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名無しさん@13周年
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」
【社会】容疑者確保の1分後、飼い犬死ぬ 山口の放火殺人★4
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2

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【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」
852 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 00:07:42.15 ID:r/TBBueH0
■ 確執の発展
村人がカツヲに退職金を要求したり集落の草刈りを求めたりタダ働きを強要したのは他でもない。
カツヲがカネを持っていたからであると考えた方が納得がゆく。
その中には川崎で貯めたカネもあろう。1994年、バブル崩壊の直後に帰郷したのは、彼が高度成長期から
バブルにかけての暮らしの中で引退できるだけの資産を得たからではないだろうか。
引退して老親の面倒を見る決心をするだけの資産があったのは間違いない。

彼が94年10月に石村文人から買い取った土地は事前の6月には分筆整理されていた。
このことはかなり前から石村との間で買い取り交渉を進めていたことを示唆している。
その交渉の中でカツヲは懐具合や帰郷後の計画を色々と石村に話したろうことは予想できる。
だから石村はカツヲの財政状況をある程度正確に知ることができる立場にあったろうし、それを村人へ漏らさず
にいたとは思われない。田舎の噂は一瀉千里である。

そのうえ公共工事によって運良く地所の買収を受けるなどすれば、カツヲの噂にはますます尾ひれがついてあたかも
不正蓄財でもしているかのように白眼視されたということもありうる。
妬みは常に道義道徳問題にすり替えられるものだ。

トラブルの多くは、10年前を境にしていることに注意を払うべきである。
一説には親が亡くなったあと奇行がはじまったと言われている。2002年末に母親が死亡、2006年に父親が死亡、
なるほど時期的には一致する。しかし奇妙なことがある。貞森が退職金を渡せと持ちかけて刃傷沙汰になったのは
10年ほど前だという。カツヲが帰郷して9年も経ってからなぜそんな話を持ち出したのか。

村の草刈りをカツヲに強要したりカツヲの草刈り機を燃やした事件も10年ほど前だという。
やはり帰郷後9年経ってから起きている。
よく見ると親の死後にカツヲの行動がおかしくなったのではない。当時母親は死去した直後だったが父親はまだ
健在であったし、むしろ親の死をきっかけのようにして一部の村人が嫌がらせをはじめたというべきなのである。
その一部の村人が今回殺された被害者たちであった。

語られているカツヲの異常に見える言動はそうした嫌がらせに対する反応であって、嫌がらせをされることになった
原因ではない。そこを区別して見る必要がある。
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」
881 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 00:18:03.38 ID:r/TBBueH0
■ 家族葬がもたらした村八分
ミヤネ屋によるとカツヲは父親の葬儀を家族葬でとりおこなったという。
一方、父親ではなく母親の葬儀が家族葬だったという説もある。
どちらが正しいのかわからないが、この事によりカツヲと集落との間に大きな亀裂が入ったというのだ。

もし2002年12月に亡くなった母親の葬儀が家族葬であったという証言が正しいのであれば、村人がカツヲに
嫌がらせをはじめたきっかけはこの家族葬にあったと考えて間違いない。

田舎の葬式というのは総じて金がかかる。タダのように見えてタダではないのである。連日に及ぶ飲み食いの
コストはもちろんのこと金持ちや有力者であればあるほど土産だ香典返しだで大盤振る舞いを期待される
という話を聞く。
してみれば、村人にしてみれば葬式はカツヲにタカる絶好のチャンスなのであり、家族葬にするということは
村人から見るとカツヲはその程度のふるまいも拒否する吝嗇なよそ者に見える。

また、もし母親の葬儀は集落に頼み、父親の葬儀が家族葬であったとすると、これは母親の葬儀で懲りた
ため父親の時は家族葬を選んだと考えてよいだろう。
そして母親の葬儀の際にカツヲは村人が期待するだけの接待も礼もせず、村人の失望をかったのではないか。
加えて父親の葬儀を家族葬にすることで亀裂は決定的なものとなった。
しかしそもそも既に集落と衝突していたカツヲに、父親の葬儀を集落の手に委ねる選択肢があったのだろうか。
田舎の風習に通じているはずのカツヲの姉3人も家族葬に同意したと思われるのは、カツヲの置かれた状況を
理解していたからではなかろうか。

いずれにしても親の死をきっかけにカツヲが変わったのではない。
葬式を機会に村人が変わったのである。
こうしてカツヲに過剰な労働奉仕やカネの要求までする村人が現れるようになったのだとすると、なぜ
帰郷した最初の9年間は何事もなく、10年前から急にトラブルが増えるのかという謎の答えが見いだせる
のではないだろうか。

そしてそのトラブルの相手は4世帯の7人にほぼ限られていた。
山本ミヤ子、貞森誠、貞森喜代子、河村二次男、河村聡子、石村文人、石村の妻である。
【社会】容疑者確保の1分後、飼い犬死ぬ 山口の放火殺人★4
252 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 08:55:45.26 ID:r/TBBueH0
この弁護人ではまるでダメだろ
こんな若造が一人ではカツヲはどうしようもない
【社会】容疑者確保の1分後、飼い犬死ぬ 山口の放火殺人★4
253 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 08:58:18.69 ID:r/TBBueH0
山田貴之、沖本浩、東京から偉い先生は?
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2
134 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 20:55:10.17 ID:r/TBBueH0
■ 山本ミヤ子
石村文人から借地して金峰字郷3949-11に住んでいたカツヲの隣人である。
他の被害者と異なり、カツヲとの間で世間的に理解可能なトラブルを抱えていた唯一の被害者だ。

彼女の夫である正夫が昭和55年、石村から借地して家を建てる。
その横にはカツヲの父親である保見友一と妻が住んでいた家が、やはり石村から借地した土地の上に建っており、
両者は同じ借地人の気安さで長く隣人として付き合ってきたはずである。

その平穏はカツヲが帰ってきたことにより破られた。
カツヲは父親の住んでいた家の建つ土地と周辺の土地を石村から買い上げ、これに伴い土地の分筆が行われて
境界線が厳密に定められるようになった。
それまではどこからどこまでが自分の敷地ということもなく、同じ石村地主から借りた土地としてルーズな環境で
あったに違いないものが、突然区画線が引かれ、直近には背の高い建物がそびえ建つようになった。

山本としては土地を我が物とした保見家への嫉妬もあったろうし、その土地を道路改良工事に伴い転売することで
利益を得たカツヲへの嫉妬もあったかもしれない。実際この当時のカツヲはあまりにもトントン拍子にうまく事が進み、
好事魔多しの喩え、人々の妬みや嫉みを一身に集める運命にあったかのようである。

やがて山本の敵意が表面化する。主婦ネットワークで噂を流すのはもちろん、カツヲの持ち物へ対する直接的な
行動に出た可能性もあろう。カツヲはダミーカメラを山本宅へ向けていたという。また車へのイタズラや盗難を防ぐ
ためネットを張ったとも聞く。こうした動きはカツヲが隣人に強い警戒心を抱いていたことが看てとれ、そしてその警戒の
原因となった行動を山本が取っていたことを推測させるのである。

地主で有力者の石村文人と同級で親しい間柄の山本にとっては、石村がカツヲを嫌っていることは我が意を得たりで
自分のカツヲへの嫌がらせを正当化する願ってもない免罪符でもあったのだ。
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2
137 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 20:58:56.20 ID:r/TBBueH0
■ 河村二次男/聡子
金峰字郷3913でキンポー整体院を経営する夫婦である。
こんな集落で整体院の営業が成り立っていたことで地域的に柔道が盛んであったことが推測できる。

2003年6月河村宅倉庫でまきが燃える不審火があった。河村はこれ以降警戒し、就寝の際は二次男が
棒を準備して一階で、聡子が二階で別々に寝るようにした。事件当日、二次男は知人と国内旅行中で不在。
知人は当初夫妻を誘ったが、二人とも家を空けて留守の間に放火されることを恐れ、聡子が一人で留守番を
していたという。
このため二次男ははからずも難を逃れることができた。

放火を怖れて10年来警戒を続けるところなど河村はカツヲと放火を結びつけて考えている。
カツヲに放火されることを恐れ警戒をする理由が河村にはあることが看てとれる。
そのことから考えて10年前にカツヲが畦に置いていた草刈り機を燃やしたのは河村であろう。
証言者はその事件の際にカツヲと河村との間でどのようなやりとりがあったのかは語っていないが、相当に激しい
やりとりがあった事は容易に想像できる。ほどなく河村宅で不審火が起き、カツヲの仕業とは断定は出来ぬが
河村は明らかにカツヲの報復と受け止めた。

この事件をきっかけにカツヲとの仲は険悪化し、カツヲ宅近隣の田で農薬を散布していたところカツヲから殺す気か
とねじ込まれ、以来その田での稲作をやめたという話がある。農薬は毎年撒くものであるのに、なぜカツヲはその年
にかぎってねじ込んだのか。河村との関係が険悪化していたからだと考えるのが妥当であろう。
聡子がカツヲの犬が寄ってきたのを避けようとして「叩き殺す気か」となじられたのも双方の相手へ対する不信感が
背景になっている。普段から良好な関係であればこのようなやりとりになろうはずがない。

事の発端となった草刈り機への放火という非常識な行動をなぜ河村は取ったのか。
カツヲに嫌がらせをすることを正当化する雰囲気が10年前の集落に蔓延していたとしか思えない。
それは非常識極まる行為も是認されるような空気であった。
河村は調子に乗ってその空気に迎合したのであるが、その代償は10年間の恐怖と殺戮というかたちで大変高い
ものについたのである。
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2
139 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 21:01:13.70 ID:r/TBBueH0
■ 貞森誠/喜代子
金峰字垰出合5185に住む夫婦である。この事件の被害者のうち、彼だけが郷集落境界に近い別集落に住む。
他集落に住む石村文人の後輩の経営する建築会社で作業員として働いていた。
そして10年前、カツヲが被害者となった傷害事件の犯人がこの男だ。

人を刺すだけあって血の気が多く無鉄砲であり、カツヲが犬を散歩させているのを見てフンは持って帰れと嫌味を言い、
カツヲから血が見たいのかと凄まれたという話が伝わる。10年前の事件以来、貞森はカツヲに対して常に喧嘩腰で
接していたことが想像される。

他の夫婦者被害者の妻も同様だが、貞森の妻の喜代子もまたあらぬ噂を振りまき、カツヲの悪評を立てていたことは
想像に難くない。カツヲが主婦の会話に割り込んだとか、犬が近づいたので後に寄ったら叩き殺す気かと怒鳴られたとか、
カツヲの悪評に関する主婦の証言がいくつも出ている。
この集落の女たちともカツヲは関係を悪化させていたことが看てとれるのである。

また山本宅方向へ向けられたダミーカメラは貞森宅からの道に向いてもいるわけだから、カツヲが警戒していたのは隣人
だけではなく貞森も含むのかもしれない。いずれにしても貞森宅と山本ミヤ子宅だけが殺された後に火を放たれている
ことは、この2世帯へ対してカツヲがとくに強い憤りを抱いていたことを意味するのではないか。
あるいは放火の噂を流していた主たる人々が彼等だったのかもしれない。

とまれ、貞森もまた空気への迎合者である。しかし生来の乱暴な性格からあえてカツヲを挑発する行動を取っていた。
そして結局、この事件で夫婦ともども殺された唯一の被害世帯となったのであった。
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2
143 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 21:05:33.19 ID:r/TBBueH0
■ 石村文人/妻
金峰字郷3980に住む夫婦である。妻は入院中のため今回の難を逃れた。
文人は郷集落の大地主であり有力者。カツヲに土地を売った地主でもある。
20年前までは柔道に取り組んでいた柔道家としての顔を持ち、自宅から250m先は河村のキンポー整体院である。
石村は唯一カツヲとの直接的な衝突が伝えられていない。住民が畏れて文人に関する話は避けている可能性がある。
そこで有力者としての立場から類推しカツヲとの仲が険悪であった理由の炙り出しを試みる。

まず10年前の傷害事件。文人は警察を呼べ!とは言わなかったはずである。内々でおさめようとしただろうが、カツヲ
は調停を受け入れず被害届を出した。このことは集落の面目もさることながら、石村の顔を潰す行為であり、石村の
裁量権を干犯する所行であった。

同じく10年前の草刈り機放火事件。カツヲは事件以降、石村の命を拒否して村の草刈りを拒否するようになったで
あろうから、石村はそれも快く思っていなかった。カツヲが郷から出てゆくか、それとも石村の家来になるか、なのである。
家来にもならず郷に居座るカツヲは村八分同然に追い込まれることになる。

そして自分がカツヲに売ってやった土地の一部が県道9号の改良事業に伴い買収されたこと。
本来ならば石村が総取りできるところ、一部とはいえカツヲに利益をさらわれたのである。さらに同事業に伴い、集落の
目抜き通りが自分の家の前からカツヲの家の前へ移動したことも愉快ならざることであった。
その上カツヲが地域活性化のため村おこしを提案したり、シルバーハウスHOMIを開くなど、集落でイニシアチブを握る
かのような動きを見せたことを、自分の地位を脅かす動きと受け取ったのではなかろうか。
放置しておけば若くアイディアマンであるだけに、カツヲが郷で天下をとる可能性が高いのである。

彼のような田舎の有力者は必ず公共事業や助成といった公金の差配に関する利権にからんでいる。
だからこそ財産が殖えるのであり、その財産を元に有力者の地位を守るのであるが、しかし彼も既に80歳。
後継者が育っていないところに若手で行動力がありリーダーシップを取れるカツヲが現れたことで危機感を持ったとしても
不思議ではない。
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2
150 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 21:08:04.86 ID:r/TBBueH0
カツヲに不快感を持つ権力者はカツヲを抑え込むか追放する方向で圧力をかける。権力者の意向を酌み取った
取り巻きは、カツヲに対して様々な嫌がらせを仕掛ける。それが貞森、河村、山本だったのであり、彼らに嫌がらせを
正当化する権威と免罪符を与えていたのが石村であった、といえるだろう。
カツヲが2年半前の元日、警察署に相談に訪れて出した集落住民の名前が今回の被害者5人の名前とぴったり
一致するのも当然の成行であった。

■ 石村信史はなぜ寝ていたか?
直線上に被害者宅が並ぶなか、在宅中にもかかわらず被害を免れた世帯が3世帯ある。
三浦宅(女性一人)、堀川宅(フェルメール宅、男性一人)、石村信史宅(60代夫婦)の3世帯である。
彼等が無事だったことでカツヲの襲撃は無差別の襲撃でも集落の人々全員が対象だったわけでもなく、特定の標的を
選んで実行したものであることがわかる。

このうち石村信史の居宅は石村文人宅の東脇にあり、石村信史と妻が住んでいる。
信史はおそらく文人の弟か親戚であり、夫婦ともにカツヲと同年代の60歳代だ。石村文人を殺した時、すぐ脇の家に
いた彼等をカツヲは襲撃しなかった。カツヲは石村文人個人に対して怨みをもっていたからである。

後に被害者の親戚とされる人物がインタビューで「殺したのはアレだけどもあらいざらいぶちまけてほしい」との発言をしている。
この発言をした人物の推定年齢も60代というところ、あるいはインタビューの人物は石村信史だったかもしれない。
信史は日頃石村文人のそばにいて、集落で何が起きているのか間近に見ることができる立場であった。
そしてカツヲの襲撃対象になっておらず、一歩離れて客観的に判断できたろう人物でもある。

ところで信史夫妻は前述の通り石村文人宅の横に居を構えている。21日午後9時、郷では2軒が燃える火事が起きて
いながら、文人が姿を見せないことに何ら関心を持っていないのはなぜなのか。
鎮火してから話し合いを持とうともしていない。騒ぎの翌日火事の調査で係官が各戸を訪問してはじめて正午頃、
文人の死体が発見されている。つまり22日朝になっても出てこないことを訝しむこともなく、すぐ隣の家でありながら様子を
見に行くことすらしていない。まるで21日午後9時から22日正午まで、夫婦うち揃って寝ていたかのようではないか。
【山口5人殺害】「5人全員に恨みがあった」★2
154 :名無しさん@13周年[sage]:2013/08/01(木) 21:10:33.56 ID:r/TBBueH0
しかも22日の検証で先に見つかったのは集落の外れにある河村聡子の死体だ。
石村文人は郷の中心部に住んでいて周辺人口も他に比べて多く、親戚宅は目と鼻の先、前夜2棟が全焼し3人の
人死にが出るという大事件が起きているというのに集落の有力者が姿も見せず、翌日になっても気配がない。
にもかかわらず親戚も含め集落の人々のうち誰一人として石村宅を訪れることをしていないのである。

前夜火事に集まった人の間では「そういや、石村おらんねぇと皆で話していた」というのだが、「おらんねぇ」で片付けて
しまい、まるで心配している風でもない。金持ちの長老で実力者ということでしぶしぶ皆が従ってはいるが、石村文人は
決して人望があったわけでも人々の共感を得ていたわけでも頼られていたわけでもなかった、だから親戚も含めて敢えて
誰も石村を呼びに行こうとしなかったのではないか。

21日の夜、いざという時石村の元に集まりそうな取り巻きは、その時河村聡子を除いて皆殺しになっていた。
そして河村聡子に残された時間もほんの数時間でしかなかったのである。

はたして石村文人は本当に有力者として慕われていたのか?
それとも?


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