- 【東京】乙武洋匡さん、車椅子である事を事前通告しなかったので、レストランで入店拒否される-銀座★14
843 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/20(月) 16:55:33.36 ID:2gnGU8140! - 善意をするのが当然ではない。人間はほおっておけば障碍者を差別する。
だから障碍者を保護する活動をしたりとか、法律で縛るような、 自然の摂理に逆らった不自然な方法でやらないと、 バリアフリー社会は生まれない。 店側の意見が支持されている時点で日本のバリアフリーは終わっている。
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- 【東京】乙武洋匡さん、車椅子である事を事前通告しなかったので、レストランで入店拒否される-銀座★14
899 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/20(月) 16:58:21.76 ID:2gnGU8140! - 日本のバリアフリー社会は数十年遅れているうえに、今後もやってきそうにないな。
障碍者に優しい社会を作るということは、 将来自分が障碍者になった時に優しくしてもらえる社会を作るということ。
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- 【琉球新報/橋下発言】「在日米軍の性的エネルギーを制御」するはけ口として、生身の女性をあてがおうとする発想そのものがおぞましい
893 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/20(月) 17:10:35.84 ID:2gnGU8140! - だからレイプ天国を放置してもよい、という発想のほうがどう考えてもおぞましいな。
レイプ事件がなかったら橋下だってこんな提案なんかしないだろ。 記者は問題の本質をすり替えてるんだよ。
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- 【東京】乙武洋匡さん、車椅子である事を事前通告しなかったので、レストランで入店拒否される-銀座★15
115 :名無しさん@13周年[]:2013/05/20(月) 17:35:32.87 ID:2gnGU8140! - 乙武氏の話、入店を認めて店側はコストがかかろうが最大限努力するのが"まずは"politically correct。
その理由をうんぬんするなら、政治的に戦う覚悟が必要。大きな力で決まっている。良い悪いではない。 味が良いこじんまりしたイタリアンのオーナーシェフが必ずしもPC的な振る舞いができるわけではない、 というのは歴然たる事実。ただ、乙武氏は当然それに意義を申し立てる権利は政治的にある。 つまり、起こるべくして起こったことで、互いが食事会でもひらいて和解すればよいこと。なんで騒ぐの? ただ、乙武氏はすぐに店名をツイートして異議申し立てするのではたく、まずは弁護士でも頼んで内密に抗議をするべきだったかも。 店主がPC的に振る舞えない理由があるのは、乙武氏のように教育がある人なら想像できるから。そっちのほうが和解はし易かっただろう。 もし店主がPCに関して確たる教育があり、その上で乙武氏にあんな暴言を言った、 としたら乙武氏が自分の政治力(ツイート)をフルに使って抗議するのは理解できる。 それはPCの根拠を巡る政治的闘争だから。でも今回のケースは単に店主がそういう教育を受けてこなかっただけだと想像する。 米があそこまで露骨に橋下氏を「政治的」に批判したのは、弁護士で大阪市長である橋下氏は当然にPCを良く知っていて、 その上でその根拠に政治的にチャレンジしていると米が判断したから。つまり政治的戦いだ。 こじんまりした銀座のオーナーシェフ相手とは次元が違う話だと僕は思う。
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- 【東京】乙武洋匡さん、車椅子である事を事前通告しなかったので、レストランで入店拒否される-銀座★15
124 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/20(月) 17:36:29.67 ID:2gnGU8140! - 忙しい店でも障がい者の方がきたら対応をする、これは良い悪いではなく(店舗側にも断る理屈はいくらでもあるわけで互いに言い出したらキリがない)
単にpolitical correctlness。歴史的にみれば障がい者が政治的運動で勝ち取った権利だ。いわゆる「戦後レジーム」と同じ。 ドレスコードでダメ、泥酔だからダメ、声がでかいから二度とこないで下さい、海外の飲食店にいくと 「we reserve the right to refuse service to anyone」という表示があるところは多い。 でも、障がい者を断るのはいけない。なぜならPCだからだ。 「権利というが、飲食店側にも障がい者を断る権利は存在しないのか」、そんな議論も理屈としては可能だ。 でも海外でそれなりに教育をうけたインテリ相手にそう言う議論をしようとすると、 必ず「this is political correctness.」といわれ議論にならない。 日本人にとってはちょっと不思議かもしれないが、海外では議論を大事にするが、同時に「議論にすべきじゃないこと」というのも暗黙のうちに決まっている。 人種差別、障がい者差別、女性差別、要は大抵の差別の問題はほとんどここ(PC)に入る。 高校の時の留学先で女性の社会進出というテーマでエッセイを書かされ、政治的な平等はともかく、 肉体的には男女の間に偏差があるので差別はダメだが区別はあってしかるべき、と書いたら英語の女性教師(今から考えれば筋金のフェミニストだった)から 烈火のごとく怒られた。政治的に正しくない、と。 当時は「政治的に正しい」の意味がわからず、なぜ男女の性差を物理学的なレベルからゼロベースで議論するのが「政治的に正しくない」のかまったく理解できず、 2時間ほど大激論をした。結局、すでに数年米にいた中国人の友人が「米ではそういう議論はしてはいけない」と止めてくれた。 米は「議論の国」だと当時は思っていたので、狐につままれた気持ちだったが、その後米のことをよく知るにつれて米では「政治的に正しい」(PC)が 「学問的に正しい」より重要であることがわかった。米で大事にされていたのは形而上学的な議論ではなく、むしろ政治的なゲームとしての議論だった。
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- 【東京】乙武洋匡さん、車椅子である事を事前通告しなかったので、レストランで入店拒否される-銀座★15
129 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/20(月) 17:37:00.13 ID:2gnGU8140! - いつもはロジカルで冷静な女性の米英語教師が、その議論でいきなり政治的になってしまったのは、
話題になっていた雇用機会均等法のような権利が女性が「政治的」に勝ち取ったものだからに他ならない。 今回の橋下氏の慰安婦問題もまったく同じだろう。彼は米は議論と正義の国だから議論をしてくれる、 と思っているが慰安婦問題に関してもし米がPCのカテゴリーと考えるのであれば、絶対に議論はしない。 「This is political correctness.」と言われるだけだ。 日米のPC(政治的正しさ)で違うのは、米でそこそこ教育がある人は「PC」が政治的に勝ち取られた権利であることを知っている。 ところが、日本では「PC」がまるで自然の摂理かのように語る人が多い。そして、そういう人々はイザその権利が政治的に危なくなったときに、護ることができないだろう。 PCはそれなりの政治闘争の結果なわけだから尊重する必要がある。ただ、PCは人類普遍のルール(議論すること自体がナンセンス、とされる)のような外見をもちながら、 実は政治的な闘争によって成立したもの、というこのアンビヴァレンツをわかっておかないと、足をすくわれるのも事実。 だから、今回の乙武氏の件で飲食店の店主が”政治的”に一方的に攻撃されるとすれば怖い。 彼はPCを知っててそれに政治的にチャレンジしたのではなく(橋下氏は米にそうみなされている)、単にPCを知らなかっただけだろうから。 今回の件で、店主は謝罪しPCを改めて知ればいいだけのはずだ。 ときどき「PC反対!」という意見が飛んでくるけど、僕もPCがアプリオリに正しいなんて思わない。 少なくとも、教育があると見なされる人々が常識としておくべき「マナー」みたいなものだ。 逆にいえばマナーなのだから、その善悪よりもそれを知っているか知らないか、だけが重要。
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- 【東京】乙武洋匡さん、車椅子である事を事前通告しなかったので、レストランで入店拒否される-銀座★15
142 :名無しさん@13周年[sage]:2013/05/20(月) 17:37:58.24 ID:2gnGU8140! - この「マナー」は都合が悪いから変更しよう、という人もいるかもしれない。でも「マナー」には「マナー」である確たる政治的理由はあるわけで、
それをわかっていて変更しよとすればかなりの政治的抵抗は覚悟しないといけない。少なくとも、米は橋下氏はその手の確信犯的「狼藉者」だと思っている。 逆に「マナーも知らないのか!」と皆でこじんまりした飲食店のオーナシェフを政治的に総攻撃するのはどうかと思う。 マナーをしらなかったがゆえに「失礼」なことをしたものの、本人その非礼を詫びているのであれば、後はマナーを知ってもらえばいいことだからだ。それ以上はいらないだろう。 高級レストランで隣のテーブルでガチャガチャ音を立てられたら「教育がないな」とウンザリするが、 逆に食事マナーを永遠普遍の真理のように信奉せよと隣のテーブルから説かれたとするなら「物事を原理的に考えない人だな」と それはそれで苛立ちを感じる。PCってそんなもの。 「戦後レジーム」に関しても究極は「マナー」と同じ。日本が政治的(軍事的)に負けた結果ああなった。 腹立つ「国際マナー」かもしれないが、戦後日本はうまくそれを利用して経済発展もした。「マナー」を普遍の真理のようにいわれ腹立たしい場面もあるだろう。 でも本当に変更を訴える必要があるか。 「戦後レジーム」に日本の保守層が不安を持ち始めたのは、国際環境の変化でそれがもはや「実利」をもたらさないことがわかってきたから。 「実利」を目指して新しくレジームの変更を要求する、というのはアリとしても、「侵略ではなかった」などという先祖帰りのレジーム変更に意味があるとは思えない。 ちなみに米でもPCに関する政策が問題になることもある。職場に一定のマイノリティを優先的に雇用すること、大学が少数民族者を優先して入学させること、 とかを法律で定めること(affirmative action)は平等を定めた憲法に違反するのでは、と議論になったことがあった。 affirmative actionが問題になったのは特定の人々を平等に扱うのではなく「優遇せよ」と定めているから。 今回の乙武氏の件でも、彼を入店させるのに労を払うことは、たしかに他の客と比べて「優遇」ともいえる。 でも、実際にはほとんどの国や文化でこれは認められている。
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