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名無しさん@13周年
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
【南スーダンPKO】 韓国への弾薬提供 「緊急・人道性」で迅速対応 韓国側は非公表を要請するも日本側から公表される★5
【政治】維新・橋下氏「江田さんと一緒に」 結いの党との連携に意欲
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
【政治】銃弾要請は現地韓国軍部隊長と韓国大使館から 菅長官、韓国の見解を改めて否定
【中日新聞】日本の銃弾一万発、韓国軍に提供…官邸はよくよく分かっているのだろうね、戦後日本の銃弾一発の重みを
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定★2

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【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
484 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:21:43.13 ID:Dfo5Mz+ti
朝日は戦前から捏造が得意だった。

盧溝橋事件から数日して『東京朝日』は、「拉致の宮崎水兵」という上海からの特派員電で「陸戦隊宮崎一等水兵は規定の門限たる7月25日午前6時15分までには遂に姿を見せず、
いよいよ支那人に拉致されたこと確実と見られるに至った」という記事を載せたり、

また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事では「3千人の支那兵が、天津租界内の邦人1万5000人を虐殺し略奪をほしいままにしたうえ、
日本租界を占拠しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する意図を有していた」などという「恐るべき計画」について、扇動している。

戦後、これらはデッチあげであることが明らかになっている。

上海で行方不明になった日本水兵というのは、売春宿に入りこもって、それを日本軍憲兵に摘発され、恥ずかしさのあまり逃亡していたのだ。

天津租界での虐殺も無かった。
【南スーダンPKO】 韓国への弾薬提供 「緊急・人道性」で迅速対応 韓国側は非公表を要請するも日本側から公表される★5
29 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:24:03.41 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。朝日新聞は戦前から現在まで日本国解体工作を続けてきた。

朝日新聞に操られた近衛文麿が危機を演出し、体制革新つまり統制経済化・社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。
紙面に煽られた国民も支持した。

近衛の大陸政策のブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、日ソ中立条約締結、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。
尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。
ゾルゲ事件では尾崎の同僚であった朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、7月11日、北平特務機関長の松井久太郎大佐と大使館付武官補佐官の今井武夫少佐は、第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱し陰謀を明かし終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
548 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:30:46.29 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。朝日新聞は戦前から現在まで日本国解体工作を続けてきた。

朝日新聞に操られた近衛文麿が危機を演出し、体制革新つまり統制経済化・社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。
紙面に煽られた国民も支持した。

近衛の大陸政策のブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、日ソ中立条約締結、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。
尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。
ゾルゲ事件では尾崎の同僚であった朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、7月11日、北平特務機関長の松井久太郎大佐と大使館付武官補佐官の今井武夫少佐は、第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱し陰謀を明かし終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】維新・橋下氏「江田さんと一緒に」 結いの党との連携に意欲
159 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:36:10.76 ID:Dfo5Mz+ti
橋下は、中国のスリーパー政治家だ。
その証拠は、ある。
今こそ保守なら中国を批判するはすだ。政府の弱腰を批判し、アピールするチャンスだ。今こそ橋下の攻撃性を発揮する時のはずなのに、批判を一切しないことが最大の証明だ。
因みに石原も批判しない。石原は橋下の共犯で売国奴だ。

アメリカ合衆国から堺市まで、市長の立場を逸脱して全方位に喧嘩を売っているのに、まともに国家としての中国や中国共産党を批判したことは本当に一回もない。

一度、尖閣関連で「品がない」などと人柄に例えて批判めいたことはしたが、その時は領土問題と認めて国際司法裁判所に提訴すべきという売国発言の偽装だった。
http://www.j-cast.com/s/2012/09/28148180.html

橋下が首相になれば日米離間し、日中戦争になり核の威圧で意図的に敗戦に誘導されていただろう。

日本はスリーパー政治家だった近衛文麿によって一度滅んだ。

朝日新聞によって軍も首相も世論もアジア進出、対米開戦に誘導された。結果敗戦した。

今も続く中国共産党の対日工作の実態を知るため、近衛文麿が天皇陛下に終戦を勧めるため上奏した近衛上奏文を読んで欲しい。
基本は、平成での工作も同じだ。表は愛国、裏は親中政権を樹立し、日米離間し、中国と紛争を起こし、国内を危機感で統制し独裁化、道州制導入、その上で中国と戦い敗戦講和、結果沖縄独立、敗戦革命でアジア共同体日本民主共和国となる。

橋下がやる予定だった。

(以下抜粋)

抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。

これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。、
【政治】維新・橋下氏「江田さんと一緒に」 結いの党との連携に意欲
160 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:38:28.20 ID:Dfo5Mz+ti
中国に称賛された橋下大阪市長が日本の政治に与えた衝撃

2012年04月23日09時45分
 「中日友好協会」の会長である唐家セン元中国国務委員が4月22日に来日し、橋下大阪市長と会談したという。
 このニュースだけでも驚きだが、もっと驚いたのは唐家セン会長が橋下市長を「(今後)大きな成果を収めるだろう」と称賛したことだ。
 それに応えるかのように橋下市長は唐家セン会長と抱き合って、「(両国は)時にはいろいろとぶつかるかもしれないが、心の底からの友情関係があれば困難を乗り超えていける」と歓迎したことである。
 この重要な出来事を、わずか4月23日の毎日新聞が一段の小さな記事で報じるだけであった。
 しかし、この唐家セン・橋下会談は今後の日本の政局を揺さぶることになるだろう。
 この唐家センの橋下称賛はどう解釈すればいいのだろうか。
 橋下市長は日の丸、君が代問題に見られるように愛国、タカ派の急先鋒だ。
 そのタカ派的な親和性により橋下維新の会と石原慎太郎の緊密さが取り沙汰されている。
 しかも石原慎太郎の尖閣諸島買取発言が世の中を騒がしている。
 それを承知で中国はあえて橋下市長をここまで持ち上げたのだ。
 中国が橋下氏を評価する背景に何があるのか。

http://lite.blogos.com/article/37375/
【政治】維新・橋下氏「江田さんと一緒に」 結いの党との連携に意欲
161 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:42:04.28 ID:Dfo5Mz+ti
「台湾要人との会談をセットするな」と部下に指示して台湾を訪問した橋下知事(当時)、日本に戻っての第一声は「台湾では要人と会談していない」だったのです。
 この事実からすれば、中国との関係を考慮して知事は台湾要人との会談を避けたのだなと誰でも思います。2010年9月14日の部長会議でも知事は次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところが、いざ出張に行くとなると、リスク管理を誰もしてくれず、私は丸裸の状態。商工労働部が準備した当初の日程を見
ると、要人との面談まで設定されており、大変驚いた。府では台湾とは民間交流の範囲内という外交方針を決めていたはず。
 結局、私が一人で部局に直接指示して、日程を取り仕切り、事なきを得たが、あれだけリスクを言っていたのに、いざ行くと
なると全く無くなるのはどういうことか。 ──橋下知事発言
        ──2010年9月14日/大阪府・部長会議
                 大阪府のホームページより
―――――――――――――――――――――――――――――
 この発言からわかることは、知事が要人との会談をセットするなと指示したにもかかわらず、商工労働部は会談をセットしており、知事は台湾へ行ってそれを知ったことになります。これに知事は次のように対応したといっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今回、当初の日程をキャンセルしたが、台湾サイドに対して失礼極まりない話。(中略)台湾サイドには、私が謝罪し、中国への配慮もという事情もお話しして、何とか納得していただいたが、これは私だけではなく、府の問題でもある。
         ──上掲9月14日/大阪府・部長会議より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この橋下発言から読み取れることは、台湾に行ったところ、予定していないはずの要人との会談がセットされており、知事自身が台湾サイドと交渉し、
謝罪して日程をキャンセルしたということになります。だから、帰国したとき、「台湾では要人と会談していない」と発言したのでしょう。
【政治】維新・橋下氏「江田さんと一緒に」 結いの党との連携に意欲
164 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:46:37.73 ID:Dfo5Mz+ti
信者が絶賛する橋下市長の「業績」

就任直後、新市長に異を唱えた平松氏の側近6人を更迭 →  野村弁護士(橋下氏のブレーン)に「人事権の乱用にあたる」と苦言され、半年後に中枢部局に全員復権
市バス運転手の給料4割減 → 労働基本法に抵触 → 2割減で調整中
労組事務所退去 → 憲法の団結権に抵触、逆告訴を受ける
労組メールチェック → 数百件しか出てこず組織的行為とは言えず → 放置
前市長組織支持文書 → 証拠文書の捏造が発覚 → 謝罪必要ないと逆ギレ、放置
職員アンケート問題 → 思想信条の自由に抵触 → アンケ用紙廃棄のうえ逆告訴を受ける
君が代口元チェック → コネ校長と発覚 → もみ消して放置
パチンコ3店方式 → 政治は民間業界に介入できず → 放置
市職員入れ墨問題 → 脱衣させて調査できず、アンケート自体が人権侵害として告訴される
 → 現状での懲戒・解雇は労基法に抵触 → 発端の小学生脅迫事件は事実無根と判明 → 放置
議員による口利き採用調査 → 市議会(維新含む)に拒否される → 放置
小中学校学力テスト公表 → 10市町が不参加 → 放置
原発再稼働を絶対阻止 → 計画停電は不可避と判明 → 「最終的には市民の判断に任せます」と責任転嫁 → 再稼働容認から再稼働懇願へ
大阪都構想 → 総務省から財政基盤の弱さを指摘される → 堺市長からも拒絶され、1年以上経っても区割りも決められず
水道事業の民営化構想 → 大阪市単独で民営化した場合、他の大阪府下の水道事業と統合できない → 発表から二週間半で撤回

議員定数削減 → '12年10/5に否決
赤バス民営化 →  大赤字路線の為に民営化は困難、廃止へ
区長公募 → 暴言、ロシア在住者、統一協会関係者など問題区長多発
敬老パス維持 → 詐欺まがいの公約違反で有料化 → 「(無料敬老パスは)バカみたいな政策」
地下鉄売店の民営化 → 2ヶ月以上も閉店状態が続く、民営化後の成否も不明
瓦礫受け入れ → 反原発パフォの為、安全性への懸念を無視して強行
日の丸・君が代強制 → 政府見解にも朝意にも反する反日パフォ
小中学校へのエアコン設置 →  平松市長時代に予算化した事業
公務員給与削減 → 平均7%削減 → 平松時代の市政改革基本方針の成果
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
662 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:49:06.28 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
675 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:52:00.71 ID:Dfo5Mz+ti
>>662
盧溝橋事件当時の『朝日新聞』を見ると、政府に先がけて「暴支膺懲」を掲げ、数発の銃声を本格的な戦争に拡大しようと意図的な世論誘導をおこなっていたことがわかる。

 1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊は1面トップで「北平郊外で日支両軍衝突」「不法射撃に我軍反撃」の見出しを掲げ、同社の現地特派員報告「硝煙の戦線を行く」では
「今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃によって発生せるものなること1点の疑ひもなく、戦友中に死傷者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」と報道。
同時に、日本の現地駐在武官の「日本軍の攻撃はやむをえぬ自衛行動であった」との談話を掲載している。

 7月13日付『東京朝日』は、「北平の邦人遂に引揚ぐ」という見出しで、「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦してくる。
しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃発するかも知れぬ情勢にあるのだ。
この不安な北平の刻々迫りつつある不気味な空気を前に在留邦人は12日以来続々引揚げを開始した。北平発津浦線は夜の厳戒に先立って北平を脱出しようとする婦人子どもを中心とした邦人の群で満載だ」と不安を煽っている。

 同じ紙面で日本軍の支那駐屯司令官にインタビュー、「帝国の望むところは常に和平解決であったが、最早支那側の不信極まる態度、その暴虐は黙して居られなくなった。
ここにおいて正義の軍を進めて支那の暴戻を断固膺懲すると共に北支の権益と在留同胞保護のため中外に声明を発して最後の態度に出ることに決した」との談話を引き出している。

 7月21日付『東京朝日』の社説「支那の挑戦的回答」は、中国側が「日本に対する最小限度の要求」として「主権を侵す解決策は絶対に拒否す」などの独立国として当然の要求をのべたことに対して、
それを「あたかも宣戦布告」だとみなし、「その調子のあまりに挑戦的であって、必要以上に興奮状態に陥っているといはねばならぬ。
かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」「救うべからざる最後通牒に向かって自らを追い込むことになるであろう」と、逆に宣戦布告的な主張をおこなっている。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
683 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:54:53.63 ID:Dfo5Mz+ti
>>675
朝日は戦前から捏造が得意だった。

盧溝橋事件から数日して『東京朝日』は、「拉致の宮崎水兵」という上海からの特派員電で「陸戦隊宮崎一等水兵は規定の門限たる7月25日午前6時15分までには遂に姿を見せず、
いよいよ支那人に拉致されたこと確実と見られるに至った」という記事を載せたり、

また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事では「3千人の支那兵が、天津租界内の邦人1万5000人を虐殺し略奪をほしいままにしたうえ、
日本租界を占拠しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する意図を有していた」などという「恐るべき計画」について、扇動している。

戦後、これらはデッチあげであることが明らかになっている。

上海で行方不明になった日本水兵というのは、売春宿に入りこもって、それを日本軍憲兵に摘発され、恥ずかしさのあまり逃亡していたのだ。

天津租界での虐殺も無かった。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
711 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 15:59:19.62 ID:Dfo5Mz+ti
>>683
朝日は思想統制も率先してやっていた。

南京が陥落した12月ごろの『大阪朝日』の紙面では、「天声人語」で「学問はもとより時の政府の御用を勤める存在ではない、それはよくわかっているが、
さりとて、今日ほど国家闘争が激化している場合“国家に超然たる学問”といふものが無条件に存在し得ると思ふのは空想ではないか」「学問の独立とか大学の自治とか、言葉は綺麗だが、大学を国家と対立する機関のやうに勘違ひさせる恐れが多分にある」
「官立大学教授といへども国家の1微粒子であり国家機関の1員である以上、学問の名に甘えて国家および国民を見くびってはならぬ」と書いている。
名指しで戦争政策に従わぬ知識人を攻撃し、「滝川事件を思い出せ」といって、大学におれないようにしていったのである。

これとは対照的に、同じ12月に「銃後女性の譽れ 感謝の町民葬」という記事が掲載されている。
「事変に伴う出征兵士の見送りや遺家族慰問に、文字どおり寝食を忘れて活動した」国防婦人会の副分会長が、
数日間病をおして奮斗した結果、午前0時ごろ突然昏倒し、絶命したことに対し、「日本女性の模範」と写真入りで称揚している。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
722 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:01:46.13 ID:Dfo5Mz+ti
>>711
戦前から朝日は世論誘導が仕事でした。

さらに特派員電「恐怖の都・漢口を逃る――避難船に同乗して」では、「乗ってくるものの中には漢口生活40年という長老氏など1人でせっせと働いて、
こしらへた財産を残して来たといふ気の毒な人やその他30年以上働いたものも4、50人もいて船中で集まると“膺懲支那”の1語に尽き
徹底的抗日弾圧の気勢はむしろ避難民とは思はれぬ程の元気に満ち満ちている」と書いている。
 
こうして7月29日付1面で「皇軍遂に膺懲の兵を進む」が載り、その後は連日「皇軍の向ふ所敵なし 暴支膺懲第1日戦績」などが、写真入りで掲載されている。

8月11日付3面では、「支那が停戦協定(昭和7年)に違反して軍備を増強した」と非難しているが、その同じ紙面が、中国大陸で大増強される日本軍の戦車や大砲の写真特集となっている。

そればかりではない。日本軍が上海攻撃を終えた同年10月28日付『大阪朝日新聞』は社説で、「この快勝の報に接し我が陸、海、空将兵の勇戦奮闘に対して謹んで満腔の敬意と謝意を捧げたい。
同時に銃後の国民として戦勝気分に酔うが如きは尚早であって、支那抗日戦にとどめを刺すために、いっそう銃後の覚悟を緊張させなければならぬのである」と主張。

コラム「天声人語」は、これだけの犠牲を払ったのだから占領地に傀儡(かいらい)機関をつくるなどのなすべきことを遠慮なくやれといい、
そうしなければ、「たぎりたった国民の愛国熱が承知しないだらう」と政府の尻をたたいている。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
729 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:04:14.74 ID:Dfo5Mz+ti
>>722
真の戦犯は朝日新聞だった。朝日新聞は戦前から現在まで日本国解体工作を続けてきた。

朝日新聞に操られた近衛文麿が危機を演出し、体制革新つまり統制経済化・社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。
紙面に煽られた国民も支持した。

近衛の大陸政策のブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、日ソ中立条約締結、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。
尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。
ゾルゲ事件では尾崎の同僚であった朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、7月11日、北平特務機関長の松井久太郎大佐と大使館付武官補佐官の今井武夫少佐は、第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱し陰謀を明かし終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
742 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:06:34.32 ID:Dfo5Mz+ti
>>729
朝日は戦前・戦中は敗戦革命を狙っていた。敗戦革命とは自国を対外戦争を誘導し、敗戦させてそのドサクサに革命する手法だ。ロシアはそれでソ連になった。

敗戦革命について知るために、レーニンの「帝国主義戦争から敗戦革命へ」の戦略的、戦術的展開を一九二八年(昭和三年)のコミンテルン第六回大会に於て採択された決議
「帝国主義戦争と各国共産党の任務に関するテーゼ」からその要点を抜き出してみよう。

「共産主義者の帝国主義戦争反対闘争は、一般平和主義者の戦争反対運動とその根底を異にしてゐる。
われわれはこの反戦闘争をブルジョア支配階級覆滅を目的とした階級戦と不可分のものとしなければならない。
蓋しブルジョアの支配が存続する限り帝国主義戦争は避け難いからである − 」

「帝国主義戦争が勃発した場合に於ける共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること。
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること。
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能なるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。
である。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
752 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:08:58.78 ID:Dfo5Mz+ti
>>742
朝日と同じパターンに現日本国憲法のドラフトの一つを作成した鈴木安蔵がいる。戦前はアジア主義で戦争を、煽った。実はアカだった。
マルクス経済学者の河上肇の門下で近衛文麿と同門だ。
朝日新聞と同じく、アジア主義で対米戦争に誘導している。
敗戦革命を企図していたのは間違いない。

戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、
なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、
1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであった。

で、それ以前は、
相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、
河上肇の影響を受け経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、この事件が治安維持法違反第1号となり大学を自主退学、豊多摩刑務所に2年間服役した。
出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、
1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け学界からは完全にパージされてしまった。

鈴木以外の憲法研究会のメンバーはマスコミ関係ばかりだな。
こいつら赤でインテリで英語がてきたから、GHQで検閲官してた。

戦後の鈴木は、社会統計学者の高野岩三郎(元東大教授、後に初代NHK会長)らと「憲法研究会」を結成することになった。「憲法研究会」は、終戦直後の1945年10月末に高野が鈴木に提起し、同年11月5日、杉森孝次郎(元早大教授)、
森戸辰男(元東大助教授で後に片山・芦田内閣の文部大臣)、室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)、岩淵辰雄(政治評論家・元読売新聞政治記者)ら
当時日本を代表する言論人が参加した、民間の憲法制定研究団体である。
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760 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:11:27.70 ID:Dfo5Mz+ti
>>752
この憲法研究会の座長の高野岩三郎は大逆賊だ。戦後最初のNHKの会長になった。
その憲法私案はアカ丸出しだ。

改正憲法私案要綱

高野岩三郎

改正憲法私案要綱
根本原則

天皇制ニ代ヘテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用
第一 主権及ビ元首

日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル
日本国ノ元首ハ国民ノ選挙スル大統領トス
大統領ノ任期ハ四年トシ再選ヲ妨ゲザルモ三選スルヲ得ズ
大統領ハ国ノ内外ニ対シ国民ヲ代表ス
立法権ハ議会ニ属ス
議会ノ召集開会及ビ閉会ハ議会ノ決議ニヨリ大統領之ニ当ル大統領ハ議会ヲ解散スルヲ得ズ
議会閉会中公益上緊急ノ必要アリト認ムルトキハ大統領ハ臨時議会ヲ召集ス
大統領ハ行政権ヲ執行シ国務大臣ヲ任免ス
条約ノ締結ハ議会ノ議決ヲ経テ大統領之ニ当ル
爵位勲章其他ノ栄典ハ一切廃止ス、其ノ効力ハ過去与へラレタルモノニ及ブ
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
770 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:13:49.79 ID:Dfo5Mz+ti
>>763
実際には、朝日新聞と近衛文麿が日本を北朝鮮型の情報統制の国家社会主義国家に変質させ敗戦に導いた。

近衛の側近は、朝日新聞の尾崎秀美ほかの偽装右翼のコミュニストばかりだった。

史実を追えば、近衛は日本を国家社会主義国家にするためのきっかけとして盧溝橋事件を率先して拡大した。

1940年に近衛内閣で大政翼賛会が出来、日本は単一政党しかなくなった。これが政治的には国家社会主義体制の開始だろう。
経済的には、1940年12月7日に「経済新体制確立要綱」が作られる。これにより統制経済が始まる。
1942年5月26日には傘下組織である日本文学報国会が結成。
1942年6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合した。
1942年12月23日には大日本言論報国会が結成された。

こうして日本は国家社会主義国家になったのだ。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
782 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:16:44.13 ID:Dfo5Mz+ti
>>770
中国共産党とコミンテルンが操ったのは朝日新聞と日本だけではない。
大戦前、モンロー主義で国外問題不干渉で反戦だった米の国内世論を南京大虐殺で反日に誘導し参戦に誘導したのはコミンテルンと中国共産党。

アメリカ国内で、反日運動を行ったのはコミンテルンの活動家で南京大虐殺について描いた「アジアの戦争」の著者エドガー・スノーらだった。
これが、南京大虐殺の最初の記述だ。また、東京裁判史観のベースになった。

また、同様にジャーナリストとして日本批判記事をアメリカの新聞に送っていたスメドレーはゾルゲ諜報団のメンバー。赤狩りで国外脱出後、急死。
さらに「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった。

当時、アメリカにはコミンテルンのスパイがたくさんいた。ルーズベルトの側近にもいた。ハルノートをドラフトしたハリー・ホワイトは、原案にあった日本が手をひく対象を「満州を除く中国」から「中国」に変えて日本を戦争に追い込んだ。

結局、アメリカは戦後、共産主義への防波堤だった日本を壊したことが失敗だったことを悟る。

アメリカ国内外で赤狩りがはじまり、ハリー・ホワイトは自殺。

なんと言っても「日本の敵」の真打は、ハーバード・ノーマンだ。

カナダ外交官で、戦前から終戦後にかけて「知日派学者」として名を馳せたノーマンは、マルクス主義者であり、コミンテルン工作員であった。
彼はケンブリッジ大学留学時にイギリス共産党に入党し、インド独立運動に関わった。
ちなみにゾルゲや朝日の尾崎秀美の一味のアグネス・スメドレーもベルリンでインド独立運動に携わり、その後上海に入っている。

ノーマンは、昭和12年に支那事変が始まると、スメドレーの親友で戦後「女性開放」運動に影響を与えたアメリカ共産党員の石垣綾子やキョ朝鼎、
また都留らとともに、アメリカ国内で反日、反戦活動を繰り広げた。
日本に石油を売ってはならない、中国を侵略している日本を孤立させていこう、と呼びかける反日集会を二ユーヨーク・ボストン・フィラデルフィアなど東部の主要都市で開催し、
昭和14年のアメリカによる日米通商航海条約破棄を大きく後押ししたのだ。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
791 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:19:00.28 ID:Dfo5Mz+ti
>>782
日本降伏後の1945年9月、東京に赴いてノーマンはいち早く、マルクス主義憲法学者の鈴木安蔵と接触し、「憲法研究会」
と称する左翼グループを作らせ、GHQ草案に近似した憲法草案を公表させる工作に従事したのであった(原秀成「日本国憲法制定の系譜・V」2006年)。
この意味で「日本国憲法」は、単に占領軍将校が、一週間で作った「GHQ憲法」というだけでなく、もっとディープな「影の工作」をそもそもの基礎として生まれたという点で、
「ノーマン憲法」さらには、「コミンテルン憲法」という方が、より本質に近い呼び名であると思われる。
ノーマンはまた、戦犯指定を差配し、近衛文麿を戦犯指名するようGHQを動かした影の工作者でもあった。
近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如「戦犯」として逮捕命令が出され、出頭期日の12月16日に自殺することになる。
そして、朝日新聞は何の処分もなかった。それはコミンテルンの仲間だったからだ。

ノーマンはその後、第二次世界大戦後の冷戦下のアメリカで起きた赤狩り旋風の中で共産主義者の疑いをかけられ、
アメリカの圧力を受けたカナダ政府による審問を数回に渡って受ける。
そのようなアメリカからの圧力から逃れさせるべく、1953年には駐ニュージーランド高等弁務官に任命され、その後1956年には駐エジプト大使兼レバノン公使に栄転する。

しかし、都留重人を取り調べたFBI調査官によるアメリカ上院における証言によって「共産主義者」との疑いを再度かけられ、1957年4月4日に赴任先のカイロで飛び降り自殺を遂げた。

日本とアメリカは、第二次世界大戦にコミンテルンの誘導で突入した。双方とも得る物は無かった。
草の根のアメリカ保守は孤立主義なのだ。アメリカには資源も土地もあるのだから。
第二次世界大戦の勝者は、東ヨーロッパを手に入れたソ連と中国大陸を手に入れた中国共産党だったのだ。
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798 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:22:03.47 ID:Dfo5Mz+ti
>>791
今回の中国共産党の日米離間策も、基本第二次世界大戦の時と同じだ。二度かかる奴は馬鹿だ。
キリスト教の信者の多いアメリカ国民が嫌悪するような日本の非道をでっち上げ米国で非難しそれに日本で対抗する偽装右翼で反撃させる。
それを紙面で煽り拡大させ日米関係を悪化させる。
橋下の慰安婦問題をアメリカの報道官に聞いた例などその好例だ。

中国共産党-朝日新聞-近衛文麿-エドガースノー-南京大虐殺

中国共産党-朝日新聞-橋下・石原・小泉親子-マイクホンダ-慰安婦問題

日本は同じ罠に二度嵌ってはいけない。

日本は、遠交近攻(えんこうきんこう)で「遠きと交わり近きを攻める」で行くべき。

「隣国を援助する国は滅びる。 」 --- マキャべリ ---

米英と親しくし、アジアでは東南アジアと親しくしすべき。

日本が成功した明治時代は日英同盟だったことを忘れてはならない。脱亜入欧まで言う必要はない。「脱特亜」なだけだ。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
808 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:24:37.19 ID:Dfo5Mz+ti
>>798
韓国叩きは当然だが背後の中国を警戒するべき。中国は、アメリカ国民に日韓セットで破廉恥な異教徒との印象を広め切り捨てさせる戦略だ。
クネがやっていることは自爆テロだ。2世が洗脳されることはよくある。親にコンプレックスがあり、アカになりやすいのだ。
橋下も同期して騒いでいるが、日韓セットになっては絶対ダメだ。

産経 古森義久記者のレポート

しかも抗日連合会は中国政府と結びついている。
連合会として中国国営の新華社通信につながる中国語ウェブサイトを有するだけでなく、中国国内でたびたび会議を開いてきた。

 たとえば二〇〇二年一月には上海の華東政法学院(大学)で「第二次大戦賠償問題に関する国際法会議」を催した。
独裁国家の中国でこの種の「国際会議」は当局の協力なしに開けるはずはない。
しかもおもしろいことに、華東政法学院というのは中国当局の対外諜報部門に毎年、多数の卒業生を送りこむ大学だといわれる。

 抗日連合会の最近の活動で目立ったのは、二〇〇五年春、日本の国連安保理常任理事国入りの動きに反対して、あっというまに
全世界で合計四千二百万人からの反対署名を集めたと宣言したことである。

 二〇〇五年暮に「クリント・イーストウッド監督が南京大虐殺をハリウッド映画として制作する」というデマを最初に発信したのも、
抗日連合会のロスアンジェルス支部だった。この虚報は上海の新聞『文匯報』がニュースとして流し、読売新聞が二〇〇六年一月に上海発でまた転電し、
日本でもちょっとした波紋を広げた。だがまったくのウソだったのだ。

 抗日連合会は一九九七年から九八年にかけて、かのアイリス・チャン著の『ザ・レイプ・オブ・南京』の宣伝や販売に総力を投入して、同書を全米ベストセラーにまで押し上げた実績もある。

http://www.ianfu.net/opinion/komori-yoshihisa2.html
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
815 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 16:26:54.35 ID:Dfo5Mz+ti
>>808
アメリカは戦後、共産主義への防波堤だった日本を壊したことがコミンテルンの罠で失敗だったことを悟る。
それで、日本を再軍備しアメリカ寄りの政治家を育成した。

1946年からの東欧におけるソ連の支配の確立、1948年から1949年にかけてはベルリン封鎖がおきる。

また1949年の中国大陸ではアメリカが支援していた国民党でなく、中国共産党が支配。

ローゼンバーグ事件に代表される共産主義者による深刻な諜報活動により、ソ連は1949年には原爆開発成功。

これらの事態で、チャイナハンズと呼ばれた中国通とされた外交官を始めアメリカ国内外で赤狩り(1948年〜)がはじまり、多くが免職や自殺。

結局、第二次世界大戦の勝者はソ連と中国だった。操られたアメリカは何も得なかった。

このことを理解したアメリカは日本の占領政策を日本弱体化から再軍備、経済強化の逆コースに乗せた。公職追放指定者の処分解除とその逆のレッドパージを実施(1950年)。

その後は共産主義とアメリカが直接戦うことになり、朝鮮戦争(1950年6月〜)とベトナム戦争(1960年〜)をすることに。

イギリスやフランスは海外の植民地を失っただけだった。

日本とアメリカには戦う理由はなかった。コミンテルンと中国共産党に操られただけだった。

これが実態だ。間違いが有ったら指摘して欲しい。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
932 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 17:28:41.91 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
944 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 17:34:23.71 ID:Dfo5Mz+ti
現日本国憲法のドラフトの一つを作成した鈴木安蔵も朝日と同じバターンだ。戦前はアジア主義で戦争を、煽った。実はアカだった。
マルクス経済学者の河上肇の門下で近衛文麿と同門だ。
朝日新聞と同じく、アジア主義で対米戦争に誘導している。
敗戦革命を企図していたのは間違いない。

戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、
なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、
1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであった。

で、それ以前は、
相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、
河上肇の影響を受け経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、この事件が治安維持法違反第1号となり大学を自主退学、豊多摩刑務所に2年間服役した。
出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、
1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け学界からは完全にパージされてしまった。

鈴木以外の憲法研究会のメンバーはマスコミ関係ばかりだな。
こいつら赤でインテリで英語がてきたから、GHQで検閲官してた。

戦後の鈴木は、社会統計学者の高野岩三郎(元東大教授、後に初代NHK会長)らと「憲法研究会」を結成することになった。「憲法研究会」は、終戦直後の1945年10月末に高野が鈴木に提起し、同年11月5日、杉森孝次郎(元早大教授)、
森戸辰男(元東大助教授で後に片山・芦田内閣の文部大臣)、室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)、岩淵辰雄(政治評論家・元読売新聞政治記者)ら
当時日本を代表する言論人が参加した、民間の憲法制定研究団体である。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
952 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 17:41:35.33 ID:Dfo5Mz+ti
日本はスパイによって日米開戦に誘導されだ。

ルーズベルトの電報や日本の宣戦布告の伝達をワザと遅らせ開戦させた外務大臣の東郷 茂徳は朴という朝鮮人陶工の子孫。

東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。

薩摩藩は苗代川衆を保護、優遇し藩内の身分は士分とした。父・朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

夫人はユダヤ系ドイツ人のエディ・ド・ラロンド(婚約後に「東郷エヂ」と改名)。

外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。

元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長(現:京都産業大学教授)の東郷和彦は双子の孫。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
955 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 17:46:16.09 ID:Dfo5Mz+ti
>>952
外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。

国際検察局が終戦後、外務省担当者らに事情聴取を行い、詳細な経緯を調査していたことなどが明らかになった。

 外務省が作成した昭和21年8月1日付の文書によると、国際検察局は親電が早期に届けられれば戦争回避が可能だったと認識しており、
開戦当時の東郷茂徳外相が伝達を遅らせたとして開戦責任の証拠固めをしたと分析している。

 ルーズベルト親電をめぐっては、平成16年に元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大教授(当時)が、グルー駐日米大使に配達される前に東郷外相が解読していた可能性を指摘。

親電の内容を受けて日米開戦の最後通告を修正したため、開戦通告は真珠湾攻撃の約1時間後になったとしている。国際検察局側の認識は井口氏の議論と重なっており、対米通告遅延の論争に一石を投じそうだ。

http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/130307/plc13030712510009-s.htm
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
958 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 17:48:47.30 ID:Dfo5Mz+ti
>>955
子孫も朝日新聞記者だ。しかも、あいつららしい犯罪歴。

東郷茂彦

東京都立日比谷高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、ワシントン・ポスト紙の記者に転じ活動した。

1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いたり、1993年には小和田雅子が皇太子妃に決定したことをいち早く報道したスクープ記事で知られる。

一方で、1976年に国会内で見学に来ていた少女に対する痴漢行為、1998年と2001年にも痴漢行為で逮捕されるなどの不祥事により、朝日新聞、ワシントン・ポストを相次いで退社。

2002年2月、東京地裁で懲役8カ月(求刑懲役1年)の実刑判決を受けた。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定
961 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 17:55:05.47 ID:Dfo5Mz+ti
>>958
もう一人の子孫もスパイだな。

東郷和彦

外務省に強い影響力を有していた鈴木宗男に太いパイプがあり、北方領土問題では二島先行返還論を唱えていた。

このため田中眞紀子外務大臣の意向で駐オランダ特命全権大使への着任を一時保留された。

さらに2002年の鈴木宗男事件をきっかけに「特定職員の役割を過度に重視し、外務省内のロシア関係の専門家を事実上分断して混乱をもたらした結果、外務公務員の信用を著しく失墜させた」として
駐オランダ大使を更迭されるが、この時依願退職を求められるも拒否したため、大使を罷免された。
【南スーダンPKO】 韓国への弾薬提供 「緊急・人道性」で迅速対応 韓国側は非公表を要請するも日本側から公表される★5
154 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:01:02.30 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【南スーダンPKO】 韓国への弾薬提供 「緊急・人道性」で迅速対応 韓国側は非公表を要請するも日本側から公表される★5
164 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:06:13.79 ID:Dfo5Mz+ti
>>154
なりすまし半島人と朝日新聞によって日本は日米開戦に誘導されたのが真実だ。

ルーズベルトの電報や日本の宣戦布告の伝達をワザと遅らせ開戦させた外務大臣の東郷 茂徳は朴という朝鮮人陶工の子孫。

東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。

薩摩藩は苗代川衆を保護、優遇し藩内の身分は士分とした。父・朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

夫人はユダヤ系ドイツ人のエディ・ド・ラロンド(婚約後に「東郷エヂ」と改名)。

外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。

元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長(現:京都産業大学教授)の東郷和彦は双子の孫。
【南スーダンPKO】 韓国への弾薬提供 「緊急・人道性」で迅速対応 韓国側は非公表を要請するも日本側から公表される★5
166 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:08:32.51 ID:Dfo5Mz+ti
>>164
東郷の子孫も朝日新聞記者だ。あいつららしい犯罪歴。

東郷茂彦

東京都立日比谷高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、ワシントン・ポスト紙の記者に転じ活動した。

1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いたり、1993年には小和田雅子が皇太子妃に決定したことをいち早く報道したスクープ記事で知られる。

一方で、1976年に国会内で見学に来ていた少女に対する痴漢行為、1998年と2001年にも痴漢行為で逮捕されるなどの不祥事により、朝日新聞、ワシントン・ポストを相次いで退社。

2002年2月、東京地裁で懲役8カ月(求刑懲役1年)の実刑判決を受けた。

双子のもう一人もスパイだな。

東郷和彦

外務省に強い影響力を有していた鈴木宗男に太いパイプがあり、北方領土問題では二島先行返還論を唱えていた。

このため田中眞紀子外務大臣の意向で駐オランダ特命全権大使への着任を一時保留された。

さらに2002年の鈴木宗男事件をきっかけに「特定職員の役割を過度に重視し、外務省内のロシア関係の専門家を事実上分断して混乱をもたらした結果、外務公務員の信用を著しく失墜させた」として
駐オランダ大使を更迭されるが、この時依願退職を求められるも拒否したため、大使を罷免された。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
327 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:12:18.07 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
333 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:14:50.42 ID:Dfo5Mz+ti
>>327
盧溝橋事件当時の『朝日新聞』を見ると、政府に先がけて「暴支膺懲」を掲げ、数発の銃声を本格的な戦争に拡大しようと意図的な世論誘導をおこなっていたことがわかる。

 1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊は1面トップで「北平郊外で日支両軍衝突」「不法射撃に我軍反撃」の見出しを掲げ、同社の現地特派員報告「硝煙の戦線を行く」では
「今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃によって発生せるものなること1点の疑ひもなく、戦友中に死傷者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」と報道。
同時に、日本の現地駐在武官の「日本軍の攻撃はやむをえぬ自衛行動であった」との談話を掲載している。

 7月13日付『東京朝日』は、「北平の邦人遂に引揚ぐ」という見出しで、「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦してくる。
しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃発するかも知れぬ情勢にあるのだ。
この不安な北平の刻々迫りつつある不気味な空気を前に在留邦人は12日以来続々引揚げを開始した。北平発津浦線は夜の厳戒に先立って北平を脱出しようとする婦人子どもを中心とした邦人の群で満載だ」と不安を煽っている。

 同じ紙面で日本軍の支那駐屯司令官にインタビュー、「帝国の望むところは常に和平解決であったが、最早支那側の不信極まる態度、その暴虐は黙して居られなくなった。
ここにおいて正義の軍を進めて支那の暴戻を断固膺懲すると共に北支の権益と在留同胞保護のため中外に声明を発して最後の態度に出ることに決した」との談話を引き出している。

 7月21日付『東京朝日』の社説「支那の挑戦的回答」は、中国側が「日本に対する最小限度の要求」として「主権を侵す解決策は絶対に拒否す」などの独立国として当然の要求をのべたことに対して、
それを「あたかも宣戦布告」だとみなし、「その調子のあまりに挑戦的であって、必要以上に興奮状態に陥っているといはねばならぬ。
かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」「救うべからざる最後通牒に向かって自らを追い込むことになるであろう」と、逆に宣戦布告的な主張をおこなっている。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
338 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:17:07.65 ID:Dfo5Mz+ti
>>333
戦後の朝日の工作の大成功事例は細川連立政権だ。

細川護熙は、朝日新聞記者の記者だった。

細川が現在の日本の政治の混迷の源泉だ。民主党の議員は細川新党ブームで政権奪取したこの時、国会議員になった者が多い。
日本の今日に至る衰退、解体はこの時に始まったと言っていい。

細川は、公爵近衛文麿の孫で元朝日新聞の記者。
日本には華族出身のコミュニストで売国奴が結構いる。

コミンテルンのスパイだったゾルゲの共犯で死刑になった朝日新聞の尾崎秀美に操られて太平洋戦争を招いた近衛文麿。
大学時代にわざわざ東大から京大に移り、マルクス経済学の河上肇に学んだ。
フランス留学中もコミュニストと交流。
近衛内閣のブレーンはコミュニストばかりだった。ある意味、日本は赤化して資本主義の総本山のアメリカに戦争を挑んだ。これが事実だ。

細川の父親も侯爵の家に生まれ、コミュニストの巣で「官庁人民戦線」で知られる企画院事件があった企画院顧問。近衛文麿の側近だった。

また、近衛文麿のブレーンになった公爵西園寺家の嫡男の西園寺公一は、ゾルゲ事件で尾崎秀美らと同様に逮捕。他の共犯者は死刑だったが、公爵家を廃嫡で済んだ。戦後、中国に移住し大臣級の扱い。

日本解体を狙う売国勢力に華族は神輿として担がれやすいのだ。
細川が出てくる運動は日本解体工作だ。
【政治】銃弾要請は現地韓国軍部隊長と韓国大使館から 菅長官、韓国の見解を改めて否定
772 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:21:03.34 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【中日新聞】日本の銃弾一万発、韓国軍に提供…官邸はよくよく分かっているのだろうね、戦後日本の銃弾一発の重みを
243 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:34:17.99 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】朝日新聞が南スーダンの自衛隊、撤収検討≠ニ報じる→菅官房長官「そんな事実ない」と否定★2
202 :名無しさん@13周年[sage]:2013/12/25(水) 18:36:48.08 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
373 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:39:16.64 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【中日新聞】日本の銃弾一万発、韓国軍に提供…官邸はよくよく分かっているのだろうね、戦後日本の銃弾一発の重みを
312 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:41:41.99 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】銃弾要請は現地韓国軍部隊長と韓国大使館から 菅長官、韓国の見解を改めて否定
828 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:44:10.94 ID:Dfo5Mz+ti
なりすまし半島人と朝日新聞によって日本は日米開戦に誘導されたのが真実だ。

ルーズベルトの電報や日本の宣戦布告の伝達をワザと遅らせ開戦させた外務大臣の東郷 茂徳は朴という朝鮮人陶工の子孫。

東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。

薩摩藩は苗代川衆を保護、優遇し藩内の身分は士分とした。父・朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

夫人はユダヤ系ドイツ人のエディ・ド・ラロンド(婚約後に「東郷エヂ」と改名)。

外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。

元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長(現:京都産業大学教授)の東郷和彦は双子の孫。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
384 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:48:01.88 ID:Dfo5Mz+ti
なりすまし半島人と朝日新聞によって日本は日米開戦に誘導されたのが真実だ。

ルーズベルトの電報や日本の宣戦布告の伝達をワザと遅らせ開戦させた外務大臣の東郷 茂徳は朴という朝鮮人陶工の子孫。

ソース
外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。
http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/130307/plc13030712510009-s.htm

東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。

薩摩藩は苗代川衆を保護、優遇し藩内の身分は士分とした。父・朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

夫人はユダヤ系ドイツ人のエディ・ド・ラロンド(婚約後に「東郷エヂ」と改名)。

外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。

元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長(現:京都産業大学教授)の東郷和彦は双子の孫。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
394 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:52:17.96 ID:Dfo5Mz+ti
>>384
東郷の双子の孫の一人は朝日新聞記者だ。あいつららしい犯罪歴。

東郷茂彦

東京都立日比谷高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、ワシントン・ポスト紙の記者に転じ活動した。

1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いたり、1993年には小和田雅子が皇太子妃に決定したことをいち早く報道したスクープ記事で知られる。

一方で、1976年に国会内で見学に来ていた少女に対する痴漢行為、1998年と2001年にも痴漢行為で逮捕されるなどの不祥事により、朝日新聞、ワシントン・ポストを相次いで退社。

2002年2月、東京地裁で懲役8カ月(求刑懲役1年)の実刑判決を受けた。

双子のもう一人もスパイだな。

東郷和彦

外務省に強い影響力を有していた鈴木宗男に太いパイプがあり、北方領土問題では二島先行返還論を唱えていた。

このため田中眞紀子外務大臣の意向で駐オランダ特命全権大使への着任を一時保留された。

さらに2002年の鈴木宗男事件をきっかけに「特定職員の役割を過度に重視し、外務省内のロシア関係の専門家を事実上分断して混乱をもたらした結果、外務公務員の信用を著しく失墜させた」として
駐オランダ大使を更迭されるが、この時依願退職を求められるも拒否したため、大使を罷免された。
【中日新聞】日本の銃弾一万発、韓国軍に提供…官邸はよくよく分かっているのだろうね、戦後日本の銃弾一発の重みを
472 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 18:59:59.30 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
413 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:07:10.29 ID:Dfo5Mz+ti
現日本国憲法のドラフトの一つを作成した鈴木安蔵も朝日と同じバターンだ。戦前はアジア主義で戦争を、煽った。実はアカだった。
マルクス経済学者の河上肇の門下で近衛文麿と同門だ。
朝日新聞と同じく、アジア主義で対米戦争に誘導している。
敗戦革命を企図していたのは間違いない。

戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、
なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、
1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであった。

で、それ以前は、
相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、
河上肇の影響を受け経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、この事件が治安維持法違反第1号となり大学を自主退学、豊多摩刑務所に2年間服役した。
出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、
1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け学界からは完全にパージされてしまった。

鈴木以外の憲法研究会のメンバーはマスコミ関係ばかりだな。
こいつら赤でインテリで英語がてきたから、GHQで検閲官してた。

戦後の鈴木は、社会統計学者の高野岩三郎(元東大教授、後に初代NHK会長)らと「憲法研究会」を結成することになった。「憲法研究会」は、終戦直後の1945年10月末に高野が鈴木に提起し、同年11月5日、杉森孝次郎(元早大教授)、
森戸辰男(元東大助教授で後に片山・芦田内閣の文部大臣)、室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)、岩淵辰雄(政治評論家・元読売新聞政治記者)ら
当時日本を代表する言論人が参加した、民間の憲法制定研究団体である。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
440 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:26:00.80 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【政治】銃弾要請は現地韓国軍部隊長と韓国大使館から 菅長官、韓国の見解を改めて否定
981 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:29:39.54 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
452 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:36:50.27 ID:Dfo5Mz+ti
>>440
なりすまし半島人と朝日新聞によって日本は日米開戦に誘導されたのが真実だ。

ルーズベルトの電報や日本の宣戦布告の伝達をワザと遅らせ開戦させた外務大臣の東郷 茂徳は朴という朝鮮人陶工の子孫。

ソース
外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。
http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/130307/plc13030712510009-s.htm

東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。

薩摩藩は苗代川衆を保護、優遇し藩内の身分は士分とした。父・朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

夫人はユダヤ系ドイツ人のエディ・ド・ラロンド(婚約後に「東郷エヂ」と改名)。

外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。

元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長(現:京都産業大学教授)の東郷和彦は双子の孫。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
455 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:39:14.57 ID:Dfo5Mz+ti
>>452
東郷の双子の孫の一人は朝日新聞記者だ。あいつららしい犯罪歴。

東郷茂彦

東京都立日比谷高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、ワシントン・ポスト紙の記者に転じ活動した。

1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いたり、1993年には小和田雅子が皇太子妃に決定したことをいち早く報道したスクープ記事で知られる。

一方で、1976年に国会内で見学に来ていた少女に対する痴漢行為、1998年と2001年にも痴漢行為で逮捕されるなどの不祥事により、朝日新聞、ワシントン・ポストを相次いで退社。

2002年2月、東京地裁で懲役8カ月(求刑懲役1年)の実刑判決を受けた。

双子のもう一人もスパイだな。

東郷和彦

外務省に強い影響力を有していた鈴木宗男に太いパイプがあり、北方領土問題では二島先行返還論を唱えていた。

このため田中眞紀子外務大臣の意向で駐オランダ特命全権大使への着任を一時保留された。

さらに2002年の鈴木宗男事件をきっかけに「特定職員の役割を過度に重視し、外務省内のロシア関係の専門家を事実上分断して混乱をもたらした結果、外務公務員の信用を著しく失墜させた」として
駐オランダ大使を更迭されるが、この時依願退職を求められるも拒否したため、大使を罷免された。
【朝日社説】PKO協力法と武器輸出三原則の双方で「例外」とされた韓国軍への弾薬提供 法体系への信頼が揺らぐ[12/25]
460 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:41:35.80 ID:Dfo5Mz+ti
>>455
戦後の朝日の工作の大成功事例は細川連立政権だ。

細川護熙は、朝日新聞記者の記者だった。

細川が現在の日本の政治の混迷の源泉だ。民主党の議員は細川新党ブームで政権奪取したこの時、国会議員になった者が多い。
日本の今日に至る衰退、解体はこの時に始まったと言っていい。

細川は、公爵近衛文麿の孫で元朝日新聞の記者。
日本には華族出身のコミュニストで売国奴が結構いる。

コミンテルンのスパイだったゾルゲの共犯で死刑になった朝日新聞の尾崎秀美に操られて太平洋戦争を招いた近衛文麿。
大学時代にわざわざ東大から京大に移り、マルクス経済学の河上肇に学んだ。
フランス留学中もコミュニストと交流。
近衛内閣のブレーンはコミュニストばかりだった。ある意味、日本は赤化して資本主義の総本山のアメリカに戦争を挑んだ。これが事実だ。

細川の父親も侯爵の家に生まれ、コミュニストの巣で「官庁人民戦線」で知られる企画院事件があった企画院顧問。近衛文麿の側近だった。

また、近衛文麿のブレーンになった公爵西園寺家の嫡男の西園寺公一は、ゾルゲ事件で尾崎秀美らと同様に逮捕。他の共犯者は死刑だったが、公爵家を廃嫡で済んだ。戦後、中国に移住し大臣級の扱い。

日本解体を狙う売国勢力に華族は神輿として担がれやすいのだ。
細川が出てくる運動は日本解体工作だ。
【南スーダンPKO】 韓国への弾薬提供 「緊急・人道性」で迅速対応 韓国側は非公表を要請するも日本側から公表される★5
227 :名無しさん@13周年[]:2013/12/25(水) 19:44:47.57 ID:Dfo5Mz+ti
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。

近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。

近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。

尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件では、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。

しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。

(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
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