- 【国際】「イスラム教徒がクリスマスに反対し、キリスト教徒の死刑を要求」 クーデター未遂後、トルコのキリスト教徒の将来に懸念高まる©2ch.net
868 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:11:31.44 ID:HJNob6BP0 - 第一七七節 キリスト教について
キリスト教について公平に判断するためには、キリスト教以前にあったもの、キリスト教によって駆 逐されたものを考察しなければならない。第一はギリシア・ローマの異教だ。これは民衆形而上学と考 えた場合、ほんらい特定の教義もなく、はっきり言いあらわされた倫理もなく、それどころか真の道徳 的意図もなく、聖典さえもっていないきわめて取るにたらぬ現象であって、宗教の名にほとんど値しな いものであり、むしろ空想の遊戯、民間童話を題材にして詩人がでっちあげたこしらえたものにすぎず、 せいぜい自然の威力の明らかな擬人化にほかならない。こういう子供じみた宗教を大のおとなが本気に したとは、ほとんど考えられぬことだ。それにもかかわらず、古人の著書の多くの箇所は、それが本気 であったことを証明している。とりわけヴァレリウス・マクシムスの第一巻、さらにまたヘロドトスの 多くの個所がそうであるが、わたしはそのなかでヘロドトスがまるで老婆のような語り口で彼自身の意 見を述べている最終巻・第六五章を指摘するにとどめておく。時代が進み、進歩した哲学があらわれる と、この子供じみた宗教を本気にすることは、もちろんなくなった。おかげでキリスト教は、この国家 宗教を、外面的には国家の支えがあったにもかかわらず、押しのけることができるようになったのだ。 しかし、この国家宗教がギリシア最盛期においてさえ本気にされなかったということ、それはあたかも 近世におけるキリスト教と同様であり、またアジアにおける仏教やバラモン教や、あるいはまた回教と 同様であったということ、したがって、古代人の多神教は一神教の単なる服数とはぜんぜん別のもので あったことは、アリストパネスの『蛙』がじゅうぶんに証明している。この作品では、ディオニュソス がおよそ考えられるかぎりの最も憐れむべき馬鹿者・臆病者として登場し、衆人の嘲笑にさらされるの であるが、しかもこれはディオニュソス自身の祭典、ディオニシアで公然と演出されたものなのだ。―― キリスト教が駆逐しなければならなかった第二のものは、ユダヤ教であった。キリスト教はユダヤ教 の粗野な教義を純化し、言わず語らずのうちに寓話化したが、だいたいにおいてキリスト教はまったく 寓話的性質のものなのだ。というのは、俗世間で寓話とよばれるものが、宗教では教義と言われるの だからである。愛・宥和・敵に対する愛・諦念・我意の否定といった教えを、もっぱら――といっても 西洋では、ということだが――独自のものとしてもっている道徳においてだけでなく、もろもろの教義 においても、キリスト教がギリシア・ローマの異教やユダヤ教よりはるかにすぐれていることは、認め ざるえない。ところでどうしても真理を直接に把握できない大衆には、実際生活に対する手引きとし て、また慰めと希望の錨としてじゅうぶんまにあう美しい寓話以上に適当なものがあるだろうか。しか しこういう寓話には、寓話につきものの必然的要素として、いくらか理屈に合わないものが混入してく るのであって、キリスト教の教義を本来的意味で解するかぎり、ヴォルテールの言いぶんは当たってい るのだ。これに反し、寓話として受けとれば、キリスト教の教義は一種神聖な神話であり、それ以外に はどうしても民衆の手にはとどかないような真理を、民衆のもとまで運んでやる車の一種だ。それは ファエッロの唐草模様、あるいはまたルンゲの模様にくらべることもできよう。というのは、こうした 唐草模様はあきらかに不自然また不可能なことを表現しながらも、そこに深い意味が語りでているから だ。宗教の教義においては理性はまったく無力であり、盲目であり、しりぞけられるべきであるという 教会の主張も、つまるところその意味するところは、これらの教義が寓話的性質のもので、したがっ て、すべてを本来的意味に受けとる理性だけの物差では評価すべきでないということなのだ。教義の不 合理な点こそ、寓話的・神話的なものの烙印であり、符号なのだ。もっともキリスト教の教義につじつ まが合わない点が出てきたのは、旧約聖書と新約聖書といった異質の二つの教説を結びつける必要が あったためだ。
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869 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:12:50.65 ID:HJNob6BP0 - キリスト教のあの偉大な寓話は、偶然的な外的な事情を機縁として、これを解釈するこ
とにより徐々に成立したものだが、そこには、はっきり自覚されないながらも奥深いところに根ざす真 理が静かにかよっているのだ。この寓話が完成をみたのは、この寓話の意味を最も深く究め、ひとつの 体系的全体として把握する力をもち、欠けている点を補うことができたアウグスティヌスによってであ る。したがってアウグスティヌスの教説、さらにルターによって裏づけられた教説こそ、完全なキリス ト教なのであって、「啓示」を本来的意味にとって、救世主ただひとりに限定する今日の新教徒が主張 しているように、原始キリスト教が完全なキリスト教なのではない。――芽は食べられない、食べられ るのは実であるのと同じことだ。―― しかしあらゆる宗教の難点は、その寓話的性質を公然と標榜することができず、その点を隠す以外に 手はなく、したがってその教説を大まじめに本来的意味で真なるものとして持ちださざるをえないこと だ。教義に不合理な点があることは本質的に避けえないことなのだから、このことはたえずごまかしを つづけることになり、ひとつの大きな弊害となる。さらに困ったことは、時がたつにつれて、その教義 が本来的意味で真ではないことが明白になることで、こうなるとその教義は崩壊するのである。そのか ぎりにおいては、寓話的性質を宗教側ではじめから認めたほうが、ましであろう。しかし、あるものが 真でありうると同時に真でない場合もあるといったことを、どのように民衆に説いたらよいであろう か。あらゆる宗教が多かれ少なかれこういう性質をまぬかれないことを見るにつけても、われわれは、 つじつまの合わないことが人類にはある程度かなっているのであり、それどころか生活の一要素であ り、欺瞞が人類にとって不可欠であろうことを承認せざるをえない――これは他の現象によっても裏書き されていることだ。 上述したように旧約聖書と新約聖書を結びつけたために生じたつじつまの合わぬ点の例証となるの は、とりわけ、神の恩寵によって永遠の救いに予定されるというキリスト教の教義である。これはルタ ーの導きの星であるアウグスティヌスによってつくられた説で、甲は乙に優先して恩寵にあずかるとな すものであり、したがってこの恩寵は、来世というきわめて重要な問題について、生まれたときすでに 手に入れていて、そのままこの世にもちこんだ一種の特権ということになる。この説が不合理で気に くわない点があるというのも、人間が或る他の意志によってつくられたものであり、この意志によって 無から呼びだされたものだとする旧約聖書の前提から来ているのだ。これに反して――純粋な道徳的特 性がほんとうに生得的なものだという観点からみて――バラモン教や仏教の輪廻の前提では、この問題 はもっと筋の通った、まったく別の意義を帯びてくるのだ。というのはこの前提によれば、ある人が生 まれながらに持っているもの、すなわち前世という別の世界から携えてきて、他の人びとよりすぐれて いる点は、他からの贈り物ではなくて、前世で行なった自分自身の業績の結実にほかならぬからであ る。――ところでアウグスティヌスのあの教義には、さらに別の教義がつけ加えられている。すなわち それは、堕落して永劫の罪におちた人類大衆のなかからほんの少数の人だけが、神の恩寵によって選抜 されて、正しいものと認められ救われるけれども、それ以外の者は当然の堕落、すなわち永遠の地獄の 責め苦をまぬかれないという教義だ。
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871 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:13:39.36 ID:HJNob6BP0 - 本来的意味にとれば、この教義はここに至って腹立たしいものとなる。というのは、ときには二十年
にも満たないことのあるこの人生で犯した過失、あるいは不信仰を、この教義では永劫にわたる地獄の 刑罰によって、果てしもない苦悩であがなうことになるからだ。さらに、このほとんど一般的といって いい堕罪は、もとはといえば原罪の結果なのであり、したがって最初の人類の堕落の必然的な帰結とみ られていることだ。しかしこの最初の堕落など、神はあらかじめ見透していられたにきまっているでは ないか。そもそもはじめから人間をあまり上等に創っておかないでいて、そこに落ちることを承知のう えで、神は罠を仕掛けられたことになる。万物はあげて神の作品であり、神に隠されているものはなに ひとつないからだ。したがって神は、罪におちるような弱い人間を無から存在へ呼びだしておきなが ら、そのあとではこれを果てしのない苦悩にまかせて顧みないということになろう。さらに最後につけ 加えていいことは、寛容やあらゆる罪のゆるしを説き、敵を愛せよとまで定めている神が、自分ではそ れをひとつも実行しないで、むしろその正反対に落ち着くということだ。というのは、なにもかもが過 去になり永遠に終わったというとき、あらゆる事物の最後にあらわれる罰は、改善や威嚇を目的とする ことはありえぬことで、ただの復讐にすぎないからだ。このように見てくると、――どういう理由に よってか不明ではるが、恩寵の選抜によって救われる少数の例外者を除けば――全人類はじじつ、永 遠の苦悩と永劫の罰を受けるように決定され、故意にそのために創られているようにさえ思われてく る。例の少数者を問題外とすれば、まるで神さまは、悪魔にさらって行ってもらうために世界を創造し 給うたような結果になるのであって、それくらいならむしろ世界創造を中止されたほうが、はるかにま しだったということになろう。
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872 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:15:06.32 ID:HJNob6BP0 - >>870
仏教が外面的に、たまたまキリスト教と類似しているひとつの点は、仏教がその発生地では優勢では ないことで、つまりどちらも「予言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言わざるをえないことだ。 キリスト教がインドのいろいろな教えと一致していることを説明するために、あらゆる推測をほしい ままにするなら、エジプトへの逃避という福音書の覚え書の根底にはなにか史実があって、イエスがイ ンド起源の宗教をもつエジプトの僧侶たちによって教育され、彼らからインド的倫理と降化の概念を受 けいれ、のちに故国に帰ってからこれをユダヤの教義に適合させ、古い幹に接木しようと努めたのだ、 と仮定できるかもしれない。イエスは、自分が道徳的にも知的にもすぐれているという気持ちに駆られ て、ついに自分自身を一個の降化者と見るようになり、したがって自分を「人の子」とよび、ただの人 間以上の存在であることを暗示しようとしたのではあるまいか。一般に物それ自体としての意志には全 能の力があり、それはわれわれも動物磁気やこれに類する魔術的作用などから知っているところだが、 イエスもその意志が強固で純粋であったために、この全能の力によって、いわゆる奇蹟を行なうこと、 つまり意志の形而上学的感化を使って働きかけることができたのだとさえ考えられるであろう。この場 合にもやはりエジプトの僧侶たちの教育が役に立ったのであろう。そしてこうした奇蹟のかずかずを、 のちに伝説が拡大・増大したわけであろう。 というのは、本来の奇蹟というものは、どんな場合も、自然が自分自身にあたえる一種の否認であるは ずだからだ。ところで、パウロの主要な手紙はなんといってもほんとうのものであるにちがいないが、 そのパウロがしばらくまえに死んだばかりの人を、したがってその同時代者がたくさんまだ生きている という状況下で、どうして大まじめに受肉して人間となった神であり、世界創造者と同じものであると 説明できたかは、そういう前提のもとで、はじめていくらかのみこめるものになる。普通ならば、この 種の、またこの程度の、まじめに考えられた神化が徐々に熟してゆくには、何世紀もかかるはずだから だ。しかし他方ではパウロの手紙一般の真正さに対する反証を、ここから引き出してくることもできよう。 一般にわれわれの福音書の根底には、なんらかの原典、あるいはすくなくともイエス自身の時代と環 境に由来する断片ぐらいはあったと思われる。わたしがこういうことを推定するのは、世界の終末がお とずれて、主なる神が雲のなかに輝かしく再臨されるという、はなはだ不快な予言が行なわれており、 しかもそれは、この約束に立ち会った二、三の人びとがまだ生きているうちに実現するはずになってい た点からなのだ。ところがこの約束がいつまでたっても果たされなかったことは、じつに困った事情 で、後世になって物議をかもしただけでなく、すでにパウロやペテロも困りぬいていたのだ。このこと はライマールスのすぐれた著書『イエスとその使徒たちの目的について』第四二節から第四四節にかけ て詳論されているところである。さてもし福音書が約百年もたってから、当時存した記録もなしに著作 されたとしたら、それが実現しないことが不快にもすでに明白になっていたこの種の予言を福音書のな かにもちこまないような作者たちは気をつけただろうと推定されるのである。同様に、ライマールスが明 敏にも使徒たちの最初の体系と名づけているものにあたるあの個所を福音書に挿入することもなかった であろう。この体系に従えば、イエスは彼ら使徒たちにとって、ただ俗世における一介のユダヤ人解放 者にすぎなかったのだ。
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874 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:18:00.07 ID:HJNob6BP0 - >>873
それだけでは不十分だ。キリスト教の母体はバラモン教であり、 ユダヤ教の母体は拝火教だ。おまえみたいな一知半解なバカが 誤った宗教観念を日本に持ち込むんだよ。
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876 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:19:55.07 ID:HJNob6BP0 - 第一八五節
ヴェーダのサンヒターは、ウパニシャッドと同じ作者の手になるものでもなく、時代も違っている可能 性がある。ローゼンの訳したリグ・ヴェーダのサンヒター第一巻とスティーヴンソンの訳にかかるサ マ・ヴェーダのそれをあわせ読むと、そういう確信が得られる。いずれも祈祷と祭式からなっている が、かなり素朴な星辰崇拝の趣がある。ここで呼びかけられる最高神はインドラであり、インドラとと もに太陽・月・風・火があげられる。あらゆる讃歌をつうじ、これらのものにきわめて卑屈な追従の言 葉がささげられ、また犠牲もささげられる。牛・飲食・戦勝などに対する懇願もある。讃えられる唯一 の徳は、犠牲と、僧に施しものをすることだけである。 オルムズド(のちにこれがエホバになった)は(J.J.シュミットによれば)もともとインドラで あり、さらにミトラも太陽神であるから、ゾロアスター教徒の拝火はたぶんインドラとともにペルシア 人に渡ったものであろう。――ウパニシャッドは、まえにも述べたとおり、最高の人間叡智の産物であ る。これはまた学識のあるバラモンだけがひもとくべきことになっている。だからデュペロンも「ウパ ニシャッド」を「秘すべき神秘」(奥義書)と訳している。これに反しサンヒターは秘伝でなく、間接的 であるが一般人のためのものである。典礼、すなわちおおやけの祈祷や犠牲の儀式がその内容だから だ。したがって、右にあげた訳から判断すると、味のない読みものだ。もちろんコールブルックも『ヒ ンドゥー教徒の宗教的儀式について』と題する論文で、サンヒターの他の諸巻から讃歌を訳してくれて いるが、これはウパニシャッドに似た精神のいぶきを呼吸している。とりわけ第二の論文『形をとった精 神』などにある美しい讃歌はそうで、これはわたしが第一一五節で訳出しておいたところである。 第一八六節 巨大な石の寺院がインドに建てられた時代には、おそらく物を書く術はまだ発明されておらず、この 寺院に住む多数の僧侶たちがヴェーダの生きた容器であったのだろう。つまりひとりひとりの僧ある いは各派で、その一部を暗記して伝えたのである。ドゥルイド僧がやったように。のちになって、やは りこの寺院で、したがってきわめてふさわしい環境のなかで、ウパニシャッドは起草されたのであろう。 第一八七節 サーンキヤ哲学は仏教の先駆とみられているが、われわれはウィルソンの完訳でイーシュヴァラ・ク リシュナの『サーンキヤ・カーリカー』(数論頌)にこれを見ることができる。(この訳もやはり不完全 で、霧をとおして見る思いではあるが)。この哲学は、あらゆるインド哲学の主要な教義、たとえばこ の悲しい存在から救われることが必要であるとか、行動に比例して魂が移りゆくとか、悟りこそ救済の 根本要件であるなどということを詳細に、また厳粛に説いているかぎりにおいて、興味ぶかく、また教 訓的である。インドでは数千年らい、こうした教義に心を向けることに、きわめて真剣なものがあった のだ。 この哲学がとかくするうちに、ひとつの誤った根本思想、すなわちプラクリティとプルシャに分か れる絶対二元論によって台なしにされるのをわれわれは見る。これがまたサーンキヤがヴェーダからは なれていく点でもある。
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878 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:21:19.45 ID:HJNob6BP0 - 第一八八節
インドのあらゆる宗教に見られる輪廻の道徳的意味は、われわれが犯すあらゆる不正に対して、われ われはつぎに生まれかわったときにつぐないをつけなければならない、というだけではなく、われわれ がこうむるあらゆる不正は、前世におけるわれわれの非行のむくいとして、当然なものと見なければな らない、ということでもある。 第一八九節 インドの四姓のうち上の三つがふたたび生まれた者とよばれる理由は、普通いわれるように、若者た ちの成年式にあたって神聖な血統に従ってそれぞれの世襲階級に編入することが、いわば第二の誕生で ある、ということから説明されるかもしれないが、じつは本当の理由は、前世において顕著な功績をあ げた結果としてのみ、生まれながらにそのカーストに属するのであった、つまり前世でもすでに人間とし て存在したのに相違ないのにひきかえ、最下層ないしは、もっと卑賤な身分に生まれた者は、前世では 畜生であったかもしれない、というにあるのだ。 きみたちは仏教の永遠であるカルパを馬鹿にしている! ――キリスト教のとった立場からは須臾の 時が見渡せるだけだが、仏教の立場からは、無限の時間と空間のうちにあらわれてきて、その主題とな るのだ。―― ラリターヴィスタラもはじめは単純・自然なものであったのに、次から次へと宗教会議のたびごとに 新しく改訂されて、複雑にして驚異すべきものとなったのだ。同じことは教義自体についてもいえる。 単純・壮大なわずかな教説が、しだいに綿密に仕上げられ、空間的・時間的に叙述され、擬人化を受 け、経験的に制限されたりして、しだいに多彩・乱雑・複雑となったのだ。それというのも、それが大 衆の好みに合うからだ。大衆の精神は幻想的な仕事をほしがる。単純で抽象的なことには満足させられ ないのである。 バラモン教のもろもろの教義、ならびにブラームとブラーフマー、パラマートとジーヴァートマ、 ヒラニヤ・ガルバ、プラジャーパティ、プルシャ、プラクリティなどの区別は(これらについての簡潔 な叙述は、オブリのすぐれた著作『ニルヴァーナについて』インド、一八五六年に見いだされる)、つ きつめたところ、端的に本質的に主体的存在しかもたないものを、客体的に叙述しようとする意図から なされた神話的虚構にすぎない。だから仏陀はこうした区別を捨てて、輪廻と涅槃しか認めなかった のだ。なぜなら教義というものは、複雑・多彩になればなるほど、神話的になるからだ。この理を最も よく理解しているのが、ヨーガ行者あるいは遁世者(サニアッシ)だ。彼らは方法論的に自己を正して、 外にむかっている感覚のすべてを内にひきもどし、全世界を忘れ、ついには自分自身をも忘れて無念 無想となる――そのときまだ意識のなかに残っているのは、根源的本体だけというわけだ。ただしこ れは言いやすくして行ないがたいことではある。―― かつてあれほど栄えたヒンドゥー教徒が沈滞したのは、彼らが七百年にわたって回教徒からおそろし い圧迫を受けたためだ。回教徒は強引に彼らを回教に改宗させようとしたのである。――今日ではイン ド人口の八分の一だけが回教を奉じている(『エディンバラ評論』一八五八年一月号)。―― 第一九〇節 エジプト人(エチオピア人)あるいはすくなくともその僧侶たちがインドから渡ってきたということ を示す証拠に、テュアナのアポロニウス伝の第三巻・第二〇章、第六巻・第一一章もあげることができる。 ギリシア語およびラテン語が、あれほど離れているのにサンスクリットと似ているように、ギリシア 人およびローマ人の神話もまたインドの神話に似ているということは、ありそうなことであり、エジプ トの神話がギリシア・ローマの神話に類する点もこれまたありそうなことだ。(コプト語はヤペテ語族あるい はセム語族に由来するのではなかろうか?)ゼウス、ポセイドン、ハデスはもしかしたらブラーフマ ー、ヴィシュヌ、シヴァに相当するのかもしれぬ。シヴァは三叉の矛を持っているが、これが海神ポセ イドンではその使用目的がわからなくなっている。ナイルの鍵、柄のついた十字形、金星のしるし♀ は、まさにシヴァ宗のリンガムとヨニである。オシリスあるいはイシリスはもしかすると主なる神イス ヴァラに相当する。――エジプト人もインド人も蓮を敬う。
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886 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:27:22.39 ID:HJNob6BP0 - デモフェーレス くどいようだが、宗教は断じて欺瞞じゃない、真理そのものだよ。ただ神話や寓話
の衣をつけているだけだよ。――みんながめいめい自分の宗教の開祖になればいい、というきみの腹づ もりについては、ぼくには文句がある。そういう分離主義はまったく人間の本性に反しているよ。それ を許したら、社会秩序なんかすべてめちゃくちゃになるぜ。人間は形而上学的動物だ。つまり、きわめ て強い形而上学的欲求の持ち主なんだ。だから人生の形而上学的意義をまっさきにつかみ、そこからす べてが導きだされることを求めるのだ。あらゆる教義が不確かなんだから、とても変に聞こえるかもし れないが、形而上学的根本見解の点で一致していることが、人間にとって肝要なことなので、それはそ の点で同じ考えをもっている人たちの間でだけ、真の永続的共同体が可能になるくらいなんだ。そのた め諸民族の離合集散だって、政府や、それどころか言語によるよりも、むしろ宗教しだいなのだ。だか ら、社会という建物も、つまり国家も、その土台に、一般に承認された形而上学の体系があってはじめ て、完全にゆるぎないものとなるのだ。もちろんそういう体系といえば、民衆形而上学、すなわち宗教 以外にはありえない。しかしそれはやがて憲法や、民衆のあらゆる社会的生活様式や、さらにまた個人 生活のあらゆる儀式と融けあう。古代インドでもそうだったし、ペルシア人、エジプト人、ユダヤ人に おいても、またギリシア人、ローマ人においても、さらにまたバラモン教や仏教や回教の諸民族の場合 もそうだった。シナでは、三種の教義が行なわれている。そのうちいちばん普及している仏教が、国家 から保護されることがいちばん少ない現状だ。しかしシナで一般に通用している、日常使われている格 言に「三教は一なり」というのがあるが、大筋のところで三つの教義が一致するというのだ。皇帝もま た三教をすべて同時に、一つにして信奉する立場を表明している。 最後にヨーロッパはキリスト教的国家同盟だ。キリスト教が各同盟国家の基礎になっており、そのすべて の国をつなぐ共同の紐帯になっている。そういう意味から、トルコはヨーロッパに位置してはいるけれど、 ほんらいヨーロッパには数え入れられないのだ。したがってヨーロッパの君主は、神の恵みによって 「天佑を保全せる」君主なのであり、ローマ教皇は神の代官というわけだ。だから教皇は、その威勢の最も 盛んであったときには、あらゆる帝位を彼の授けた采邑とみなすように求めたのだ。同様に、大僧正や僧正 も、そういう立場から世俗的権能をもっていて、現にイギリスでは上院に議席と発言権をもっているわけな んだ。プロテスタントの君主たちは、その建前上、その教会の長でもあるわけで、イギリスではそれが十八歳 の少女だったのも、そう昔の話ではない。宗教改革は、教皇から離れることだけですでに、ヨーロッパの 国家組織を動揺させたが、とりわけ信仰の共同体を破ることによって、ドイツの真の統一を解体したのであ り、事実上この統一が崩壊してしまったあとから、人為的な、たんに政治的な紐帯でこれを再興せざる をえなくなったのだ。こうして見ると、信仰と信仰の統一が、社会秩序および国家とどんなに本質的に 関連しているか、きみにもわかるだろう。信仰はどこでも法と憲法の支柱であり、つまりは社会組織の 基礎なのだ。もし信仰が政府の権威や君主の威厳をあと押ししなかったら、社会という建物の存立も困 難だろう。
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888 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:27:47.97 ID:HJNob6BP0 - フィラレーテス まったくのはなし、君主たちにとって主なる神は、サンタクロースのおじいさんな
んだ。ほかに手がないと、彼らはこのおじいさんを使って大きな子どもたちを寝床に追いやる。そこで 大いに尊重しているわけさ。もっともな話さ。それはそうと、ぼくはすべての君主にすすめたいことが あるよ。半年に一度、はっきり決められた日に、サムエル記上の第十五章をまじめに注意して読みとも すことだ。王位を祭壇で支えておくことが、どんなに大切かということを、いつも忘れないためにね。 そのうえ、「神学者の最後の根拠」ともいうべき火あぶりの薪が使われなくなってからは、宗教を笠に きて統治するという手は、ひどくききめがなくなってしまった。というのも、きみも知ってのとおり、 宗教は蛍のようなもので、光るためには闇がいるからなんだ。一般の人びとがあるていど無知だという ことが、あらゆる宗教の条件であり、宗教が生きうる唯一の要素なんだ。ところが天文学・自然科学・ 地質学・歴史・地理学・民俗学といったものが、その光を一般にひろげ、最後に哲学まで発言を許され るとなると、奇蹟や啓示に支えられていたすべての信仰は、たちまち没落の憂き目で、哲学がその座を 占めるということになる。ヨーロッパでは、十五世紀の末ごろ、新しくギリシアを研究した人たちがあ らわれて、認識と学問のあの一日の明けそめ、その太陽は、実りゆたかな十六世紀、十七世紀において ますます高くのぼり、中世の霧をはらいのけたわけだ。それにつれて、教会や信仰はしだいに沈まざる をえなかった。だから十八世紀になると、イギリスやフランスの哲学者どもが、教会や信仰に対して直 接反旗をひるがえすこともできるようになり、ついにフリードリッヒ大王の治下にカントがあらわれ、宗 教的信仰から従来の哲学の支柱を取り去り、「神学の侍女」を解放したのだ。カントがこの問題に取り 組んだやり方は、まことに泰然として徹底的だったから、宗教問題も浮わついた調子でなく、いよいよ 厳粛なおももちを呈するようになったのだ。その結果として十九世紀になると、キリスト教はすっかり 弱体化してしまい、本気に信じる者なんかほとんどなく、それどころか、すでに死ぬか生きるかの最後 のあがきまで見せるようになる。いっぽう、これを気づかう君主たちは、あたかも瀕死の重病人に医者 が麝香を使うように、人為的な刺激剤でキリスト教を助けおこそうとかかるしまつだ。だがここで聞い てほしいのは、コンドルセの『人間精神の進歩』の一節だ。これはまるで現代の警告として書かれたよ うにも思えるのだ。「哲学者たちや偉い人たちが宗教に熱をあげたのは、政略的な信心でしかなかった。 どんな宗教も、民衆にゆだねたほうが有利だと思いながら、それでも防衛してゆくというふうになった ら、長い短いの差はあれ、けっきょく苦悶のはてに死ぬ以外の望みはないのだ。」
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889 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:28:55.49 ID:HJNob6BP0 - >>887
誤った宗教知識で嘘八百を並び立てているバカがいたので、ここからコピペした。 【ショーペンハウアー】ペシミズム http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1415538016/
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891 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:31:04.53 ID:HJNob6BP0 - ヨーロッパのキリスト教なんてナポレオンの時代に完全に息の根を止められた。
ニーチェなんかその後葬曲を奏でたに過ぎん。
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894 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:33:07.79 ID:HJNob6BP0 - >>890
ウィキ貼っといてやるよ Arthur Schopenhauer https://tr.wikipedia.org/wiki/Arthur_Schopenhauer Aşkın Metafiziği https://tr.wikipedia.org/wiki/A%C5%9Fk%C4%B1n_Metafizi%C4%9Fi
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- 【国際】「イスラム教徒がクリスマスに反対し、キリスト教徒の死刑を要求」 クーデター未遂後、トルコのキリスト教徒の将来に懸念高まる©2ch.net
896 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:36:50.36 ID:HJNob6BP0 - キリスト教を論じるなら、ショーペンハウエルやニーチェを読んでないとだめだな。
ショーペンハウエルは「仏教こそ完璧」と称賛した無神論者だった。
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901 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 22:59:30.01 ID:HJNob6BP0 - >>899
他にはエラスムスの「愚神礼讃」、ホッブスの「リヴァイアサン」、 マイスター=エックハルトの「神の慰めの書」などが参考になるぞ。
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906 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 23:20:06.56 ID:HJNob6BP0 - >>905
それは19世紀から言われていたことじゃん。オスマン帝国は「瀕死の病人」だと。
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908 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 23:26:57.05 ID:HJNob6BP0 - >>907
ポーランド人連れてくりゃいいんじゃないか。 ヒットラーもポーランド人の孤児を引き取ってドイツ人として育ててたし。
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- 【国際】ドイツのカトリック教会、信徒数が急激に減少©2ch.net
6 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [age]:2016/08/03(水) 23:58:22.76 ID:HJNob6BP0 - >>4
バイエルンは旧教だろ
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