、驚いたふりをして、かれの主
張が正しかったことは前日にすでに証明されているということ以外まったく何も思い出すことができないのだ。

 わたしは幾度もつっ立ったままでいた。
 かれらの口達者と嘘のてぎわと、どちらのほうをよけいに驚いたらいいのかを人々は知らなかった。
 わたしは次第にかれらを憎み始めた。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
535 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:35:34.39 ID:trmLr24W0
危険な弾劾者の道徳的武装解除

しかしユダヤ人およびかれらのマルクス主義的闘争組織の
すべての底知れぬ嘘は、ほかならぬただひとり超人的な意志力と実行力でもって、自己に予見で
きた破局を防ぎ、国民をどん底の屈辱と不名誉な時代から免れさせようと努力した男に、崩壊の
責任を負わせたのである。かれらは、ルーデンドルフが世界大戦の敗北に責任があると極印を押
すことによって祖国の反逆者に対抗して立ち上がりうる唯一の危険な弾劾者の手から、道徳的正義
という武器を取り上げてしまったのである。かれらはその際、まったく正しい原則、つまりうそ
が大きければ信じてもらえる一定の要素がつねに存在するという原則、から出発した。なぜなら
国民大衆の心は本質的に、意識して、故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落
させられるものであり、したがって、かれらの心情の単純な愚鈍さからして、小さなうそよりも
大きなうその犠牲になりやすいからである。というのは、かれら自身、もちろんしばしば小さな
うそをつくのだが、しかし大きなうそをつくのはなにしろあまりにも気恥ずかしく感じてしまう
からである。そのような大きなうそはかれらの頭にはとてもはいり込めないし、したがって不名
誉きわまる歪曲をするような、まったく途方もない厚かましさは他人の場合でも可能だなどと信
じ得ないだろう。それどころか、このことについて説明を受けてさえも、なお長く疑いつづけ、
動揺するだろうし、そして少なくとも、なにか一つくらいの理由はやはり真実だと受け取るだろ
う。したがって、実際きわめてずうずうしいうそからは、つねになおなにかあるものが残り、続
いていくだろう。−以上はこの世のあらゆる大うそつきや、大うそつき団体が底の底まで知
っており、したがって卑劣にも利用している事実なのである。
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
537 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:36:16.38 ID:trmLr24W0
性格の腐敗

しかし、この組織が個々人を強制して、かれにはまったく畑ちがいの問題に態
度を決めさせている間に、次第に性格がそこなわれてくる。「諸君、われわれはこの事項について
は何もわかりません。少なくとも、わたくし個人はまったくわからないのであります」と、宣
明する勇気をふるいおこすことのできるものはあるまい。(そのうえ、こんなことはあまり役に
立たない。というのは、かかる種類のの率直さはまったく理解されないばかりか、このようなバカ
正直によって、一般的な遊びを台なしにさせるようなことはないからだ。)しかし、人間を知っ
ているものならば、こういう貴顕社会では、だれも好んでいちばんバカなものになりたくないこ
と、そしてある社会では正直はいつも同時にバカを意味することがわかるだろう。
 こうして始めは高潔な代表者も、必然的に一般的虚偽とごまかしの軌道になげこまれてしまう。
まさしく個人が違った態度をとっても事態そのものにはなんら変化がないという確信が、一、二

のものにはまず生じるかもしれない正直な衝動も、すべて殺してしまうのだ。かれはついに、自
分自身はまだまだ他のもののなかでいちばん悪くはない、自分といっしょにやっていることによっ
てもっと悪くなっただろうものを阻止したのだ、と自分に信じさせるかも知れない。
 もちろん人々は、次のように異論をとなえるである。たしかに個々の議員はあれやこれや
の事項に特別に精通していないが、しかしかれの態度決定は実際当人ん政策の指導者としての党
派から助言されるのだ。この党派はもともと専門家から十二分に説明を受ける特別委員会をもっ
ているのだ、と。

 これは一見正しいように思える。だが問題はさらに次の点にあるのだ。すなわち最も重要な利
害において、態度決定をするために必要な知識をもっているものが、二、三人しかいないのに、な
ぜ五百人も選挙するのか? ということである。
 しかり、まさにこれがことの真相なのだ。

今日の民主主義的議会主義の目的は、おそらく賢人の会議を形成することでなく、むしろ精神
的に従属しているゼロにひとしい群を寄せ集めることにある。個々人の人格的偏狭さが大きけれ
ば大きいほど、一定の方向へ指導することがますます容易になる。ただそうしてのみ、今日の悪
い意味での政党政治がなされうるのである。しかしそうしなければ、本来の黒幕がつねに個人的
に責任を負わされることなしに、いつも注意深く背景にかくれていることができないのである。
というのは、また国民にとってそれほど有害などんな決定でも、だれの目にも実際はっきりとル
ンペンに見えるものたちには負わされず、党派全体の肩にかけられるからである。
 しかし、それと同時に実際の責任はすべてなくなる。なぜなら責任というものは個々の人物の
義務感の中にあるもので、議会主義的おしゃべり同盟の中にはないからである。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
538 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:36:41.14 ID:trmLr24W0
人物の排除

だがこの民主主義のこの発明は、最近になって真の恥辱にまで発展した特性、すなわちわれわ
れのいわゆる「指導者たち」の大部分のひきょうな特性に、最もぴったりと応ずるのだ。いくつ
かの重要なことをすべて実際に決定するばあいん、いわゆる大多数というスカートの影にかくれ
ることができるのは、たんと幸福なことだろう!
 こういう政治のおいはぎを一度見るがよい。あらゆる仕事を行う場合に、いかにかれらが自
分のために必要な共犯者を確保し、それとともにいつでも責任をのがれうるようにするために、
大多数の賛成を心配そうに請い求めていることか。しかし、この種の政治活動は、心から上品で、
同時にしかし勇気もある男はいやがり憎むけれども、すべてのあさましい性質のものたちー自
分の行動に対して個人的に責任をとろうとせず、防御物を求めるものはひきょうなルンペンであ
るーを引き付けるおもな理由がこれである。だが、もしも国民の指導者が、一度こういうあさ
ましい人間からなりたつならば、すぐに悪い報いがくるであろう。そうなるともはや決定的行動
に対して勇気をふるいおこすことができず、決断に向かって奮起するよりは、屈辱的な名誉棄損
をあまんじて受けるようになる。とにかく仮借なき決意を遂行するためには自己の身体と頭脳を投
げだす覚悟ができているものが、もはやいないからである。
 実際、一つだけ決して忘れてはならないことがある。すなわち多数は、このばあいにも、決し
て一人の人間の代理ができない、ということである。多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでな
く、ひきょうの代表でもある。百人のバカものからは実に一人の賢人も生まれないが、同様に百
人のひきょうものからは、一つの豪胆な決断もでてこない。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
541 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:37:11.65 ID:trmLr24W0
自信の暗示力

根本から臆病に生まれついた人間は、教育によっても勇気あるものになしが
たいのは確かである。だが臆病な人間が、かれのうけた教育の欠陥によって、身体的な力と強じ
んさにおいて、もともと他のものに劣っている場合、かれの特性をのばしてやることができない
のもまた確かである。身体がじょうぶだという確信があると、どんなに自己の勇気が助長され、
そのうえ攻撃精神がわいてくるかは、軍隊をみればいちばんよくわかる。軍隊にももともと英雄
ばかりいたわけではなく、普通の平均の人間がいたのだ。だがドイツ兵の平時におけるすぐれた
教練がこの巨大組織全体に、われわれの敵でさえ信じられないくらいに、自己の優秀さに対す
る暗示的信念を植えつけたのだ。というのは一九一四年盛夏から秋にかけての数ヶ月間に、掃討
しながら前進するドイツ軍を不滅の攻撃精神と攻撃勇気に導いたものは、長い長い平和の時代に、
しばしば弱い身体を持っているものの中から信じられぬぐらいの能力をひき出し、最大の激戦の
すさまじさの中でも失われない自信を養成した。うむことなき教育の結果だったからである。

 今日、崩壊して他国の人々のじゅうりんにゆだねられ、横たえられているわがドイツ民族こそ、
自信の中にあるあの暗示力を必要とするのだ。だがこの自信は、すでに子どもの時から若い同胞
に引き入れられねばならない。すべての若い同胞の教育や訓練は全体に、自分たちが他のものよ
り絶対にまさっているのだという確信を与えるようにはかられねばならない。若い同胞は自分の
身体的な力や強じんさにおいて、民族全体が無敵であるという信念をふたたび獲得せねばならない。

というのは、ドイツ軍をかつて勝利に導いたものは、各々の個人は自分自身に対し、全体と
してかれらの指導部に対してもっていた信頼の総和であったからだ。ドイツ民族をふたたび高め
たものは、自由をふたたび獲得しうると言う確信である。だが、この確信は幾百万のものが一人
一人同じように感じた結論としてのみありうるのである。

 ここでもまた人々は錯覚におちいってはならない。すなわち、
 わが民族の崩壊は、とほうもないものだったが、いつかはこの困窮を脱しようとする努力もま
た同じようにとほうもなく大きいものであるにちがいないのだ。わが民族が安寧秩序を目的とし
ている今日のわがブルジョワ的教育活動によって、われわれの没落を意味している今日の世界秩
序をいつか破り、そしてわれわれをしばりつけている奴れいの鎖の輪を敵の顔面にたたきつける
力をうることができるだろう、と信じているものがあったなら、それはたいへんなまちがいであ
る。ただ国民の意志力と、自由への渇望と、最高の情熱にみちあふれることによってのみ、かつ
て奪われたものをふたたびととのえることができるだろう。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
542 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:37:49.74 ID:trmLr24W0
教育活動におけるうぬぼれ

青少年の服装もこの目的に適合させねばならない。今日の
青年がすでに、「馬子にも衣装」という昔のことわざの意味を腐敗した意味に逆にとっているの
をまったく助けているような、流行症に感染しているのを見なければならないのは、まことにな
さけない。
 成年の場合にこそ、服装もまた教育に役立たせねばならない。夏に長いタイト・ズボンをはき、
首まで上衣をきこんだ青年は、そんな服装をするだけで、身体の鍛錬に対する動因を失っているの
だ。実際、野心ーおだやかにいうならー自負が、引き入られねばならないからだ。これは、
誰でも買いうるというのではない美しい服装へのうぬぼれではなく、すべてのものが形成に助力
してできる美しい近世のとれたからだに対するうぬぼれである。

 これはまた、その後のためにも有用である。娘は自分の騎士を知らねばならない。今日、肉体
的な美しさがおしゃれの流行によって、完全に背後に押しやられることがなかったならば、がに
またのいまいましいユダヤ人の私生児によって、多数の娘がまよわされることはまったくなくな
ったであろう。また、美しい肉体を見つけだし、協力して、新たに美しい子どもを民族に送ると
いうことは、国民の利益にもなる。

 今日、ドイツに軍隊教育がなく、したがって平時にわれわれのほかの教育によってゆるがせに
されていたものを、少なくとも部分的に埋めあわせる唯一の施設が除かれてしまっているがため
に、これらすべてのことはもちろん最も緊急なことであるだろう。そして軍隊教育でも、その結
果はただ一人一人が訓練されていたというだけでなく、両性の関係にもそれが及ぼした影響があ
ったのだ。若い娘は軍人以外のものより軍人のほうを好んだのだった。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
543 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:38:10.35 ID:trmLr24W0
イギリスとユダヤ人

イギリスでは事情はより困難である。この「もっとも自由な民主主
義」の国では、ユダヤ人は世論と言う間接的手段により、今日でもまだほとんど無制限に独裁的
ふるまいをしている。そしてなおこの国でも、イギリスの国家的利益を擁護する人々とユダヤ人
の世界独裁の戦士達との間の絶えざる格闘が存在しているのである。
 この対決のどれほど猛烈な衝突がしばしばくり返されているかは、戦後に始めて、一方ではイ
ギリスの国家指導者の、他方では新聞の、日本問題に関するさまざまな態度の中にきわめて明瞭
にみうことができた。

 大戦が終結するや否や、アメリカと日本相互間の古くからの不和が再び表面に現れ始めた。
もちろん、ヨーロッパの世界大国もこの新しい迫りくる戦争の危険に対して無関心のままでい
ることはできなかった。あらゆる血縁的結合にもかかわらず、イギリス国内では、国際経済政
策・強権政策のすべての面にわかるアメリカ合衆国の成長に対するある種のしっと的な懸念の感
情が盛り上がらざるえあいのである。以前の植民地、偉大な母国の子どもから、世界の新しい支
配者が立ち現われるように思える。イギリスが今日心配に満ち満ちた焦慮から自国の古い日英
同盟を再吟味し、もはや、

 「海の支配者イギリス!」ではなく、「合衆国の海!」と呼ばれるようになる時点をおそる
おそるイギリスの政治がじっと待ち受けているとしても理解できぬことではない。
 処女地の莫大な資源を持った、どでかいアメリカ巨人国家には、周囲から締め付けられている
ドイツ国より一層手出しが困難である。いつかこの国とも最後の決戦をかけたさい振るような
事態になるとすれば、イギリスが自分の力だけに依存することは命取りになるだろう。したがっ
て黄色いこぶしと握手することを熱望し、人種的に考えればあるいは許しがたいことかも知れぬ
が、政治的には、興隆を目指しているアメリカ大陸に対抗するイギリスの世界的地位強化の唯一
の可能性のある同盟にしがみついている。

 それゆえ、イギリスの国家指導者は、ヨーロッパの戦場で共同して戦争したのにもかかわらず、
アジアの相手国との同盟がぐらつくようなことを決心したくはなかったのだが、あらゆるユダヤ
人新聞はこの同盟の背面を攻撃した。
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
546 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:38:23.20 ID:trmLr24W0
一九一八年まではドイツ国に対するイギリスの戦争の忠実なたて持ちであったユダヤ人の機関
が、いまや突然裏切りを働きわが道を行くなどということは、どうして可能なのか?
 ドイツの絶滅はイギリスの利益ではなく、第一にユダヤ人の利益であったが、まったくこれと
同じように今日において日本を絶滅することもまたイギリスの国家的利益であるよりも、むし
ろユダヤ人の期待された世界帝国の指導者達の広大な願望に奉仕するものである。イギリスがこ
の世界での自国の地位を維持するために骨折っている時、ユダヤ人は世界征服のための攻撃を組
織している。

 ユダヤ人は今日のヨーロッパ諸国を、いわゆる西欧民主主義という間接的手段であれ、ロシア
のボルシェビズムによる直接的支配の形態であれ、とにかく、すでに自分の手の中で意思の自
由を失っている道具と見なしている。しかし、かれらは旧世界だけをそのようにろう絡している
にとどまらず、同じ運命は新世界にも迫っているのだ。ユダヤ人達はアメリカ合衆国の金融力の
支配者である。一年一年とかれらはますます一億二千万民衆の労働力の監督者の地位に上ってゆ
くのである。かれらの怒りを買いながらも、今日でもまだ完全に独立を保っている人々はまった
く少数しかいない。

 すれっからしの巧妙さでもってかれらは世論をこねあげて、そこから自分達の将来のための闘
争の道具を作り出すのである。
 すでにユダヤ人の最高の首領達は、諸民族を大規模にむさぼり食い尽くすというかれらに遺言的
に伝えられているモットーの成就が近づくのがみられると信じている。
 このように非国家化されてしまった植民地的な国家の大群の中で、ただ一つだけでも独立的な
国家が残っていさえすればその国はかれらの全仕事を最後の瞬間になおも崩壊させることができ
よう。なぜなら全世界をおおい尽すのでなければ、ボルシェビキ化された世界は存続しえな
いからである。
 ただの一国でも国家的エネルギーと偉大さをもち続けるとすれば、専制的なユダヤ人総督治下
の世界帝国は、この世界でのあらゆる暴政と同様、国家主義思想のもつ力に負けるだろうし、ま
た負けるに違いない。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
547 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:38:59.72 ID:trmLr24W0
文化的な高さは人種によって決まる

国家それ自体が一定の文化的な高さを創造するのでは
ない。国家はただ文化的高さの原因をなす人種を維持しうるだけである。そうでない場合には、
国家それ自体は幾世紀も同じ国家として存続するかも知れないが、その間に国家が人種の混合を
防止しない結果、文化的能力とそれによって条件付けられる民族の一般的な生活像は、とっくに
はなはだしい変化をこうもっているであろう。たとえば、今日の国家は形式的な機構としてなお
かくも長く、その存在をさもありそうにみせかけることができるが、しかし、わが民族体の人種
的中毒は、今日すでに恐ろしいまでに現れてきている文化的没落をまねいているのだ。
 そのように優秀な人類の存立の前提とあるものは、国家でもなく、この目的のために能力を有
する民族なのである。
 この能力は、原則的にいつも存在しているが、一定の外的条件を備えることによってのみ、
実際的成就にもたらされねばならないのである。文化的、創造的な才能を与えられている国民、
あるいはもっともよくいえば人種は、たとえ不都合な外的環境がこの素質を現実化することを許さ
ない時にも、潜在的にこの有用性を自己の中にもっているのである。

それゆえ、キリスト教以前のゲルマン民族を「文化なきもの」、
野蛮人と称することは、またたいへん不法なことなのである。
かれらは決してそのようなものではない。ただ、北方の郷土の峻厳さが、かれらの創造力の発展
をさまたげる事情のもとに、かれらを強いていたにすぎないのだ。もしもかれらが、古代ギリシ
ヤ、ローマの世界がなかったとしても、南の気候のよい広野に来て、劣等民族の素材の中に最
初の技術的手段を獲得していたならば、かれらの中にあどろんでいた文化形成力は、たとえばギ
リシヤ人の場合のようにまさしくらんまんたる花を開いたであろう。しかし、この文化創造の原
動力自体は、また、北方性の気候からだけ生ずるのではない。ラプラント人を南につれてきても、
エスキモー人と同様にほとんど文化らしいものをつくりえないであろう。そうだ、このすばらし
い創造的な形成力は、まさしくアーリア人種に授けられたものであり、かれらがこれを自己の
中に眠らせておくか、あるいは目覚めた生活を与えるかは、よい環境がこれを許すかあるいは荒
涼たる自然がこれをさまたげるかによるのである。   

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
550 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:39:22.28 ID:trmLr24W0
国家社会主義の国家観

国家は目的のための手段である。国家の目的は同種の人間の共同社
会を肉体的および精神的に維持し、助成させることである。この維持ということ自体は、第一に人
種的存立を含んでおり、かくしてこの人種の中にまどろんでいるあらゆる諸力を自由に発展させ
ることを許すのである。この能力のうち、一部はつねに、まず第一に、肉体的生活の維持に役立
ち他の部分のみが精神的発展の促進に役立つのだ。だが、事実上、つねに前者は後者の前提を
なすのである。この目的に奉仕しない国家は、できそこないであり、実に奇形である。かかる国
家が事実上存在したとしても、海賊団の成功が掠奪行為を正当化することができなにのとかわりない。

 われわれ国家社会主義者は、新しい世界観の主張者として有名な「事実ーただし、そのうえ誤
っているーの基礎」に立ってはならない。こういう場合には、われわれはもはや新しい偉大な理
念の主張者ではなく、今日のうそつきクーリーになるだろう。われわれは容器としての国家と、
内容としての人種との間を、このうえもなく厳然と区別すべきである。この容器はその内容を維
持し、保護することができた時にこそ意味をもつのであり、そうでない場合には無価値である。

 そのうえ、民族主義国家の最高の目的は、文化供給者としてより高い人類の美と品位をつくり
だす人種の本源的要素の維持を心がけることである。われわれはアーリア人種として、国家のも
とに、この民族の維持を保障するだけにとどまらず、その精神性、理念的能力をいっそう育成す
ることによって、最高の自由にまで導く民族のいきいきした有機体だけを考えることができるのである。

 けれども、今日、われわれに国家として押しつけようとしているものは、たいていは、その結果
としてあらわれる、いうにいわれぬ悲しみをともなった、最も深い人類の迷いの産物にすぎない。

 われわれ国家社会主義者は、こういう観念でもって、今日の世界では、革命家として立っており、
また、革命家としてらく印をおされることを知っている。だが、われわれが認識した真理に結びつい
ている義務によって、きめられるのである。さらにわれわれは、後世のより高い洞察がわれわれ
の今日の行動を、理解するにとどまらず、正当なものとして確認し、尊敬するだろうということ
を確信してよいだろう。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
553 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:39:45.60 ID:trmLr24W0
世界史は少数のものによって作られる。

悪意はないが無批判で無関心な、あるいは現状の維
持にだけ興味を持っている無数の大群が、われわれに対立している。われわれが強力に闘っても、
勝利の見込みはなさそうに思えるが、まさしくわれわれの課題の偉大さやその成果の可能性の基
礎がそこにあるのである。小心者を、はじめから追いはらってしまうか、あるいはきおくれさせ
てしまう鬨の声、これが真の闘士の集合の合図になるのだ。そして、以下のことを、人々はは
っきりしておかねばならない。すなわち、ある民族から最高のエネルギーと実行力をもった一定
数のものが、一つの目標のために団結して現われ、したがって、大衆の怠惰さから決定的にぬけ
だしたならば、このわずかのパーセントのものは全体の支配者に高まったのである。そのときに
世界史は少数者によってー数におけるこの少数者の中に意思と決断力の多数者が顕現するとき
ー作られるのである。

 それゆえ、今日多くのものには、困難に思えるかも知れないものが、実際には、われわれの勝
利の前提なのである。まさしくわれわれの課題の偉大さや困難さの中にこそ、闘争のために最良
の闘士だけが見いだされる確率が多いのだ。そして、このような選抜の中にこそ成功に対する保
証があるのだ。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
555 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:40:19.62 ID:trmLr24W0
宣伝はただ大衆に対してのみ

すなわち宣伝はだれに向けられるべきか? 常識あるインテリゲンツィアに対してか、あるいは教養
の低い大衆に対してか?

 宣伝はただ大衆にのみ向けられるべきである!

 インテリゲンツィアや、今日遺憾ながら往々にしてインテリと称するものに対しては、宣伝は
不用で、学術的教化というものがある。しかし、宣伝はその内容上学問ではない。それはポスター
がその表現自体およそ芸術でないのと同じである。ポスターの技術は、形や色によって大衆の注
意をひきつける企画者の技術にある。芸術展覧会のポスターはただその展覧会の芸術に注意をう
ながすべきである。これが達成できればされるほど、ポスターそれ自体の技術はさらに偉大であ
る。ポスターは大衆に展覧会の意義にちての観念を紹介すべきである。しかし決してそこに出
品されている芸術の代用品であってはならない。だから芸術そのものに没頭しようとするものは、
ポスターを研究する以上に研究しなければならない。実際それにはただ展覧会を「ぶらつく」だ
けでは決してじゅうぶんではない。かれには、個々の作品の徹底的な観察に沈潜し、そしてだん
だんと公正な判断を形成することが、期待されてよい。
 今日われわれが宣伝ということばで呼んでいるものも、また事情は似ている。


宣伝の課題

宣伝の課題は、個々人の学問的な形式ではなく、ある一定の事実、ある過程、
必然性等に大衆の注意を促すことにある。そのために宣伝の意義は、まず大衆の視野にまでずら
されねばならない。
 それだからその技術は、すぐれた方法で、ある事実の現実性、ある過程の必然性、必要なもの
の正当性等について、一般的確信ができるようにするところにのみもっぱら存する。しかし宣伝
はそれ自体必要なものではなく、またそうではありえず、その課題はまさしく、ポスターのばあ
いと同様に、大衆の注意を喚起することでなければならず、もともと学問的経験のあるものや、
教養を求め洞察をうるために努力しているものの教化にあるのではないから、その作用はいつも
より多く感情に向かい、いわゆる知性に対してはおおいに制限しなければならない。

 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で、最低級
のものがわかる程度に調整すべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、
純粋の知的高度はますます低くしなければならない。しかし戦争貫徹のための宣伝のときのよう
に、全民衆を効果圏に引き入れることが問題になるときには、知的に高い前提を避けるという注
意は、いくらしてもじゅうぶんすぎるということはない。
 宣伝の学術的な余計なものが少なければ少ないほど、そしてそれがもっぱら大衆の感情をいっ
そう考慮すればするほど、効果はますます的確になる。しかもこれが、その宣伝が正しいか誤り
であるかの最良の証左であり、二、三の学者や美術青年を満足させたかどうかではない。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
556 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:40:55.23 ID:trmLr24W0
破局は潜行性疾病よりはよい

ドイツ民族にとって、潜行性疾病の期間が突然このように
恐ろしい破局によって縮められたということは、おそらく、大変幸福なことだったと考えてよい。
なぜならそうでなかった場合には、国民はおそらくゆるやかではあるが、だがそれより確実
に滅亡したであろう。病気は、あるいは慢性になったかも知れなかったのにしかし崩壊という
急性の形式をとることになって、少なくともより多数の民衆の目に明瞭に認められることとなっ
た。人間が結核よりもペストのほうを容易に支配できたのは偶然ではなかった。一方は恐るべき、
人類の眠りをさます死の波浪となってやってくるが、他方はゆっくりと潜行的にやってくる。一
方は途方もない恐怖を起こさせるが、途方は次第に冷淡にさせる。しかしその結果として、人間は
一方に対しては少しの容赦もなく精力を傾けて当ったが、他方では結核を弱体な手段でくいとめ
ようと努めているのだ。したがって、人間はペストを支配したが、結核にはみずからが支配され
ている。
 民族体の疾病についてもまったく同じ関係にある。それが破局的に出現しない場合には、人間
は次第にそれに慣れてしまい、ついには、そのためにかなりの時が経ってからではあるが、なお
それだけいっそう確実に滅亡する。したがって、運命がこの緩慢な腐敗過程に干渉して、突然の
打撃でもって病気の結末を病人の目前にもたらすように決意するならば−もちろんいたましく
はあるが−まったく幸福なことである。というのも、そのような破局が以上のように終ること
が一度ならずあるからである。破局はそのような場合、いまやぎりぎりの決意によって始められ
る徹底的な治療の原因となりやすい。


病原体と病状

しかしそのような場合にも、なおその前提として、問題となっている疾
病の誘因となった内面的な原因の認識がまた必要である。
 一番大切なことは、ここでもまた病原体を、それによってひきおこされた病状から、区別する
ことである。この区別は、民族体内に病毒が長く存在すればするほど、そしてこれが民族体にと
ってすでに自明な属性になっていればいるほど、それだけいっそう困難となるだろう。なぜなら、
人々は一定の期間が過ぎてしまうと、文句なしに有害である毒物を自己の民族性の構成要素と見
なしてしまうか、あるいはせいぜい必要悪として甘受するようになり、その結果、未知の病原体
の探求がもはや必要だとまったく考えなくなってしまうことが、きわめて容易に起こりうるからで
ある。
 そのようにして、戦前の長い平和な時代にはある疾患がひじょうによく現われていたし、しか
も疾患として認識されていたのだ。しかしながら、人々はその病原体については、若干の例外を
除いてはほとんど気にしなかった。この例外というのは、ここでもまた、主として経済生活の現
象のことであった。これらの経済現象は個々人にとって、他の全領域に現われるような疾患より
もいっそう強く意識された。
 真剣な熟慮を行わなければならないような多くの没落の徴候が存在していた。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
559 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:41:25.03 ID:trmLr24W0
貨幣の支配

だが国民の商業化がもたらしたその他の結果現象は、それよりいっそう悪かった。
経済が国家の決定的支配者の地位にのぼるのにきっちり応じて、貨幣は神となり、あらゆる
ものはこれに奉仕し、だれもがこの前に屈服しなければならなかった。天上の神々はますます時
代遅れで、すたれたものとなり、隅のほうへしまわれてしまい、代わりにマンモンの偶像に香がたか
れた。まことに困った堕落が始まった。国民にとって、他のどの時代にもまして危機の襲来が予
想され、極度の英雄的信念が必要である、そんな時代に堕落が始まったのだから、とくに困った
ものであった。ドイツは「平和的、経済的な労働」の道を歩んで日々のパンを確保する努力を、
いつかは武力でもって擁護する覚悟をしなければならなかった。

 貨幣の支配は残念ながらそれに対してもっとも反対すべきだった地位から裁下された。つま
り、ドイツの皇帝はとくに貴族を新しい金融資本の勢力範囲に引き入れたのであるが、このことは
うまくゆかなかった

 ビスマルクさえも残念ながらこの点について、さし迫った危険を認識しな
かったことを、皇帝のためにもちろん熟慮してやらなければならない。しかしそれとともに、精
神的な美徳が実際上貨幣の価値の陰にかくれてしまった。なぜなら、そんな道をまず選んだので
あるから、剣の貴族がもうわずかのまに金融貴族の陰にかくれなければならなくなったのは明
らかなことだったからである。貨幣の操作・作戦のほうが戦闘よりも成功は容易である。したが
って真の英雄やあるいは政治家にとっても、手近かのユダヤ人の銀行家と取り引きさせられるの
はもう興味のないことであった。真に功績ある男は安っぽい勲章授与などにはもはや関心をもて
ず、自分には辞退したのである。しかし、このような事件の展開は、純粋に血液的な面で考えて
みても深く悲しむべきものであった。貴族はますます彼の生まれの人種的前提を失い、大部分は
むしろ「卑族」とでも呼ばれたほうがずっと似合うほどになった。
 個人の所有権が徐々に排除され、株式会社の所有に全経済が次第に移行したことは、重大な経
済的没落現象であった。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
560 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:42:18.53 ID:trmLr24W0
民族精神の売春化

 だが、これらのことをなんでも軽率に引き受けようとするくせのある人は、この疾病のまんえ
んについての基礎的統計を一度でも研究し、この百年間に見られた増加を比較し、その後にこの
先の病気の進展を立ち入って考えてみるがよかろう。−そして、もし不愉快な寒気が背筋を走る
のを覚えないようであったら、その人はまったくロバくらいの単純な頭の持ち主にちがいない!
 旧ドイツ国においてすでに、そのように恐るべき現象に対してとられた態度は弱々しく、また
中途半端であったことは、民族の堕落を明白に表す徴候と評価されてよいだろう。もし、自己
の健康のために闘争する力がもはや存在していないとするならば、この闘争の世界において生き
る権利は消滅する。この世界は力に満ちた「完全な人」のものであり、弱々しい「中途半端な
人」のものではない。
 旧帝国のもっとも明白な没落現象の一つは、一般の文化程度が次第に低下したことであった。
ここで、わたしは文化と言う言葉でもって、現在、文明と呼ばれているものを考えているのでは
ない。文明というものはむしろ反対にほんとうの精神水準、および生活水準の敵であるように思
われる。
 今世紀になる以前にすでに、その当時までは完全に異常なもの、未知数的なものとみなされえて
いた要素が、われわれの芸術の中に割り込んでき始めた。たしかに、より以前の時代にもしばし
ば趣味の脱線がみられたが、しかしそのような場合でも、なお後世の人々が少なくともある種の
歴史的価値を承認できるような、そういった芸術家的脱線であって、およそ、もはや芸術家的な
どというものではなく、むしろ愚鈍さにまでおちこんだ、精神的頽廃の生み出す産物などではな
かった。後になればもちろんより明白になってくるところの政治的崩壊が、これらの脱線の中で
すでに文化的に予想され始めたのである。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
562 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:42:38.94 ID:trmLr24W0
芸術のボルシェビズム

芸術のボルシェビズムは、ボルシェビズム一般の唯一可能な文化的生活形式であり、精神的
表現である。

 このことを不審に思う人は、ついにボルシェビズム化された国々の芸術を考えさえすればよ
い。そうすれば、驚くべきことに、われわれが今世紀になってからキュービズムだとか、ダダイ
ズムといった総括的概念でもって知り合いになっている精神的錯乱、退廃的人間の病的な奇形が、
それらの国で国家的に公認された芸術として賛美されているのがみられるだろう。この現象は、バ
イエルンの人民委員会共和国という短い期間にあってさえ、もう現われたのである。すでに、こ
こに人々はあらゆる公の広告だとか、新聞の宣伝図案などが、どれほどはっきりと政治的退廃だ
けでなく、文化的退廃そのものを表していることかを知ることができた。

 およそ六十年ほど以前には、今日生じているほどの大きさをもった政治的崩壊は考えられなか
ったように、千九百年以来、未来派や、立体派の描写に示され始めた文化的退廃も、当時はまだ
考えられなかった。六十年前には、いわゆるダダイズム的「体験」の展覧会はまったく不可能と
思われたことだろうし、その主催者たちなどは精神病院に入れられたことだろう。それなのに今
日では、かれらは芸術協会で司会さえしているのである。この疾病は当時には、顔をのぞかすこ
とができなかった。

なぜなら、世論がそれをがまんしなかったし、国家が静観するはずもなかっ
たからである。なにしろ、国民が精神的錯乱の手中に追い立てられるのを阻止するのは、国家管
理に属する仕事だからである。しかし、このような事件の展開はおそらくいつかは、精神錯乱に
終るに違いない。すなわち、この種の芸術が、実際に一般の人々の判断と一致するようなそんな
時代には、人類のもっとも重大な変化の一つが生じていることだろう。人間の頭脳の退化は、そ
れとともに始まっているに違いないが、しかし、人々はけっしてその終末を予断することはでき
ないだろう。

 まずこの観点から、この二十五年間に起ったわれわれの文化生活の展開を眺めるとき、すぐに、
どれほどわれわれがもうこの退化にひきこまれてしまっているかをみて驚くだろう。われわれは
いたるところで、われわれの文化を遅かれ、早かれ、破滅させるに違いない流行の始まりとまる
徴候にぶつかる。これらの流行の中にも、われわれは次第に腐ってゆく世界の没落現象を見るこ
とができる。この病気をもはや克服できないような民族に災いあれ!

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
564 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:43:07.48 ID:trmLr24W0
演劇の堕落

そのような病気はドイツでは、芸術や、文化一般のほとんどすべての分野で確
認することができた。そこでは、すべてのものが峠を通り越してしまって、深淵へと急いでいる
ように見えた。演劇は目立って深く落ち込んだ。そして、少なくとも宮廷劇場が芸術の売春化に、
なおもさからっていなかったならば、演劇はおそらく当時すでに、完全に文化要素として失格し
たことだろう。宮廷劇場と、その他二、三のあっぱれな例外を除けば、舞台で上演されるものは
それを見にゆくのをまったく避けたほうが、国民にとって、より有用であるゆな種類のもので
あった。こうした、いわゆる「芸術の殿堂」の大部分にもはや青年をゆかせることがまったく禁
じられたということは、内部堕落の悲しい徴候であった。そのことは、「未成年ははいること
ができません!」という一般的な観覧注意でもって、まったく恥しらずだが、しばしば公認され
さえしたのでる。
 第一に青年の教養のために存在すべきであって、けっして、年とって、倦怠した年齢層の楽
しみに奉仕するものでは在ってはならぬ場所で、このような予防策がとられなければならなかったこ
とを考えてみよう。あらゆる時代の偉大な劇作家は、このような処置に対して、いったいなんと
いうだろうか? とりわけ、そのような処置をとらせた事情に対して、なんというだろうか?
シラーだったら、どんなに怒りを燃え上がらせたことだろうか? またゲーテなら、どんなに憤慨
してそっぽをむいたことだろうか!


偉大な過去の誹謗

しかし、明らかにシラーもゲーテも、あるいはシェークスピアも近代ド
イツ詩文学のヒーローたちにとっては、実際なんの意味もないのだ!シラーらは古い陳腐な時代遅
れの、否、克服されてしまった亡霊である。すなわちこの時代の特徴なのだが、かれら自身がただけ
がらわしい作品を生産したばかりではなく、おまけに過去のあらゆる真に偉大な作品が、かれらによ
って冒とくされたのである。もちろんこのようなことは、そうした時代にはいつも見られる現象である。
ある時代の、そしてその時代の人々の創作物が卑しく、みじめであればあるほど、それだけ以前
の時代のより偉大な高尚さと、品位の証人は憎まれるのだ。このような時代には、人々はなによりも
好んで、人類の過去の記念物を一般的に抹殺し、その結果として、あらゆる比較可能性を取り去って
しまい、自分のいかさま物を相変わらず「芸術」であるかのように、うまく見せかけるだろう。した
がって、どんな新しい制度もそれがみじめで、あさましいものであればあるほど、それだけ過ぎ去
った時代の証拠を徹底的にぬぐい去ろうと一心になる。他方、あらゆる真に価値のある人類の革新は、
むとんちゃくにも、過去の世代が残した、すぐれた成果に結びつくことができる、いやそれどころか、
しばしばそれらの成果を、はじめて一般に認めさせようと努力さえするのである。そうした革新は。
過去と比較されて、色あせてしまうことを少しも恐れる必要がなく、進んで、人類文化の共有財産に
非常な価値のある貢献をするのである。したがってそうした革新はしばしば、まさにその貢献の価値
を十分に認めさせるために、過去の作品そのものの回想の火をかき立てるだろう。つまりはそうして
新しい贈物がいよいよ確実に現代人の十分な理解をうるためにである。ただ、自分からは価値あるも
のをまったくなにもこの世に贈ることができないのに、さもなにかたいしたものを、この世に与えよ
うなどというものにかぎり、現実に存在しているすべてのものを憎み、またもっとも好んで、
否認し、あるいは抹殺さえするであろう。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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566 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:43:28.00 ID:trmLr24W0
ボルシェビズムの精神的準備

だからして、わが国の戦前における全文化状態に関するも
っとも悲しむべきことは、ただ芸術的、一般文化的な想像力の完全な無能だけでなく、より偉大
な過去の記念物を冒涜し抹殺した憎悪であった。ほとんど、芸術、とくに演劇、文学のあらゆる
領域にわたって、世紀の変わり目の前後から、価値ある新作が生産され始めたというよりは、むし
ろ最良の古い作品が見下げられ、低劣なもの、克服されたものと言明されるようになり始めたの
である。まるで、このもっとも恥ずべき低劣な時代が、一般に、なにかを克服することができで
もするのかのようであった。しかし、このような過去を現代人の目から隠そうとする努力から、こ
れらの未来の使徒連中の悪意が、非常に明白に読み取られたのである。それによって人々は、こ
こで問題になっているのは、たとえばそれらは誤ったものであれ、ともかく新しい文化解釈ではな
いということ、またその反対に、文化一般の基礎を破壊させる過程と、これによって可能になる
健全な芸術感覚の白痴化が問題であること、を認識すべきであっただろう。−そしてさらには政
治上のボルシェビズムの精神的準備が問題であるのだ。なにしろ、ペリクレス時代がパルテノ
ンによって具体的に表現されているとすれば、ボルシェビズム的現代は立体派のこっけい
な絵で具現されているからである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
568 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:43:48.24 ID:trmLr24W0
「内面的体験」

それとの関係から、わが国民の一部にその結果再び現われてきている臆病に
ついても触れなければならない。かれらはその教養、および地位からして、この文化的恥辱に反抗
すべき義務があったと思われる人々である。自分たちの創作の精華を認めようとしてくれない人
間をこの上ない激しさで攻撃し、時代遅れの俗物だとレッテルをはる、ボルシェビズムの芸術
的使徒連中の叫び声に対する恐怖だけから、人々は真剣な抵抗をすべてあきらめ、まったくどう
思えようと、もう運命として従ったのである。人々はこれらの半バカや、山師どもから、無理解
をとがめられるのがまったくこわかったのである。人々がこのような精神的退廃や、狡猾なうそ
つきどもの作品を理解しないのは、まるで恥辱であるとでも思われているのだ。もちろん、この
文化信奉者は、自分たちのナンセンスに、いかにもすばらしいものという極印を押すための、非
常に簡単な手段を所有していた。つまりかれらはあらゆる理解不能で、明らかに狂っているナン
センスをばいわゆる内的体験であると、びっくりしている同時代の人々にいい聞かせていたの
だ。

 そしてこの場合、そのような安直なやり方でもってほとんどの人々の口から返す言葉を始め
から取り上げてしまっているのである。というのは、それもまた一つの内面的体験でありうるこ
とについては、まったく疑う余地はなかったからである。しかし健全な世界に精神病者や、犯罪
人の幻覚を提供しても差しつかえないかどうかについては、じゅうぶん疑いうるのである。モー
リッツ・フォン・シュヴィントやベックリンのような人々の作品もまた内面的体験であった。と
はいえそれらはまさしく天分豊かな芸術家の内面的体験であるにすぎず、けっして道化役者のそ
れではなかった。

 しかし、以上でもって、人々はわが国のいわゆるインテリのもつあわれな臆病さを非常によく
学ぶことができた。インテリたちは、わが国民の健全な本能のこうした毒化に対して、真剣な抵
抗をなまけ、この厚かましいナンセンスと折り合いをつける仕事を、国民自身に任せたのである。
芸術を理解できぬと見なされないために、人々はあらゆる芸術的愚ろうをがまんし、ついには、
善悪の判断がまったくあやしくなってしまったのである。

 しかし全体から見て、このことは悪化しつつある時代の徴候であった。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
571 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:44:26.13 ID:trmLr24W0
ブルジョア的「綱領委員会」

一九二〇年二月二十四日に、われわれの新運動の第一回大公
開大衆示威が行われた。ミュンヘンのホーフブロイハウスのフェストザールで、新党の二十五
ヶ条からなる綱領のテーゼが、約二千人の群集に示され、その各条が賛成の歓呼のもとに承認さ
れた。
 それとともに、実際がらくたともいうべき因襲的観念や見解や、ばくぜんとした、むしろ有害
な諸目標を一掃すべき闘争の指導原理と方針が、はじめて与えられた。腐敗したひきょうなブル
ジョア社会と、マルクシズムの征服の大波のような凱旋行列の中に、宿命の車を最後の瞬間に静
止させようとする新しい力が、現われたのである。
 この新運動が、この巨大な闘争のために必要な意義と必須の力とを得るためには、政治的生活
に一つの新しい選挙のスローガンを強要するのではなく、原理的な重要性をもった一つの新しい
世界観が先頭に立っているのだという神聖な信念を、はじめから同士の心の中に目ざめさせるこ
とが必要である、と思われたことはもちろんであった。
 いわゆる「政党綱領」が通常、いかにあさましい観点からでっちあげられ、時々磨きをかけら
れたり、作り直されたりするか、を考えてみる必要がある。このような綱領の作られそこねたも
のを評価するのに必要な理解力を得るためには、特にこれらブルジョア的「綱領委員会」を動かし
ている動機を、厳密に吟味してみなければならない。
 綱領を新しく決定したり、あるいは従来の綱領を変更したりするのは、いつもただ、一つの心
配があるからである。すなわち次の選挙の成り行きが心配だからだ。これら議会の政治家たちの
頭に、親愛なる民衆がまたもや反逆し、古い政党という馬車から脱走しそうだと言う心配がかす
かに浮かんでくるとただちに、かれらは車のながえを新たにぬりかえるのが常である。そうすると、
占星術師や政党天文学者−いわゆる「経験豊かな」「老練な」、たいていは老いぼれた議会屋が
やってくる。

かれらはその「豊富な政治的修行時代」に、大衆がついに堪忍袋の緒をきらしたこ
れと似かよっている場合を思い出すことができるので、同様なことがまたしても切迫していると
感ずるのである。そこでかれらは古い処方箋を持ち出して「委員会」をつくり、親愛なる民衆の
間を聞いてまわり、新聞記事を探し、親愛なる多数の民衆が何を好み、何をきらい、そして何を
望んでいるかをようやくかぎつける。すべての職業群、むろんすべての使用人階級はあますとこ
ろなく調査され、かれらの最も秘密な欲求まで研究される。そうすると危険視していた反対党の
「不快なスローガン」であったはずのものもまた、にわかに再検討する必要があることになり、
そしてまったく無害な、古くからわが党でとうぜんのこととして認められてきたことにさえなっ
て、このスローガンを本来、発明し、宣伝した党をアゼンたらしめることもまれではないのであ
る。
 そこでいろいろの委員会が集まって、古い綱領を「改訂」し、新しい綱領を制定し、そこで各
人にその欲するものが与えられるということになる。(その場合紳士方は、戦場にいる兵士が古
いシャツがシラミだらけになると、新しいのととりかえるよおうに、自分の確信をサッサと変えて
しまうのだ)。農民は農業保護を、工業家は製品保護を、消費者は購買力の保護を受け、教員は
俸給が増加し、官吏は恩給が改善され、寡婦や孤児は国家がじゅうぶんに配慮するはずであり、
交通は便利になり、料金は値下げされ、しかも税金は全部といわぬまでもかなり軽減されるは
ずである。けれどもある階級のことを忘れたり、あるいは民衆の間で広まっている要求を聞
きもらしたりすることが、たびたび起る。そうすると平均的な俗物やかれらの妻君たちの群がふ
たたび落ち着いて満足するだろうと見当がついて、安ずることができるようになるまで、押しこ
められるものはなんでも、最後のドタン場で大急ぎでつぎはぎ式に押しこんでしまうのだ。そう
すると人々は内心で準備なれりとし、親愛なる神と、有権者市民の度しがたい愚鈍さに信頼して、
かれらのいうところのドイツ国を新しく形成するための闘争をはじめることができるのである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
575 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:45:01.63 ID:trmLr24W0
「民衆代表」の生活から

さて選挙日がすんで議員たちも四年間のための最後の民衆大会を
すませてしまい、大衆愚民を馴養することから、より高級で快適な課題を処理することに移るよ
うになると、綱領委員会はふたたび消滅する。そしてあれこれを新しく形成するための闘争も、
ふたたび愛すべき日々のパンのための−議員によってこれが歳費と称されるのだが−闘争の
形をとるようになる。

 毎朝この民衆代表氏は、議会へ行く、ずっと奥へはいらないまでも、少なくとも出席簿のある
控室までは行く。民衆のために衰弱せんばかりに奉仕して、かれはそこで名前を書き込む、そし
てとうぜんの賃銀として、この不断の疲労こんぱいにする辛苦に対するわずかばかりの報酬をうけ
とるのである。

 四年後、あるいはその他議会会社の解散がふたたび間近になった危機的な数週間がつづくと、
紳士方にはにわかに制御しがたい衝動が襲ってくる。地虫がこがね虫に変る以外に方法がないよう
に、これらの議会の毛虫どもは、大きな共同の人形の家を去って、羽をはやして親愛なる民衆の
もとへ飛んで行く。かれはふたたび選挙民に演説し、自分がどんなに活躍したかをならびたて、
他のものが悪意をもち頑迷であるかについて語る。しかし無理解な大衆からは感謝の拍手のかわ
りに、しばしば乱暴な、実に憎悪にみちたことばを浴びせかけられるのである。こうした民衆の
忘恩がある程度まで高まったときには、唯一の手段が残る。すなわちもう一度政党に磨きが
かけられる。綱領は改善される必要があり、委員会は新たに息を吹きかえし、そしてまたはじめ
からペテンがくりかえされる。われわれ人間の度しがたい愚かさをみれば、その効果について驚
くにはあたらない。新聞にあやつられ、新しい魅力的な綱領に目をくらまされて、「ブルジョア」
たると「プロレタリア」たるとにかかわらずその無定見な選挙人は、もとどおり同じ厩舎にもど
り、そしてもとのペテン師を選んでしまうのだ。

 こうして生産階級の代表者や候補者はふたたび議会の毛虫に変じ、そして四年後にまたもやき
らびやかな蝶に変身するために、国家生活の演技にとまって、たらふく食いあらすのだ。

 この全体の経緯を、その冷厳な現実において眺め、このようなぎまんがいつもくりかえされる
のを見なければならなことほど、われわれを憂うつにするものはない。

 マルクシズムの組織だった勢力との闘争を闘い抜くような力が、かかる精神的培養基からブル
ジョア陣営に生まれてこないのは、とうぜんである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
576 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:45:36.70 ID:trmLr24W0
マルクシズムと民主主義の原理

紳士諸氏はまた決して本気でこのことを考えていないの
だ。この白色人種の議会の病気直しの魔法使いたちの、よく知られている偏狭固陋さや精神的劣
等さを見れば、かれら自身、西欧民主主義の道をたどってマルクシズムの教説と闘っているのだ、
とまじめに自負することはできないのだ。マルクシズムにとって民主主義およびそれと関係して、
いるすべてのものは、最善の場合でも敵を無力にし、そしてかってに自由を欲する道を行くため
に用いる目的到達の手段にすぎないのである。すなわちマルクシズムの一部は、いまのところ非
常に老獪なやり方で民主主義の諸原則と不可分に結合しているのだと真実らしくみせかけようと
しているが、人々はこれらの紳士諸君が危急の時に、西欧民主主義的意味での多数決を三文の価
値もないと考えていたことを、どうか忘れないでほしい! ブルジョア代議士たちが、その記念
たそのときに、その間にマルクシズムは町の浮浪者や逃亡兵や政党ゴロやユダヤ人文士らの群と
いっしょにサッサと政権をうばいとり、その種の民主主義に音高く平手打ちをくらわせるこ
とが起ったのだ。だからその場合そのようなブルジョア民主主義を奉じている議会の魔術師の人
の好さではたしかに、現在あるいは将来において、この世界的ペスト菌の保持者、関与者の野獣
のような決心がかんたんに西欧的議会主義の呪文の文句で封じられるだろう、と妄想しているよ
うなものだった。
 マルクシズムは、国民的精神を絶滅してやろうと決めているのだが、自己の犯罪目的のため
にたとい間接的にせよ支持をうけるかぎり、民主主義といっしょに進むだろう。しかし、われ
われの議会主義的民主主義の魔法の釜からとつぜん多数者を沸きたたせ−そしてそれがただ正
当な多数決の立法にのみよるとしても−本気でマルクシズムを弾圧しようとしているという確
信に、今日到達するならば、議会のまやかしはただちに終りをつげるであろう。赤色インターナ
ショナルの旗手たちは、さらに民主主義の良心に訴えるかわりに、プロレタリア大衆にもえるよ
うな檄を発する。そしてかれらの闘争は、わが議会のカビくさい議場の空気から一挙に工場で、
また街頭で根をはるだろう。

民主主義はそれでもってかんたんに片づけられてしまうだろう。そ
して議会における民衆の使徒の知的な要領のよさではできなかったことが、煽動されたプロレタ
リア大衆の鉄槌やハンマーで、ちょうど一九一八年秋と同様に電光石火のように達せられるであ
ろう。すなわち、西欧民主主義のやり方でユダヤ人の世界制覇に対抗できるなどとうぬぼれるこ
とが、いかに狂気じみているかを、それらはブルジョア社会の人々を痛切にわからせてくれるだ
ろう。
 規則などはいつか高飛車な態度に出るときや、あるいは自分の利益になるときにだけ存在し
ていて、自分の得にならないとなるやいなや投げすててしまうような博徒を相手にして、規則に
しばりつけられているということは、前にいったようにまったくお人好しにほかならないの
である。
 とにかく、いわゆるブルジョア的な立場の政党の場合にはすべて、その全政治的闘争というも
のは、事実上ただ個々の議席をつかみあいすることだけである。その時にはいろいろの立場や原
則はご都合次第で船の砂袋のように海中に投げだされてしまう。だからかれらの綱領ももちろん
またそれに応じていいかげんに定められており−もちろん逆に−また、かれらの力もそれに
応じて貧弱である。ブルジョア政党には、偉大なすぐれた視点からする信服させるにたる印象と、
その印象を無条件に信頼させるにたる説得力でもって大衆をいつも従え、この印象を固守してい
こうとする狂信的な闘争意欲とを結合させるような偉大な磁石のような魅力が、欠けているので
ある。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
578 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:45:55.84 ID:trmLr24W0
世界観対世界観

しかし、一方でおそろしく破壊的な一つの世界観があらゆる武器をもって
現存の秩序を撹乱しようとしているときには、他方は、それ自身一つの新しい、われわれの場合
には一つの新しい政治的信念の形を見につけ、そして弱々しいもろい防衛的スローガンをやめて、
勇敢にものすごい攻撃の鬨の声をあげることと交代させたときだけつねに対抗することができる
のだ。
 だから、とくにバイエルン中央党あたりのいわゆる国民的ブルジョア的大臣たちから、われわ
れの今日の運動が「革命」を志しているなどとシャレた非難をうけるか、そういうしろ
うと的政論好きな一寸法師に対してはただ次のように答えるだけである。そうだとも、われわれ
はおまえたちが犯罪に値するようなバカさで怠ってきたことを埋めあわせようとしているだけな
のだ。おまえたちの議会主義的醜取引の原則によって、国民たちは奈落にひきずりこまれたのだ。
ところがわれわれは攻撃の形をとって新しい世界観をうちたて、その根本原理を熱狂的に断固と
して守ることによって、いつかわが民族が自由の殿堂をふたたびのぼりうるための階段を築くの
だ、と。
 それゆえ、われわれの運動の創始時代の第一の配慮はいつも、この新しい崇高な信念のための
闘士たちの軍勢が、単なる議会的利益促進団体にならぬように警戒することに向けられねばなら
なかったのである。
 その第一の予防処置は、それでなくてもその内面的な偉大さだけで、今日の政党政治家の小さ
く弱々しい精神を追いはらってしまうにたる目標にかなった発展をするにちがいない綱領をつく
ることであった。
 そして、われわれが、綱領によって、目標とする点を明白に形成する必要があると認めていた
ことが、いかに正しかったかは、ドイツをついに崩壊にまで導いた、あの宿命的な欠陥をみれば
最もはっきりとわかったのである。
 これらを認識すれば、一つの新しい国家観が形成されるにちがいないのだ。その新しい国家観
自体、新しい世界観の本質的に不可分の構成要素なのである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
580 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:46:42.16 ID:trmLr24W0
読書法

もちろんわたしは「読むこと」を、いわゆる「インテリゲンツィア」の大部分のの
のとは、おそらくいくらか違ったものとして理解しているのである。
 際限もなく多く「読む」人、一冊一冊、一字一字読む人々を、わたしは知っている。けれども
わたしはかれらを「博識」ということはできない。かれらはもちろん多量の「知識」を持ってい
る。だがかれらの頭脳は、自分にとり入れたこの材料を分類したり、整理したりすることを知ら
ない。かれらには、本の中から自分にとって価値あるものと価値なきものを選別する技術が欠け、
さらにあるものはいつも頭の中に保持し、あるものはできるなら無視するというように、どんな
場合にも無用なやっかい物を引きずっていくことをしないという技術が欠けている。その上、
読書というものは、それ自身目的ではなく、目的のための手段である。第一に読書は、各人の素
質、能力を引き出し、骨組みを充実させるための助力すべきものである。だから読書は、各人が
自己の職業に−これが原始的なパンかせぎであろうと、あるいは比較的高級な使命を満足する
ためであろうとまったく同じなのだが−必要な道具や資材を供給すべきである。しかし第二に、
読書は一般的な世界観を媒介すべきものである。だがいずれの場合にもまた読書は、その時々に読ん
だ内容が、本の記述の順序や、あまつさえ読んだ本の順序に従って記憶にとどめられるのではなく、
モザイク様の石のように、一般的世界像の中でそれらに与えられるべき地位に場所を占め、そして
読者の頭の中にこの像を形成する助けとなることが必要である。そうでない場合には、覚えこん
だがらくたから錯綜した混乱が生じる。それは無価値であるだけでなく、他方においてその不幸
な持ち主をうぬぼれさせる。というのは、かれは実際に大まじめに「教養がある」と信じ、人生
に関して何か理解しており、知識を持っていると信じているからである。であるのに、かれはこ
の種の「教養」が新たに増すにつれ、世の中の実際にますます遠ざかり、サナトリウムでか、あ
るいは「政治家」として議会で生涯を終えるにいたるのがまれでないのである。

そうした頭を持っているものは、決してかれの混乱した「知識」の中から、時代の要求に適合
したものを引き出すことができない。というのはかれの精神的重荷は、生活の線にそって整理さ
れておらず、かれが読んだ書物の順序にそって、またその内容がかれの頭の中に入ってきた順序
にしたがって、場所を占めているからである。もしも運命がかれの毎日の生活の要求にしたがっ
て、かれにいつもかつて読んだものを正しく適用するように警告するならば、運命はもう一度本と
ページ数とを述べなければならない。そうでない場合は、このあわれなやつは、永久に正しいも
のを見いだすことができないからである。しかし運命はそうしないから、この九倍もりこうなや
つは、危機的なときにはいつも極度にあわて、けいれんを起さんばかりに同じ場所をさがし、そ
してもちろん非常に確実にまちがった「処方箋」をつかむのである。
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581 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:47:03.71 ID:trmLr24W0
 もしそうでないなら、人々は病理学的素質のかわしに、やくざのような卑劣さを持っているの
だ、と信じる以外に、最高の地位にいるわが教養豊かな政府の英雄の政治的行為を理解すること
ができないのである。
 しかし正しい読書技術を持っているものは、どんな本、どんな雑誌やパンフレットを読んで
も、有用であるかあるいは一般に知っておく価値があるという理由で、長く記憶すべきだと考え
るすべてのものにただちに注意するだろう。こうした方法で得られたものが、あれこれの問題に
ついて、すでにどうにか頭の中にある観念像の中で意味ある場所を見いだすやいなや、それが誤
りを正したり、その像の正確さや明瞭さを高めてくれるのである。いま人生に、突然なんらかの
検討や解決を要する問題があるとするならば、こういう方法で書物を読んでいるなら、ただちに
既存の観念像の基準をとらえ、そこからこの問題に関係している過去十年間に集められた個々に
役立つものをすべて引き出し、問題を解明したり、解決したりするまで検討したり、新しい検分
をしたりするために、知性を提供するのである。

 読書は、その時にのみ意義と目的を持つのである。
 たとえば、そうした方法で必要な手がかりをかれの知性に提供したい演説者は、その見解がい
かに正しく、また現実にかなっていても、抗弁のさいにむりやり自分の見解を弁護しうるほど
の立場には決して立ちえないのである。すべての討論のさいに、記憶が侮蔑的にかれを見すてる。
かれは自分自身で主張していることを証明する根拠も、反対者を反駁する根拠も見いだせない
のだ。それも演説者の場合のように、なにはさておきただかれ個人の恥をさらすのであるかぎり
は、まだ我慢しうる。だが、運命がそのように博識家ではあるが無能力者を国家の指導者に任命
したならば、さらに悪くなる。
 わたしは若い時からずっと、正しく読むことに努力してきた。それと同時にさいわいにも記憶
力や理解力がよかった。そしてその意味ではヴィーン時代はわたしにとって、得るところも多く、
価値のある時代であった。日々の生活経験は、いろいろの問題をつねに新しく研究しようとする
刺激になった。ついには現実を理論的に基礎づけ、理論を実際で試そうという姿勢をとったため、
わたしは、理論の中で窒息してしまったり、現実の中で浅薄化されたりすることからまぬがれた
のである。
 このようにして、この時代に、社会問題以外に二つの最も重要な問題について、日常生活の経
験から、その最も徹底的、理論的な研究に対して、心を決め、刺激されたのである。
 そのころ、もしもこの問題にまったく没頭しなかったならば、わたしはマルクシズムの教説と
本質に一度も沈潜する時がなかっただろう。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
583 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:47:35.47 ID:trmLr24W0
「民族主義的」と言う概念

すでに第一巻で、「民族主義的」ということばが、概念的にあま
り不明瞭なための一つの団結せる闘争団体を形成することができないように思えるという程度に、
このことばを説明しておいた。今日では、お互いの見解の本質的な点ですべてたいへん遠くにかけ
はなれているものが、みんな「民族主義的」という同義語のもとにのさばってる。だからわた
しは、いま国家社会主義ドイツ労働者党の課題と目標に移るまえに、「民族主義的」という概念
とそれの党運動との関係を説明しておこうと思う。
 「民族主義的」という概念は、「宗教的」ということばとほぼ同じように、明確に限定されて
おらず、いろいろ違った意味に解釈できるし、また、実際にいろいろ勝手な意味に使われてい
るように思える。このことばの中に何かまったく厳密なものを想定することは、思想的に把握す
るという意味においても、実際の働き方の意味からも、非常にむずかしい。「宗教的」というこ
とばにしても、このことばのはたらき方が一定の明瞭な形をとったときに、はじめて概念の上で
把握しうるのである。

ある人をその性質が「内面的に非常に宗教的」であるという場合、それは
結構だがおおむねまたつまらない説明である。たしかに少数の人は、そうしたまったく一般的な
レッテルをつけられて自分自身満足感をおぼえるだろう。そのうえかれらは一定の多少ともそ
の精神状態のはっきりした像を媒介することができるかも知れない。しかし、大部分のものは、
哲学者でも聖者でもないから、こんなまったく一般的な宗教的理念では、たいてい一人一人にそ
れぞれちがった考えや行ないを自由に与えることを意味するだけであり、なんといっても内心の
宗教的渇望が、純粋の形而上的な無限の思考の世界の中から、明確な特定の信仰が形成されたと
きに生ずるような、あの効験にいたることもないのである。この信仰なるものはたしかにそれ自
身目的ではなく、目的のための手段にすぎない。だがそれは目的一般に到達しうるためには不可
欠の手段である。しかしこの目的は単に概念的なものではなく、究極においてはすぐれて実践的
な目的なのである。人々は一般に、最も崇高な美の尊さが、けっきょく、ただ倫理的な合目的性
の中にだけ存するとまったく同様に、最高の理想はつねに最も深刻な生活の必要に即していると
いうことを知らねばならない。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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586 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:47:53.71 ID:trmLr24W0
宗教的な感じから疑いを許さぬ信仰へ

信仰と言うものは、人間を動物的な無為の生活の水
準から高めるにあずかって力があるのだから、信仰は実際に人間の存在を確固としたものにし、
安全にすめるために、貢献しているのである。もし人々が宗教教育を全廃してしまい、そして、宗
教と等価値のものによって補うこともせず、今日の人類から宗教教育によって保たれている宗教
的=信仰的な基準−それはその実際的意味では倫理的=道徳的原則であるが−をとりさって
しまうと仮定するならば、人々はその結果、人間存在の基礎が強く動揺することがわかるだろう。
 かくして人間はたしかに、高い理想に奉仕するために生きているばかりでなく、また逆にこの
高い理想が人間としての存在の前提をなしていると考えてよい。そのように循環が形づくられて
いるのだ。
 すでにこの「宗教的」という一般的表現の中にはもちろんまた、たとえば霊魂の不滅とか、存
在の永遠さとか、神の存在等の個々の原則的な考え方や確信が存在している。ただしこれらの考
え方はすべて、それが個人にとってどれほどなっとくいくものであっても、感情的な予感や
認識が疑いを許さぬ信仰の合法的な力を得ない間は、これらの個々の人々の批判的吟味のもとに
あり、したがって肯定あるいは否定という動揺状態にあるものである。この疑いを許さぬ信仰こ
そ、まず第一に、宗教的な根本的概念を認めることに突破口を開き、道をつくってやる闘争の原
動力なのだ。
 この明確なはっきりした信仰なしには、宗教心はその不明瞭な多様性のために人間生活にとっ
て価値がないばかりではなく、おそらくは一般的混乱をもたらすことになるだろう。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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587 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:48:17.28 ID:trmLr24W0
民族的感覚から政治的信条へ

「民族主義的」ということばについても、「宗教的」な概念と
同じようなことがあてはまる。また民族主義的ということばにも、すでにさまざまな根本的認識
がそこにある。これらの認識もまたりっぱな意義をもっているかも知れないが、形式が明瞭でな
いために、ある政党のわく内で根本的な要素として把握されるときには、多少とも認めるにたる
意見にまで、その価値をまず高めなければならない。というのは、ただ漠然と憧れているだけで
自由を獲得することができないのと同じように、一つの世界観に合った理想とその理想から導き
だされた要求というものは、人間の純粋な感情や内心の欲求だけでは実現できないからである。
そうだ、独立への理想の衝動が、戦闘組織を軍事的権力手段という形で獲得したときにはじめて、
民族のその渇望している要求は、りっぱな現実にうつすことができるのである。

 すべての世界観というものは、それがまったく正しく、人類のためにこの上もなく価値あるも
のであっても、その根本原則がある闘争運動の旗印にならないときには、民族生活の実際の形成
にとっけは無意味なものであろうし、また一方その活動が理念の勝利として終りをつげ、その党
のドグマが一民族の共同社会の新しい国家的原則を形成しないかぎり、党として存在していかねば
ならないのだ。

 しかしある一般的な精神的観念を、将来の発展の基礎として役だたせようとするならば、さ
らにその第一の前提となるものは、この観念の本質、種類および範囲について徹底的に明らかに
するということである。というのは、そういう基礎の上にこそ、それらの信念が内面的に等質性
をえて、闘争に必要な力を発展せしめうるような運動が形成されるからだ。一般的観念から政治
的なプログラムがつくられ、ある一般的世界観から一定の政治的信念が形づくられねばならない
のだ。その信念は、その目標が実際に到達しうるものでなければならないから、ただ理念それ自
体に奉仕するだけではなく、この理念の勝利獲得のために存在し、またそのために用いられる闘争
手段についても、考慮を払わなければならない。綱領立案者が布告するような抽象的には正しい
精神的観念に、政治家の実際的な認識が結びつかねばならない。そのように、人類の導きの星と
しての永遠の理想は、この人類の弱点を顧慮して、一般の人間の欠点によって挫折しないために
はじめから、遺憾ながら妥協せざるをえないようである。永遠の真理や理想というような国から、
人間という小さな存在に可能なものをひき出し、それに具体的形態を与えるためには、民衆の心
理を知るものが真理の探究者に協力しなければならない。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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588 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:48:31.15 ID:trmLr24W0
演説の意義

今日、文筆にたずさわる騎士やうぬぼれ屋はみんな、次のようなことをよく覚えてお
くがいい。すなわちこの世界における最も偉大な革命は、決してガチョウの羽ペンで導かれたも
のではないのだ!ということを。
 そうだ、ペンはつねに革命を理論的に基礎づけることだけが残されている。
 だが、宗教的、政治的方法での偉大な歴史的なだれを起こした力は、永遠の昔から語られること
ばの魔力だった。
 おおぜいの民衆はなによりもまず、つねに演説の力のみが土台となっている。そして偉大な運
動はすべて大衆運動であり、人間的情熱と精神的感受性の火山の爆発であり、困窮の残忍な女神
によって煽動されたか、大衆のもとに投げこまれたことばの放火用たいまつによってかきたてら
れたからであり、美を論ずる文士やサロンの英雄のレモン水のような心情吐露によってではない
のである。
 民族の運命はただ熱い情熱の流れだけが、転換させることができる。そして情熱はただ情熱を
みずからの中にもっているものだけがめざめさせることができるのである。
 さらに情熱のみが、情熱によって選ばれたものに対して、ハンマーでたたくように、民衆の心
の扉を開きうることばを与えるのである。
 しかし情熱がほとばしらず、口が閉じられているものを、天は自己の意思の告知者に選んだこ
とはない。
 それゆえすべての文筆家は、知性と知識がこのためにじゅうぶんであるならば「理論的」に実証
するために、インキ壷のそばにおればよい。しかしかれは指導者として生まれでたのでもなけれ
ば、指導者に選ばれたものでもない。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
592 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:49:12.26 ID:trmLr24W0
ブルジョア的「大衆集会」

一九一九年から二〇年にかけて、また一九二一年にも、わたしは、
自身でいわゆる市民大会に出席した。それはわたしにいつも、子どものころに飲まされた一さじ
の肝油のような印象を与えたものだ。人々は肝油を飲むべきであり肝油はたいへんよいにちがい
ない。だが、それはとほうもない味がするものだ! ドイツ民衆を縄でしばりあげ、むりやり
ブルジョア的「示威運動」にひっぱりこみ、すべての演説が終ってしまうまでとびらを閉じて、
出さないようにするならば、おそらく数世紀したならば効果があらわれるかも知れない。だが、
腹蔵なくいうならば、人生はわたくしにとってまったくおもしろくなくなるだろうし、さらに、
もはやいっそのことドイツ人たることをやめたくなるに違いない。だが、ありがたいことには、
人々はそうできないのであるから、健全な堕落していない民衆が、悪魔が聖水を避けるように、
「大衆集会」を避けるとしても、人々は驚くにはあたらないのである。
 わたしは、かれらも、すなわちブルジョア的世界観の予言者たちを知った。そしてかれらがなぜ
語られることばになんの意義も与えないのかということに、実際上驚かずに、それを理解したの
だった。わたしは当時民主党、ドイツ国家人民党、ドイツ人民党や、またバイエルン人民党(バ
イエルン中央党)の集会に出てみた。そのときただちに奇異に感じたことはm長州が同種のもの
の集まりであることだった。こういう示威大会に参加するものは、ほとんどつねにその党に属す
るものだけであった。なんの規律もない全体は、たったいまこのうえもなく大きな革命を経験し
てきた民衆の大会というよりも、むしろ退屈なトランプ遊びのクラブに似ていた。
 この平和な気分を維持するために、報告者たちは、なしうるかぎりすべてのことを、案にたが
わずやっているのだった。かれらは才知にあふれた新聞論調か、学術論文のような文体で語り
−より適切にいえばたいてい式辞を朗読しているのだが−迫力あることばをすべて避け、し
ばしば弱々しい大学教授的シャレをさしはさむ。そうすると尊敬すべき幹部のテーブルでは義務
的に笑いはじめる。大声にでも扇動的にでもなく笑い、上品に声をひそめて、遠慮がちに笑うの
である。

 そしてそもそも、この幹部のテーブルはどうなのだ!
 わたしは一度ミュンヘンのワーグナー・ザールでのある集会を見たことがある。それはライプ
ツィヒ戦勝記念日の再開にさいしての示威であった。演説はどこかの大学の上品な老教授氏が
やった、というよりは朗読した。壇上には幹部がすわっていた。左手には片メガネ、右手にも片
メガネ、そしてその間に片メガネなしの一人の人がいる。三人がすべてフロックコートを着てい
る。だから人々はまさに処刑をもくろんでいる裁判所か、おごそかな幼児洗礼か、いずれにせよ
こうしたもっと宗教的な祝聖別式でもやるかのような印象をもつのだ。いわゆる演説−それは、
おそらく印刷されていてまったく美しく見えるだろうが−は、その効果においてまったくおそ
るべきものであった。四十五分も経過すると、全会場が恍惚でねむっている。この恍惚状態は、
一人ずつ男女が出ていくことや、ウェイトレスのガチャガチャさせる音や、だんだん大きくなる
聴衆のあくびによって破られるだけである。三人の労働者−かれらは好奇心からか、あるいは
役目を命ぜられてか集会に出席していて、その後にわたしがいたのだが−が、ときどきかくれ
てニヤニヤ笑って眼を見合わせ、ついにはお互いにヒジでつつきあって、まったく静かに講堂を
立ち去った。人々は集会が妨害するに値しなかったということを、かれらの態度から見てとった
のである。こんな集会ではまた実際に妨害は不必要だった。ついに集会が終りに近づいたように
みえた。教授が−教授の声はますます小さくなっていたのだが−かれの講演を終えると、二
人の片メガネの間にすわっていた集会の管理者が立ちあがり、来場の「ドイツ男女同胞」に呼び
かけた。教授某氏が得るところの多く、根本的、徹底的にここで行われた比類のない、りっぱ
な、そしてことばの真の意味における「内的体験」というか、実に一つの「業績」である講演に
対して、いかに感謝していることか、また、みなさんの感じもそうであるに違いない。このよう
な透徹した論述に討論をつけ加えようとすることは、この神聖な時を汚すことを意味するであろ
う。
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
595 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:49:55.32 ID:trmLr24W0
 であるから出席者全員の意思でそういう討議は度外視して、そのかわりにみんなで「われら
唯一の民族同胞」の叫びに唱和するために起立してほしいなどというのだ。かれは最後にドイツ
チュラントの歌を歌うことで会を閉じることを求めたのだ
 そしてかれらは歌った。わたしには、ちょうど第二節ではやくも声が小さくなり、リフレーン
のところだけふたたび力強くなったように思えた。そして第三節にいたっては、この感じが強
くなり、だからわたしはみんなが文句をはっきり知らないのではないか、と思った。
 だが、そういう歌をひとりのドイツ国家主義的魂をもったものが、心からの熱情で天に向かっ
て驚かせるならば、これは大した問題ではない。
 それに続いて集会は終った、つまり誰もが、あるものはビールを飲もうとして、あるものはカ
フェーへ行こうとして、さらにあるものは新鮮な空気を吸うために、早く出ようといそぐのだ。
 そうだとも。空気の新鮮な外へ、ただ外へ出るのだ! これがまたわたしが感じた唯一のもの
だった。そしてこれが何十万のプロイセン人やドイツ人の英雄的闘争を賛美するために奉仕すべ
きことなのか? チェッ、畜生、くたばりやがれだ!
 もちろん政府は、このようなことが好きなのだ。もちろんこれは「平和な」集会である。
これなら安寧秩序のための大臣は、実際に感激の大波がとつぜんに、当局が定めた市民的端正さ
を破るかも知れないと心配する必要はない。とつぜん、感激に興奮して人々が会場から流れ出し、
カフェーやレストランに急ぐのでなく、四列に並んで足なみそろえて、「誉れぞ高きドイツ国」
を歌いながら、街頭を後進し、こうして治安にきゅうきゅうとしている警察に面倒をかけるなど
と、心配する必要もないのだ。
 そうだ、そういう国家の市民でもって、人々は満足することができるのである。


国家社会主義の大衆集会

これに反して、国家社会主義の大衆集会は、もちろん「低罠」
集会ではなかった。そこでは、実に二種類の世界観の大波がたがいに衝突する。そして集会は、
なにか愛国的な歌を単調に歌って終るのではなく、民族主義的、国家主義的熱情の熱狂的な爆発
でもって閉じるのである。
 われわれの集会では盲目的な規律を導入し、集会幹部の権威を無条件に確保することが、最初
からただちに重要であった。というのは、われわれがしゃべることは、ブルジョア的な「報告
者」のような無気力なムダ口ではなく、内容や形式によって、つねに相手を怒らせて抗弁せしめ
るようなものであったからである。そしてわれわれの集会には相手がいたのだ! かれらが数人
の扇動者をその中にまじえて、きょうこそはおまえたちと決をつけるぞ、という確信をみんなの
顔面に反映させながら、大挙してきたことが、どんなにしばしばあったことか!
 そうだ。当時かれら、すなわち赤色のわが友人たちが、今晩こそあらゆるガラクタを投げあっ
て、すべて結末をつけてしまおうと、あらかじめ任務を教えこまれて、文字どおり縦隊になって
ひきつれてこられたことが何度あったか知れない。さらにまたすべてが一触即発の状態であった
こともしばしばだった。そして、わが集会幹部の仮借なきエネルギーと、われわれの会場防衛者
の断固とした猪突猛進性が、つねに敵の企図を阻止しえたのであった。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
598 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:50:21.30 ID:trmLr24W0
疑わしい赤いポスター

きっとわれわれのポスターの赤色が、かれらをわれわれの集会場に
ひきつけたのだ。普通の市民は、われわれもまたボルシェヴィキの赤を選んだことに、まったく
驚いた。そして人々はそこに実に二種類の問題をみつけだすのだ。ドイツ国家人民党の連中は、
われわれもまたつまるところマルクシズムの変種にすぎないだろう、一般に覆面のマルクシスト
か、よくても覆面の社会主義者にすぎないだろうという嫌疑を、いつもこそこそささやいていた。
というのはこれらの人々は今日もなお社会主義とマルクシズムの区別を把握していないからであ
る。特に、われわれが、われわれの集会で原則として「紳士ならびに淑女諸君」と挨拶せずに、
「男女同胞諸君」と挨拶し、われわれの間ではただ党員についてのみ語られるということをなお
発見したとき、多くのわれわれの敵にとってはマルクス主義的幽霊が実証されているように思え
たのだ。われわれはこの単純なブルジョア的小心者が、われわれの由来とか、われわれの意図と
か目的とかについて、かしこそうに謎を解いているのを見て、なん度こう笑したかわからないく
らいだ。
 われわれは綿密に、徹底的に熟考して、これによって左翼を刺激し、憤激させ、かれらをわれ
われの集会にくるように誘発し、かれらをたたきのめす−それだけであるが−ためにポスタ
ーに赤色を選んだのだ。それによって、われわれはこうして一般に世人に語ることができたのだ
った。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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599 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:50:42.86 ID:trmLr24W0
マルクス主義者の動揺せる戦術

このころに、われわれの敵の戦術がたえず動揺して、途方
にくれており、また援助もないのを見て、追撃していくことは、すばらしいことであった。まず
かれらは、かれらの支持者に対して、われわれに注意せず、われわれの集会を避けるように勧告し
ていた。
 これはまた一般にじゅん守された。
 だが、時がたつにつれて、それにもかかわらず個々に集まってき、その数は徐々にではあるが
しかしだんだんと増加し、われわれの教説の印象が明白だったので、その指導者たちも次第に神
経質に、不安になってきた。そしてかれらは、この発展を永久に傍観していてはならず、テロで
始末しなければならない、という確信にこりかたまったのである。
 その結果、われわれの集会の代表者の「君主制的、反動的扇動」にプロレタリアートの鉄拳を
みまうために、「階級意識にめざめたプロレタリア」に、いまや大挙してわれわれの集会に行く
べしという教唆が発せられた。
 そこでわれわれの集会は、突然に開会四十五分前に早くも労働者でいっぱいになった。かれら
は火薬だるまと同じで、いつ爆発するか、しでに火縄に火がついているようなものだった。だがい
つも反対の結果になった。人々はわれわれの敵としてはいってくるが、われわれの支持者となら
ないまでも、自分たちの教説の正しさを考えて、実際批判的な検討者となって、出て行くのだっ
た。

そこで、かれらの指導者たちは、はじめてほんとうに不安になってきた。そしてすでに以
前にこの戦術に反対して、労働者に原則としてわれわれの集会へ出席することを禁止することだ
けが正しいのだという意見をいまやさももっともらしく論じている人々のいうことを、ふたたび
聞くようになったのである。
 そこで、かれらはもはやこなくなったか、きてもわずかだった。だがしばらくすると、この演
技がすべて、はじめから新たにはじまったのだ。
 だが禁止は守られない。同志はだんだんとふえてくる。そしてついにふたたび急進戦術の支持者
が勝つ。われわれをたたきのめさなければならないのだ、と。
 さらに、二回、三回、しばしば八回も十回もの集会が開かれた後に、集会を解散させるなどと
いうことは、いうはやすく行なうは難しということがわかり、そして集会のたびごとの結果が赤
色闘争軍の崩壊を意味するということがわかると、とつぜんまた他の合言葉があらわれた。「プ
ロレタリアの男女同士諸君! 国家社会主義の扇動者の集会を避けよ!」 と。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
601 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:51:06.87 ID:trmLr24W0
敵がわれわれを一般に知らせる

ともかく、これと同じようなたえず動揺する戦術を、人々
は赤の新聞でも見いだした。かれらは、われわれをしばらく黙殺しようとする。この試みの無益
さを確信し、そしてふたたび反対のやりかたをするためにだ。われわれは毎日どこかで「言及」
された。そして実際、たいていは、労働者にわれわれの存在のすべてが笑止千万きわまりないこ
とを説明するためだった。だがしばらくすると、現象がそれほど笑うべきものであったなら、な
ぜ人々はその現象にそんなに多くのことばをついやすのか、という疑問が自然に多くの個々の人
々から生じてきたときに、これはわれわれに害にならないばかりか、反対に利益になるというこ
とを、紳士方は感じたにちがいなかった。世人が好奇心をもってきたのだ。かれらはとつじょ、
方向を転ずる。そしれ、しばらくの間は、われわれは人類の真の元凶として取扱われはじめた。
論説につぐ論説で、われわれの犯罪性の解説がされ、つぎからつぎへと新たに証明される。はじめ
から最後まで、でっち上げであるが、スキャンダルがさらに余計なものとしてはたらくというこ
とになる。だがこういう攻撃の効果のなさについては、かれらもしばらくするとわかったらしい。
つまるところ、これらすべては、実際に一般の注意をはじめてほんとうにわれわれに集中するの
を助けただけである。
 わたしは当時、次のような立場をとっていた。すなわち、かれらがわれわれを笑おうと、のの
しろうと、道化役として、あるいは犯罪者として言明しようと、まったく同じである。かれらが
われわれに言及し、かれらがたえずわれわれのことに没頭し、われわれが次第に労働者自身の目
に実際に、目下ただ一つだけまだ対決している力があるのだと思われることが、主要事なのだ。
われわれは実際何であるか、われわれは実際何を欲しているのか、われわれは将来いつの日かユ
ダヤの新聞の暴徒たちにたしかに示してやるだろう。

当時なぜわれわれの集会が、たいていじかい強制解散にいたるまでいたらなかったかという理由は、
もちろん、またわれわれの敵の指導者たちのまったく信じられぬほどの臆病さにあった。危機的
場面にはいつも、かれらはわかいバカなやつを前に出して、せいぜい会場の外で強制的解散の結
果を待っているのだった。
 われわれはほとんどいつも、紳士方の意図に非常によく通じていた。われわれが、それが有効
であるということ自体のために多くの党員を、赤色部隊の中へ編入していたからというだけでな
く、赤の黒幕たち自身が−残念ながらわれわれドイツ民族に一般に非常にしばしば見られるよ
うに、この場合われわれにとって非常に有利なじょう舌にかられていたからでもあるが、かれら
は何か悪事をたくらみだしたときには、秘密を守ることができない。そしてかれらはたいてい卵
も生まないうえに、コケコッコとやるのがつねだったのだ。だから赤色強制解散司令部自体が追
いだされる時期が切迫している予感さえもつことなしに、われわれはたびたびこのうえもなく
周到な準備をしたのだった。
 このころは、われわれ自身で、集会の警護をどうしてもやらなければならなかった。当局の警
護はあてにすることができなかった。反対である。当局の警備は、経験によると、つねに妨害者
のためになるだけだった。というのは、当局の介入、しかも警察による介入の唯一の結果は、せ
いぜい集会の解散、つまり閉会だったからである。またいうまでもなく、それが敵の妨害者たち
の唯一の目標であり、意図だったのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
【ドイツ】「わが闘争」ベストセラーに 再出版、8.5万部★2©2ch.net
603 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [Kotchian]:2017/01/04(水) 10:51:32.11 ID:trmLr24W0
不法な警察のやり方

一般に警察では、考えうるかぎりの最もひどい不法なやり方で訓練さ
れていた。すなわち、脅迫かなにかによって、集会の強制解散の危険があることが当局に知れる
と、当局は脅迫者を拘引せずに、他のもの、すなわち罪のないものに集会を禁ずるのだった。そうい
うやり方を普通の警察の連中は、非常に法外に自負している。これを称して「法律違反の防止に
対する予防処置」という。
 かくして覚悟をきめた常習犯罪者は、いつでもまじめな人々に政治運動や政治活動を不可能
にすることができるのだ。安寧秩序の名において、国家権威が常習犯罪者に屈服し、そして他の
側には、すまないがかれらを挑発しないようにと頼むのである。このように国家社会主義者がど
こかで集会を開こうとし、労働組合が、それは組合員の側から抵抗がおこるだろうといえば、警
察はこれらの恐かつ者どもを獄に投ずるようなことは断じてせずに、われわれに集会禁止を命ず
るのである。いやそれのみか、この法の機関は信じがたいほど無恥であり、文書でわれわれにこ
れを数え切れないほどなん度も通知してきたのである。
 人々がこうした万一の場合に身を守ろうとするならば、こうして妨害をしようとするあらゆる
試みを、あらかじめ萌芽のうちに不可能にするよう配慮しなければならなかった。
 だがこれとともにさらに次のことが問題になった。すなわち、警護をもっぱら警察にやっても
らうような集会は、すべて大衆の目からみれば、その開催者が信用を落とすということである。た
だ大動員した警官を配置することによってのみ開催が保障されるような集会は、仮想の民衆を獲
得する前提というものが、つねに目に見えて存在している力であるかぎり、勧誘的な効果はない。
臆病者よりも勇気のある男のほうが女性の心を屈服しやすいのと同じように、警察の警護によ
ってのみ存続しているようなひきょうな運動よりも、勇ましい運動のほうが、民衆の心を獲得し
やすいのである。

特に最後にのべた理由から、この若い党は、自己の存在をみずから主張し、みずから守り、
そして敵のテロをみずから破るように配慮しなければならなかった。

 心理的に正しい集会管理   集会警備は、
一、集会のエネルギッシュな、心理的に正しい管理と、
二、組織的な整理隊
によって樹立された。
 われわれ国家社会主義者が、当時集会を開催したよきには、集会の支配者はわれわれであり、
他のものではなかった。そしてわれわれはこの支配権をたえず、どんな瞬間にも極度に鮮明に強
調した。われわれの敵は、当時挑発的名ものは容赦なくたたき出されるということを、じゅうぶ
んに知っていた。そしてわれわれのほうが五百人の中のわずか十二人にすぎなくてもだ。当時の
集会、とりわけミュンヘン以外のところでの集会においては、国家社会主義者が十五、六人であ
ったのに対し、敵は五百人、六百人、七百人、八百人であった。だがわれわれは、それにもかか
わらず挑戦に対して寛容ではなかったはずである。そしてわれわれが、屈服するよりは打ち殺
されたほうがましだと考えていることは、われわれの集会の出席者が非常によく知っていた。小
人数の党員がわめき、なぐりかかる赤の優勢な力に対して、豪胆にやり通したことは、一度なら
ずしばしばのことであった。
 もちろんこういう場合に、十五人や二十人ではついに圧倒されてしまったであろう。だが、そ
の前に少なくとも敵は二倍か三倍かは頭をたたきこわされるだろうということを知っていた。そし
てかれらは生命の危険をおかすことを好まなかったのだ。
 われわれはここでマルクス主義者やブルジョアの集会技術の研究から学ぼうとし、そしてまた
学びとったのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
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