- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
105 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 02:46:57.29 ID:Y03jZpiqP - ●日本軍は直接かつ組織的に、慰安所開設・従軍慰安婦(皇軍将兵慰安婦女)集めを行った
----------------------- 第三師団衛生隊回顧録編集委員会編『第三師団衛生隊回顧録』 軍律厳しきなかにも粋な計らいと言いましょうか、慰安所が開設されることになりました。 我が隊からは私が開設委員として派遣されることになりました。 〔中略〕 その日から自治委員会の人と一緒にクーニャン探しに歩き回りました。 四十七士になぞらえて、四十七人を求めることにしました。委員会の人はどこにどんな娘が居るかよく知っていました。 顔にススを塗って天井裏から降りて来る娘もおりました。昔から美人と言えば、小野の小町か照る手の姫か 支那の楊貴妃かと言われたその楊貴妃の生れ故郷の揚州ですから、美麗な子が多かった。
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- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
106 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 02:50:37.62 ID:Y03jZpiqP - ●日本軍は直接かつ組織的に、慰安所開設・従軍慰安婦(皇軍将兵慰安婦女)集めを行った
----------------------------- 新京陸軍経理学校第五期生記念文集編集委員会事務局編『追憶』上 やがて洛陽作戦が始まった。月余で洛陽が陥落してホッとしていると、数日後、 師団の後方参謀が直接呼びに来たので、何事ならんと出頭すると、 「○○は、至急民家を改装して兵隊用の慰安所を作れ。ついでに洛陽で女も集めて来い」 という命令である。もうこれは、メチャクチャである。大学を出て、なんの因果でピー屋造りをさせられるのか、 その上女衒まがいの女集めまでさせられたのである。何とも情けない思いであったが、命令である。 同行していた大工上がりの軍属に慰安所造りの指示を与え、塩を二、三俵トラックに積んで、洛陽市内に女狩りに赴いたのである。 どうもこの作命は、後で聞いたところによると、包頭での慰安所造りの成功が効いていたそうである。 ともかく、洛陽をトラックでグルグル回り、私のカンも良かったのか、二、三軒で十数人の女集めに成功して、部隊に連れてくることができたのである。 「あいつは物集めがウマイ」という評判が立って、その後、随分とこきつかわれるキッカケとなってしまった。 どうも人間、何が不幸の種になるか分からないものである。 〔中略〕 兵団は武漢、長沙を経て衡陽から桂林に向かうことになった。ちょうど、桂林の中間地点の村落で、作戦準備のため長期駐屯することが決まり、 旅団は分散して宿営することになった。数日たつと、また作戦参謀が私を呼び出した。そしてまたまた、慰安所を作れ、衡陽で女を集めてこいという命令である。 私もつくずくいやになったが、作命には背けない。
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- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
108 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 02:54:19.74 ID:Y03jZpiqP - ●日本軍は直接かつ組織的に、慰安所開設・従軍慰安婦(皇軍将兵慰安婦女)集めを行った
---------------------------------------------- 『モリトシの兵隊物語ー一兵士の哀歓ー』 私は三日間の休養日に開設する特設慰安所の長を命ぜられる。先ず、前線司令部のある○城の軍政部に、自動車二台と一個分隊の警備兵を伴って出頭する。 軍政部の係官と書類手続きを済ませ、二十五人の慰安婦と賄婦、監督(やりてばばあ)、総数三十人を受領する。彼女等は朝鮮ピーと違い、現地で徴発した支那ピーで、 半分は素人、半分がセミプロ程度のようだった。軍政部から金が支払われている。二台の車に分乗させ、逃亡されないように警備も分乗する。〔中略〕 翌日九時から開業である。それまでに軍医殿の検診を終わらねばならない。衛生軍曹がクレゾール石鹸液を準備する。軍医は至極事務的に終わらせようとする。 ところが彼女達は初めての検診に驚き、軍医が薄いゴム手袋をはめて検診しようとすると受けつけない。これで意外に時間がかかる。 また、監督を呼んで説明し、性病検査であること、決して恐ろしいものではないことを納得させる。私も軍医に立ち会って彼女達を見る。 なんと驚いたことに、彼女達は例外なく不具者である。足の指が六本と手の指が四本ずつ合計すると二十本、また、足の指が十一本に手の指が九本もある。 甚だしく不自然である。顔だちはよく二十歳前の女性である。軍の命令で軍政部が集めた慰安婦は、倫理道徳の進んだ中国社会では、苦肉の策として、 この不幸な彼女達に慰安婦の仕事を引き受けて貰うしか方法がなかったものだろう。 中国では大都会に行かなければ賎業婦はいない。そして日本よりはるかに性道徳心が高い。だから普通の縁組の出来ない不具者が、この方面を押しつけられるのだろう。 軍政部の指示で、止むなく治安維持会が彼女達に犠牲になってもらったようだ。彼女達も表情こそ若さが溢れてはいるが、どことなく淋しさがただよい、 生まれ持っての不幸を感じているようだ。軍規を保つための性欲処理は合法的な手段とはいいながら、哀れであり、人間の業の深さに嫌な気持ちになる。
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- 【政治】 橋下氏「僕の発言で維新に対する信頼が揺らいでいる。もう一度力を貸してください」
593 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 06:40:27.86 ID:Y03jZpiqP - >>590
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4)少女らを強制連行 ----------------------- 日本占領下インドネシアにおける慰安婦−オランダ公文書館調査報告− 1944年4月半ば、スマラン市内で熱心に慰安婦になる女性を募集した。 警察と憲兵が地元の印欧混血人の仲介人と一緒になって女性を連行し、 指定した日時に警察署まで出頭するように命令した。警察署では、演説の後、女性を選考し、身体検査をし、スラバヤへ移送した。 …彼女たちは、1945年6月頃までフロレス島の慰安所で働かされ、その後解放されジャワへ戻ることを許された。 ---------------------------------- 1946年から始まったバタビアBC級戦犯裁判の初期に、1人の日本人男性の裁判があった。 この日本人経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになったが…、 彼の責任が追及され、結局、「強制売春の戦争犯罪」59)で有罪の判決が言い渡された。… 一度慰安所へ入ると、女性たちはそこへ止まるように強硬に圧力をかけられ、 慰安所を離れる許可は決してもらえず、逃げ出そうとした女性たちは直ちに 官警に逮捕され短期拘置された後、慰安所に一度戻されてから慰安所を解雇された。 ---------------------------------- 14 モア島 ここでも強制売春の戦犯裁判ケースがある。モア島の慰安所には5人の少女が、近隣のセルマタ 島から連れて来られていた。彼女たちは、父親たちが憲兵隊に向って反抗行動をおこした ということの罰として連れてこられ慰安婦として働かされた。 この慰安所の開設者だった日本人将校の説明から75)、彼女たちは1944年9月 から8週間この慰安所に入れられていた。合計25人の男性がこの慰安所を 使ったらしい。慰安所にはこの5人に加え、1人の少女の合計6人がいた。 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf
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- 【政治】 橋下氏「僕の発言で維新に対する信頼が揺らいでいる。もう一度力を貸してください」
601 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 06:46:13.51 ID:Y03jZpiqP - >>599
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4)強制連行を認める判決や証言。まさに「性奴隷」だった ----------------------------- 海南島戦時性暴力被害事件訴訟期間:2001年7月〜2010年3月 被害女性は少数民族の黎(リー)族、苗(ミャオ)族の8名(うち2名は係争中に死去)の女性たちで、当時14歳〜19歳の未成年だった。 判決のなかで「以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。」と認定されている被害事実を以下、一部抜粋しておく。 控訴人○○は,架馬村に設営された 日本軍の駐屯地に無理矢理連れて行かれ,駐屯地の中にある日本軍の慰安所に監禁され, 毎日性行為を強要されたほか,掃除洗濯などの労働も強いられた。 2,3か月後,控訴人○○は,藤橋に移送され, 慰安所に入れられた。この慰安所は,部屋には鍵をかけられ,日本軍人が見張っていて逃げ出すことは不可能 であり,控訴人○○は,ここで1日2回わずかな食事を与えられながら,ほぼ毎日日本軍人に強姦された。 控訴人○○は,藤橋の慰安所に1年ほど監禁された。 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20120314/p1 また倉沢氏の研究によれば、インドネシアでも、部隊が独自に女性を強制的に連行して、自分たちの駐屯地に慰安所のようなものをつくる例が見られました。 西ジャワ地区に多くみられると報告されています。村から町へ働きに出ている女性が帰り道を襲われるというケース、両親が仕事で出かけて、一人で留守番 をしている間にさらわれるというケースもみられます。こういう「準慰安婦」の場合、健康管理の最低の措置もなく、妊娠をふせぐコンドームの使用もなく、 いかなる報酬の支払いもなかったようです。 http://www.awf.or.jp/1/indonesia.html
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- 【政治】 橋下氏「僕の発言で維新に対する信頼が揺らいでいる。もう一度力を貸してください」
606 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 06:48:48.81 ID:Y03jZpiqP - >>590
●安倍答弁のウソ ---------------------------- 2007年3月5日、当時の首相・安倍晋三が参議院予算委員会で「狭義の意味においての強制性について言えば、 これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。」と答弁した。 秦はこの答弁について、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、 安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません。「狭義の強制は、きわめて少なかった」とでも言えば 良かったのかもしれませんが、なまじ余計な知識があるから、結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)。」 [7]と述べた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6
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620 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 06:59:46.92 ID:Y03jZpiqP - >>611
事実関係については、おおむね原告側の主張を認めました。 まず、「慰安所」の設置について、旧日本軍が直接ないし間接に関与したこと、 および「慰安婦」の中には、その意に反して連れてこられ、性行為を強制された者も数多くいたことを認めました。 そして原告らについても、強制的に連行され、複数の日本兵に毎日のように強姦されたこと、 日中は強制労働させられた者もいたこと、厳しい管理の下で逃げ出すことができなかったこと、 暴行を受けたときの傷跡が今も身体に残っている者もいること、 戦後も「慰安婦」であったことを理由に周囲の人々から誹謗中傷されたこと、 今も悪夢に苛まれていることなどを認定しました。 http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/sengo_35.html
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152 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:02:25.24 ID:Y03jZpiqP - >>147
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4)少女らを強制連行 ----------------------- 日本占領下インドネシアにおける慰安婦−オランダ公文書館調査報告− 1944年4月半ば、スマラン市内で熱心に慰安婦になる女性を募集した。 警察と憲兵が地元の印欧混血人の仲介人と一緒になって女性を連行し、 指定した日時に警察署まで出頭するように命令した。警察署では、演説の後、女性を選考し、身体検査をし、スラバヤへ移送した。 …彼女たちは、1945年6月頃までフロレス島の慰安所で働かされ、その後解放されジャワへ戻ることを許された。 ---------------------------------- 1946年から始まったバタビアBC級戦犯裁判の初期に、1人の日本人男性の裁判があった。 この日本人経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになったが…、 彼の責任が追及され、結局、「強制売春の戦争犯罪」59)で有罪の判決が言い渡された。… 一度慰安所へ入ると、女性たちはそこへ止まるように強硬に圧力をかけられ、 慰安所を離れる許可は決してもらえず、逃げ出そうとした女性たちは直ちに 官警に逮捕され短期拘置された後、慰安所に一度戻されてから慰安所を解雇された。 ---------------------------------- 14 モア島 ここでも強制売春の戦犯裁判ケースがある。モア島の慰安所には5人の少女が、近隣のセルマタ 島から連れて来られていた。彼女たちは、父親たちが憲兵隊に向って反抗行動をおこした ということの罰として連れてこられ慰安婦として働かされた。 この慰安所の開設者だった日本人将校の説明から75)、彼女たちは1944年9月 から8週間この慰安所に入れられていた。合計25人の男性がこの慰安所を 使ったらしい。慰安所にはこの5人に加え、1人の少女の合計6人がいた。 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf
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632 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:10:20.18 ID:Y03jZpiqP - >>630
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4) 強制連行の証言 ------------------------ 私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、 村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、 別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。 これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。 当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。 私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。 夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が 私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。 夫は死んだ。私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、 私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、「夫が死んだのだから命は惜しくない。 連れていくなら死んでやる」と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、 自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。(2001年3月26日談) http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html
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641 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:19:05.39 ID:Y03jZpiqP - >>637>>638
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4) 強制連行の証言 ----------------------------- 『滄溟』海軍経理学校補修学生第十期文集刊行委員会編「アンボンは今」 …特にM参謀はこの件について御熱心で、転勤前に山県長官からお許しを得ているからという事で、 アンボンに東西南北の四つのクラブ(慰安所)を設け約一〇〇名の慰安婦を現地調達する案を出された。 その案とはマレー語で、「日本軍将兵と姦を通じたるものは厳罰に処する」という布告を 各町村に張り出させ、密告を奨励し、その情報に基づいて原住民警察官を使って 日本将兵とよい仲になっているものを探し出し、きめられた建物に収容する。 その中から美人で病気のないものを慰安婦としてそれぞれのクラブで働かせるという計画で、 我々の様に原住民婦女子と恋仲になっている者には大恐慌で、この慰安婦狩りの間は夜歩きもできなかった。 日本の兵隊さんとチンタ(恋人)になるのは彼等も喜ぶが、不特定多数の兵隊さんと 強制収容された処で、いくら金や物がもらえるからと言って男をとらされるのは喜ぶ筈がない。 クラブで泣き叫ぶインドネシヤの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持になったものだ。 果して敗戦後、この事がオランダ軍にばれて、原住民裁判が行われたが、 この計画者は既にアンボンに居らず、それらの女性をひっぱった現地住民の警官達が やり玉に上がって処罰された程度で終ってしまった。彼女達が知っているのはひっぱった警官だけで、この事件の真相は闇に沈んだ。
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651 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:28:40.63 ID:Y03jZpiqP - >>646>>648
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4) 強制連行の証言 ----------------------------- 「海軍特別警察隊」太平出版社、1975年 対象が決定したので次は方法であった。早急に対象となる女性のリストを作って、本人に交渉する。 ある程度の強制はやむを得ないだろうという事だった。(略)副官の大島主計大尉は何が何でも やってやるぞという決意を顔一面に現して、「司令部の方針としては多少の強制があっても 出来るだけ多く集めること。その為には宣撫用の物資も用意する」(略) 「集めた女は全員必ず喜んで承知させるぞ、俺の腕のいい所をみていてくれ」 副官にはそういう自信がありありと見えた。結局女性集めは民政関係の現地人 警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊(憲兵) は協力し各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになった。 敗戦後、民政警察の指導に当たっていた木村司政官が話してくれた。 「あの慰安婦集めではまったく酷い目にあいましたよ。サパロワ島でリストに 報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとした時、今でも忘れられないが、 娘たちの住んでいた部落の住民が続々と港に集まって船に近づいて、娘を返せ! 娘を返せ!と叫んだ声が耳に残ってますよ。拳を振り上げた住民の集団は恐ろしかったですよ」 私はそこまで強制されたとは知らなかった、特警隊から売春容疑者を捕まえて収容所に送って協力していた。』
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161 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:31:56.45 ID:Y03jZpiqP - >>160
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4)強制連行を認める判決や証言。まさに「性奴隷」だった ----------------------------- 海南島戦時性暴力被害事件訴訟期間:2001年7月〜2010年3月 被害女性は少数民族の黎(リー)族、苗(ミャオ)族の8名(うち2名は係争中に死去)の女性たちで、当時14歳〜19歳の未成年だった。 判決のなかで「以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。」と認定されている被害事実を以下、一部抜粋しておく。 控訴人○○は,架馬村に設営された 日本軍の駐屯地に無理矢理連れて行かれ,駐屯地の中にある日本軍の慰安所に監禁され, 毎日性行為を強要されたほか,掃除洗濯などの労働も強いられた。 2,3か月後,控訴人○○は,藤橋に移送され, 慰安所に入れられた。この慰安所は,部屋には鍵をかけられ,日本軍人が見張っていて逃げ出すことは不可能 であり,控訴人○○は,ここで1日2回わずかな食事を与えられながら,ほぼ毎日日本軍人に強姦された。 控訴人○○は,藤橋の慰安所に1年ほど監禁された。 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20120314/p1 また倉沢氏の研究によれば、インドネシアでも、部隊が独自に女性を強制的に連行して、自分たちの駐屯地に慰安所のようなものをつくる例が見られました。 西ジャワ地区に多くみられると報告されています。村から町へ働きに出ている女性が帰り道を襲われるというケース、両親が仕事で出かけて、一人で留守番 をしている間にさらわれるというケースもみられます。こういう「準慰安婦」の場合、健康管理の最低の措置もなく、妊娠をふせぐコンドームの使用もなく、 いかなる報酬の支払いもなかったようです。 http://www.awf.or.jp/1/indonesia.html
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- 【政治】 橋下氏「僕の発言で維新に対する信頼が揺らいでいる。もう一度力を貸してください」
660 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:35:01.04 ID:Y03jZpiqP - >>656
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(5)慰安婦供出割り当て これも強制の一つ ----------------------- ○以下は、バルナバス・オルノMTB県副知事とのインタビューの概要(尚、インタビューは2007年8月13日、MTB県の県庁副県知事執務室で行った) 『エンプラワスの村人が日本軍に抵抗した理由は、それは余りにも理不尽な課税と、それから人間の尊厳に関わる酷い要求の二つだった。 大東亜戦争の中、日本軍は現地で食料を調達。軍票で支払うこともあったが、支払わないこともあった。それを村人は“税”と捉えていた。 農産物を始めヤギ、豚などの食料供出を、各村々に割り当てていた。日本軍は、さらに、まだ未婚の女性や美人の若妻をイアンフ(慰安婦)にしようとした。 村々から集められた女性たちは(注:陸軍部隊の本部があった)ワクパパピで選別された。 『悲劇の始まりはというと、シノハラ(注:極秘報告書によれば、シノハラとは海軍錦隊の嘱託だった篠原と思われる。シノハラがエンプラワス村にやってきたのは1944年10月27日とされる) はイタリアと言う名のスパイらと共に、慰安婦候補探しとタバコの調達の二つの用事で村にやってきた。村人は税のことは分っていた。 供出物資の事は承諾していた。プロテスタントの牧師の家にやってきたシノハラは、村長らを呼び、そこで、要求を突きつけた。 元々はこれぐらいと言っていたのに、今後はこれぐらい増加でタバコを供出せよと、酷い増量を求めた。村人は納得できない。 さらにシノハラは娘と美人の人妻を出せとも要求した。イアンフ候補を急いでセレクションしろと』 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html
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172 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:46:31.69 ID:Y03jZpiqP - >>167 大本営が知ろうが知るまいが現地軍の犯行 橋下もそこらへんかばいきれないと知ったのか「国家の意思として」の強制連行は無い=中央政府・大本営は知らない、と主張を変えてきたようだね
●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4) 強制連行の証言 ------------------------ 私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長?)の指示で、 村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、 別々の住まい(小屋)をあてがわれた。日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、性の相手をさせた。 これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。 当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。 私は一度女性たちの小屋に戻された。二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。 夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が 私を連れていこうとするのにはむかった。兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。 夫は死んだ。私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。傷は薬草で癒したが、 私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、「夫が死んだのだから命は惜しくない。 連れていくなら死んでやる」と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。私の知るかぎり、 自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、また女性たちに報酬など一切支払われていない。(2001年3月26日談) http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html
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- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
180 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:51:23.15 ID:Y03jZpiqP - >>175
国家主導かどうかは橋下以外問題にしてない。強制(連行)があったかどうか、そこに軍や官憲が関与したかどうかの問題。 橋下の議論誘導に引っかかる人もいるけど引っかからない人もいる。 ●安倍答弁のウソ ---------------------------- 2007年3月5日、当時の首相・安倍晋三が参議院予算委員会で「狭義の意味においての強制性について言えば、 これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。」と答弁した。 秦はこの答弁について、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、 安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません。「狭義の強制は、きわめて少なかった」とでも言えば 良かったのかもしれませんが、なまじ余計な知識があるから、結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)。」 [7]と述べた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6
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- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
186 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:54:17.60 ID:Y03jZpiqP - >>179
国が命じて無くても地方の役所で裏金を作れば役所の責任。同様に慰安婦も現地軍の責任 ネトウヨや橋下も強制があったことは否定できなくなってきて、中央政府大本営の関与は無かったと戦線を後退させてきたようだね。 ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4) 強制連行の証言 ----------------------------- 『滄溟』海軍経理学校補修学生第十期文集刊行委員会編「アンボンは今」 …特にM参謀はこの件について御熱心で、転勤前に山県長官からお許しを得ているからという事で、 アンボンに東西南北の四つのクラブ(慰安所)を設け約一〇〇名の慰安婦を現地調達する案を出された。 その案とはマレー語で、「日本軍将兵と姦を通じたるものは厳罰に処する」という布告を 各町村に張り出させ、密告を奨励し、その情報に基づいて原住民警察官を使って 日本将兵とよい仲になっているものを探し出し、きめられた建物に収容する。 その中から美人で病気のないものを慰安婦としてそれぞれのクラブで働かせるという計画で、 我々の様に原住民婦女子と恋仲になっている者には大恐慌で、この慰安婦狩りの間は夜歩きもできなかった。 日本の兵隊さんとチンタ(恋人)になるのは彼等も喜ぶが、不特定多数の兵隊さんと 強制収容された処で、いくら金や物がもらえるからと言って男をとらされるのは喜ぶ筈がない。 クラブで泣き叫ぶインドネシヤの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持になったものだ。 果して敗戦後、この事がオランダ軍にばれて、原住民裁判が行われたが、 この計画者は既にアンボンに居らず、それらの女性をひっぱった現地住民の警官達が やり玉に上がって処罰された程度で終ってしまった。彼女達が知っているのはひっぱった警官だけで、この事件の真相は闇に沈んだ。
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- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
194 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 07:57:08.66 ID:Y03jZpiqP - >>181
ネトウヨと橋下も強制があったことは否定できなくなり、中央政府・大本営は知らなかったと議論の戦線を後退させてるよね。 でも橋下とネトウヨ以外そんな話はしてない。みな軍の関与があったかどうかを問題にしてる。そして軍の関与はあった。 橋下の幼稚な議論誘導にひっかかるアホばかりじゃないよ。 ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(4) 強制連行の証言 ----------------------------- 「海軍特別警察隊」太平出版社、1975年 対象が決定したので次は方法であった。早急に対象となる女性のリストを作って、本人に交渉する。 ある程度の強制はやむを得ないだろうという事だった。(略)副官の大島主計大尉は何が何でも やってやるぞという決意を顔一面に現して、「司令部の方針としては多少の強制があっても 出来るだけ多く集めること。その為には宣撫用の物資も用意する」(略) 「集めた女は全員必ず喜んで承知させるぞ、俺の腕のいい所をみていてくれ」 副官にはそういう自信がありありと見えた。結局女性集めは民政関係の現地人 警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊(憲兵) は協力し各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになった。 敗戦後、民政警察の指導に当たっていた木村司政官が話してくれた。 「あの慰安婦集めではまったく酷い目にあいましたよ。サパロワ島でリストに 報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとした時、今でも忘れられないが、 娘たちの住んでいた部落の住民が続々と港に集まって船に近づいて、娘を返せ! 娘を返せ!と叫んだ声が耳に残ってますよ。拳を振り上げた住民の集団は恐ろしかったですよ」 私はそこまで強制されたとは知らなかった、特警隊から売春容疑者を捕まえて収容所に送って協力していた。』
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206 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:00:39.31 ID:Y03jZpiqP - >>188>>192
強制があり、軍が関与した。国の意思うんぬんは強制と軍の関与を否定できない橋下が突然言い出した幼稚な議論誘導でしかないから乗ってやる必要も無い。 >>193 ただの許認可でなく主犯なんだよね軍は。>>152>>161>>172>>180>>186>>194のとおり ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(5)慰安婦供出割り当て これも強制の一つ ----------------------- ○以下は、バルナバス・オルノMTB県副知事とのインタビューの概要(尚、インタビューは2007年8月13日、MTB県の県庁副県知事執務室で行った) 『エンプラワスの村人が日本軍に抵抗した理由は、それは余りにも理不尽な課税と、それから人間の尊厳に関わる酷い要求の二つだった。 大東亜戦争の中、日本軍は現地で食料を調達。軍票で支払うこともあったが、支払わないこともあった。それを村人は“税”と捉えていた。 農産物を始めヤギ、豚などの食料供出を、各村々に割り当てていた。日本軍は、さらに、まだ未婚の女性や美人の若妻をイアンフ(慰安婦)にしようとした。 村々から集められた女性たちは(注:陸軍部隊の本部があった)ワクパパピで選別された。 『悲劇の始まりはというと、シノハラ(注:極秘報告書によれば、シノハラとは海軍錦隊の嘱託だった篠原と思われる。シノハラがエンプラワス村にやってきたのは1944年10月27日とされる) はイタリアと言う名のスパイらと共に、慰安婦候補探しとタバコの調達の二つの用事で村にやってきた。村人は税のことは分っていた。 供出物資の事は承諾していた。プロテスタントの牧師の家にやってきたシノハラは、村長らを呼び、そこで、要求を突きつけた。 元々はこれぐらいと言っていたのに、今後はこれぐらい増加でタバコを供出せよと、酷い増量を求めた。村人は納得できない。 さらにシノハラは娘と美人の人妻を出せとも要求した。イアンフ候補を急いでセレクションしろと』 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html
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220 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:06:43.17 ID:Y03jZpiqP - >>211
>>186で答えた。 ↓ >国が命じて無くても地方の役所で裏金を作れば役所の責任。同様に慰安婦も現地軍の責任 ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(5)慰安婦供出割り当て これも強制の一つ --------------------------- スハルティさんは1944年、東ジャワ州クデイリのカンプン・ンドゥウェットの町役場に集められた。 その時、日本軍はボルネオ(現在のカリマンタン島)で働かせる15歳以上の女性を探していた。 選ばれた少女とその親たちは町役場から呼び出しを受けた。スハルティさんの両親もその中に入っていた。 村長は父親に「(ボルネオに行けば)スハルティさんを学校に通わせてやる」と言った。 はじめ、その父親は「スハルティは学校になど通ったことがないから」と申し出を断ったが、 町長は「それなら仕事をやろう」と言った。村長はなおも娘を手放すよう迫った。 町役場は各村から少女を供出するよう割り当てを受けていたのだった。 当時スハルティさんは15歳だった。 異なる村から彼女と3人の少女が選ばれ、日本軍のために働くことになった。 東ジャワのスラバヤから木造の船で、ボルネオに到着すると、木造の日本式住宅に連れて行かれた。 中には30の部屋が向かい合って設けられていた。 そこで、スハルティさんは民間の日本人と軍関係者のために、昼も夜も「慰安婦」として働かされた。 名前も日本風に「みき」と変えられた。労働に対する報酬を得ることはなかった。 http://homepage2.nifty.com/osakaaala/sat20091128ianfuindonesiashougenkouentudoi.htm
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229 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:09:42.27 ID:Y03jZpiqP - >>216
ただの衛生管理ではなく、日本軍は慰安所経営・慰安婦集めに深く関与した ●日本軍は直接かつ組織的に、慰安所設置経営管理・慰安婦集めを行った ---------------------- ○鹿内信隆 「その時(慰安所の開設時)に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、 それからムシロをくぐってから出て来るまでの待ち時間≠ェ、焼香は何分、下士官は何分、兵は何分… といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが 「ピー屋設置要項」というんで、これも経理学校で教わった」(『いま明かす戦後秘史』) ○中曽根元首相 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。 かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった」(『終わりなき海軍』) http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/ianhu.html 「(中曽根)主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html ○まず、(1)の軍直営慰安所ですが、これは軍がみずから女性を集め、慰安所を建設したり建物を接取して慰安所につくりかえ、 慰安所を直接管理・運営したものです。上海派遣軍の兵站病院に勤務した麻生徹男軍医の回想によれば、 1938年初め頃に上海の楊家宅にできた慰安所は軍直営でしたが、麻生軍医は約百名の「慰安婦」の性病検診をしました(麻生『上海より上海へ』)。 http://wam-peace.org/ianfu-mondai/qa/ ○女性が慰安所に入所した時 1 係りの下士官、慰安婦の写真・戸籍謄本 誓約書、親の承諾書、市町村長の身分証明書を調べる。 2 所定の身上調書用紙に、前歴、父兄の住所・職業・家族構成、前借金の金額を書き入れる。 これには、後で、営業停止や病気入院などの事項を追加していき、「酒癖あり」などといった本人の特徴もわかり次第。追加していく。 http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/wuhan.html
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232 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:12:06.56 ID:Y03jZpiqP - >>221
軍が騙された慰安婦を帰してやったとか、騙されてないか確認したという話は無い。つまり軍は誘拐の黙認・共犯 ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(3)誘拐罪 ・騙して連れ去るのは誘拐罪 慰安婦は誘拐された「性奴隷」だった。日本軍は慰安婦の輸送・管理拘束を行い誘拐の共犯主犯 ・また軍が騙された慰安婦を帰したとか仕事内容を騙されてないか調べたという話は無い。むしろ軍は慰安婦が騙されたと知りつつ使用しておりやはり誘拐共犯 ----------------------------- ○戦前、中国・上海の海軍慰安所で「従軍慰安婦」として働かせる目的で、日本から女性をだまして連れて行った日本人慰安所経営者らが、 国外移送目的の誘拐を禁じた旧刑法226条の「国外移送、国外誘拐罪」(現在の国外移送目的略取・誘拐罪)で1937(昭和12)年、大審院 (現在の最高裁)で有罪の確定判決を受けていた。〈中略〉「国外移送誘拐被告事件」と題されたこの判例によると、事件の概要は、 上海で軍人相手に女性に売春をさせていた業者が、32年の上海事変で駐屯する海軍軍人の増加に伴い、「海軍指定慰安所」の名称のもとに 営業の拡張を計画。知人と「醜業(売春)を秘し、女給か女中として雇うように欺まんし、移送することを謀議」し、知人の妻らに手伝わせ、 長崎から15人の日本人女性を上海へ送った。毎日新聞1997年8月6日 http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-44/hirao%2044.htm ○1937年12月「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当 ○海原治主計少尉(のち防衛庁長官) 「民間のピー屋が日本人主体なのに、こちらは朝鮮人が主だった。軍医の話では「初検診でバージンや小学校の先生もいたので聞くと、 女衒から軍の酒保でサービスするとだまされてきたよし。帰ったらとすすめたら、前借金があるので返してからでないと帰れないと語った」とのことだった」 http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/ianhu.html
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246 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:16:26.22 ID:Y03jZpiqP - >>239
>>152>>161>>172>>180>>186>>194のとおり強制連行はあった ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(2)拘束売春は当時から違法 慰安婦は軍に拘束されまさに「性奴隷」だった -------------------------------------------- 「貸座敷営業者ト娼妓トノ間ニ於ケル金銭貸借上ノ契約ト、身体ヲ拘束スルヲ目的トスル契約トハ各自独立ニシテ、身体ノ拘束ヲ目的トスル契約ハ無効ナリ」(明治33年大審院) ◇フィリピンの慰安所 比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所慰安所(亜細亜会館 第1慰安所)規定 5、慰安婦外出ヲ厳重取締 七、慰安婦散歩ハ毎日午前八時ヨリ午前10時マデトシ其ノ他ニアリテハ比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所長ノ許可ヲ受クベシ尚散歩区内ハ別表1ニ依ル 別表1 公園ヲ中心トスル赤区界ノ範囲内トス (地図略) ◇独立攻城重砲兵第2大隊 常州駐屯間内務規定 慰安所使用規定 「営業者ハ特ニ許シタル場所以外ニ外出スルヲ禁ス」 ◇森川隊とマニラ認可料理店の外出規定 「連隊長ノ許可ヲ受クベシ」「許可なくしては定められた区域を離れることはできない」 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/505.html ◇マレーシアの慰安所 「彼女らは外出を禁じられていたので、買物を頼まれた」 http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper08.htm ◇台湾の慰安所 「逃げたいけれど道がわからない。それに門のところに兵隊が立っているから、逃げたら鉄砲で撃たれるでしょう」 http://www.awf.or.jp/3/oralhistory-00.html ◇広東の慰安所 「憲兵も外で見張っていて、いつも外へは出られません」 http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/ama_act/shu_mei.html ◇インドネシアの慰安所 「一度、逃げようとしたら、憲兵に見つかって兵営に連れもどされました」 http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/ama_act/ahma_story/fuan_ato.html
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256 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:19:44.85 ID:Y03jZpiqP - >>248
>>232の通り ・日本軍は慰安婦の輸送・管理拘束を行い誘拐の共犯主犯 ・また軍が騙された慰安婦を帰したとか仕事内容を騙されてないか調べたという話は無い。むしろ軍は慰安婦が騙されたと知りつつ使用しておりやはり誘拐共犯 ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(2)>>246拘束売春続き ---------------------- ○1931年に人身売買の国連調査団が来日、日本政府は国内で横行する拘束売春をこう弁明した。 ・娼妓就業は個人の自由意志によるものである ・前借金(消費貸借)と娼妓稼業の間には何等関連は無い ・前借金の有無に関わらず個人の自由意志で廃業を為す事(自由廃業)が出来る ・債権確保の為、娼妓稼業に拘束することは違法(娼妓取締規則・民法90条) http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no93_08.pdf(p245) 当事の日本政府のこの言い訳詭弁も、戦後1955年最高裁判決で前借金の契約も無効となり否定された。 もちろん遠い外国で拘束した慰安婦の場合これらの言い訳が通用しないことは明らかだし、 右翼がよく出す慰安婦募集広告を見ても、前借金と売春との関係は明らかで 「前借金(消費貸借)と娼妓稼業の間には何等関連は無い」という言い逃れはできない。 ○慰安所における前借金と売春の結びつきを示す証言 「しかしこうした、外から入ったまとまった金で前借を返すことは許されていない。前借金は全て妓が自分の体で働いて返さなければならないのである。」 http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/wuhan.html
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280 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:26:04.05 ID:Y03jZpiqP - ●従軍慰安婦=皇軍将兵慰安婦女の問題点(1)本土以外の慰安婦が年齢が低すぎる。また素人が多く、まさに「性奴隷」だった
----------------------- ・娼妓取締規則(明治33年) 18歳未満の者は、娼妓たることを得ず。 ・貸座敷娼妓取締規則(1916年) 朝鮮において17歳未満は不可 ・婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1925年批准) 21歳未満は不可 ただし日本は朝鮮台湾は例外とすると宣言 ○日本国内では「21歳以上」の「売春経験者」に限定 「支那渡航婦女の取り扱いに関する件」(1938年2月23日) 醜業を目的とする婦女の渡航は現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営み満二十 一歳以上… ○一方朝鮮などでは10代少女が多くいた 最初は日本の国内から集められた女性が多かったのですが、 やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。 その人たちの多くは、一六、七歳の少女もふくまれる若い女性たちで、 性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした。(アジア女性基金パンフレットより) 中国のなかで「随一」の規模だった漢口慰安所を兵站司令部(※2)の 慰安係長として管理・統制していた山田清吉は『武漢兵站』のなかで、 「内地から来た妓はだいたい娼妓、芸妓、女給などの経歴のある20から27,8の妓が多かったのにくらべて、 (朝鮮)半島から来たものは前歴もなく、年齢も18、9の若い妓が多かった」と回想しています。 http://wam-peace.org/ianfu-mondai/qa/ ----------------------- つまり 日本 21歳以上 売春婦のみ 朝鮮 16〜17歳も 素人多数 という差別的条件格差があった。台湾>>161や南方>>152>>220でも少女が慰安婦にされた
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297 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:32:35.58 ID:Y03jZpiqP - >>270
騙された慰安婦が多数いたのに、軍が騙された慰安婦を帰してやったとか、騙されてないか確認したという話は無い。 つまりその通牒を受けても現地軍は有効な誘拐防止策をとらなかったということ ●従軍慰安婦の違法性と強制性 少女売春 >>280 強制売春 >>246>>256 誘拐 >>232 強制連行 >>152>>161>>172>>186>>194 慰安婦供出割り当て >>206>>220 ●日本軍は直接かつ組織的に慰安所経営・慰安婦集めを行った >>105>>106>>108>>229 ●強制連行は無かったとする安倍答弁のウソ >>180
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302 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:35:25.48 ID:Y03jZpiqP - >>292
>>246のとおり軍は強制売春の主犯共犯。軍が慰安婦拘束規定をつくり憲兵隊が監視
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312 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:39:50.54 ID:Y03jZpiqP - >>306
中山国士が得意げに出した資料は朝鮮半島の現地警察が仕事をしただけ。 >>270の通達は陸軍中国派遣軍向けだが、 騙された慰安婦が多数いたのに、軍が騙された慰安婦を帰してやったとか、騙されてないか確認したという話は無い。 つまりその通牒を受けても現地軍は有効な誘拐防止策をとらなかったということ
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320 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:42:33.81 ID:Y03jZpiqP - >>311
>>256のとおり日本の強制売春は当時問題視されていて国連調査団が来ている。
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332 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:45:27.67 ID:Y03jZpiqP - >>313
>>246のとおり軍が拘束規定を作り憲兵隊が監視 つまり軍は強制売春の主犯 >>319 ●慰安婦高給説のウソ(1)支払われる軍票の価値が暴落していた。ビルマの場合月数百円ではコーヒー10杯分でしかない -------------------------------------- ○ビルマのマンダレー駐屯地慰安所規定 第二章 第九条 慰安所ニ於ケル料金ハ軍ノ定ムル軍票ニ依ルモノトシ其ノ他ノ物品ヲ以テナスコトヲ得スp293 http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/20070530/1180473758 ○独立山砲兵第二連隊の平原一男第一大隊長(戦後に自衛隊陸将補)が湖北省洪橋付近にて軍慰安所を開設した際の模様 慰安所の開設にあたって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、 兵たちが受け取る毎月の棒給の中から支払う軍票では、慰安婦たちの生活が成り立たないということであった。 そこで大隊本部の経理室で慰安婦たちが稼いだ軍票に相当する生活物資を彼女たちに与えるという制度にした。 経理室が彼女たちに与える生活物資の主力は、 現地で徴発した食糧・衣類であったと記憶している。 兵のなかには徴発に出かけた際、個人的に中国の金品や紙幣を略奪し、 自分が遊んだ慰安婦に与える 可能性もあると思われたので、 経理室の供給する物資は思い切って潤沢にするよう指示した (「従軍慰安婦」吉見義明、岩波新書) ○「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」に次のような記載がある。 「これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。 多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」 ○「軍医のビルマ日記」より 三月三日 酒一本一〇〇円、砂糖一ビース一二〇円、餅一〇〇円等、物価頗る高し。 三月四日 馬鈴薯、玉葱、豆腐、玉子<一個六円>わたる。 三月二九日(パトゴエ)砂糖一ビース五〇円、セレ<ビルマ煙草>一本一円五〇銭。 三月三〇日(タジ)酒一本六〇円、砂糖一ビース一〇〇円、卵一個五円、コーヒー一杯五〇円、玉葱一ビース一五円、煙草一本一円なり。 http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130223/1361634834
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341 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:47:58.49 ID:Y03jZpiqP - >>331
軍は大概のことができる。取り締まろうと思えばいくらでもできた ------------------------- ○1937年12月「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当 ○女性が慰安所に入所した時 1 係りの下士官、慰安婦の写真・戸籍謄本 誓約書、親の承諾書、市町村長の身分証明書を調べる。 2 所定の身上調書用紙に、前歴、父兄の住所・職業・家族構成、前借金の金額を書き入れる。 これには、後で、営業停止や病気入院などの事項を追加していき、「酒癖あり」などといった本人の特徴もわかり次第。追加していく。 http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/wuhan.html
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352 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:51:40.90 ID:Y03jZpiqP - >>337
●慰安婦高給説のウソ(2)そもそも報酬を得ていない慰安婦が多数 ----------------------------- ○尹明淑(日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦 明石書店 2003)は十分な証言の得られた42人の証言を様々な項目について、横断的にまとめている。 そこで、性交の代償に金を受け取ったとしているのは7人である。 『軍直営の軍隊慰安所にいた軍隊慰安婦(10人)の場合、料金の支払方法はさておいて一人も軍隊慰安所からの給料はなかったのである。 また軍専属および軍利用の軍隊慰安婦の場合、(略)29名(証言しなかった3名を除く)のうち約76%の22名が全く給料を支給されていない。 しかも食事や衣類などを軍が支給していた軍直営を除き、軍専属や軍利用軍隊慰安婦の場合は、経営者が食事や衣類の他、化粧品や日常品を調達して与え、 その代金は帳簿上の収入から差し引かれて軍隊慰安婦の借金になる仕組みになっていた。』 ○朱徳蘭(台湾総督府と慰安婦 明石書店 2005)は同様に台湾人慰安婦約60人を調査し多くについては自分で直接面接している。 慰安婦になった経緯や給料を調査している。そこでは前借金を受け取ったものは数人いるが、性交の代償に金を受け取ったとしているのは少ない、 報告書に具体的に面接内容が記載された18人中では体の代償に金を受け取ったのは3人である。 http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/10 ○倉沢氏の研究によれば、インドネシアでも、部隊が独自に女性を強制的に連行して、自分たちの駐屯地に慰安所のようなものをつくる例が見られました。 西ジャワ地区に多くみられると報告されています。村から町へ働きに出ている女性が帰り道を襲われるというケース、両親が仕事で出かけて、一人で留守番 をしている間にさらわれるというケースもみられます。こういう「準慰安婦」の場合、健康管理の最低の措置もなく、妊娠をふせぐコンドームの使用もなく、 いかなる報酬の支払いもなかったようです。 http://www.awf.or.jp/1/indonesia.html ○スハルティさんは民間の日本人と軍関係者のために、昼も夜も「慰安婦」として働かされた。 名前も日本風に「みき」と変えられた。労働に対する報酬を得ることはなかった。 http://homepage2.nifty.com/osakaaala/sat20091128ianfuindonesiashougenkouentudoi.htm
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361 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 08:56:47.75 ID:Y03jZpiqP - >>357
●慰安婦高給説のウソ(3)ネトウヨが好んで出す「慰安婦の貯金通帳2万6千円」のカラクリ >二〇年〔一九四五年〕三月マンダレー失陥後は、軍票はほとんど無価値になってしまった (『ビルマにおける日本軍政史研究』) 20年3月 マンダレー陥落 軍票無価値化 20年4月4日 5560円入金 20年4月26日 5000円入金 20年5月23日 10000円入金 軍票が紙切れになったあと、突如短期間に大量入金。紙切れ軍票をもらった拾ってきた集めた可能性がある。 -------------------------- ○インフレ=軍票・現地紙幣の紙屑化は終戦のだいぶ前から始まっていた 私はフィリピンに従軍中(十八年四月〜二十一年一月)、この100ペソB券、1000ペ ソ券は勿論のこと、500ペソ券(十九年十一月中旬以降に東京からマニラへ輸送)も見たこ はなかった。また、十九年末から、私は月給(陸軍中尉待遇・120ペソ)を受け取ってい なかったし、請求もしたことはなかった。十九年末のマニラは、正に狂乱インフレで、月給を もらっても無意味だったのだ。二十年二月、バギオではバナナ1本150ペソ、卵1個1,000 ペソ、甘藷1キロ1,000ペソであった。私の月給ではバナナ1本、卵1個すら買えな かったのである。当時、フィリピンの物価は、一時間毎に高騰しているといわれていた。 [書き残しておきたいフィリピン戦秘史より](筆者は大東亜省から比島軍政監部勤務となりフィリピンへ) http://www18.ocn.ne.jp/~jmn/
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- 【慰安婦問題】維新・石原氏「連行したのは商売人だ。国家の権力でするわけがない」★2
379 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:14:05.01 ID:Y03jZpiqP - >>376
その通帳の人らビルマ慰安婦については米軍報告書で騙されて連れてこられたと書いてある
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383 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:16:48.16 ID:Y03jZpiqP - >>373
軍直営の慰安所もあったし、業者がいようが料金や支払い方法を決めるのは軍 >>229>>332のとおり
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389 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:19:21.43 ID:Y03jZpiqP - >>381
たまにソースを貼らないとこうやって要求してくるんだよね。 やっぱり毎回ソースを貼ることにしよう。 ------------------------ ○1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。 この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。 これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。 このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。 http://hogetest.exblog.jp/5416677
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405 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:27:59.94 ID:Y03jZpiqP - >>403
>>232のとおりそれは誘拐であり、軍は共犯
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410 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:32:15.61 ID:Y03jZpiqP - >>408
>>232の大審院判決どおり正真正銘の誘拐
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418 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:37:10.02 ID:Y03jZpiqP - >>412
>>383で答えたとおり軍は慰安所経営に深く関与したというかオーナーとして主導した。業者は雇われ店長にすぎない。 >>413 ビルマまで運んだのは日本軍 ------------------------------- ○1937年12月「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当
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429 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 09:48:21.33 ID:Y03jZpiqP - >>427
>>229のとおり慰安所経営は軍の副業でなく本業のひとつ
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476 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:13:21.25 ID:Y03jZpiqP - >>430
軍はただの電車ではない ↓ ○1937年12月「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当 >>431 >>105>>106>>108>>229の通り慰安所経営は軍が主導
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480 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:16:06.87 ID:Y03jZpiqP - >>460
>>476のとおり軍は慰安所経営者のひとりというかオーナー >>461 その話は知らないけど個人の善意は軍組織の正当化にはならない。じっさい騙されたまま使用された慰安婦は多い。
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491 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:19:09.51 ID:Y03jZpiqP - >>482
軍がただの電車屋でなく騙された慰安婦の輸送=誘拐に組織的に加担し便宜を図ったことがよくわかるよね。
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510 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:27:40.49 ID:Y03jZpiqP - >>494
都バスが誘拐被害者の輸送計画やら渡航許可やら全般の面倒を見たら都バス=都の責任だね。ネトウヨは今日も頭が悪いね
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518 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:30:58.58 ID:Y03jZpiqP - >>498
軍と官憲が慰安婦輸送を主導。ただの電車屋でないことがよく分かるね。 ↓ ○1937年12月「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当 >>500 >>105>>106>>108>>229の通り慰安所経営は軍が主導 軍が直営の場合はもちろん、業者がいるばあいも軍がオーナー 業者が雇われ店長
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527 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:34:02.25 ID:Y03jZpiqP - >>516>>517
騙されてないか=誘拐されてないか 確認する機会はいくらでもある。日本軍と官憲はそれをしなかった。 ↓ 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当 ●騙された慰安婦を軍が帰したとか騙されてないか確認したという話は無い。むしろ騙されたと知りつつ使用しておりやはり誘拐共犯 --------------------------------------- ○第五十九師団(済南駐屯)の伍長の証言 場所:中国中部の山東省 一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、 部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が 彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。 ○『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年 東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、 私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。 それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、 戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。…… おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。
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541 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:37:51.58 ID:Y03jZpiqP - >>530
軍が慰安婦の数を決めて割り当ててる ↓ 内務省警保局・支那渡航婦女に関する件伺・1938年11月4日 1 内地二於テ募集シ現地二向ハシムル 醜業ヲ目的トスル婦女ハ約四百名程度トシ、 大阪(100名)、京都(50名)、兵庫(100名)、福岡(100名)、山口(50名)ヲ 割当テ県二於テ兵ノ引率者(抱主)ヲ選定シテ 之ヲ募集セシメ現地二向ハシムルコト http://www.koumatsuba.zansu.com/kyoukasho/02ianfuboshuu.htm >>532 ソースを見てからということで
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553 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:40:28.95 ID:Y03jZpiqP - >>540
ただの電車屋でない。輸送するのが誰で、どこに行き、どうやっていくのか、そろえる書類、全て軍と官憲が計画を立てて実行する。 ------------------- ○女性が慰安所に入所した時 1 係りの下士官、慰安婦の写真・戸籍謄本 誓約書、親の承諾書、市町村長の身分証明書を調べる。 2 所定の身上調書用紙に、前歴、父兄の住所・職業・家族構成、前借金の金額を書き入れる。 これには、後で、営業停止や病気入院などの事項を追加していき、「酒癖あり」などといった本人の特徴もわかり次第。追加していく。 http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/wuhan.html ○1937年12月「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」 領事館は慰安所の営業許可、慰安婦の渡航に対する便宜供与、(慰安婦)到着後の滞在決定など 憲兵隊は営業主と従業婦の前線慰安所までの輸送、保護、取締りなどを担当
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564 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:42:50.57 ID:Y03jZpiqP - >>551
>>312で答えた。
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570 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:45:55.01 ID:Y03jZpiqP - >>554
ただの許可だけでなく慰安所経営・慰安婦集めに軍は関与した。 >>105>>106>>108>>518>>541慰安婦集め >>229>>246>>332慰安所経営
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578 :名無しさん@13周年[sage]:2013/06/07(金) 10:48:27.44 ID:Y03jZpiqP - >>566
>根拠も無しに「ちゃんと本人の意志を確認していたとは思えない。」 >>527のとおり騙された慰安婦は多い。 ●日本軍は慰安婦輸送と慰安所での管理をしていて誘拐共犯 ●騙された慰安婦を軍が帰したとか騙されてないか確認したという話は無い。むしろ騙されたと知りつつ使用しておりやはり誘拐共犯 ----------------------------- ○島本重三 「軍慰安所」 第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部の吉林省・琿春 兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。 『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。 兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。 気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。 日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。 ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。 せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。 生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。 ○次の日本軍元軍曹の回想記からも確認できます(※6)。スマトラのパレンバンで憲兵として慰安所に関わるなかで親しくなった朝鮮人「慰安婦」は、次のように語りました。 「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、 初めて慰安婦であることを聞かされた。…軍曹殿、皆大声で笑ったり、噪いだりしているけれど、心では泣いているんです。死のうと思ったことも何度もあるんです。…」 http://wam-peace.org/ianfu-mondai/qa/#q06
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